act.44 思い出せない両親の記憶





「…似てないな」

「そりゃボクこんな美人を詰め込んだ顔の形はしてないけど…」

「そういうことを言ってるんじゃない」

「ブスだもの」

「こら」



勘違いするな、ブスだなんて言ってないしお前が1番可愛い。なんてレッドはポートレートを見上げながらしみじみ思う。



「黙ってたのか」

「あー…さっきもピカチュウに同じ顔されたなぁ」



あはは…とアヤは苦笑いする。

この時間帯なら客足も多くなりそうだが、不思議なことにショップ内にはあまり人はいなかった。程々の音量でそれぞれのアーティストの楽曲が流れ続けている。

レッドは世間に疎い。いや、興味がないというべきか。
それに6年間シロガネ山に篭っていたこともあり6年間分の世間のいざこざや大きな事件なども知らないことが多かった。アヤと出会い少しずつだが、ポケモン以外のことにも情報収集をするようになったのは彼なりの大きな進歩である。




「病気で死んじゃったってことは確か伝えてたよね」




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いつしか、互いの家族の話になったことがある。


「そういえばレッドのお母さんお父さんってどんな人なの?」とアヤは何気無い会話の中で聞いたことはあるが、聞いた瞬間にレッドは一瞬無言になった。あれ、聞いちゃダメなやつ…?とアヤの口がヒクつく。

すると彼は静かに、小さく言った。



「……俺の両親二人とも、人間のクズだからお前は絶対に関わるなよ。というより関わらせる予定がない」



なんて本当に真顔で、表情を無くしたように冷たく吐き捨てたレッドに顔色を真っ青にさせたアヤだった。

小さく震えたアヤの頭をゆっくりと愛しげに撫でるレッドは少し考えて、「今住んでる家はカントーのマサラタウン…って言っても、もうマサラの家には10年近く帰ってないけどな。父も母もそこには住んでない。……実家は、ジョウト地方だ」と彼は言った。



「……………え?」



え?レッドってジョウト地方行ったことなかったんじゃないの?確か、レッドがシロガネ山での生活を終えて、旅に出るって言って。自分はシンオウに戻って、レッドはジョウト地方に行ってみるって。初めて行くような、そんなニュアンスだったのに。実家はジョウト地方ということは、実質里帰りというもの。

……んん?ってことは、レッドは10代の頃から実家を出て、一人暮らししてたってこと…?強すぎなのでは…?あ、でも10歳から旅に出る子供達が多いから別に凄いことではないのか…いや、一人暮らしだよ?いや、そもそも一人暮らしなのか?なんてアヤは考えている。

そこからレッドは一向に口を割らなくなってしまった。きっともう何を聞いても話すつもりはなさそうだ。



「(まあ…話したくないことの一つや二つあるよね)」



レッドだって人間だ。

もしかしたら家族と仲が悪いのかも知れないし、何か他人には言えないような事情があるのかも知れない。ああでも。それでもやっぱり、好きな人の両親は一体どんな人達なのだろうかという興味もあったが、残念だ。

レッドの圧で怯んだ自身のバクバク鳴る心臓を抑えていると「お前の両親はどうなんだ」と質問を返された。え、ボク?と指で自分を指すと頷かれる。
この天真爛漫な少女とあの横暴を絵に書いたような兄。その両親。一体どんな人間なのか…とレッドは興味深々である。

どうなんだ、とは。自分の言葉をそのまま問われたのならどんな人達なのか、だ。



「えっと、お父さん……は確か、豪快な人」

「……豪快な人、か。他には?」

「ええ?えーーっと…のらりくらりしてたような、よく抱っこして遊んでくれてたような……」

「………?ようなって。曖昧だな」

「ボクがまだ小さい時に死んじゃってるから…」

「  、お、まえ…それを早く言え」

「どんな人って聞いたのはレッドじゃん…」

「……まぁ、そうだな。……すまん」



身動ぎをしながら少し目を見開いたレッドは多少なりとも驚いているらしい。とても珍しい顔だ。彼が驚いた顔なんて数ヶ月に一回見れるか見れないかだ。

帽子の鍔を少し目深く被ったレッドは少し気まずそうだ。

きっと自分が期待して思っていたような返答を貰えないばかりか、斜め上の回答を貰ったからだろう。そして聞きあぐねている。今のでアヤの心を、トラウマを抉った可能性。聞いて欲しくない地雷を踏んでしまったのか。これ以上聞いてもいいのか、聞かないで欲しいのか。

完全にレッドの失態だった。活発なアヤの事だ。兄の話は度々出るのに両親の話がこれまで出てこなかったということは、きっと何かあるだろうと考えてもいいはずだった。本当なら知りたい。アヤのことならなんだって。

全てを知り尽くしてもきっと満足はできないだろう。新しいことを知ったらもっと知らないことを、と思うくらいには自分は貪欲だ。

レッドは“アヤ”という個人的な人間の情報なら喉から手が出るくらいには欲しかった。それはアヤに寄せる純粋な好意故。そして他人が知り得ない情報を自分だけが独占したい。という、にわか綺麗とは言えない独占欲。

だが本人を傷つけてまで直接無理には知りたいとは思わない。

今回は自分の考えが浅はかだった、と思いこの話は早々に切り上げることにした。



「アヤ、すまん。気分を……」

「気まずくないよ、平気だよ」



アヤの頭を撫でる手を引っ込めようとした時、アヤはその手を両手で握った。柔らかく、大切そうにレッドの手を握ったのだ。



「レッドってば、本当にこの数年でこう…優しくなったというか、よく気付くというか」

「………相手がお前だからだ。他の奴は知らん」

「えへへ、そっかぁ」



ボクのこと、知りたいって思ってくれたんでしょ?

それってすごくボクは嬉しいなぁ。と彼女はにへら、と笑った。

その気の抜けたような顔がレッドの多少ばかりの緊張感を解した。

はぁ、と軽く息を吐きながらアヤの手をやんわり解く。気になったこと。聞いてみても良いのだろうか。本当は無理して喋っていないか。思い出すのも嫌なのではないか、そんなことをレッドは若干不安に思いながら問う。



「………いくつの時だ」

「ボクがまだ本当にちっーちゃい時。4、5歳…くらいの時かなぁ…お父さん心臓悪かったって聞いたよ」

「母親は」

「一緒。いないよ。お母さんも体が凄く弱かったんだって。癌だったかなぁ…」

「……」

「お母さんの方もあんま…ボクが小さすぎてあんまり覚えてないんだけど、優しい人だった気がする。あとね、めちゃくちゃ歌が上手かった。それだけは覚えてる」

「そうか」



朧気に記憶にあるのは、薄ら微笑んだ口元と、その手に抱いて抱きしめられた記憶だ。父母共に“アヤ”と名前を沢山呼んでくれたような気もするけど、その声も顔も、最早記憶にはもうない。一体どんな声だっただろうか。どんな顔だっただろうか。写真などで確かめる方法はいくらでもあるんだろうが、記憶での確認は出来なかった。

でも、何でだろう。

もう記憶にはない。

言われた言葉は辛うじて思い出せることはいくつかある。

けれど父母2人の顔と声はアヤの中でとっくに塗り潰されてしまっていた。

けれど。


けれど。



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二人の両親の顔を、あの頃を思い出そうとするとそれは。



何故だかとても恐ろしく感じた。

どうあっても掘り返せない深さに記憶を閉じて埋めるように。モノクロの映画のような画質の世界で、音声のない荒い動画を一から手探りで拾っているようだった。

レッドの手がアヤの手を、指を絡み取り、片方の手でアヤの頬を撫でる。



「アヤ?」

【ーーーーーーーー】



父と母の朧気な姿の向こう側で一瞬、一面真っ白の中、吹き荒れる吹雪がチラついた。



「………?」

「アヤ、もういい」

「 っえ?」

「すまん、野暮なことを聞いた」

「や、そんなこと…」

「いいから」



ごめんな、と小さく謝られる。

別にアヤにとって両親の話をするのは苦痛ではない。ただ、父と母二人の顔や声、僅かに残った記憶を思い出そうとすればするほど、二人の顔や姿が霞んでいく。何重にも隔たれた壁の向こう側で何か言っているような、それはきっと思い出せない記憶なのだろうがこれ以上はもう思い出せない。もう掘り返せないくらいに固くなった土をスコップで叩いているようだった。

言葉に詰まって何も言えなくなってしまったアヤに、嫌な事を思い出させたと勘違いしたレッドは早急にこの話題を切ることにした。


頭をぽんぽんと叩かれて、小さな謝罪と共にこの話は終わったのだった。



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「そうそう。実はお母さん歌手だったんだよ」

「なんでもないかのように言うなお前」



世界的に有名だった母。その当時病で亡くなったことが世間に知れ渡り、一時期大きな話題となった……とアヤがもう少し成長した後に兄が言っていた。その時、母の死が世間にどのような衝撃を与えたかなんてアヤにはこれっぽっちも覚えていない。

母は自身のプロフィール、身分などを一切世間に公表していなかった。

突然メディアに現れては世間に絶大な印象を与え、そして突然消えた。

この世界に一つとない歌声を持つ人間。

母は完全なミステリアスな人物像として世に定着してるのだった。




「写真はいっぱいあるのに」



自分の記憶の中の母はもう思い出せない。

優しい人だった。

けれどそれだけだ。

母は、一体どんな人だったのだろう。






思い出せない両親の記憶


母、とは。

どんな顔をしていたのだろう。

どんな風に笑うのだろう。

どんなことをしていたのだろう。

どんな料理を作ってくれていたのだろう。


父、とは。

どんな人だったのだろう。

どんな風に遊んでくれていたのだろう。

どんな風に怒るのだろう。



母は。父は、二人は。

どんなふうに、生きていたのだろう。


優しく抱き上げられて、抱き締められた幸せだったような。

そんな記憶しかない。









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