act.51 今、時が戻せるなら





『(……あいつを危険から退けるには本当に申し分ねェ)』



けれどまだ決定打に欠ける。

ユイが妹に関わらせたくない一番の理由。それはレッド自身の生家が懸念であるし、今はもう存在しないユイとアヤの元実家は恐らくであるが、絶対関わって欲しくないレッドの生家と昔から何らかの関わりがあるだろうと危惧した。
彼の家は一括りで言うと、普通ではない。極一般家庭とはだいぶかけ離れた一族だ。

レッドが普通の家の生まれだったのなら良かったのに、とユイは眉を寄せる。
その強さも冷酷さも申し分なかった。あの妹を預けるのに、これ以上ない程の人物だった。


自分達兄妹は、如何せん“普通ではない”。


自分達の母親が特殊だった事もある。普通に産まれて来なかった“母”はそれだけで稀覯な存在で、その存在その物が価値の高い研究対象だった。そんな母親から生まれた子供も勿論然る事乍ら奇特な存在と言う訳で。


両親が亡くなって、実家そのものが無くなってから。
ユイがまだ幼いながら、自分の身を案じてくれて残った元実家の連中……今で言うと暴走族(碧紫)と化した仲間を引き連れ、とある犯罪研究施設を根こそぎ潰してそこの責任者共々全員ブタ箱にぶち込む為に日々紛争していた。

そんな事をしていたら組織から当然ブラックリスト入りしているワケで。

その報復は凄まじく、ある時ユイが人気の無い道をアヤと一緒に出歩いていた所をポケモンを使って奇襲された。銃で足を潰され、鈍い痛みを感じながらも背後にいた男を護身用で携帯していたナイフを使って二人、刺した。他の人間も五人程ボコボコにして、起き上がらないように両足の健をナイフで切り上げる。

気付いたら、眼前にスリーパーが笑ってそこにいた。


ドゴンッ、と鈍い音が遠くの方で聞こえる。


一瞬何が起きたのかわからなかった。わかったのは遅れてくる激しい痛み。

自分のポケモンを出す暇もなく壁に強く叩きつけられ頭から血を流すその視線の先に、脱力した妹が一般人に紛れ込んだ研究員らしき女に捕らわれていた。

そして痛む身体を無視して自分のボールへと手を伸ばすと、女は無感情に告げる。



『身動きすれば妹の指の骨を一本ずつ折る。お前が抵抗すれば妹の両目からくり抜く』



そう告げられたら抵抗なんてできる筈もなく。

無抵抗になったユイに対して、女のポケモンであるスリーパーが念力によって死なない程度に痛め付ける。内蔵の損傷が激しかった。大怪我を負い、そうして兄妹共々組織の連中に搬送された闇病院先で治療されながら、何故か身体の一部分を採集され続けた。

主に血液、爪、髪、唾液、尿、精液などを採られ続けて。そしてユイが暴れない為、保険として一緒に病院へ入院することになった妹は何故か、血液と脳のCTとMRI、唾液を中心に長期間採られ続けた。

ユイ達が搬送されたこの病院の治療代は金か、身体の一部分か臓器が治療代として扱われる。

しかしもうユイの怪我は半年で完治し、それが今もこうして一年も続いている。ユイだけの治療なら、自分とアヤからも採られている身体の一部分の代償で事足りる筈では……。と考えている矢先だった。

ある時妹の顔が青白くなってベッドにぐったり横たわっていた。



ーーーーやられた。



そう、直感的に思った。

血液を致死量のギリギリまで抜かれた様子だった。唇が青い。

焦り、アヤの入院服を剥きほぼ全裸にさせると、背中や腕、太腿の裏側に記号が書かれていた。これは、“母”について調べた資料の中に幾度も見た事のある記号で、



『(気付かれてる)』



自分達兄妹が、母の子供だと気付かれている証だった。

だがこんな死ぬ寸前まで採血をする必要があるのか。

まだ両親が存命な内に、自分達の“健康診断”を受けているが母程奇特な存在ではないからだ。自分もアヤも母のように特別な訳ではないし、母と違い至って何の力もない、普通の人間の子供だった。

それなのに気付かれている事を前提に考えるが、ここまでする必要があるのか。
何故自分ではなくアヤの血液を多く採血するのか、何故兄妹なのに体から採られる物が全く違うのか。そこまで考えて、ユイは項垂れた。




ーーー約束よ。





最期に見た母の姿を思い出す。

歳を重ねるに連れて、身体が耐えきれず腐って崩れていく姿を。



『クソボケ野郎が……』



そうだ、健康診断を幼い頃定期的にしたと言っても、あの時と今では身体の構造が全く同じな筈がない。

母は時間が経つにつれて、歳をとることによって身体が耐え切れなくて自壊した。

徐々に身体の中が変化して行ったからだ。

何で気づかなかった。

少し考えれば分かることだろ。



『(今の俺達の体ん中は、どうなってんだ)』



いや、それよりもだ。何でこの病院がその事を、俺達のことを知っているのだ。

脳裏に浮かんだのはこの闇病院へとぶち込まれる直前に見た、妹を捕らえた研究員であろう女。今まで地道に潰してきた研究所への報復で重症を負わされ、何故か殺さずに病院で治療された。



『身動きすれば妹の指を一本ずつ折る』



何故、あの時“妹”だとわかったのか。それは最初から自分達が誰であるかを知っていたからだ。“ある研究所を根こそぎ潰して回る少年”として調べられた。

必然的にアヤも一緒に。

この闇病院は誰とも提携せず、そして客を選ばない。金さえあれば何でもやる。恐らくだが、組織の連中はかなりの額の金を病院に流してユイを治療させ、そして病院側で保管されるはずだった今まで採取された血液類は全て組織の方に流れている。きっと自分達の遺伝子情報や証拠をおいそれと外部に置いておきたくないのだろう。

このままでは知らない内にお互い搾り取られ殺される。遺体は病院ではなく研究所へ引き取られる。そんなことあってたまるか。

ユイは直ぐに実家……今はもうないが実家が管理していた金は今はもうユイに相続されていた為その金を使い病院から妹を連れて離脱した。組織の連中が病院へ流した金より高い額を支払ったせいで殆どすっからかんになってしまったが。

因みに仲間の元へ戻るといい大人達が号泣しながら土下座を決め込んで「申し訳ございません」なんて言ってきた。「坊っちゃんやお嬢になんかあったら…若に合わせる顔が…」なんてメソメソするからユイは鬱陶しくて蹴り飛ばした。
カイなんて「みんな心配してたんだよ。アヤちゃんと一緒に共雲隠れしちゃうし、お前から連絡一つないし。もしかしてアヤちゃんいるのにどっかで女とアンアンしてんのかと思っッでぇぇえッッ」下品な事を言う男の足を砕いた。


そんなこんなで仲間達の元へ帰ったユイは今までの事情を話し、一番まず最初に“健康診断”を行った。

だがユイの体は至ってどこにも異常はなく、少し身体能力と肺活量が高い普通の人間と一緒だった。母のような、“変異や特殊”な数値などは一切見られなかったけれど。




『…………、……!』



けれど妹には、僅かだが母と同じくその片鱗が認められた。



『(昔は平気だった、なのにどうして)』



妹は、成長したらどのようになってしまうのだろうか。

もう母を作った組織には自分達の存在は知れてしまっている。自分もこれから先、今は何ともなくても身体の中がどのように変化するのか分からない。これから、妹共々得体の知れない連中と付き合っていくことになるだろう。




ーーーお願いね。




『…………、…』



任されてしまったのだから、どうにかしなければ。

まずはあいつ一人で生きて行くための強さを身に付けさせなければ。もがいても醜くても良い。泣きながら鼻水垂らしてグチャグチャになった顔面を晒しても構わない。危険が迫ったらどうにか自分で返り討ちに出来るように、または死ぬ気で足掻いてでも逃げ切れるように。

この前潰した研究所から保護したポケモンを…イーブイ一匹とサバイバルナイフ一つ与えて、妹を無人島へ放り込んだ。多少獰猛な野生ポケモンが生息するこの孤島は木の実は多くなってるし魚は良く取れる。飢えて死ぬことはまずない。

イーブイを両手で抱き締め、地面に落ちたナイフを見て絶望する妹。



『……ぇ。…ゆ、ユイ兄…?』



真っ青なそんな顔を見て笑ってしまった。

そいつはお前を守る盾でもあり武器でもある。資料によると特殊個体。調度良い。使えるものはなんだって使ってやる。守る手段は選ばない。

けれど自分は守ってはやれない。守る気なんて更々ない。


そもそもな話だ。




『ーーー何の役にも立たない、お前が死ねば良かったのに!!!』




俺には守る権利がもう、ない。



ーーーーだから、だ。



あんな事を口走った。言ってはいけないことを口走ってしまったから。

家族に、妹に言っていい言葉では、なかった。




『ご、ごめ。 な さ、 ぃ』




あんな顔をさせてしまったから。

どうにかして、あいつらの、俺の、大切な妹を守れる方法を。







今、時が戻せるなら

(間違いなく、あの時だ。言ってしまってから後悔して)

(なんでこんなこと言ってしまったのかと)

(見ていられなくて、謝るより先に視線を逸らして、何も見てないことにしてしまった)

(あの時、きちんと謝って。ごめん、と。ただ一言)

(そんなこと欠片も思ってない、と小さな体を抱きしめてやれば)

(お前が一番大切なんだと伝えていれば)



そうしたら何か変わっていたのかも知れない。

昔みたいに「おにーちゃん」と。突っ込んで飛び込んで来た小さな体を抱きしめて、頭を撫でて。家まで一緒に帰って。

そうしていたなら、今でもアヤは自分を一番に頼りにしていただろう。あの時と同じ柔らかな笑顔で、自分の手を握ってくれていただろう。

待って、嫌だと縋るあの日の小さなその手を無理矢理振り切ったのは、


ーーー自分だ。



(ご、ごめ。 な さ、 ぃ)



あの時の妹の顔は、今でも忘れられずに、鮮明に覚えている。



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