act.47 彼が産まれた日を知らない






「あれ?レッド、どっか行くの?コンビニ?」

「ちょっと電話してくるだけだ。……そうだった、買ったポケフォンには俺とお前が知ってる共通の奴らの連絡先は既に入れておいた。それ以外は入ってないから登録出来るならしておいた方がいい」

「わぁ…ありがとうレッド」



レッドは紙袋の中から買ったばかりのポケフォンを箱から取り出してアヤに手渡した。それを覚束無いながらも両手で受け取るとアヤは目を輝かせる。ポケギアと違い、最新機種のポケフォンというのは薄型の板みたいなデザインである。機種色のアイスブルーの色は綺麗に色映えしており、わざわざアヤが好きそうな色を選んで買ってくれたことに感謝した。

ここのボタンを押したら電源が付く、必要な機能はここからアプリを取り入れろ、と軽く説明を受けるとレッドはまたしてもピカチュウに留守番を頼んだ。



「ああ、それと。通信機器が新しくなったからお前のアドレスも電話番号も前と同じじゃないぞ。必要なら相手にも伝えておけ」

「うん」

「電話するだけだがもしかしたら長くなるかもしれないから、先に寝てろ。俺を待たなくていい」



じゃあ、いい子にしてろよ。そう彼は言うとアヤの返事も待たずに部屋から出て行った。



「電話って……誰とするんだろう…?グリーンさんかな」



アヤは一先ずパーカーを脱ぎ、ハンガーに掛けた。マスクを外すとこの上なく開放的だった。やっぱり顔を覆うようなものは好きじゃない。

荷物の中から新しい着替えを出して風呂場へ向かう。ピカチュウとアシマリもアヤの後を着いて風呂場へ向かうものだから二匹と一緒に入浴を済ませた。洗面器の中にお湯を汲むと、ピカチュウはそれを使って自分の体を泡を立てて洗い始めた。頭がモコモコになって短い手で懸命に洗うのは見ていてとても可愛い。シャワーの水圧を軽めにして頭からかけてやると泡はすぐに流れ落ちてツヤツヤしたピカチュウが出来上がった。アシマリも洗面器を使って泡まみれになっているが、程なくしてシャワーで洗い流す。



「うーん綺麗さっぱりー〜……あっーー…生き返るぅー……」



アヤも頭と体を洗い、最後に「これを使え」とレッドから渡されたトリートメント(レッドが買ってきたバチコリお高いトリートメントなことをアヤはまだ知らない)で髪をケアする。
昔はこんな、髪なんかに気を配らなかったが、今ではもう気にすることが多いお年頃である。特にレッドから目に見える範囲は特に。

良い匂い。レッドって案外シャンプーとかコンディショナーの匂いに拘りがあるのか、薬局に行き試供で匂いを嗅ぎとっては「……くっさ」と小さな声で眉間に皺を寄せながら呟いていた。そんなに刺激臭だったのだろうか。暫くして鼻が曲がったレッドが出来上がったが、「…よし。これと、これだな。」と満足いくシャンプーとコンディショナーを手に取りアヤに使えと渡された。因みにボディソープまで渡された。別にそんな買わなくともポケモンセンターの宿に着いているサービス提供されているアメニティとかで事足りるのに。でも使ってもいい、と言われたなら喜んで使う。

あ、自分も使って良いんだ。ラッキー!

今まで使っていたシャンプーよりもサラサラになるしやったー程度にアヤは思っていたが、実はこの男。全て思惑があってアヤに買い与えている事にアヤ本人だけが気付いていなかった。


自分の気に入った匂いで染めあげようとしているのだ。


要は、本能に従い頭部からマーキングしようとしている。
夜寝る時やふとした時、アヤから香ってくる匂いが、何だかいつもの優しい匂いじゃなく人工的なキツい匂いをしている事に気付いたレッドは不快そうに眉を寄せ、遠回しに聞いてみることにしたのだ。と言っても不快そうな顔は即座に隠したが。



「……アヤ、シャンプー変えたのか?」

「え?ああ、違うよーそこの備え付けのシャンプー使っただけだよ。コンディショナーも借りれたからついでに使ったんだけど、やっぱり備え付けは合わなかったのかなぁ…ちょっと髪がゴワゴワしちゃって」

「薬液が合わなかったのか」

「んーたぶん、そうみたい。ボディソープも使ったんだけど、ちょっと洗浄力が強いみたいでカサカサしちゃったからボディクリームつけたよ。レッドは大丈夫なんだね。いいなー」

「見せてみろ」

「?大丈夫だよ。ポケモンセンターのアメニティ使うとよくあることだし」

「いいから」



うーん、と毛先を弄るアヤの腕や髪を手に取って暫く凝視したレッドは即決した。

シャンプーとコンディショナー、それとボディソープを買ってしまえと。

もちろんそこら辺の安いものなんてアヤの髪と肌が荒れたら大問題なのでそれなりの値段が張るものを購入したが別に金額は問題ではない。

金額<<<質 である。

事前に買う前にシャンプーの種類などを調べに調べ尽くしたレッドはある程度幾つか候補をピックアップし、あとは自分が好みの匂いでアヤに使用させれば問題ない。レッドが見繕ったシャンプー、コンディショナー、ボディソープ、ついでにボディクリームも購入し、アヤに使用するように勧めたが使用した本人はそれらがとても高額であると知るはずもなく。

レッドもぶっちゃけ金額なんて見てないしカードで支払った為、いったいこのシャンプー達にどれだけの金がかかったのかはわからなかった。否、気にしていなかった。
そしてそれらを使用して風呂から上がったアヤはそりゃツヤツヤモチモチで仕上がって出てきた訳で。

本来のアヤ個人の匂いも損なわない程度に、薬液の匂いも自分好みで髪もツヤツヤ肌もモチモチ。ほう、とレッドは頷き思わず手が伸びた。頬っぺたを指で軽くつまめばしっとりむに、と柔らかい。上がり立てホヤホヤなツヤ肌。



「(これは………)」



クセになるというもの。

うん、自分が与えたものでアヤがすくすく綺麗に、健康的になるのは、ちょっと。いや、だいぶ、かなりイイ。しかもレッドも同じシャンプーを使っている為殆ど同じ匂いだ。マーキングにもなる。アヤから自分と同じ匂いがするという事実でもう気分が滾り幸せ気分なのであった。

買い与えた男がこんなことを思っているとは露知らず。

アヤはレッドってシャンプーに拘りがあるんだね、程度にしか思っていない。



「よいしょ」



コンディショナーをつけたまま髪を束ねて湯煎に浸かることにした。浸け置きすると髪ツヤが増すからである。あっーー…と宛らおばあちゃんみないな声を出して湯に身を沈めるアヤは間違っても他人に聞かせていい声ではない。けど今は自分とポケモン二匹しかいないから割合する。ちゃぷちゃぷと水面を波立たせながらアヤはふと先程のことをゆっくり思い出した。



「……結婚……かぁ」



結婚。そんな、自分が結婚するなんて思いもしなかった。いや、まだしてないけど。それに約束の段階だけど。




「アヤ、もうすぐ誕生日だったな?18になれば結婚がすぐにでも可能だが………この旅が終わって一段落した頃に籍でも入れるか。この調子なら案外データ集めも早く終わるだろうしな」




「え?まじ?結婚?ボクが?」



目を回しながらアヤは考える。いや、別に嫌な訳では無い。断じて。
しかし、あのレッドと、結婚。考えれば考えるほど結婚という単語が似合わない男だと思ったのに。ずっと独身のような、一匹狼のような存在の人だと思っていたのに。

あの人はその隣を、他でもない自分に一緒に居て欲しいとそう言ったのだ。

あの時言われた言葉とその解釈を少しずつ噛み砕いて、ゆっくり咀嚼するように飲み込んで理解すれば徐々に顔がぽぽぽぽと熱が篭っていくのがわかった。



「あーーー……あかん…」



嬉しい。今更になって嬉しさと、ちょっとの恥ずかしさが滲み出てきた。
18歳からこの国では結婚できる。アヤはもうすぐ19歳だ。既に結婚適齢期であった。レッドと付き合い初めてからまだ2年ちょいと、結婚を踏み切るには些か早すぎる年齢かも知れない。そして決断まで凄まじいスピードだが、それでもやはり嬉しいものは嬉しい。

レッドの言葉通りになるなら、この旅が終わって一段落したらすぐに籍を入れるのだろう。

ぶくぶくと水面に顔半分を沈めてボコボコと泡を立てればそういえば、とアヤは思い出す。



「あれ?誕生日?」



確かに、アヤはもうすぐ誕生日だった。今年でレッドと同じく19歳になる。

もうすぐ誕生日と近いこととなにか、結婚するに当たり関係あるのだろうか。
18歳になれば結婚出来る歳だから、誕生日迎えるついでに籍いれよう、なら何となくわかるが。
それとも19歳になった途端に結婚届けに名前書くとかそういう……?いやでもたぶん、この図鑑のデータ集めの旅が終わるより先に誕生日が来そうだが。え?どういうこと?レッドが何の意図もなくあのタイミングで「もうすぐ誕生日だったな?」なんて言う?

え、なんだろ。怖い。



「それにしてもレッド、よくボクの生まれた日なんて知ってるなぁ………ッあれ!!??」

「ピッ!?」

「マリ……」

「あっ…ご、ごめん。大きい声出しちゃって…」



ピカチュウとアシマリが吃驚した顔でアヤを見ていた。アヤが謝れば「なんだ、何もないのか」みたいな顔で洗面器に張ったお湯に再び沈み出した。因みにアシマリは浴槽の湯銭に浮いている。

そんな二匹を見て、彼女は呆然とする。



「(レッドって、誕生日いつ…?)」



信じられるだろうか。

この女、こんな長く付き合ってるのにも関わらずレッドの誕生日を知らないままでいたのである。



「(や、ヤバ…なんで今まで忘れてたんだろう……!!?)」



理由はある。

アヤは自分の誕生日なんてもう殆ど祝われた試しがないからだ。
まず最後に祝って貰ったのはいくつの時だったか。たぶん10歳よりもっと前。たぶん、父と母がまだ生きていた頃だ。微かな記憶の中優しい声で、「おめでとう」と両親から言われたような。「あなたが大きくなっていくのが嬉しい」と、言われたような。あの横暴な兄から想像もつかないような、優しい手で頭を撫でられたような。

あれ?その時、何か貰ったっけ?

いや、その時だったかどうかもわからないけれど。何か、貰ったような…なんだっけ?本当に小さい時のことを殆ど思い出せないなぁ…特に嫌なことだけは思い出せるのに。誕生日の日にはとても自分が生まれて来たことに喜んでくれて、たくさん祝って貰っていた事だけはわかる。そんな両親のことを忘れてしまう自分に嫌だなぁ…なんて思ってしまう。

因みに父と母が亡くなってから、兄には「誕生日なんぞにうつつを抜かすな」なんて言われてたからアヤもそれ以来そんな自分の誕生日について特に拘っていなかった。初めの内は「あ、もうすぐ誕生日だ」から徐々に「ああ、そういえばもう誕生日過ぎたなぁ」くらいにしか思えず、最後にはサンダースがカレンダーを気にするような仕草を見せても「今月何かあったっけ?」と。特に気にする事も無くなってしまった。そして誕生日そのものを忘れた。

レッドも特に今までアヤにおめでとうなどの祝いの言葉などなかった為に、本当に。本当に今さっきまで忘れていたのだ。レッドがアヤの誕生日のことを口にするまでは。



「(けど…けど他人の誕生日は別!)」



自分の誕生日などさぞかしどうでも良い。

けれども好きな人は別。きちんとお祝いしてあげたい。

生まれて来てくれたからこそ、せっかく出会えたんだもの。

これもきっと何かの縁だ。

ちゃんとお祝いしたい。



「それにしても、レッドもボクと同じなのかなぁ」



散々アヤのことをストーカー並に調べ尽くしてきたレッド。
彼の持つポケフォンは今やアヤの個人情報だけが入っていると言っても過言では無いこの新型小型兵器。略してポケフォン。

その異様な独占欲と加護欲丸出しな男が今までアヤの誕生日を忘れていたなんてことはまるで考えにくい。
初めて会った時から1年目、そこはまだお互い知人だったから知らなくても当然。何しろレッドは他人に欠片も興味もなかったから。
そこから恋人になって付き合い初めて2年目。お互い別々に旅をして何だかんだ忙しかったし、会う機会も全くなかったから当然と言っちゃ当然か。
そして今現在一緒に図鑑集めの旅に調査中。今年で3年目になるが。ここでアヤの誕生日についてふと思い出したのだろうか。レッドもアヤと同じように生まれた日なんて全く気にしない性分な事も充分有り得る。

思いの丈が爆発的に突き抜けて、今まで気にしていなかった部分が急に気になって調べたのかもしれない。



「………有り得そう」



そう。レッドなら有り得そうだった。

後で誕生日がいつなのか聞いてみよう。





彼が産まれた日を知らない

(アヤは知らない。もうレッドの誕生日は過ぎて既に20歳になっていることも。レッド本人も全く気付いていない)





- ナノ -