act.48 新しいポケフォン





しばらく二匹と湯煎に浸かり逆上せない程度に入浴を済ませて、アヤは古着を持って部屋を出た。その階にあるコインランドリーに今日着た衣類一式を入れてスイッチを押す。明日には乾いた状態で戻ってくるだろう。便利だ。

部屋に戻ればアシマリは既にソファの端でコクコクと船を漕ぎ始めており、ピカチュウは冷蔵庫から勝手にアイスを引っ張り出して食べていた。時計を見ればもう0時 を既に回っており、部屋の電気を消してベッドの頭元にあるランプを付けると仄暗い優しい光が部屋を照らす。



「さてと」



新しい通信機器を手に取り起動する。生憎、今まで使っていたポケギアは壊れてしまって電源すらもう点かないもんだから、ポケギアの入った連絡先をどうにかしてポケフォンに登録しなければならない。
レッドは自分と共通の面識がある人間だけ連絡先を入れておいたと言っていたが、恐らく限られた人数だろう。どれどれ、と確認すると数人登録されていた。



「えっと。レッドと…ワタルさん、シロナさん、ダイゴさん、ユイ兄……って、レッドってユイ兄の連絡先知ってたんだ…?あれ、グリーンさんの連絡先もなんか入ってる」



新しいポケフォンには5人の人物の名前が表示されていた。

グリーン。レッドの幼馴染だ。彼とは少し喋ったくらいで連絡先は交換していないが…もしかしたらレッド関連でこれから連絡することもあるかも知れない、と後で事情を説明しながらメールでも飛ばそう、とアヤは思った。

それにしても兄の連絡先をレッドが知ってたのは何だか意外だ。あの二人、何か喋ることあるの?と思いつつ、電話帳から消えてしまった友人の連絡先を聞き出す為、アヤはまずシロナとダイゴに電話しようと思った。



「シロナさんからはヒカリちゃん、ダイゴさんからはルビー君の連絡先が聞けるとして……メリッサさんとかマリリンさんはどうしよう…。あっコンテストの運営委員会宛に連絡すればマリリンさん出そう!」



うん、よし。と呟いたアヤはまずはシロナにメールを打つことにした。
久々に連絡をとるから、きっと「元気?」と連絡を返してくれるはずだ。もう少し時間が早かったら電話をしていたけれど、生憎ともう時間もかなり遅い。メールする内容もよくよく考えたら今するべきことなの?と思いたい所だが、何かあったら何時でも連絡してね、と彼女から言われているからきっと、大丈夫だろう。
他にもワタルやダイゴも小さな時から何かとアヤに構ってくれて、親切にしてくれている。

それは兄であるユイの学友で、三人ともアヤがほぼ生まれた頃から「可愛い可愛い」とまるで実の兄や姉のように猫可愛がってくれていたからである。
勿論シロナだけではなくワタルやダイゴからも「何か困ったことがあれば遠慮せず電話してきなさい」と言ってくれている。

兄の友達とはいえ、なんでただの妹である自分をこんなにも気にかけてくれるのかはアヤにもわからない。

けれどもそれはとても有り難かった。
まずはチャンピオン達三人に新しい連絡先を書いたメールを飛ばして、グリーンにも初めまして、と連絡先を教えて貰った経緯を軽く書いたメールを飛ばして。



「……………ユイ兄かぁ」



兄に連絡しようかどうかは迷ったけれど。

基本、ユイやアヤはお互いに用事がない限り全く連絡はしない。兄から連絡なんて以ての外、アヤは服の件でしか未だに連絡したことがなかった。
一年前、久々に兄とテンガン山で再開を果たした時に勝手に連絡先を盗られ、勝手にアヤのポケギアに兄の連絡先を登録されていた。
久々に会ったついでに着ていた洋服も勝手に冬仕様に改造され、眉間に皺を寄せながら「解れてた所修繕した。ついでに冬仕様にしてやった」とお節介な所は昔のまま。

そしてそこから旅をしながら一年着こなせばあっという間に生地もよれて、ボロボロになってしまった。そしてイッシュ地方は流石に今着ている衣装は暑くて着れないだろう。もうそろそろ新しい洋服でも新調しようかなぁと思ったけれど、あの兄が自分の為に何かをしてくれたのが嬉しかったのも事実で無断で捨てるのも嫌だった。


そんな時。イッシュ地方に来る前に「健康診断しにこっち来いや」と謎のメールが兄から届き「何でユイ兄の所で健康診断なんてせにゃならんのだ…」とアヤが嫌そうに顔を歪めたのは記憶に新しい。

そんなアヤの顔を見てレッドは首を傾げていたが。とりあえず行かなきゃ後が怖そうなので、レッドに事情を説明すると「俺も行く」と。この男と兄を、一緒に合わせて大丈夫なのか…?会った瞬間に兄から蹴られたりしない?会った瞬間にユイ兄に岩投げたりしない?とも思ったがその心配はなく。

レッドと一緒にリザードンとカイリューにそれぞれ乗りながらテンガン山にある兄宅に辿り着くとブースターが玄関前にちょこんと座っていた。アヤの顔を確認したブースターは「ブイ!」と大きな声で鳴くとその屋敷の豪勢な玄関がガチャ、と開く。

ひょっこり顔を出したのはユウヤであった。



「あっ、アヤちゃん!そろそろ来る頃かと思ってたよ〜」



アヤの顔を見て久しぶり、と笑いながら手を振る。
一見女の人なのではないかと見間違える程の綺麗な顔。体型も普通の男の人よりだいぶ細く、こんな事は本人には到底言えないが細く華奢である。黒いチャイナドレスに医師が纏う白衣を着た彼は何とも上から下までアンバランスだ。けれどそれがとても似合っている。着ているのがユウヤだからだろう。

彼は「あーさむっ」と言いながら玄関から出てブースターを抱っこする。暖かいポケモンで暖をとる様は一言で言うと普段はミステリアスな雰囲気を醸し出しているのにも関わらず、今は可愛らしい人であった。

ユウヤはチラ、とレッドを見るとにっこり笑う。



「で、彼が噂のレッド君ね」

「………レッドです」

「(け、敬語……レッドが、敬語……)」

「初めまして、僕はユウヤ。ここの暴走族の専属医師をしています」



暴走族の専属医師。
とんでもないパワーワードが出てきた、が。それよりもレッドが短いながらも敬語使ってる方が威力が強くて途中から考えるのを辞めた。「こんなとこで立ち話も寒いから中に入って」というユウヤの後をアヤ達は着いていく。

ユイの家は、言うなればもう豪邸だ。あの森の洋館くらいの広さはありそうだ。
まあ、ユイの仲間達はここに一緒に住んでいるようなものらしいし、これだけの広さがないと生活しては行けない。

しかし何でテンガン山なんて利便性がない所に家を立てたのか、それとも買ったのか分からないが。家の中に入り広間を抜けるとユイの部屋の前まで案内され、ユウヤは戸惑いなくノックして部屋に入るとそこのヌシは居た。
ソファにふんぞり返りながら何やら書類を見ている我が兄はもう最初から偉そうである。そっちから来いと言ったクセにその態度はなんなのよ…。と思った所でユイは書類を雑に机に置き、アヤを視界に入れた。不機嫌そうな顔はもうテンプレ。アヤを視界に入れても何も言わず、ユイは無言でその隣にいるレッドに視線を合わせるとみるみる内にその顔を更に不愉快そうに歪めた。

そしてレッドも、初対面なのにそんな顔して見られたもんだから不快そうに眉間に皺を寄せた。お互い無言の圧で牽制を始めている。



「(………こっっっわ………)」



アヤはもう帰りたかった。

とりあえずレッドを連れてきたのは失敗だった。何か理由を付けて留守番してもらうんだった…と思うが、レッドが徐に帽子を取り兄へと軽く会釈したのを見てぽかん、と口を開けて間抜けな顔をしながら見ていた。



「…初めまして、妹さんとお付き合いさせて頂いてます。………レッドです」

「……、ユイだ。こいつからもう話は聞いてると思うが、兄だ」

「…………!?」



お互い宜しく、とは一切口にしなかった。

いや、それよりも。レッド、敬語使えたの…!?
そっちの方が衝撃的だった。随分とまあ滑らかな、綺麗な敬語であった。この人が普通に目上の人に敬語なんて今まで使ってるところ見たことなかったから、アヤは失礼にも敬語が使えない男≠セと思っていたのに。そんなこと思っていた自分に流石に失礼にも程があった。ゴメンなさい。



「………本当だったのかよ」

「え?」

「なんでもねぇ。とりあえずテメーはそこで座って待て」

「はいはーい。アヤちゃんはこっちね。医務室来て、まずは身長体重から測りまーす」

「えっ、健康診断って本当にするの?」

「ったりめーだろーがバカが。何の為にここ来たと思ってやがるバカが」

「何回バカって言えば気が済むの…?それにしても何でいきなり健康診断なんて…」

「この愚妹が…」

「知ってるよーアヤちゃん。とんでもない量の糖分を摂取してるんだってね。舌がバカになるのも勿論、将来病気まっしぐらになるの嫌でしょ?ケーキやクッキーみたいな糖分制限されるのは序の口、食事も制限されたり透析したりするの嫌でしょ?ね?嫌でしょ?」

「や、やだ……」

「でしょ?とりあえず砂糖依存性かもしれないからそっちも見つつ、血液もちょっと多めに採らせて貰うからね。あといっぱい声出して貰うから、このペットボトルの水持って適宜飲んで喉湿して。心電図も色々撮ったりするからまずは着替えてきてね」

「え?声?」

「うん。いっぱい叫んでもらうから」

「え?何を調べる項目なんですか…?」

「あと走ったりベンチプレス持ち上げたりするからな」

「え!!??いったい何の健康診断なの!?ねぇユイ兄!?」

「オラとっとと行け」



よし、行こうね。さっさと終わらせて帰ろうね。

なんてユウヤは小さな子に言い聞かせるように微笑みながらアヤの手を引いて部屋から出て行った。レッドはユイに促されるままソファに座り、意外にもユイからコーヒーが入ったカップを手渡されぶっきらぼうに「終わるまで待て」と声をかけられた。

何か言われるかと思いきやそうでもない。寧ろユイは適当なメモ帳に何かをサラサラ書いた後、それをレッドに手渡した。数字の羅列。携帯番号だった。



「これは…」

「何かあれば連絡しろ。愚妹の健康診断は1時間程度で終わる予定だ。終わったらさっさと帰れ。あと気持ち悪ィから敬語はよせ」

「……わかった」



レッドにそれだけ言うとユイは医務室へと足を運んだ。

ぎゃあぎゃあと兄妹でお互いを罵り合いながらもユウヤは黙々と検診していくが、あまりの二人の煩さにユウヤはついに鋏を問診票にガツンッと勢い良く突き立てた。あれだけ煩かった医務室がシン……と静かになり「ほんっっとに煩い。喧嘩するなら出ていけ」と言われ兄妹揃って静かになった。(アヤは目の前の問診票に容赦なく突き立てられた鋏を見て涙目になってた)

そして1時間程で健康診断が終わり、アヤが帰り支度をするついでに「あ、そうだ」と丁度ユイに伝えようとしていたことを思い出したのだった。



「ユイ兄、ユイ兄」

「あ?」

「えっと、あのね、」



一言ユイに「ユイ兄が仕立ててくれたこの服なんだけど、もう結構ボロボロになっちゃって。それにイッシュ地方は暑いからそろそろ新しい服にしようかなぁーって思ってて」と、アヤは遠回しに今着ている服を捨てるか、もう着ることはないかも……と伝えると兄は「……ああ"?」と凄む始末。何でだ。

自分の為に服を仕立ててくれた事だけど、そもそもアヤは頼んでいないし勝手に兄がしている事。ボロボロになってもうイッシュでは着れないって伝えただけなのに、何故そうも凄まれなきゃならないのか。何だかアヤもイライラしてしまい、ムッとしてしまう。

この時、素直に「ごめん、もう着れないから捨てる。洋服ありがとう」と言えれば問題はなかった。

この兄妹、お互いに素直になれず悪態しかつかないのである。
素直にありがとう、ごめんなさいが言えないのである。


だからアヤはムカつくこと相俟って勢いで「あー新しい洋服欲しいなー」なんて言えば「だったら裸でいろ」なんて言われてムカついてその通りにしようとすれば勢い良く投げ飛ばされた。軽々吹っ飛んできたアヤを見て死ぬほど驚いたレッドは驚きの速さでカビゴンをボールから出してクッション代わりにしていたが。




「何すんのさクソ兄!!」

「煩ェ!!本当に脱ごうとするバカがいるかこの豚野郎!!」

「本気で投げ飛ばす事ないじゃんッ!信じらんない馬鹿じゃないの!バカっ!ハゲッッ!!低脳!!脳筋野郎ッ!!」

「本気で投げ飛ばして何が悪ィか言ってみろ愚妹ッ!!こんな野郎の目が多い中簡単に脱ごうとするバカがいるかッ!恥を知れ!低脳はお前ェだよクソ野郎が!!」



ぎゃあぎゃあ煩い兄妹喧嘩も今日これで何回目だろうか。

ユイがアヤに掴みかかろうとするのをユウヤのニドキングが背後から雑に取り押さえ、吹っ飛ばされてキレたアヤも暴れている為何故かレッドのカビゴンが巻き込まれる形でアヤを抱き締めて拘束している。カビゴンは焦りながらも力加減を間違えないように拘束しているところを見るとそれは、レッドの教育なのかそれとも元々カビゴン本人が繊細な人格の持ち主なのかはユウヤにはわからなかったが。はぁ……と重い溜め息が出た。

ギャーギャー本当に煩い。ユウヤは頭を抑えて項垂れた。もう他所でやってくれよ。

レッドはレッドで軽い衝撃で動けないでいる。
妹であるアヤに簡単に暴力を振るうことの出来る兄という事はわかった。アヤを投げ飛ばしたことに一瞬キレかけたレッドもしかし、彼が怒っている理由は理解できる。人前で、しかも自分だけならまだしも他の男の目があるのにも関わらず脱ごうとした事にはレッドも怒るところだが。

しかしアヤがここまで興奮して怒って汚く罵っているのを聞いたことがなかった。成程。アヤの口が時々悪くなるのはどうやらこの兄のせいらしい。

そこからユウヤはユイを、レッドはアヤを回収しつつユイ宅を後にするのであった。



「…………」



アヤはそういえばそんなこともあったなぁ、とイッシュ地方に来る前のことを思い出す。

兄への連絡なんてその後のお礼の連絡しかしていない。そもそも律儀にもその後きちんと新しい洋服を自ら仕立てて最短スピードでプテラで送り届けてくれた兄に対して、感動したのも事実。仕立てた服はこれまたどこかの売り物なのではないかと思える程の出来栄えで。1年前のグランドフェスティバルの時に渡されたドレスも兄が手掛けたものだが、これまたデザイナーが手掛けたような見事なドレスであった。

ユイ兄いったい何者なんだろう。もう暴走族辞めてそっちの仕事した方がいいんじゃないのかな……とも思える程、ユイのその服をデザインして作る才能は飛び抜けていた。



「………ユイ兄、ボクのこと嫌いなはずなのに。昔からそういうところは本当にお節介なんだよなぁ」



嫌いなクセに何かと構う。

昔からだ。父と母が亡くなってからこれまでの態度が大きく変わった。
近寄ろうとすれば嫌そうな顔をするし、実際にウザイ、寄るななんて言われることもしょっちゅう。ポケモン達や他の人と喋ってて機嫌がそれまで良かったのに、アヤを視界に入れれば途端に無言になり眉間に皺を寄せる。舌打ちなんてざらにある。ユイに会う時はだいたい誰かが他にもいるが、二人っきりになって話す時は話題がない限り無言だ。

ユイは基本的、アヤと視線をそんなに合わせない。

睨み付けたり凄んだりすることはあるけれど。



「………一応、送っとこうかなー」



新しい連絡先をメールで簡潔に書いて送った。
多分わかった、などの返信は来ないだろう。

でも送らないでいて後から怒られたりもしたらそれはそれで嫌だ。本当なら怒られたくない。

ユイにメールを飛ばすのを最後に、アヤはポケフォンの電源を切って机の上に置いた。時計を確認するとアヤは眉を八の字にして首を傾げる。



「……もう1時回りそうだけど。レッド、本当に何喋ってるんだろう。待たなくていい、とは言ってたけどなー…」



それにしても喉が乾いた。何か甘いものが飲みたい。ポケモンセンターのエントランスに自販機があったから、そこへ行って何か飲んだら先に寝よう。それまでの間に帰ってくるといいけど…。

アヤは財布を持って、自販機を目標に部屋を後にするのであった。







新しいポケフォン

(自販機で好きなジュースを買ってちびちび飲んでいた時、どこからかレッドの声が聞こえたような気がした)




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