act.70 呪歌









なにこれ。



「………て」

「ブツッ」

「……やめて、よ」

「ぶち、ぶち、」



既に両手に持ったチュリネは捕食し終えたらしい。
ペンドラーは次に足で踏み潰したチュリネを両手に抱えた。バタバタと藻掻くチュリネは酷い悲鳴を上げてその手から逃れようとしていた。逃れる術も、何も持たないのに。



「ブツッ」

「ギャッ」



アヤの声は聞こえていないのか、ペンドラーはチュリネの頭の葉っぱを喰い千切った。



「“てんじんさん おねむ

じのかみさん おねむ

おねむの里 おろちもねんね

てんじんさん おねむ

じのかみさん おねむ

おねむの里 おろちもねんね”」



歌が、聞こえる。

母の声。

母の子守唄だ。

けれど優しい歌なんかじゃない。

無機質な、呪いの歌。

ただの呪いの歌、そのものだ。



「や めて」

「ピッ、ギッ」

「ブチッ、ブツッ」

「…、…ぃ……おい」

「グチ」

「ギャ、」




アヤの後を追って幼女はゆっくりと姿を表した。

自分の幼い頃とそっくりな顔。

アヤだけを見続ける濁った蒼白い瞳。

この幼女がなんなのか分からない。

分かりたくもない。

ただ。


母の歌を、そんな声で、歌うな―――!!



「“やめろって言ってんのがわかんないの!!?退けッッ!!!”」

「ッッ!!!??!」



アヤが怒りに任せて絶叫した途端、ペンドラーが不自然に止まった。体が金縛りにあったように動かない。血が昇った頭でペンドラーから捕食されかけたチュリネを奪い取ると同時に、ーーーペンドラーは勢い良く後方に吹き飛んだ。



「っ、ふ、はッー…!フッー、ッー…!」



極度の興奮状態だった。チュリネの破損した頭部と半身から流れ出る植物特有の根っこの匂いも気にならない程に、アヤは小さな体を抱えてペンドラーから距離を取った。

逃げなければならない。さすがに生身で勝てるようなポケモンではないのだから。けれど、体がダルい。疲労だろうか。胸のあたりが熱くなって、少し息苦しい。

抱き抱えられたチュリネは辛うじて意識があるものの、霞む視界でアヤを見ていた。身体中が痛い。全身の痙攣が収まらない。この人間、自分を助ける為にわざわざ姿を表したのか。あのまま逃げていれば良かったのに。馬鹿なことを。せめて光合成が使えれば体を修復できるのに。
そうチュリネは考えるが、光合成出来たところでこの傷が再生出来るとは思えないし、ペンドラーから逃げ切れるとは思わなかった。ここで死ぬのか。嫌だなぁ。



「フッー…フッー…ふ……ぅぅ…、っ……ぅ」



怒りと悲しさで訳も分からず涙が滲んだ。頭が沸騰する。

ぽたぽたと冷たい涙が頬を伝い、俯くと更に流れ落ちた。

モノクロに染まった記憶の中、無惨にただの肉塊となってしまったミツハニーだったものと、今目の前にある半分以上体が欠損したチュリネを見てアヤは小さな、ボロボロの体を抱き竦める。

嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。

怖い。



「“死なないで”」



誰に言ったのか。

記憶の中にある黄色い子にそう言ったのか、チュリネに言ったのか。



「ぉ、お、  ァ 、」



どういう訳か吹っ飛んで行ったペンドラーが怒り狂いながら戻ってくる。口内に毒を溜め勢い良くベノムショックをアヤ達に噴射するが、アヤの後方から勢い良くバブル光線が飛びベノムショックを相殺した。



「マリッ…マリッ…!!」

「……!?あ、アシマリっ…!」

「マリッ…マリリッ!マリマリ!」

「え…!?な、なに…!?なんて言ってるの、アシマリっ…」



バルーンに乗って移動して来たアシマリは珍しく焦っていた。

アヤの元へ辿り着くとバルーンから飛び降りて勢い良く頭にへばりついた。アヤが怪我をしていないのかも勿論だが、アシマリはペンドラーが不自然に吹っ飛んだ一部始終を見ていたのだ。

アシマリは目を限りなく見開いた。


そんな、なんで、と。

どうして、とも。

自分が生前、死ぬ前に最後の気力を振り絞ってユイとアヤの体の中の有害細胞を、“呪い”を綺麗さっぱり消し去ったはずなのに。


なんで。


なんでアヤが“呪歌”を持ってるの?

本来、海魅の人間は海の神であるルギアに祝歌を捧げ続け、啓示を授かってきた。
それが祝福を受けて聖歌となり、悪いものを代々祓ってきた。

「わたし」は。

それを人工的に人の手で造られた。

血の純度が高い海魅の女の血と肉と、いくつもの胎盤を通し。そして外部から海の神の御使いであるポケモンの遺伝子と。

そして。

神力がより強い個体を選別した“焔の人間の精子”で無理矢理生成された。

昔、海魅にはより強い神力を持つ女が居て、ルギアの歌をその御身に宿し、神歌を歌ったという記述がある。その神力は強大で、邪気を祓うどころかあらゆる生物の細胞と精神を支配できたという。

それを目的にして「わたし」は造られた。

研究によってその神力を持つ「わたし(生物)」は無事に生成できたけれど。

人の手で造られた神力は穢れ、そして人間の欲望のままに歌ったそれは穢れるだけ穢れた。

取り返しがつかない程穢れて、呪いとなって。

“呪歌”となった。


そんなモノ、神の加護でも祝福でもなんでもない。



「(……っ……ちゃんと、消せてなかった……!)」



アシマリは動揺していた。

どうしよう。あの時、ちゃんと消したと思ったのに。

自分が過去、わけも分からず歌わされたとはいえ、この神力で。穢された呪歌で沢山の命を奪った。

最後の罪滅ぼしも兼ねて、「わたし」と同じ道を辿って欲しくなくて。

海魅とか、ルギアとか、そんなこと関係なしに。

普通の人間として、普通の子供として生きて欲しかったから。

アヤとユイには、幸せな道を歩いて欲しかった。


呪いを消すには呪いを。呪いを持って呪いを制する。

きちんとやるべき事はやったと思ったのに。

だから安心して、死んだと言うのに。


アシマリはアヤの様子を見る。「フッー、」という気が立った極度の興奮状態、呼吸も若干荒く怠そうに背中を丸めている。

アシマリが過去、生前幾度となく歌ってきた力の副反応だった。

間違いない。



「(“呪歌”だ)」



ペンドラーに呪いを与えた反動で疲労が出ているのだろう。



「マリッ………リリ…!」



なんで、どうして。

それに、アレはなんだ。


アシマリはペンドラーの背後……森の中の闇に紛れてポツンと立っている少女に目を向けた。そこには、アシマリが生前に見た小さなアヤと言っても過言では無い。

6歳前後のアヤに似た姿。否、自分の幼少の姿にもそっくりだった。

まだあの研究所が存在しているとなれば、あの少女はかつての自分のクローンの可能性しかない。


なんでよ。どうして。

あの時、全て洞窟の底に、研究に関わった人間諸共海底に沈んだのではないのか。




「(なんで、)」



アシマリはひたすらに繰り返した。ペンドラーが動き出す気配がする。まずはこちらをどうにかせねば、考えなければ。
バルーンを大きめに作ったアシマリはそれをペンドラーへと打ち出すが毒針で簡単に割られてしまい、バブル光線もベノムショックで押し返されてしまう。アシマリがアヤの指示を待たなくして放ったチャームボイスもまるで効いていない。

まずい、相性が悪い。レベル差もあり過ぎる。

アヤはアシマリとペンドラーの戦闘を見て焦る。ここをアシマリで突破出来なければ、アシマリとチュリネ諸共アヤもきっと捕食される。アヤ達に歩を進める為に荒々しく長い巨体を引き摺りながら、地面に散らばったポケモン達の体の一部や残骸を涎を撒き散らしながら土と一緒に喰い進む。


ペンドラーのあの正気から逸脱した様子。食欲の権化。



「………ッ…!!!」



あんなの、討伐対象となるただの危険なモンスターだ。

カチカチと歯が鳴る。怖い。

今まで見たどんなに暴れて制御不能な凶悪なポケモンより、怖い。

アヤにとって、恐怖を煽るだけの理解不能なモンスターだった。

アシマリはポイズンテールで軽く吹き飛ばされるが、バブル光線で受身を取った。



「〜〜ッアシマリ!大きいバルーンいくつか出せる!?バブル光線でバルーンを包んでから凍らして!」

「マッ…」



どしゃ、と小さな体から突如力が抜けたように脱力した。



「なっ…どうしたのアシマ…、毒…!?えっ、そんな、いつ…!ーー!」



アシマリの体に細い針が2本、刺さっていた。毒針だ。

やられた。

縺れそうになる足に喝を入れるように叩く。震える手でアシマリからゆっくり毒針を抜き取るとポーチから毒消しを出し、アシマリに使用するが解毒出来るまで数十秒。それまでもつか…?

アヤはアシマリを抱き抱えてペンドラーから距離を取った。逃げてもすぐに追いつかれる。それなら撹乱しながら逃げ続けた方が良いだろう。



「(レッド…たぶん、探してるよね)」



ふと、思う。彼は、きっと今頃血眼になって自分を探しているだろう。

最近自分が一人で行動する事にだいぶ警戒をして良しとは思ってなさそうだからだ。

こんなことになったのも、自分のせいだ。あの時は正気ではなかったのかも知れない。変な霊的な力が働いていたのかもしれないが、それでも途中から「引き返せ」と危険を知らせるメッセージを受け取って理解していたにも関わらず、それを無視して迷い込んでしまった自分のせい。

何とかして森を抜けて逃げ切るか、レッド達と合流しなければ。



「アシマリ…大丈夫…?動ける?」

「……っ」

「ごめんね。もうちょい、頑張って」

「マリっ」




勿論よ。言葉は理解できないが、そうアシマリが言ったような気がした。

アシマリの技は行動阻害には極めて優秀だが、攻撃には威力が伴わない技が多い。一撃のダメージが低く、致命傷を叩き出すような技は今は持たない。ならば行動を出来なくさせてしまうような、“歌う”で眠らせようにもあんな正気を無くしたかのようなモンスターを眠らせるなんてこと、可能なのだろうか。否、無理じゃないか。歌って眠らせようにも隙が大きすぎる。こんな時に試す勇気なんてない。

致命傷を与えられるとすれば、ハイパーボイスか。

だがもし一撃で倒せなかったとしたら逆にアシマリが危ない。

ギチギチと歯を噛み鳴らして、ペンドラーは地面に転がったチュリネの亡骸を手に掴み下半身を食い千切る。残った半身は投げ捨てた。白く濁った目はずっとアヤ達を凝視しており、明らかに食う気満々だった。



「……そんなに、お腹減ってんの……?」



あはは、とアヤは乾いた笑いが出てしまう。

リングマかよ、と。

過去兄に放り込まれた島で追いかけ回されたリングマにそっくりだった。

アヤは鞄の中に手を突っ込む。



「アシマリ、お口開けて」

「?」



言われた通りあーん、と口を開けたアシマリの喉にプシーッとスプレーを噴射した。
喉スプレーだ。そして手早くスペシャルアップも使用した。

いずれも“特攻”を底上げするドーピングアイテム。アシマリが仲間になってからすぐ、レッドに「もしもの時があるかも知れないから持っておけ」と事前に渡された道具だった。きちんとアシマリの特性を考慮された道具に、アヤは今ここにいない彼を思い浮かべて手を合わせた。流石ですレッド。

因みに意識が朦朧としているもう一体の、腕に抱いたチュリネにも傷薬を使う。こんな重症なのに、傷薬なんて使っても意味があるのかわからないが。

ペンドラーの白く濁った目がギョロギョロと四方八方に動く。頭を振り乱しながら鳥ポケモンらしきものの足を豪快に引き千切る。パタタ、と血液が地面に塗りこまれていった。



「(気張れよ、ボク)」



気張れよ。考えろよ、正念場だ。

レッドが助けに来るまで、レッドと合流するまで、自分達が森の外へ逃げ切れるまで。



「(おと、うさん。…………パパ、)」




―――ついていけ、しがみつけ

繋ぎ止めろ、例え噛み付いてでも

滑稽でも不様でも、必死こくことがみっともなくて何がいけねェんだい



昔、そんなことを言っていた気がする。



「(大丈夫、まだ。諦めない)」



今から作り上げるハイパーボイスを当てれば恐らくペンドラーからは隙をついて逃げられる。

失敗したらアシマリが食われる。イコール自分も腹の中に収まる。

何とかせねば。



「忘れるな、何があっても諦めるなよ」



「構えて、アシマリ。



―――チャームボイス!!」








呪歌




人獣の末路は元々相容れない細胞同士が掛け合わさり、反発する。

時が経つに連れて耐えきれず分裂して、最後には腐って崩れ落ちる。


でも「わたし」があんなになって死んだ理由は、授けた力を汚されたことに怒ったルギアが呪いをかけたのかもしれない。

だから、あんな最期になったのだと。

そう思った。






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