act.74 因果の鎖
「アシマリは、」
「大丈夫だ。生きてる。チュリネと一緒にジョーイに先に預けた」
「そっ…か…」
レッドの手が安堵を伝えるようにアヤの頭を撫でる。
ああ、そうか。よかった。食べられなくて。死ななくてよかった。あの時拘束されて、動けずにいて、すぐ眼前にはペンドラーが大口を開けていたから、死んだと思った。その場で気絶してしまったようだが、こうして無事でいれるということはレッドが助けてくれたのだろう。
彼にはゾロアの時といい、一年前の森の洋館で襲われた時といい……いや、思い返せば小さな日常生活でも彼は自分が怪我をしないように助け続けている。階段で足を踏み外しそうになったり、車に轢かれそうになったりなど。どれだけ鈍臭いんだとも思うが、彼はずっと自分を助けてくれている。感謝しかない。
「何があった」
そう聞く彼に、アヤはそもそも何でここに来たのだっけ、と最初の記憶を少しずつ思い出すことにした。
「…………、」
アシマリがボールのように軽く飛ばされて地面に転がったのを。
それがまるでゾロアが呼吸を止めてしまった時のようだったのを。
大口を開けて眼前に迫るペンドラーの光景が脳裏にチラついて離れない。
それを振り払って、最初の記憶を辿っていく。
「ゾロアがいて」
「ゾロア?」
レッドとピカチュウが同時に反応を示した。
ピク、と片眉を上げてレッドは考える。ゾロア?居たのか?と考え己の相棒をチラと見るが、ピカチュウは首を振った。レッドもピカチュウも、彼らは気配に敏感だ。自分たちの周辺にどんなポケモンがいるのか、危険なポケモンが潜んでいるのかは常に気配を探っている。
そしてレッドよりも嗅覚と聴覚が敏感なピカチュウがアヤの仲間だったゾロアが近くにいたとして、気付けないということはまずない。
あの時のゾロアじゃなくても、他の個体のゾロアが居れば気付く。
「………でも、たぶんゾロアじゃなくて」
あの時に見たゾロアはアヤを見ていた。
見ていたけど、今になってみればあれは違う、とはっきり分かる。
アヤのポケモンだったゾロアではどう見てもなかった。
「そしたら歌が聞こえて」
「歌?」
「………うん」
歌。それは風に乗って僅かに聞こえてきた、あの歌だろうか?レッドも聞こえるか聞こえないかくらいの小さな音をあの時聞いた。
「気付いたら野生のポケモンが沢山いて、何だか分からないけど追いかけられて、ペンドラーが食事の真っ最中だったんだよね……」
「………」
“気付いたら野生のポケモンがいた”
それは囲まれていることに気付かなかったということだ。周囲の状況に全く気付けないアヤではない。それにゾロアがいたからと言って衝動的に追いかけるような女でもない。レッドから離れる時やどこかに行きたい時には必ず一声かけて行動するように、自分がそう教えたからだ。
それなのにあの時、自分がいたのにも関わらず無断で衝動的に追いかけ、歌が聞こえてきたことはきちんと覚えているにも関わらず。
気付いたら野生の、しかも飢餓状態のポケモン達に囲まれるまで気づかないということは。
「(“誘われた”のか)」
彼女が霊的なものに絡まれやすいことは何となく分かっていた。
以前シンオウ地方を旅していた時に霊に憑かれて知らぬ間に体を操作されていたことも、アヤのポケモン達から既に聞いている。
それに一緒にいた自分には特に何もなく、アヤだけ森の中に誘われたということは、そういうことである。いや、自分を連れ込もうなど100年早いし不可能だとは思うが。
レッドが知る中でこうも、短期間で命を脅かすような大きな出来事が既に、2回。
しかも自分が知らない間でもそれは既にもう起きてしまっていて、今まで運良く回避出来てはいるが。
レッドが傍に居ても、それは変わらない。
全く。
冗談では無い。
所謂、死者にとってアヤは恰好のいい的なのか何なのか。引きずり込むに当たって丁度いい人間だということ。アヤの魂がそういう悪意あるものに弱いのか、そういうモノを引き寄せやすい体質なのか。
それは分からない。
しかし、だ。
そんな理由ならレッドだったらいくらでも対応できる。
「(……“祓うか”)」
何故もっと早くにそれをして来なかったのか。霊的なものに干渉を受けやすいとは知っていたが、ここまで害されているなんて思わなかったからだ。
ゾロアの時は偶然に偶然が重なり、死にかけたのかもしれないが今はもう言い訳しよ
うがない。死へ直結するような悪意ある者を背負っているか、そういう呪いを背負っているか、どちらにせよ感化できるものではなかった。
キロ、とレッドはアヤを注視し始める。初めてアヤをそう言った目的で注視した。
観た、が。
「(……なん だ。これ、は)」
ぼんやりと彼の目に映ったのは、アヤを中心とした何重にも絡んだ因果という鎖だった。
何だ、これ。
黒く、おどろおどろしく、それは何重にも絡んでいた。
レッドは焔家の家業、生業の一つとして、これまでいくつもの穢れを祓ってきたしたまにそういうものが見えて触れたりもする。それでも。
「(濃、い……濃すぎる…何だこれは)」
こんな、濃い呪いを体現したかのような、負の因果を見たことがなかった。
アヤは、一体生きてきた中で何をしてきたのだろう。
人から恨みや怨みを買いやすい……という訳ではないが、確かに嫉妬の対象には充分なりやすい身ではある。それは彼女が女で、若くしてトップコーディネーターを務め大舞台であんな事をしたばかりに、アヤが影で実力を伴わないコーディネーター達に何て呼ばれてきたかも知っている。しかしそれを抜きにしても、ここまで濃い呪いを請け負っているのはおかしかった。
レッドがアヤの昔を知っているのは所詮、画像や写真の中だけの話だ。
自分が知らない時間の中で、何をして生きてきたのだろう。
いや、もしくは、彼女は“生前”何をしてきたのだ。
しかも、この自分でも祓い切れるかどうかも分からない“呪い”を背負って。
「……レッド?」
「……」
自分を見つめたまま固まってしまったレッドを、アヤは首を傾げて見ていた。なんだろう、どうしたんだろうと思って。
「(こんなに呪いが強ければ、もうとっくに死んでいる筈。今は俺が隣にいるから、実質“呪い避け”にはなっているだろう。それで、この程度で済んでいる。それを今まで何とか死から回避していたということは、ずっとアヤを呪いから守っていた何かが存在していた。……筈だ)」
今まで、アヤの傍にずっと存在して、ずっと守ってきたもの。
今は自分が呪い避けとして一緒に居るようなもんだ。
きっと今、自分が離れればアヤはまた何かに巻き込まれて死ぬ。
レッドは考える。自分と一緒にイッシュ地方に来る前の状態と、違うこと。
そして。はっとして気付いた。
「(…………サンダース達、だ)」
ストン、と入ってきたのだ。
今やアヤの手元から離れ、『長期休暇』などと言っていたあのアヤの仲間達。
そういう目に見えない悪意に立ち向かい、追い払うのはゴーストタイプの専売特許。呪文を唱えるような声として世間的に知られているそのポケモンは、凶事を祓い何故か恋の願いを叶う呪いを扱え、そして幸せにする呪術も持つという。
波動を使える、生物エネルギーの波紋を感じ取ることができるたったひとつの種族。
電磁波を操り回電波も作り出せる電気タイプ。
悪いものから炎で主人を守る。“炎”は古来より浄化の象徴だ。遥か昔、東洋では伝説とされてその戦う姿は炎の演舞の如しだとも。
荒れ狂う海を自由に飛ぶことができる、海の化身だとも言われている。海魅の家と無関係であるとは思えない。
体の細胞は水の分子だと言われている。これも、海魅と無関係だとは今更思えない。
思うとアヤのポケモン達、全てに意味があるような気がして。
アヤがどこでこの重たすぎる呪いを背負ったのかは分からないが、それが幼少の時からだとすると。恐らく、ずっと彼女のポケモンである彼らがアヤを呪いから守って来たのだろう。
『まあ、アンタが一緒なら大丈夫でしょ』
『大変だとは思うけど、頑張って』
『……アヤを、宜しく頼んだ』
そう言っていた彼らの真意が、ここにあるのだとしたら。
「他には?」
「えっ?」
「他に、何か気付いたこと」
アヤのその謎の呪いについては今後必ずどうにかする。死なれたら自分の情緒がどうなるか…いや、想像に容易いがアヤが死んだら自分もショックで死ぬ。まともに生きていられない気がするがまあ彼女を死なせる気は一切ない。
半年後、アヤから一時的に離れなければならない時が来るがその時は彼らを呼び戻さなければ。それにそうとなれば色々と聞きたいことがある。
やっと言葉を発したレッドにアヤは、え?と聞き返す。
他に。
他……?
「……あー」
アヤは言うか迷った。
自分の小さな頃にそっくりの女の子がいた事。
あの子は、異常そのものだった。あんな狂った野生ポケモンの中一人、親も連れずにしかも薄着のワンピースだけ着て。森の中じゃなくても、ポケモンが出る所には必ずポケモンを連れて道具などを常備していくのがこの世界の常識だ。それを何も持ち物もなく、しかも裸足であんな所にいるなんて殺してくださいと言ってるようなものだ。
そして一心に自分だけを見つめ続け、瞬きなくずっと歌っていたこと。
それが一際不気味だった。
その歌に反応するように野生のポケモンが動いていたかも知れないこと。
どれもが異常すぎて、信じて貰えるか分からなくてアヤは迷った。
だから、必要な部分だけ言うことにした。
「小さな女の子がいたよ」
「女の子?」
「うん。えっと、たぶん、このくらいの」
「…………小さいな」
「うん。その子がずっと歌ってたんだけど、なんか……変な子だった。パッと見普通じゃなさそう。野生のポケモンが暴れてるのに、何も微動だにしなかったし」
「小さすぎるからトレーナーって訳ではないのか」
「それはちょっとよくわかんないけど……遠目だったし。えぇと…最後に見た場所は…そう、確かあの木の影。………あれ?そういえばいつから居なくなっちゃったんだろ」
レッドはそれだけ聞いただけで不可解そうに眉を寄せた。
アヤだってそうだ。そんなの異常すぎてよく分からない上に信じ難いし、状況が分からない。
しかも自分の幼い頃に似た容姿なんて言っても更にレッドは首を傾げるだろう。
アヤも、もしかしたら見間違いかも知れないと思う事にした。遠すぎて自分に似たような小さな子だと思ったのかも知れない。
レッドはそれらを聞いてジュンサー達としばらく何か喋ると、「帰るぞ、立てるか」とアヤに手を差し出した。その手を掴んで引っ張り起こして貰えば少しふらつく。思ったより身体は疲労しているみたいだ。まあ、当たり前か。あの緊迫感の中だいぶ走ったのだ。アシマリ…いや、進化しちゃったけど。アシマリもチュリネも大丈夫かな、と思って。
ふらついたアヤを見たサザンドラが気を遣って彼女を背中に背負えば、呆然とアヤは言った。
「……あっ!?やっぱりキミ、ジヘッド!?」
「ドラ、」
「で、でか……か、かっこよ……」
そっか、進化したんだね。カッコイイねぇ、大きくなったねぇとアヤがサザンドラの背中をワシワシ撫でれば彼は照れくさそうに笑う。それを見てレッドもその背中に乗った。アヤの後ろに乗った彼は覆い被さるようにアヤの腹に手を回した。フラフラな体が踏ん張りもきかないのはとっくに分かっていたからだ。
そしてチャア、と鳴くピカチュウは既にレッドの頭の上によじ登っていた。
「帰るぞ」
二人を乗せたサザンドラは軽々飛び、ライモンシティへと戻るのだった。
後日、迷いの森の騒動はテレビにて報道されるがそれは直ぐに世間からは忘れらされた。「そういえばそんなこともあったなぁ、怖いねぇ」とふと思い出して野生のポケモンもやっぱり危ない時は危ないんだな、と思う程度に。
人々にとって、その程度。非日常な出来事はテレビや画面越しで見る分には他人事で済まされてしまう。現場に居て、それを直面して経験した人間以外は。
因果の鎖
濃い呪いを持ちながら
そして、ずっとアヤを守ってきた存在