act.14 頼みごと
「…………………で?」
大変です。隣から吹雪を感じます。
* * * * * * * * * *
「初対面の癖にドリンク相席って何だ一体分かりやすく説明しろ」
「いや、それは確かに常識じゃ考えられないよね。けどねレッド、もう少しコップを握る力を緩めて欲しいな八つ当たりは良くないと思いますこのままじゃ木っ端微塵になっちゃうよ!」
「…お前はちょっと目を離した隙に浮気か」
「してないぃぃぃいいいい!!」
レッドが帰ってきた今、そこはまたややこしくなってしまった現場が繰り広げられていた。
そりゃあ自分の恋人が見ず知らずの男とドリンク相席していたら流石に不審には思うだろう。元より知り合いでもない限り、アヤに近付く男はレッドが手当たり次第排除していた。尚更それがストーカーや最もアヤが苦手とするマスコミや取材記者なら全勢力を持って(地味に)潰していた訳だが。
そのアヤの前に座る怪しい男、Nに対して殺気を全開に発するレッドは今にも射殺さんとばかりに彼を睨み付けている。必要とあらば今すぐにでも潰す準備に取り掛かるに違いない。そしてピカチュウは、こんな主人には慣れているのかレッドを放っておき、ゾロアが飲んでいるカルピスに一緒になって手を付けていた。
そんなほのぼのする光景を見ても、隣に居る超人…いや魔王の発する殺気で全てが無に還っている。しかもバックに吹雪さえ感じさせるような冷気。
それが隣に座るアヤにも感じ取れてしまい、ブルリとアヤは身震いした。この人にはやはり、レッドが一緒の時に会った方が良かった。レッドは意外と勘違いが多い男だと言う事も最近…いや、とっくの昔からわかってはいたけれど。
まさか浮気か、と冗談混じりに言うレッドに、アヤはとんでもないと首を力の限り全力で横に振った。「冗談じゃない生涯レッド、貴方だけです」とは流石にそんな恥ずかしい事は絶対言えないが、彼の服を皺になるくらい掴んで冷や汗いっぱいに否定するアヤ。
それを暫く観察していると漸くレッドの眉間の皺が薄れた気がした。感じ慣れたグローブ越しの暖かな手が頭を数回撫でたところでアヤもやっと一息着く。
「ごめん、お熱いところ申し訳ないんだけど話戻していいかい?」
「は!!」
忘 れ て い た!
すっかりレッドの機嫌を取るのに夢中になっていたせいで、少しばかりアヤの中からNの存在があらん方向へと流れかけていたようだ。こんな人前で何やってんの、とアヤは自己嫌悪に浸る。
だが頭を抱えるアヤとは反対に、口を挟んだN(邪魔者)にレッドはまた眉間に皺を寄せながら血のように赤い瞳を彼に向けた。
殺気と苛立ちの混じったその視線を一度人へと向ければ、殆どの人間が固まるか逃げるか謝るかのどれかをするのだが、Nは至って普通、だ。それどころか物珍しげに二人の…いや、レッドを観察していた。
そこでハタ、とアヤは思い出す。Nの探している内の一人はレッドだと言うこと。ピカチュウを連れた赤い瞳の青年だなんて、そう簡単に世界に何人も居ないだろう。
しかもカントーから一番離れたイッシュ地方の野生のポケモンから情報を得たと言うことは、その人物は名の渡った有名人と言う訳で。
「あ……ヌエさん、多分ヌエさんの探してる人って、」
「え?」
この隣に居る人じゃないかと思います、とアヤはレッドを指差した。
するとNは帽子の下で翡翠色の瞳を僅かに見開き、斜め向かいに座るレッドをマジマジと見詰めた。それは半信半疑と言うか、なんと言うか。「本当?」と言ったような、まさかこんなに早く見付かるとは思ってもいなかった顔だ。
だがしかし、Nの目から見てこのレッドのポケモンと思わしきピカチュウは、相当鍛え上げられている事が直感で伺えた。彼の知り得た情報は“ピカチュウ一匹を連れた赤い瞳の青年”ともう一つ。
“カントー地方の裏トップ”と言う何とも現実味の無い情報。それがイッシュ地方に来ているという。嘘か本当かわからない中、いやほぼ100%デマ情報かも知れないが、彼は出来ればレッドを探さなければならない理由があった。それは彼の友人の少なさによる理由だと言う事を後々聞いたのだが。
どこまでか知り得ないが鍛え上げられたピカチュウに、彼の纏うオーラが尋常ならざるものではないと直感で悟ってしまったのだ。Nにはバトルにおいて多大な自信がある。それは今までの経験において積み上げてきたプライドに近い自信なのだが。だがしかし、このピカチュウと戦うとなると?…強者の直感と言う奴だろうか。ブル、とNの背筋を何かが伝った気がした。
これは、本物かも知れないと。
対するレッドは穴が開くほど見られて気分が悪いのか、更に眉間に刻んだ皺が濃くなった。自分は何考えてるのかわからない、と数多くの人間に言われるが、この目の前の不審者もなかなか何考えてるのかわからない人間だとレッドは思う。
それにレッドが居ない間にアヤに近付くという良すぎるタイミング。彼が勘違いするのも無理はなく、何か私利私欲な目的があってアヤに近付いた害虫だとレッドは思い込んでいた。彼が警戒するのに充分な理由である。
「………こいつは?」
「レッ…!ちょ、殺気!殺気しまって!ちょっと…いやかなり変な人だけど目当てはボクじゃないから!ボクじゃなくてレッドだからね!」
「本当に失礼な奴だな君は」
「…俺?」
「………まさかこんなに早く見付かるなんて思わなかったな」
ふう、と一息着くNに、レッドは目当てがアヤではなく自分だった事を知りやっと落ち着いた。
だが殺気は消えたものの、不信感による警戒心は一切解かれないままだが。未だにギスギスと空気が痛いそれに、彼は人一倍警戒心が強い人間だった、とアヤは今更ながらに思う。
痛い。この空気が痛すぎる。
とうとう耐えきれなくなったアヤは気を紛らす為、砂糖100%の氷水に手を付けようとしたがレッドに呆気なくそのコップを反対側へと追いやられてしまう。アヤの栄養管理を徹底するレッドはこんな時でも厳しいらしい。(確かにガムシロップにも近い液体をガバガバ飲むのは毒を摂取する事と同じかも知れない)
眉を寄せてムスッとするアヤを、チラと見たレッドは再び目の前のNに視線を戻した。
「何の用だ」
「案外早く出会えて助かったよ」
「…リーグの人間か」
「残念、そんな大役じゃない。…随分と警戒心が強いんだね。名前でも名乗っておこうか?」
「興味ない」
「アハハ!そう?」
彼の警戒は一切解かれない。
用があるならさっさと言え、と促すレッドの前に見慣れたものが置かれる。
コト、と音を立てて置かれたものは赤と白のコントラストが特徴的なモンスターボール。
Nは苦々しく笑った。
「実は、君にお願いがあってね」
机に置かれたボールが小さく揺れた。
頼み事
(レッドの眉間に更に皺が刻んだ)