act.68 炎の導き





てんじんさん おねむ

じのかみさん おねむ

おねむの里 おろちもねんね




歌が、聞こえた気がした。









「……!!」




ーーーそれを見つけた時、アヤは目を見開いて固まった。


チュリネとモンメンに囲まれて幸せ有頂天を味わっていた時。ふと視界に黒い毛玉が入り込んだのだ。

それはとてもよく見慣れた姿で。けれどもうアヤの手元からとっくに去ってしまった。

ゾロアだった。



「…っ……ゾッ…」



名前を呼びかけて、やめた。
あのゾロアは野生のゾロアだ。アヤと一緒に旅していた時のゾロアではどう考えても有り得ないだろう。あの子はきっともう、アヤの前には二度と姿を表す気なんてないのだから。

アヤは口を噤んで再びゾロアを見る。野生の子だ。じっとこちらを遠巻きに見ているだけで近寄って来ないということは、人間に警戒心があるということだろう。ゾロアと言う種族は少し臆病なのだろうか、と考えてアヤは特に何も考えずに、思わずといった風でゾロアに手を振った。近寄って来てくれたらいいな、と思いながら。


振った。


手を、振ってしまったのだ。


そんなアヤを見てゾロアはにっこりと笑った。

そして、言った。



『アヤ』



「  、え?」



ゾロアは少し悲しそうな顔をして、踵を返して森の奥へと歩いていく。
完全に姿が森の中に消えてしまう前に一度立ち止まり、再びアヤを振り返った。

ごめん、と言いながら。



「っ、まっ て、」



ドクドクと心臓が煩い。

待って。え?本当にゾロアなの?



「チュリ?」

「チュリ、チュリリ」

「チュリリ?」



チュリネ達が何か言ってる。

ゾロアは森の奥へと姿を消してしまい、もうその小さな体は見えなくなってしまった。

待って。

待って。

行かないで。

本当にゾロアなら、お願い。ちょっと待ってよ。



待って。そう言いながらアヤは手に抱いていたモンメンを地面に下ろし、膝に乗ったチュリネを隣に置いた。ふらりと立ち上がれば肩や頭に乗ったモンメンとチュリネがゴロン、と落ちた。覚束無い足取りで追いかけ始める。

足が勝手に動く。

ゾロアが消えた森の最深部へと繋がる入り口に踏み込もうとすると、唐突に紫色の炎がぼんやりと浮かび上がった。ゆらゆら揺れるそれは最近見たような、見てないような。そんな事よりゾロアだ。ゾロアはどこに行ったのだろう。

暗闇に続く入り口に踏み込んだ。森の最深部へと続く影と、チュリネ達が居たまだ光が差す陰と陽の境目。踏み込むと同時にヂリリッ、パチッ、と。何か電気のような、そんな弾くような音が耳についた。

するとその紫の炎は小さく揺れて、アヤの近くの木に淡く炎の文字が浮かび上がった。



“ダメだよ”

“ここは危ない。今すぐ戻って”



ボ、ボ、ボ、と不規則に揺れる紫色は文字を作り、そしてすぐに燃えて無くなる。



「……な、に。…誰?でも、行かないと」



アヤはぼんやりとその炎を見つめる。

ゾロアがいたのだ。自分の名前を呼んでいたから、あの子はきっと一緒に旅をして来たゾロアに違いない。野生なんかじゃない。

でも、会ったからと言って何を今更伝えることがあるのだろう。戻ってきて欲しい、と伝えるのだろうか。本当は戻ってきて欲しいけれど、でもそれは言えない。ゾロアもそれはきっと分かっていて。

あの日、自分の元から離れて行ったゾロアのことは一生忘れないだろう。

ろくに自分のことを教えてもくれず、話してもくれず、それでいて自分達を最後まで利用しようとしていたから。そのクセ、罪悪感で押しつぶされそうになって。気が付いたら後に引き返せない状態にまで悪化してて。どうしようもなくなって、最後の最後に嫌われたくないと泣いていた。

自分が傷付くことが何より嫌なくせに。

とても臆病で、意気地無しで、恐がりで。

けど、とても優しい子。


アヤの元からいなくなる時、ごめん、と言っていた。
泣きそうになっていた。本当はもっと一緒に旅をしたかったくせに。

みんなと一緒に居たかったくせに。

あの日からアヤがずっと胸のどこかで引っかかっていたこと。

そんな事望んじゃいけない立場とか、レッドの目とか、そんな事抜きにして。

ずっとずっと、ゾロアに言いたかったこと。



「なんで、泣きじゃくってもいいから。格好悪くたっていいから、後先の事なんて考えなくていいから。なんで一緒にいたいって、離れたくないって。ボクのポケモンでいたいって、そう言ってくれなかったの」



悔しかった。惨めだった。

だって、自分は仮にもあの子のトレーナーだったのに。
トレーナーを得たあの時、ゾロアは自分のトレーナーに無償で助けを乞う資格があった。それがいい結果に繋がるかは別として。

けれどそれはゾロアだけじゃなくて、自分にも言えた事だ。

レッドは良くも悪くも、ゾロアが何か抱えていることに気付いていた。会話なんてせずとも、その僅かな仕草と視線の動き、挙動。レッドは観察能力が長けていたのもある。ピカチュウも、分かってた。



「(ボクは、なにもわからなかったのに)」



アヤがあの日から考えないことにしたこと。

見て見ぬふりしてきたこと。

ゾロアの本当の目的はレッドだ。

本当は、レッドのポケモンになりたかった。


自分じゃ、なかった。



「(ボクの、ポケモンになりたかったわけじゃ………ほんとうはなかった)」



アヤじゃない。

レッドのポケモンに、本当はなりたかった。

それなのに。

成り行きで自分のポケモンになって、でも最後の最後までゾロアのSOSに全く気付かずノコノコとゾロアのトレーナーを気取って。恥ずかしい。惨めだった。



「(でも、結果論でも、本当はレッドのポケモンになりたかったけど。最後にはボクに嫌われたくないって泣いて)」



嫌われたくない、離れなきゃいけないけど、本当は離れたくない。

そう泣くゾロアの意志を最後まで無視して、自分は手を差し伸べなかった。ただ黒い毛並みを撫でるくらいしかできなかった。ゾロアがした事にきちんと理解はしていた。手持ちとして最早簡単に連れ歩きはできない理由は理解していたけど、アヤが手出しできなかったその本当の理由は。

自分の意志じゃない。

レッドの怒りの意志に従った。

こんな言い方をするのもなんだが、レッドはゾロアのトレーナーではない。関係ない。本当は他人の筈だ。ゾロアのトレーナーは、自分だ。アヤは正しい行動を、あの時きちんと取れたのか?



「(してない)」



そうだ。

あの時のアヤは、トレーナーとしての役割を一切担ってなかった。
全てレッドの怒りの意思に、彼の言うがまま、流れのままに承諾し従った。レッドがアヤの為にあそこまで怒りを顕にしてくれていたのもある。##name_1#の為、自分の為に怒ってくれていたから、口出しできなかったのもある。

なんて。

そんなのただの言い訳だ。

あの時、ゾロアの実権を握っていたのは、レッドではない。

トレーナーである、アヤだった。

でも、レッドに全て任せた。あの話の主導権は全てレッドが握っていると、そう解釈して。



「(ずっとずっと、考えないふりをしていた。知らないふりを、してた)」



ゾロアが居なくなったのは、自分のせいではないのか。

自分のせいじゃないはず、だ。

ゾロアのせい。

レッドのせい。



「(何言ってんの。ぜんぶ、ボクのせい じゃん)」



自分のせい、だ。

見て見ぬふりして、全て他人任せにした。

紛れもない、事実だ。

その結果が、これ。

なのに。なのに。

今更こんなにも後悔している。

それ程後悔するならあの時、レッドの意見とかゾロアの気持ちなんて考えずに自分の気持ちを優先すればよかった。レッドが許さなくても良い。許してくれるまでしつこく何度でも許しを乞うことだって出来たはずなのだ。


訳も分からず涙が溢れた。

黒い見知った毛玉を探して奥へ、奥へと進んでいく。

森の中にぼんやり浮かび上がる姿を見つけては更に奥へ。

その都度、ボ、ボ、と炎が文字を浮かび上がらせるが、紫に混じって濃い蒼色の炎も入り交じり始める。紫色と、時々燻らす蒼色の炎は文字となり、アヤに呼びかけていた。



“アヤ”

“アヤ”

“戻って”

“今すぐ焔の子の元へもどりなさい”

“戻れ”

“聞いて”

“危ない、きけんだ”


“くる”

“にげ ろ”





紫と蒼色に光る炎の文字が消し飛ぶように、消えた。








炎の導き


その二対の色は、最近どこかで見たような気もするし。

または昔、どこかで―――








参考歌詞
天神様の子守唄






- ナノ -