act.17 小さい嫉妬




じゃあ、また何処かで縁があったら。

ボールの中の子、宜しく頼むよ。



そう言ったNはゼクロムに乗って何処か別の町へと飛び去って行った。それは、今から二時間前くらいの事だった。



「………………何で拒否しなかったんだろう」



ザッー、とバスルームからシャワーの音が聞こえる。それを聞きながら、ソファーにぼすりと沈んでいた。

ぐるぐるぐるぐる。

今はそればかりが疑問となり、自分の中を渦のようにただひたすらに泳いでいる。小さなことと言ってしまえば、小さな事かも知れない。しかし、だ。アヤにとってはとても重大で気掛かりな、少しばかり納得し得ない事である。

それは先刻、Nの二つ目の頼まれ事だ。写真の中に写る少女、名前はホワイトと言ったか。その彼女をNはアヤ達に探すのではなく、目撃したら連絡をしてくれと彼は言った。

それはアヤにも頼まれた願いだが、全ての決定権はレッドにあった。レッドが断ればその頼みは無効になる。だけどもレッドはポケモンと、その自ら傍に置くアヤにしか興味が一切無い男だ。当然自分には関係の無いことだと、初めは断ると思っていた。だったらそれはアヤが引き受けようと、そう思っていた…のだが。

何故か彼は盲目のポケモンを引き取るより意図も簡単に、それを実に易々引き受けたのだ。

別に彼女を見付けたら連絡しないで欲しいなんてアヤは思ってはいないが、あのほんの僅かな時間で了承したレッドに不満を持ってしまった。しかも写真も凝視していたような気がする。



「(ゃ、だなあ)」



それは今素直に出てくる拒否反応の言葉。言葉の通り、嫌だった。何がと聞かれるとハッキリ答えられないかも知れないが、レッドが自分以外の女性に興味を持つ事が嫌だった。

それは彼が今まで女性に興味を持つ事が塵程にもなかったせいもあるのか、心臓にかなり悪い。だからあのレッドが、と過剰に反応してしまうのは仕方の無い事だった。

このモヤモヤしたのは何だろうか、と自問自答するとそれは間違いなく嫉妬と言うものだろう。周りが聞いたら笑うかも知れないくらいに小さな嫉妬かもしれない。それとも考え過ぎなだけか?

自慢ではないが、アヤはレッドに嫉妬した事が、無い。

寂しいなどは多々思った事はあるが話に上げた通り、今までレッドは他の女性に興味を持つどころか関わる必要が無いと言い切り接点がなかったからだ。

だから、アヤは嫉妬は初めてであり、少しばかり刺激が強すぎたようだ。どう思ってるかなんて本人に聞けば直ぐに解決できるのに、いざ目の前にすると勇気がない。怖い…いやそんな事よりも嫉妬なんてしている自分を、自分から暴け出したくないだけだった。

聞きたいけど、聞けない。

自分はこんなに腑抜けた弱い奴だったっけ、とアヤはまた帰って来て何回目か分からない溜め息を漏らした。


バスルームのシャワーの音が止まっている事も気づかずに。



「―――うわっぶ!!?」



突然目の前が真っ暗になる。頭に軽い重量感があり、アヤはわたわたとその原因を取り払えば湿った感触が掌から伝わった。

それはバスルームに予め備え付けられているバスタオルで、シャワーの音が止まっている事に今更気付いたアヤは慌てて背後に居るであろう人物を振り返る。

一番初めに目に入ったのは水に濡れたピカチュウとモサモサの毛がしっとりと濡れてかなり細くなってしまったゾロアが居た。そういえば二匹一緒にレッドと風呂に行ったっけ、と思い出したアヤは改めてレッドを見ればガッと固まる。

風呂上がりで熱い為か上半身何も纏っていないレッドに、次第にアヤの眉がくっとつり上がった。反らしそうになる視線はあえて外さない。それが分かると無意識な内にからかわれて後々自分が追い込まれる事を分かっているから。



「………ね、何か着なよ」

「熱いから必要ない」

「だからってっ…、……ハァ。いいよ、何でもない」

「………?」

「……………」

「……お前ら、向こうで遊んで来い」

「ピカ?…チャア!」



いつもと様子が違うと感じたのだろうか。突然のレッドの申し出にピカチュウは首を傾げた後、アヤを見て隣に居るゾロアを引き連れ部屋を出て行った。(ゾロアは嫌だと言うように地面にへばりくっつきながら引き摺られて行ったのを尻目に捉えてしまった)後に向こうでフーズをかじる音が聞こえ始める。

加えてアヤはゾロアまで連れていかれるとは思っていなかったらしく、少しむくれてレッドから視線を反らした。視界に自分を入れたくない、と全身で訴えるアヤにレッドは小さくため息を着く。



「アヤ、」

「…………ごめん、眠いから明日にして」

「(……拗ねてるのかこれは)」



どこからどう見ても明らかに拗ねているかふてくされているアヤ。これはちょっとやそっとじゃ機嫌は直ってはくれなさそうである。

さて、自分は何かしただろうかとレッドは思考を巡らせるも残念だが全く覚えはない。そもそも機嫌が悪くなったのはいつだろうか。確かレストランに居た時は普通だったのだが。…ということはその後のゼクロムのデータ採取を行っている時か、とレッドは記憶の回路をゆっくり辿っていく。

けれどアヤの機嫌を損ねた事に関しては全く覚えが無く、綺麗さっぱり回路が途絶えている。…どうやら知らぬ間に何か仕出かしてしまったらしい。これは理由を本人から聞き出してしまった方が早いな、と判断したレッドはアヤと目線を合わせるべくソファの前に屈んだ。

…宛ら拗ねてる園児を相手にしているようだ、と一瞬思ったのは心の内に秘めておく。



「アヤ」

「……………」

「どうした、言ってみろ」

「……何でもないよ」

「…別に呆れも怒りもしない。何かあるなら言え」

「…………、」

「…悪いが、俺が“人の心”に鈍い事は知ってるだろう?どうしても気付けない場合もある。…あまり元気無いお前は見たくないな」

「………………あの、さ」

「ああ、」



随分揺さぶりをかけたな、とレッドは思う。

聞こえは悪いが、いじけたり拗ねたアヤの扱いには彼は慣れていた。故に機嫌の取り方も既に心得ているのだが。(まあそこがまた可愛いとか何とか思っている時点で末期である)

髪をすいて頬を撫でればアヤはそろりと視線をレッドに合わせた。そしてポツリポツリと言葉を溢す彼女に、次第に彼は面食らう。「何でホワイトさんの事あんな易々受けたの」と、かなり言いにくそうに言うアヤ。

予想を外れた発言に思わず口を継ぐんでしまい、まじまじとアヤを見てしまった事が原因なのか直ぐに俯いてしまった。

いや違う、呆れたとかそんなんじゃないんだが。と心の中で呟くレッドは未だに豆鉄砲を喰らった鳩のようにアヤを見続けている。



「(…まさか嫉妬してるなんて、思わないだろ)」



アヤは殆ど嫉妬と言う感情を持たない。いや、持たせた事が無いと言った方が正しいだろうか。

加えて嫉妬はレッドの方が腐るくらいしているのだが、だからこそ極力アヤには嫉妬と言う感情を持たせないようにしていた。理由は多大なストレスや苛立ちが募っていく事が分かっているから。最初は自分と同じように嫉妬なんてしてくれたらさぞかし心地好いだろうと思っていたが、確か、そう、あの男。

ユウヤが「嫉妬って実は凄く身体に悪いんだよね。心の病気になりやすいっていうの?嫉妬して発散できずにずっと溜め込む人ってノイローゼになったりストレスで心爆発しちゃう人が居るらしいんだよね。笑わないし無口になる傾向もあるみたい。うん、だから気を付けて?」だなんて笑顔で軽々しく言ったあの男。

それを聞いてからアヤに嫉妬させるなんて考えを一刀両断した。因みにレッドは嫉妬しても溜め込まない発散型だと自分で分かっているし、バトルしてアヤと四六時中引っ付いていれば知らない間に発散出来ている人間だ。それに耐えきれなくなるとアヤに当たるのが問題点だが。

しかし聞けば昔のアヤは鬱だったとか何とか聞いてもいるし、もし溜め込む人間だったら笑わなくなり無口になる傾向もあると言う。そんなの冗談じゃない、と言うのが彼の本音だ。

だからアヤに嫉妬なんて極力させないようにしていたのだが。



「アヤ、」



自然と緩む口元はどうも抑えられそうにない。



「お前、そんな事気にしてたのか」

「…そ、そんな事って…」

「…別に写真の中の女なんて興味無い。ただ、あいつを気の毒に思っただけだ」

「………?」

「会いたいと心底願ってる女に会えない事が、気の毒だと思った」



直感だが、レッドには分かっていた。「そんなんじゃない」と言ったNの瞳が言葉とは別の色を灯していた事。

会いたいのに会えない、傍に居ない事を辛く心内で思うNにはレッドも共感出来る事は多々あった。きっと自分なら気が狂うかもな、と苦笑いするレッドはだから少し協力するだけ。

他意は、有るわけない。

しかし、嫉妬されるのは気分が頗る良いものだ。病み付きになってしまいそうだがアヤは、駄目だ。こいつは溜め込む奴だ、と今回初めて知り、苦笑いする。

スルリ、と頬を包む。



「安心しろ、俺にはお前しか考えらない」



だから余計な心配なんてしなくてもいい、と頬に口付けた。



ほんの小さな嫉妬

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