act.34 怒り
「う"ぇぇええええ"えええゾロァァァ良かっ…う"ぁぁぁぁぁ"…」
「…………ロゥ……」
え?俺、何で生きてんの?
パチ、と目を覚ましたそこは、今では見慣れたポケモンセンターの宿屋の一室だった。ぼんやりと記憶が戻ってきてはまだ夢の中じゃないのかと思って、一瞬現実なのか夢なのか分からなかった。記憶にあるのはもう手遅れな程毒が体を浸していたし、足は折れていたし全身ボロボロだったのに。それなのにどこにも怪我一つなかった。
しばらく体にかけられたブランケットの嗅ぎ慣れた匂いを吸って、そしてガタン、と何かを落っことした音が聞こえる。はっとして見ればアヤが椅子を倒した音だった。
アヤはゾロアを見て目をいっぱいに開いて、小さな体を抱きしめて泣いた。黒い毛並みがびしゃびしゃになる程一頻り泣いた後は声に出して泣き出す。
そして冒頭に戻る訳だが。
「ロッ…」
「なんでっ…なんでいってくれないの!そんなにボクがっ、…ふがいない人間だと、思われて…」
「いや、お前じゃなくて。きっと俺とピカチュウが信用ならなかったんだろ」
椅子に座ったレッドが今回の騒動についてリーグに送る報告書を纏めていた。書き上げた紙束にサインを入れて封筒で閉じるとレッドはふー、と一息着く。
彼は背もたれに肘をかけて今一度、ゾロアを探るように見る。
レッドは、やはりゾロア自身を信用など一切していなかった。
「……ええ!?なんでっ」
「俺もピカチュウも最初から信用してなかったからだ」
「最初…から…そんなの警戒されて当然じゃっ」
「怪しすぎるだろ。初めてお前の前に姿を表した時から」
「……っ…ま、まあ……そう言われると、そうかもしれないけどさ…っ」
「ピーカ」
「お互い冷戦状態みたいな感じだったからな。腹の中の探り合いで」
「え…そ、そんな……ボク、全然、きがつかなかった…」
「……まぁ、気づかんだろ。……ゾロア」
さてと、とレッドは机の上に置いてある見たことがない黒いボールを手に取った。
開閉口を押すと赤い光線から徐々に形を作り上げ、今回の騒動の中心である、“彼”が姿を表す。
「ーーーっ!ロァ…!」
「!え、レッドもしかしてゲットしたの?」
「してない。……ゾロアークだ。アヤ、コイツの進化先だ」
ボールから出てきたゾロアークは申し訳なさそうに俯いている。
そのゾロアークはアヤが地下室で鎖に囚われていた個体だと認識するのには時間はかからなかった。腕の毛が剃られて注射痕が目立ったそこには今は包帯が巻かれ、他の傷にはガーゼなどで手当されている。
アヤと目が会うと軽く会釈をするくらいには、とても人間に慣れていた.。
「ゾロア、コイツは身内だろう?大まかには彼から聞いたが…」
「……」
「お前の口から話してもらう。ケジメくらい付けろ」
アヤの腕に抱かれたゾロアは、少し、躊躇した。直接白状しろと言うのだ。…ここまで巻き込んだのだ。
けれど、巻き込んだおかげでゾロアークを助け出すことが出来た。
全部話せば、アヤはきっと、今より嫌な、悲しい顔をするだろう。
信用なんて何一つ、していなかったのだから。
彼らを、彼女を、利用していただけ、だから。
「…………」
ゾロアークは何も言えず俯いてるゾロアを見て小さく、息を着いた。
そしてゾロアークの姿がぐにゃぐにゃと形を変え、人間の青年へと姿を変えた。人の言葉を喋らないといけない為だ。彼は正座を取りアヤ達に頭を下げる。
「まず、俺から。……沢山言いたいことはありますが、お礼から言わせて欲しい。…あそこに居たらあと少しで、死ぬところだったんだ。助け出してくれて、感謝します。それは俺だけじゃなくて、囚われてた奴らを代表として言わせて欲しい。人間のお嬢さんも、お兄さんも、ありがとう。…ピカチュウ達も」
「ピカ」
どうも、とピカチュウは興味なさげに尻尾で反応を示す。
「………ボールを」
「…ボール?」
「俺の、大切な物、なんです。今は亡き主人の形見です。そのボールはまだシンオウの名がない時代に作られた、古いボールです。珍しいからってそれをうっかりアイツらに奪われて。…このザマです」
ほんとうに、無様でお恥ずかしい、と彼は項垂れた。
「ですが、命を助けて頂くばかりか。命より大事な形見である、主人のポケモンであったと言う最期の証を、失わないで……ほんとうに、ほんとうに、……っよかった」
頭を下げ続けているゾロアークの表情は分からない。
けれど自分の膝を涙で濡らしているその姿を見てレッドは思い返す。
あの研究所の地下室でゾロアの蘇生に立ち会った後、きっと身内だろうと言うことで傍に鎖で繋がれている衰弱したゾロアークの枷を断ち切り、ポケモンセンターに運ぶ名目でボールに入れようとしたが…入らなかった。
跳ね返ってきたボールをキャッチしながらレッドは眉を顰める。
既に誰かのポケモンなのか…と思った所でゾロアークは小さく『だいさんけんきゅうしつ』『くろい、めずらしいボール』と呻いた。聞き取ったレッドは周囲を見渡すと確かに“第3研究室”と札の貼ってある部屋が案外近くにあったので、アヤとピカチュウにその場から動かないように伝えるとジヘッドと共にその部屋へ踏み入った。
黒い珍しいボールとは…?と宛ら疑問に思ったが、少し見渡すとそのボールはそこにあった。
ガラスケースに収められたその黒いボールはレッドでも目にしたことはない。
「(…古いな)」
と最初にまず思った。
ガラスケースはただ上から被せている簡単なものであり、レッドはケースを外しボールを回収する。随分と年季が入ったボールだった。よくもまあ使用出来るものだ、と思ってしまう程そのボールは古かった。
目当てのものを回収したレッドは早速そのボールを持ってゾロアークへとその黒いボールを翳すと、中から赤い光線が緩やかに伸び、彼の姿はボールの中へと消えていく。レッドは彼をボールの中に入れる間際、ゾロアークが涙を零していたのを見逃さなかった。
「(…………そうか、だからか)」
あの時の彼の涙の訳を知った。
「……俺と、コイツは血は繋がっていません。ですが、これがほぼ生まれた時から一緒に生きてきました。今では俺はコイツの親であり、兄弟であり、家族です。俺が不甲斐ないばかりに、息子が、あなた方にご迷惑をおかけした事謹んでお詫び致します」
「え、いや、ボク達は別に…」
「アヤ、そういう訳にはいかない」
「え」
「………お前、一歩間違えれば瓦礫に生き埋めにされる所だったんだぞ」
「う"っ」
「ピカチュウを付けていたからいいものの、もしコイツが付いてなくてもお前はゾロアを追って研究所に侵入していただろ。……今回はお前を単独行動させた俺の判断も甘かったが、ピカチュウがいなかったらあの広場の人間、殆どが無事では済まなかっただろう。研究所に手ぶらで入ったお前も勿論、高確率で死んでただろうな」
「っ…た、」
確かに。
ピカチュウがいなければ研究所に入る以前の問題で、きっと地上に出てきた怪物に一網打尽にされていたかもしれない。
あの時のほぼ全てのトレーナーが怪物相手に手も足も出なかったのだ。
しかも地下室にはまだ同じような個体が複数確認出来たし、凶暴化したポケモン達も多く捕獲されていた。地上に一気に押し寄せられたらたまったものではない。
殆どのポケモンを制圧したレッド達がいなければ…今頃あの周囲一帯、どうなってしまっていたのか。考えるだけで恐ろしかった。たまたま、ライモンシティに用がありレッドが近くにいたからこそ死人が出なかったようなものである。
アヤは今頃になって、自分が危険な立場にいた事を理解した。
そしてレッドがそれなりに怒っていることも。
「………ご、ごめんなさい……」
「…別に攻めてる訳じゃない。問題なのはお前じゃないよ」
「……ボクが勝手に、行動したからじゃ…」
「違う。そもそも勝手に行動してないだろ。古代の城に行くとお前はしっかり伝えてくれていたし、建物が崩れたのは勿論お前のせいじゃない。自分のポケモンが消えたら後を追いかけるのは当然だろう。……まあ、通信手段が壊れた事は想定外だったが」
アヤが所持していたポケギアはレッドの手の中にあった。そのポケギアは外傷こそ無いものの、何をしても起動しなくなってしまった。
詳しくは調べないと分からないが、城の地下室から怪電波が発生していたのか電気ポケモン達が原因なのかはわからないがそのどちらかの理由だろう。
ポケギアは今の時代は古すぎるか、とレッドは思う。
後で自分の機種ごと二人分、新しいモデルに買い換えることも良いかもしれないが、そもそも壊れる可能性のある通信機はダメだ。今回みたいな非常時の時、壊れてしまえば意味の無いガラクタになってしまうのだから、どんな時でも状況を伝えられて知ることが出来る手段を考えなければならない。
いくつか打開策を思案しているがまあ、それはこの後で。
「アヤ、俺には優先順位がある」
「…?」
「優先して守る対象だ。まず1番がお前、その次に身内のポケモン達、その次に力のない野生のポケモン達だ。今回のように乱獲されて都合の良いようにされているのは不愉快だ」
「う、うん」
「それ以外は、はっきり言うとどうでもいい」
「………!!」
アヤは、レッドの瞳が徐々に色を無くして氷のように温度が氷点下まで下がったのを感じた。
ヒュ、と息を呑む。背筋が凍った。怖い。自分に向けられた怒りではないが、威圧感と殺気を感じる。ゾロアークも突如湧き上がった殺気に生唾を飲み込み、身震いしている。本当に、人間が出せる殺気なのかと。
つい、と向けた視線の先は勿論ゾロアで。
冷たい眼差しが刺すように小さな体を射抜く。
そんなものを向けられたゾロアの毛並みは当然ながらボワッと逆立った。
「お互い腹の内の探り合いだったもんな」
「ロッ…」
「何が目的かは分からなかったが、十中八九俺に用があるんだろうとは思った。それにイッシュ地方に来てから、野生のポケモン達が俺の噂を広めていたのも知っていたしな。…アヤはあの時手ぶらな上に害にもならんから、野生ポケモンから見たらアヤはいて居ないようなものだろう」
レッドは、これまでトレーナーとして生きて行く中で野生のポケモンに頼まれごとをされることが非常に多い。
それは初めてピカチュウをパートナーとして連れて旅立った時からだった。
最初は極簡単な食べ物を少し恵んでほしい。
あそこにいる縄張り貼ってる奴が一人で食い物を食い荒らして、木の実じゃ飽き足りず野生の虫ポケモンや弱いポケモン達を捕食し初めて、ここらの生態系まで危ういからどうにかボコボコにしてくれ。
トレーナーに捨てられて、弱ったまま群れポケモンの中に放り込まれた奴がいるんだ、何とか助け出してあげてくれない?
この背中の傷?人間にやられたんだよ。みんな、アンタみたいなヤツだったらよかったのになぁ…。
人間がこんな所にゴミばっか捨ててくれるからさ、アタシら住める場所がほんとーに限られて来るんだよね。強い種族だといいよ?でも、そうじゃないからさ。
尻尾、みんな切られちゃって。どうやら高く売れるみたい。痛みは……感じるか分からないけど。でもやっぱりトラウマ残る子もいると思う。
「なんだ、お前のポケモン、死んだのか?」
「…………あ"?」
「こっ…!!恐ぇよッ!?死んでないなら良いじゃねえかよ!!」
「…グリーン、そういうお前はなんでここにいるんだ。墓参りなんてするような顔じゃないだろ」
「…ッおっまえ!ほんとーに失礼なヤツだなッ!?俺だって死んだ奴に手を合わせる事くらいするっての!!……で、お前は墓参りじゃなかったらなんなんだよ」
「……シオンタウンに来る前に、野生のポケモンから頼まれたからだ」
「……はっー…お前も相変わらずだよなぁレッド。一々聞いてたらキリがねぇって」
でもまあ、それがお前の美徳でもあるよな。
そう言って、あの日の幼馴染はボールを構えた。
心做しか少し、いつもより活気がない。
何かを忘れようとしているかのような、何も考えたくないような動作で。
一方的にバトルを申し込まれたが、断る理由がなかった。
そして難なくリザードとピカチュウで勝利を収めるが、ふと違和感に気付いた。新しくまた手持ちが増えたな、と思いながらグリーンの手持ち3匹目を撃破して、あと残りは1匹か。と待っていたが4匹目が出ることなくバトルは終了した。
違和感。それは、
「グリーン、お前。ラッタはどうした」
「…………」
沈黙。
グリーンは倒されたピジョンをボールに戻し、ボールを握ったまま動かない。
俯いて、何かを喋りかけた口を、噤んだ。
両手をポケットに突っ込んだ彼は踵を返し、じゃあな、とレッドに告げた。
「…………黒服のロケット団とか言うクソみたいな連中には気をつけろ」
そう、一言残して。
「…………なに団だって?」
「ピカァー…?」
助けて、くれるの…?
人間達にみんな、連れていかれて。
…黒い服を着た集団だった。母ちゃんも、妹も、弟も、みんなアイツらに捕まっちゃった。父ちゃんは、……カラカラのお母さんと連れていかれちゃった。
お願い、お礼なら何でもするよ。だから、急いで。
手遅れになる前に、急いでーーーー、
『おかぁさ、ん』
なんで、
なんにもわるいこと、してないのに。
とある子供は言った。
『おか、あ さん』
子供は母だったモノを抱きしめて、無表情で涙を流していた。
心が死んだしまったとは、こういう表情を言うのだろうか。
もう少し、早く到着していれば、母親は助かったのかもしれない、と。
口の中がからからに乾いて、やっと絞り出せた声は思った以上にひしゃげていた。
「どいつに、やられた」
『お かぁ さ、おか、ーー、ーー、』
「 言え 」
過去に一度だけ、我を忘れた事がある。
真っ赤な、激しい怒りの感情だった。
母親の骸を抱きしめて泣く幼子を見て、柄にもなく震えて。
その後ピカチュウがとある墓石を一点に見つめているいるのに気がついて、そこの墓石には、幼馴染がいつも身につけていたネックレスが添えてあって。
確認しなくてもそれが誰の墓なのかわかった。
「…………黒服のロケット団とかいうクソみたいな連中には気をつけろ」
…黒い服を着た集団だった。
くろい、ひとたち。おかあさんをバラバラにして、わらってたの。…なにが、たのしいの。なにがおもしろいの…。なんで、そんなへいきで、いられるの。
真っ赤な感情のまま、激情のまま行動した。それ以降はあまり記憶にない。
思えばあの時はピカチュウ達にとても無理をさせてしまったかもしれないが、それで良かったと思っている。
気づけば1つのアジトが壊滅していた。周りには進化した自分のポケモン達。進化した事にさえ気づかなかった。それくらい、憤怒していた。
そこから、レッドはポケモンによる犯罪組織を根こそぎ潰してきた。
弱いポケモンはみな庇護対象だ。
今までは。
けれど今は新しく大切な人が出来た。
レッドの何よりも守りたい、大切な宝物のような存在。
思えば何故こんなにも彼女に執着しているのかすらも分からない。
気付いたら命よりも大事な物になっていた。
ただ傍に置いて、傷が付かないように大切に大切にしなければ。
自分から離れてしまわないように。
奪われないように。
もう“二度と”失わないように。
危険なものは排除しなければ。
「お前、アヤを殺そうとしたな」
「ーーーーーっ!!!」
アヤが呆然と息を呑む気配をレッドは感じ、そして目を見開いたゾロアの姿がぐにゃぐにゃと勢い良く変形し、弾けた。
怒り
彼が何よりも許し難い事