act.43 MUSE(歌の女神)
大きなポートレートには色素の薄い光悦茶色の髪。
瑠璃紺、紺碧、蒼色のような何とも形容し難い不思議な色を放つ瞳。
輪郭、鼻、口、目。全てが作り物のように美しかった。
まるでビスクドール。無機物の人形のようだとあの時、人々は彼女を賞賛した。
「お母さん、」
アヤの母親だった。
ソレを見てお母さん、と呟いたアヤに思わず目をまん丸にしてピカチュウがギョッとする。
「ピ……?」
「あっ、ピカチュウ知らなかったっけ?」
「ピカピカ…」
いや、知らない。そんなこと一言も言ったこと無かったじゃん。主人は知ってるのだろうかとピカチュウは思った。改めてその女の顔を見る。
ポートレートに映る女は“顔だけ”だ。伏し目で白いレースの布を被って顔半分しか出していないことから女の全貌は分からないが、美しさを極めた造形美をしている。ピカチュウもここまで“美”を圧縮したかのような洗礼された顔を見たことがなかった。
他の写真も似たような写真ばかりで、横顔だけが写っていたり目を閉じている写真、後ろ姿、遠くから取られた姿、水溜まりに写った姿、両足、目だけ写した写真などなど…。何故か彼女の写真の多くは体の一部のみを拘って写真に収められていた。しかも所々ピンぼけしたりわざとぼやかしたりなどの細工もされている。
全貌は確認出来なかった。
確かに何となく、言われてみるとアヤに似ている。そう、いきなりパッと見て一瞬ならアヤに似ているのかも知れないのだが。
「……ピカー」
雰囲気が全くの別物なのだ。
アヤはこんな無機物的な人間ではないし、もっとこう…アヤは人間味を帯びている。この写真の人間には…アヤには悪いが、本当に人間なのかも疑わしい程だ。綺麗過ぎる。
……本当にこの子の母親なのか?
「(薄気味悪い)」
それがアヤの母親だという人物を見たピカチュウの、第一印象だった。
「あんまり……ボクも小さい時のこと、そんな覚えてないんだけどね。この歌…メロディーは何となく覚えてるよ。歌詞も少し…えっと、
ーーーーlucky maria あなたにとっての幸運の女神になれたのなら
いつでもあなたを見守っていけるわ」
「……ピッカァ」
驚いたことに、アヤは歌が上手かった。
少し声に出してメロディーに乗せて紡いでいるだけだが、上手い。独特な声質と抜群の安定力。
時々ポケモン達と騒いでよく分からない変な歌を歌っている時があったが、なんだ。この子普通に歌えるじゃん。しかも上手い。なんで今まで普通に歌わなかったのかさながら疑問である。
「lucky maria いつだって祈るわ
あなたが幸せに幸福へと溶けますように」
「「lucky maria いつも願ってた
あなたにとっての幸運の女神になりたい」……え?ど、どなたデスか…」
「あら、ごめんなさいね。私ったら、つい。ふふ」
突如アヤの小さく紡いでいた歌に自然と二重に重なった歌。
とても綺麗な歌声だった。つい最近どこかで聞いたような気もするが、どうだったか。
気付けば背後には人が立っていて数枚のCDを手にしている。大きなサングラスをかけたその素顔は分からないが、それでもとても綺麗な顔立ちをしているだろうことは分かった。形の良い薄ら色付いた唇が弧を描いて、しなやかな長い腕を組みながらその細長い指で唇をなぞる仕草が何ともまあ艶かしい。選ばれた人しか出来ない仕草である。
長い足がヒールを鳴らし、アヤを通り越して“母”のCD棚に指を滑らしていた。“lucky maria”と印字されたケースを取り、そのジャケットには両眼を閉じた母の顔が印刷されている。
「あなた、今の歌は好き?」
「え?」
「私はね、この人の歌はなんでも好きだけど…特別、今でもこの歌が一番好きよ」
その人はジャケットの中の母と、そしてポートレートの母の顔を見て微笑む。
「Muse…彼女はそういつしか皆から呼ばれていたけれど。彼女自身のことを知る人は世界ではきっと、ほんのひと握り。………なんで亡くなってしまったの」
『17時!時間ロト!17時!次ノ予定!』
「…あら。もうそんな時間なのね。ごめんなさいね突然。あなたの声が、…とても心地よかったものだから」
「あっ、いえ…」
ぽつ、と彼女が呟いた声をしっかりアヤは拾った。
確かに、母はとうの昔に亡くなっている。それもアヤが記憶も朧気になる程昔の事だ。
多少の憂う表情を見せるこの美人さんは母の死を嘆いてくれていた。きっと母の歌を今でも好きでいてくれているのなら、ファンとしてずっと応援してくれていた人なのだろう。
そしてまた突然その女性の手荷物から今では世間に定着しつつある、スマホロトムが飛び出しその女性の周りを飛び回った。アヤはスマホロトムを初めて目にする。家電に入ったロトムってこんな感じなんだ…と物珍しげに凝視していると「……あら、」と彼女はふと見たアヤの顔を見て目を瞬かせた。
「あなた、あの人と同じような瞳の色をしているのね」
とっても綺麗。
そう呟いて彼女は少し、また寂しそうに笑った。
「じゃあね、あなたとはまたどこかで出会いそう」
と手を軽く振って踵を返す。
Heyロトム、次はどんな子が来るの?とヒールを響かせながらその人は手早く会計を済ませ、店から颯爽と出て行った。
ピカチュウがあんまり警戒してなかったから変な人ではなさそうだけど、にしてもサングラスしてたけど絶対あの人、美人さんっぽかったな〜なんてアヤは思った。オーラというか雰囲気がシロナにそっくりだったからだ。カリスマのようなものだろうか。
ピカチュウがあまり反応しなかったのを疑問に思いつつ、腕に抱いたアシマリは何故だか「サヨナラ」と言わんばかりに短い手を振って見送っている。顎をくすぐると嬉しそうにじゃれてアヤの手をぎゅっと握り締めて笑った。はい、可愛いですありがとうございます。
アヤはしばらく母の存在が色濃く残る空間で時間を潰した。
母が残した音声音源を適当にレコーダーに入れて聞いて、また他の音源をレコーダーに入れて暫く聞き入る。世間的に母本人がメディアに出ていたのは、本当に“歌唱”のみだった。基本的にインタビューなどがされた記事も全くなく謎が多い人物である。
あるのは歌の音源とCDの本人が写されたジャケット、数枚のポートレート。それだけだった。CDのジャケットを写真集として纏められた一冊の本を手に取り、パラパラと捲ってまた閉じた。
恐らく、アヤがここまで母の面影をゆっくり思い返したのは初めてかも知れない。
《巻き戻す 錆びた視界を埋めつくしていく花弁
巻き戻す いばらの世界ごと
あなただけを知りたい 》
「ーー巻きもどす いばらの世界ごと
あなただけを知りたい」
「ーーーーー♪ーーーー♪」
「……ってアシマリ。キミお歌上手いねぇ」
「♪」
アヤが次に適当に流した楽曲も、歌詞全ては分からない。分かったのはほんのワンフレーズだけだが、メロディーは耳に随分と聞き馴染んでいる曲だった。これも小さな時に母本人から聞いた歌だ。
原曲に乗せて小さく思い出すように、鼻歌を混じえて音を紡いでいるとアシマリも一緒に乗っかって歌い出した。そういえばアシマリは出会った時から何かと歌を歌っていたような。もしかしたらラプラス達や同じような歌が得意な種族なのかもしれない。
ピカチュウも久々に耳馴染みが良い歌声を聞いてリラックスしているのか、頭に乗ったまま何も言わない。あまりに何も言わないし身動ぎさえしないから寝てるんじゃないかと思って心配したが、その前に背後から肩を叩かれて振り向いた。
「エッ…ダレ…あっレッドか。おかえり」
「ただいま。すまん遅くなった」
やはりパッと見じゃレッドと分からなかったらしい。エッ、どなた?と一瞬呆けてしまったが声でパッと笑顔になったアヤは「おかえり」と声をかけながらレコーダーを切った。「何もなかったようだな」と少し安心したような表情をしていたレッドだが、アヤの頭の上からレッドの肩に飛び移ってきたピカチュウと短く会話する中で「……ああ、アイツか」なんてアヤにはよく分からない会話をしている。何の話をしているのだろう。
紙袋を持った彼は目的のものを受け取ったらしい。その中には何が入っているのかは知らないが、レッドが予約注文するくらいだから必要なものなのだろう。
「上手いじゃないか」
「え?」
「てっきりお前は音痴なのかとずっと思ってた」
「キイテタンデスカ」
お耳汚しを…なんてギクシャクしながら言うアヤは居心地悪そうにマスクの位置を整えた。
実はアヤに声をかける少し前からレッドは自分の用事を終えて戻ってきていたのである。フレンドリーショップにはいなかったからじゃあこのフロアのどこかにはいるかと探し始めるが、その目当ての姿は思ったよりも簡単に見つかった。
向かいの本屋とCDショップが一緒になった店へ踏み入り探していた後ろ姿を発見するが、すぐに足を止めた。
聞こえてきた小さな歌に、声をかけてしまうのが勿体ないと思ったからだ。
独特な洗礼された音。声質。けれどとても綺麗な旋律だった。別々に聞いていたらアヤの口から発せられる歌声とはとても思えない程だった。
「(………?)」
ツキ、とこめかみが痛んだ。
思わずそこを指で軽く揉み解すとすぐに消えたが。
「(音痴はガセか)」
こめかみから手を離しふむ、と顎に親指をかける。誰だったか。いつしかアヤが変な歌を歌いながら変な踊りをしていたなんてことを聞いた事があった。そんなに酷いのか、と聞いたら渋い顔をしていたからそれ程か……なんて勝手に思っていたのが申し訳ない。
アヤと出会って早3年程…共に行動して約1年。その中で鼻歌は聞いたことは何回かあるが歌声は聞いたことがなかった。これでも目を何回か瞬きをして呆けてしまうくらいには吃驚している。
しばらく聞き入った後、そういえばまだやることがあったなと思い出したレッドはやっとアヤに声をかけたのであった。
「ほら、帰…」
ふと、目に入った写真の女。
一瞬グランドフェスティバルか何かで撮影したアヤの写真かと思ったが、違う。全くの別人だ。アヤとはかけ離れた雰囲気の無機物な人形みたいな顔をしているが、それにしてもアヤの面影が混じり過ぎている。アヤの顔を普段から飽きることなくかつ隅々まで舐め回すように見ているレッドだからこそ見た瞬間から変な違和感を感じた。アヤのパチモンか誰だコレはと思わず眉を寄せたレッドに、アヤは「あっ」と声を上げてレッドの腕を取る。
「レッドレッド。この人、ボクのお母さん」
「なんて?」
思わず聞き返して二度見をしてしまうくらいには、レッドはそこそこ驚愕していた。
MUSE 歌の女神
母はそう呼ばれてみんなから愛されていた
lucky Maria / Joelleさん
arutanathibu/ Annabelさん
歌詞参考