act.29 旋律




「ピッカァ!!」

「ふぉぉおおおおッッ!!」



ズガーンッッ!!
まだ名前も知らない青いポケモンを腕に抱いて、再びゾロアを探索する中今度は更に地下がある事が分かったアヤは早速階段を降りる事にした。ピカチュウも何も言わないことから、ゾロアの匂いが地下へ続いているということだろう。
それにしてもこの建造物の地下になんてもんを作っているんだとアヤは思った。地下一階は長い廊下と青いポケモンが居た水ポケモン専用の小さなラボと、いくつかのポケモンを捕獲していたであろう檻だけだった。しかし地下2階は廊下が広く作られており、巨大なポケモンを収容する為の檻がかなり多い。

檻の中には地上で見かけた様々なポケモンと複合された巨体と似たような“モノ”が装置に繋がれており、それがどういうタイミングなのか分からないが装置が外れ、制御を失ったように動き出し檻を破って暴れ始めた。

ピカチュウが先陣を切って戦っている為アヤに危険が及ぶことはないが如何せんやはり巨体な上に迫力がある。火の粉を払うように凶器のアイアンテールが巨体に直撃し、ピンボールのように吹っ飛んだそれはアヤの顔ギリギリに飛んで行った。
ゴメンネ、とピカチュウは頭をかいて謝ってくるが、守ってくれているので文句は言えない。そこは致し方ない。青い小さな体を抱き締めて「モーマンタイ…」とアヤは呟くしかなかった。



「……!いたっ!ゾロア!」



ピカチュウが邪魔な巨体を薙ぎ払いながら進んでいくと、案外アヤの当初の目的であるゾロアを見つける事はすぐに達成出来た…が。

すぐに様子がおかしい事に気付いた。ゾロアがいた場所はある一つの半分壊れかけた檻の傍で、丸くなっている。そこにはゾロアの他にも両手足鎖で繋がれたポケモンがおり、ぐったりと衰弱して辛うじて呼吸を繰り返している。これまた見たことないポケモンだがよく見ると容姿がゾロアに似ているから、もしかしたら進化したらこんな姿になるのかも…とアヤは思う。腕の毛が剃られている箇所に注射痕がいくつもあって痛々しい。度重なる投薬実験を繰り返したのだろう。今からでもポケモンセンターに連れていけば間に合うだろうか…と思ったところで、ふと、アヤは思った。



「も、しかして…親…?」



親。そうだとしたら。全て辻褄が合う。ライド中にゾロアが古代の城をじっと見ていたのも、ライモンシティに着いてから様子がおかしかくなったのも、ゾロアはここに用があったから。親が人間に捕まって、その子供を逃がして、そして連れていかれて酷いことをされている。まだゾロアは幼く弱い。一人じゃ助けられないから人間を味方に付ける。
最初にゾロアと会った場所は、そういえばレッドは「こいつの生息地はここじゃないはずだがな」とポケモン図鑑片手に首を傾げて言っていたのを思い出した。
姿を表した時だって思い返せば奇妙な事ばかりだった。何故かレッドに姿を寄せていたし、理由もよく分からず自分からボールに入って行ったし。それもこれも全て人間に捕まった親を助けたくて、計画して動いていたとしたら。でもポケモンの言葉が分かるレッドがそれを知ったら真っ先に手を貸すであろうに。その事を知らないと言うことは、ゾロアが話せていないとしたらその理由なんて。



「(信用されてないから)」



漠然とそう思った。
ゾロアが仲間になってからまだ日は浅い。でも、それでも一緒に過ごしてきたのだ。ゾロアだってレッドがポケモンの言葉が分かるのは知っていたはずだ。何回もピカチュウと話していたのを会った時から見ているはずだったから。レッドは強い。それもわかっているはずだ。
それなのに「親が捕まってるから助けて欲しい」と頼めるほど、信用が足りていなかった。なんで…ーー?



「ゾロア…、……え?」



ゾロアの親であろうポケモンのすぐ傍で、寄り添うように丸くなっていた黒い毛玉へ声をかけるが反応がなかった。手を伸ばしたアヤは異変にいち早く気が付いた。



「ーーーッッゾロア!!?」



今までで一番金切り声で叫んだ気がした。周囲の巨体達をピンボールにして遊んでいたピカチュウが、アヤの悲鳴に吃驚したような声で鳴いたのが遠くで聞こえる。
ゾロアの体をひっくり返すと全身強ばって小さくビクビクと痙攣している。半分白目を向いて口内から血混じりの泡が少しづつ出ていた。呼吸が殆ど出来ていない。



「(これはっ…なに!?頭を打っーーーーいや…毒だッ!!)」



アヤは鞄の中をひっくり返し解毒ができる道具を全て引っ張り出した。
思い出したのは地上で初めて巨体に出会した時、毒ガスが広範囲に撒き散らした場面と地下に侵入した際にダストダスが噴出した毒ガスだ。
きっと毒を受けて解毒が出来ないままここまで来てしまったのだろう。毒を受けてから、どれくらい時間が経ってる?もう十数分は経っている。
霧吹きタイプの毒消しやなんでも治しを使うがポケモンには即効性の効果がある筈なのに、全く解毒が出来ていない。モモンの実など口から経口摂取する物は当然ながらあげることは出来ない。普通の毒タイプの毒性より強力なのかもしれない。今は解毒効果がある植物も手持ちの薬草もない。

ーーどうしよう。どうしよう、どうしよう。このままじゃ、肺がやられて脳まで酸素が届かなくて、死ぬ。

ヒュ、と息が詰まる。アヤはパニックに陥った。呼吸が浅くなっていく。

手持ちの解毒薬を使い切る勢いでゾロアに使用を続けるが、全く効果が無い。



「(毒……解毒。解毒、解毒。分解、毒消しは全くだめ。口からもだめ。解毒、できない。薬がない。強力な薬。調合することもできない。そもそも普通の毒タイプのポケモンじゃない、人が手を入れて改造されたポケモンだもん。普通の解毒じゃ効かない。ここには成す術がない。ポケモンセンターは遠い。今からだと間に合いっこない。解毒できない。助けられない。ーーー死、ぬ)」



サァッ、とアヤの顔から血の気が引いた。

徐々に冷たくなっていく身体が、現実を突きつけていた。

え、死ぬの?

ウソでしょ。



「ゾ ロア、」


ボロッ、とアヤの瞳からボロボロ涙が零れ落ちた。

待って、まだだめ。



「死ん じゃ、だ め」



嗚咽して気道が狭くなった喉は声が出なかった。

どうしよう、どうしよう、どうすれば…。



「ーーー♪♪ーー♪♪」



為す術なくただ見ているだけになってしまったアヤの傍に、静かに佇んでいた青いポケモンが唐突に歌を歌い始めた。胸のどこかでじんわりと暖かくなるようなその歌は、いつしか聞いたような旋律だった。果たしてどこで聞いたのだったか…。

でも今は、そんなことしている暇なんてない。

歌なんて歌ってる場合じゃない。歌ってる暇があれば何とかしてよ、なんて他人任せなことを思ってしまう程、アヤは思考が停止してしまった。

ついに辛うじてハクハクと顎呼吸をしていたが呼吸器官が止まり、そして……間もなく心臓が停止した。思考が曇り、考える事が出来なくなってしまった。



「(ーー心 停止。まずい、まずい、まず いーーー、ーーー、ー、)」



その時、グイッと力強く肩を引かれて一気に現実に戻される。



「ーーアヤ、落ち着け。心マだ」

「ーーー、ー、ーーレッ…」

「ちゃんと呼吸しろ、大丈夫だ。考えることを諦めるな。得意だろお前は」

「ーー……ふっ……うっ…」

「ーーー急げ!」



いつの間にやらアヤに追い付いたレッドは軽く呼吸を乱していた。

レッドが地下室に侵入して、ここまで来るのにそう時間は経っていない。それは途中遭遇した研究員である人間達とバトルすることなく、ポケモンを繰り出す前に暴力で尽く捩じ伏せて来たからだ。顔面に拳を打ち込んだり、頭部に蹴りを打ち込んだり、壁に頭や顔ごと打ち付けたり。主に首から上を的確に狙った犯行だった。必要あれば階段から勢いよく蹴り落としたりもした。死んでも構わないような力の込め方をして。それは女も同様だ。性別なんて関係ない。

対処が早すぎた。まるで慣れているかのように。

何故なら今までそうしてきたからだ。

彼は今まで数多の研究施設を潰してきた。非人道的な人間達を。何人も何人も。

きっと奴らには聞こえていないだろうが『やめて』『嫌だ』『助けて』と何度も彼らから許しを乞われたはずだ。許されないことをしてきた。人としてやってはいけないことをしてきた罰。報い。容赦するつもりなんて、情けをかける理由もなかったのだから。

なのでここに来るまでに本当にさして時間はかからなかった。ただ地上にいた時から毒タイプ特有のポケモンが出す僅かに残った匂いを嗅ぎ取って、嫌な予感はしていた。それは地下室に入った時点で匂いが濃くなったのを感じて嫌な予感はもしかしたら、と確信にも繋がってしまったが。

アヤは恐らく問題はない。ピカチュウが付いてるから脅威からは守っているだろう。けれどその認識は甘かった、とレッドは小さく舌打ちをする。

自分が想像した以上に、場の状況は思ったより良くなかったからだ。

レッドが地下2階に駆けつけた時には巨体数体とピカチュウが乱闘しており、肝心のアヤと言えばしゃがみこんで動かない。レッドの足元に控えているジヘッドにピカチュウと制圧をするように指示を出せば、彼は頷いて乱闘中のピカチュウへと駆けて行った。声をかけても何も反応もなく、何をしているのかとしゃがみ込んだアヤの後ろから覗けば、まぁ最悪な状態で。
一体全体何でこんな状況になったのか…。何かあれば連絡は必ずするようにと、態々念を押すようにアヤに伝えたのにこれだ。それが出来なかったという事は不足の事態が起こったと言うことだ。完全に自分が甘かった、とレッドは息を吐いた。
アヤが固まって動かないのを確認してからなるべく力を入れてその細い肩を掴んで引いたが、そのいつも見慣れた表情は既に無く、レッドが過去一度も見たことも無いくらいに真っ青に固まっている。



「…………」



とても不愉快だった。

そんな顔をさせているのは誰だ。

ゾロアなのか、はたまたその毒を施したポケモンなのか、アヤ自身の不注意なのか。

ーーーいや、俺だ。

キリキリと頭が傷んだ。どこかの血管が切れたような、苛苛が収まらない。



「(いや、落ち着け)」



ハア、とため息を着いて、軽く乱れた呼吸を抑えるように深く息を吐き出す。
レッドはアヤの全身をチェックした。見たところ怪我などは無さそうだ。当たり前だが。
強めにアヤの肩を叩く。レッドを視界に入れて漸く呼吸の仕方を思い出したかのように、アヤはぎこちなく動き始める。アヤが何かトラブルに非常に巻き込まれやすい体質なのは一緒に過ごしてきて分かってきたつもりだった。けれどまだまだ配慮すべき点がいくつもある。
まず通信機器はダメだ。今回のように非常時の時壊れでもしたらてんで役に立たない。なんの為の通信機器なのかと問いたいが所詮は人が作った機械だ。仕方がない。
となれば専用のポケモンが必要か……とレッドは今の手持ちを再調整する必要があるな、と算段しながら先程から気になっていた存在に目を向ける。



「(こいつは……またどこぞやで拾ったのか…)」



アヤの傍に寄り添う小さな青いポケモン。それはレッドも見たことがなかった。イッシュ地方のポケモンはもう未登録のポケモンでない限り事前に図鑑で全ての姿を確認し、頭に叩き込んだから恐らくイッシュ地方で生息する種族ではない。

この研究所で保護したのは間違い無さそうだが、勝手にアヤの後を着いてきているのかゲットしたのかは分からない。その青いポケモンは何故か呼吸をやめたゾロア一点を見つめながら不思議な旋律を紡いでいる。こんな時にただの空気が読めない性格なのか、アヤを励まそうとただ歌っているだけなのか…。

いや、これはーーー。



「(ーーー技!)」



ゴウッ!と風圧と共にピカチュウがすっ飛ばした巨体が壁に激突した。

数も着々と減ってきており問題は無い。あいにく、そっちはどうにかなりそうだ。

ここに来てこの旋律が意味の無いものだとは到底レッドは思えなく、できる限り長くゾロアの延命措置が必要だと考える。
レッドはアヤより薬学には詳しくはない。が、そこら中に転がっている多くの空になった毒消しと、ゾロアの様子を見れば大体の状況はわかる。泣きながら心臓マッサージを始めたアヤを尻目に、レッドもバッグから毒消しをあらいざい引っ張り出す。注射器型容器を持っていて良かったと思うが、そもそも効果があるとは思えない。スプレータイプの容器を外し、全て注射器に移したレッドはゾロアに投薬していく。

体内に直接薬を流し込める分、もしかしたら多少は効果が見込めるかも知れない。…だが、ゾロアが浴びたのは改造されたポケモンの猛毒だ。心臓が止まり切っているこの状態では回復はきっと見込めないと、思った瞬間だった。



「は?」

「……え?」



一目でゾロアの状態が良くなったのが分かったのだ。



「(何だ、何が起きて…)」



ゾロアの身体の硬直が解けて、心臓が再び鼓動を始める。
呼吸を始める。
細かく傷を負った部分は修復されていく。
前足が折れていたのにひとりでに治っていく。

瞬く間に、何事もないかのように“戻っていく”。

どう見てもゾロアの再生能力ではない。

だとしたら、十中八九この青いポケモンの能力だろう。




「(ポケモンの技なのは間違いはない……だが、これは何だ。俺ですら見たことないぞ)」



自己再生や癒しの波動などの回復技よりも高度。再生速度が尋常ではない。いや、寧ろ怪我は元々無かったかのような現象が、理に背く。

こいつは何だ。伝説のポケモンなのか?伝説のポケモンなら理に反することや超常現象を起こすくらいの事をやってのけそうなものだが…。



「…………ゾロア……?………よ、よかっ……っ…」



アヤは何が起こったのかきっと分かっていない。ただ、ゾロアが死なずに済んだということ以外理解はしていないだろう。

安堵からか涙腺が決壊したかのように、先程よりも尋常じゃないくらい蒼い双眼から涙が滝のように流れ落ちている。

本当に怖かったのだろう。言葉なくゾロアを抱え込み震える背は丸まって、落ちる涙は毛並みを濡らしていった。レッドはそんな小さくなった背を肩ごと抱き、乱れた頭をひたすら撫でくりまわしながらゾロアの状態を確かめている。

……本当に、無傷だった。

物理の事象を無視したような完全回帰のような現象は、流石のレッドも見たことがなかった。



「(…まるで奇跡を見ているような、………?)」



アヤとゾロアの方しか注視していなかったが、ふと視界に小さな青がチラチラと映り込み、レッドは視野に入れる。

その青いポケモンはアヤの真下にいた。小さな平の両手をアヤの頬いっぱいに伸ばし、話しかけている。


アヤにはどうやっても聞こえない“声”が、レッドには聞こえたのだ。


聞こえてしまって、レッドは思わず息を呑んだ。




『ーーーだいじょうぶ。大丈夫よ。もう怖いものなんてないのよ、アヤ。なかないで。哀しいものなんてひとつもないの。いまのわたしには、あなたを抱きしめられるほどおおきくなくて悲しい。かなしいわ。泣かないで。わたしの大切な、いとおしい、可愛い子。大丈夫だから、ずっーと、笑っていて。

ーーー凄いわ。やっぱりうりふたつ。…こんど、こそ』




嗚呼、かみさまってほんとうにいるのね。




レッドは意味を理解するまでしばらく時間がかかった。





旋律

(懐かしさと、胸が苦しくなる程の優しい旋律。懐かしかった。果たしてそれはどこで聞いたのだったか)




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