epilogueーエピローグー
epilogue
「…………よし。じゃあ、行ってくる。何度も言うが絶対危ないことだけはするなよ。首を突っ込むのも許さないからな」
「わ、分かってるって…!」
1月1日深夜2時過ぎ。
ポケモンセンターの裏側にて、リザードンをボールから出したレッドはアヤにしつこいくらい念を押していた。危ないことはするな、旅の継続は勿論物騒だから禁止、極力ひとつの場所に留まり人が少ない場所に行かないこと。当然厄介事に首を突っ込むのも禁止。何か困ったことなどあったら必ず連絡をいれること、緊急を要するものなら昼夜問わず絶対に電話すること。出なくても鬼電すること。そんなことを実はアヤは昨日の朝から細かく言われ続けている。
「なんか日を追う事にお母さんみたいになってる……」
「俺はお前の母親じゃなくて旦那になる予定なんだが」
「そうでした…」
「………」
「……あー…えっと、」
はう、と思いアヤは視線をさ迷わせた。
喋りたいことは沢山ある。けれどやはりこうして土壇場になると結局何を話せばいいのか、何から話せばいいのか分からなくなる。この一年間ずっと傍にいたから居なくなってしまうことに対して違和感がある。
すぐに帰ってくる、心配するなとレッドは言うけれど実際どれくらいで帰って来れるのだろう。そもそもそんな簡単な仕事なのだろうか。何の研究所なのか分からないけど、確かヤバそうな研究所を潰すなんて物騒なことを言っていたけど。……まあ、昔ロケット団の大規模なアジトを単騎で乗り込んで数時間で壊滅させたくらいだから本当に心配いらないのだろう。その後も怪しい組織や研究所を幾つか潰して警察に突き出しているくらいの男だ。
でも心配なものは心配だ。
危険なものは危険だからだ。
自分の手をぎゅっと握ってとりあえず伝えなきゃならないことだけは伝える。
「気をつけてね。ほんと、絶対気をつけてね。怪我しないでね」
「それも聞いた」
「……レッドが凄いのは知ってるけど。身体も力も人間離れしてるけど、列記とした普通の人間なんだからね。ポケモンじゃないんだからね。素手で本当は岩なんて砕けないんだかんね!?………大怪我して、帰ってくるのだけは本当に、やめてよね」
パチ、とレッドが驚いたように目を見開いた。
過去にここまで純粋に己の身を心配してくれた人間なんていただろうか、と考えて。
「…わかってる。本当に大丈夫だから。心配するな、すぐに帰ってくる」
「う、うん…あ、人殺しも絶対ダメだからね」
「……」
「ねぇなんでそこはすぐ頷いてくれないの!?ダメだかんね!?……ね!?それは犯罪だから!!」
アヤの一番の懸念はレッドがいつか人を殺しそう、と思うことであった。
まだレッドが人に向けて本気で殺意を抱いているところや人に向けて本気の殺気を飛ばすところなんてみたことないが。いや、できることなら死ぬまで見たくはないのだが。この男はちょっと、いやだいぶ危うい男だということも熟知している。
殺す必要がある、と思ってしまえばもしかしたら迷いなく殺すこともするだろうし。それが必要なことだと思ってしまえば、…彼はそうする。
そういう人間だ。レッドと言う男は。
決断力と判断力が他と比べてレベチ。
「(………や、でもさすがに人殺しは…しないよね…)」
いやまさか…さすがの他人に無感情なレッドでもそんな、まさか人を殺すようなことはしないよね。なんて考えたりもしたけども、レッドの考え方は未だにアヤも理解出来ないことが多々あるのも事実。この一年一緒に過ごしてきたが全てを理解するにはまだ時間が圧倒的に足りなかった。というか、レッド個人に対してはアヤも知らないことが多い。あまり口にしたがらない家族のことも勿論、一人でどこを旅をしてきてどんな冒険をしてきたのか。何を見てきて何を感じたのか。その道中のことも、なんで数年間もシロガネ山なんかで過ごしてきたかもアヤは知らない。
だってあそこは、別名死の山とも言われている。
極寒のその山は、死者も多く出続けていて危険区域ともなっている山だ。獰猛な野生ポケモン達に死に追いやるように吹き荒れる吹雪。身動きすら阻まれる氷点下な気温。
屈強な自分の身を守るポケモン達がいて、ポケモンリーグに挑戦出来るような限られた強いトレーナーだけが入山を許される場所。許可が無ければ入山出来ないし、そもそも普通なら入ろうとはしない。……まあ、そんな山に一時期出入りしていた自分はいったい何だったのだろう……と今更ながらに思ったりもするけど。
「強いポケモンがたくさんいるから」と言われてしまえばそっかぁとは思ったが本当にそれだけだろうか。……いや、この男ならありえ……る……?
……と、まあ。
聞いたらこんな感じに普通に答えてはくれるが、アヤが知りたいのはそれじゃなかった。
「(言ってることは嘘じゃないんだけど、そうじゃなくて)」
本当のところ。
何を思って生きてきたのか。
彼は自分のことを話したがらない。
知られたくない事があるのは誰だってそうだし。無理に聞き出そうなんて、そんな厚かましい、鬱陶しいことはできない。いや、そんなことする資格なんて自分にはないのだが。
彼は、アヤに対してオープンだ。素直に付き合ってきた。嘘はつかないようにしてきた。自分の思っていることや愛情全て隠さずにアヤに伝えてきた。
アヤの感情をコントロールする為、愛情を手繰り寄せる為、自分へ執着させる為に。
だって彼はいつも努力してそう、務めてきたから。
彼は優しい。いつだってアヤの味方になってくれる。
いつだってレッドはアヤに甘い。
でも。
そうじゃない。
そうじゃなくて、
「エーフィ、後は頼む。上手くやってくれ。」
「話を聞いて……え?」
自分の足元から少し離れた先に、薄桃色のような薄紫色のような。猫のようにしなやかな身体がゆらりと揺れている。彼女だけがボールに入っていない。
「フィ、」
そして何故か、エーフィがずっとアヤの傍に控えているのは先程からずっと疑問に思っていたのだが。
突然レッドから話を振られたエーフィは慌てることなく小さく鳴いて、尻尾をゆらゆらと振って合図した。無表情なエーフィはいったい誰に似たのか。アヤが「え?」と訳分からない顔をしても知らんぷりだ。
「……え、なに、どういう」
「俺が居ない間お前にはエーフィを付ける」
「は!?」
「変人だったり不審者が近寄ってきた際には遠慮なく吹っ飛ばすように言ってある」
自分の知らない所で事前に打ち合わせしたらしい。
アヤがぽかん、と口を開いて吃驚している間にも何かレッドはエーフィと話しているし。きっとテレパシーか何かで会話しているのだろう。両者とも目で何かを
話して最後にはお互い頷いた。
「緊急の時はテレポートで離脱しろ。お前なら10キロ先なら余裕だろうからな」
「じゅじゅじゅじゅ10キロテレポート…!!?」
10キロ先までテレポートできるのレッドのエーフィ!?
怪物じゃ!?
ギョッとエーフィを見るアヤの視線に気が付いているくせに完全無視。本当に嫌われているらしい。何故こんなにも嫌われているのか理由がわからないが、それでもこうしてレッドの命令には忠実な所を見ると、私情は挟まず仕事はきっちりするタイプらしい。こんな時でもやはりレッドのポケモンは色んな意味で優秀だ。
どうやらレッドが自分から一時離れることを決めた時からエーフィを付けようと思っていたと。確かにエスパータイプならいろいろ便利だ。守るという名目なら。
でもそんな、ここまで徹底して自分を外部から守る必要あるのだろうか……とアヤが困った顔をしながらレッドを見ると、思っていることが伝わったらしい。彼は「まだ言うか」と言ったようにため息を着きながら指を突き立てながら言った。
「この短期間にいったいどれだけ死にそうになったんだ。言ってみろ」
「ゴメンナサイ」
「それに……、……いや」
「……?な、なに?」
「………いや、なんでもない」
何かを言いかけたレッドに首を傾げるが、彼は口を噤んだ。
なんだろう。
「………まあ、悪い人間も居るってことだ。悪意ある人間が近づいても人の善悪なら中でもエスパータイプが敏感に拾う。最悪お前ごとテレポートで離脱できるしな。必ず傍に連れておけ」
「う……うん…なんか、ありがと…エーフィ?あの、これからレッドが帰ってくるまで宜しく?ちょっとでもキミと仲良く……仲良く……」
アヤが遠慮がちにエーフィの頭を撫でようとすれば見えない壁にぐぐっ、と押された。なんだこれは念力か?光の壁の一種?エーフィは無表情ながら嫌悪感たっぷりの顔でアヤを見ている。
これ、仲良くなんて無理そうじゃない?
アヤの口端がきゅ、と引き攣った。
そんな一人と一匹の攻防を見てレッドもちょっと心配になる。おい、ちゃんと守れよ、と心の中で思えばテレパシーで『それが命令ならそうします』となんともドライな答えが帰ってきた。先が思いやられる。そしてそんな嫌われたアヤを見たレッドとアヤのポケモン達は『こんなに嫌われるなんてアヤ、もしかしてなんかしたんじゃ…?』『尻尾でも踏んだんじゃねーの』なんて思われる始末。
確かにそう思われてもおかしくないが全く記憶にない。だって2年前研究所で保護して初めましての時から嫌われていたんだぞ。どないせーゆうの。
じり、とエーフィと距離を縮めようとすればエーフィも負けじと距離を詰めたぶん逃げ腰になり、じりじりと交代していく。それを見ながらレッドは溜息を着きながら「…仲良くやってくれよ二人とも」と声をかけた。
「一応明日……いや、もう今日だな。11時にお前の面倒見てくれる人間が実は来てくれることになってる。ちゃんと起きろよ?」
「えっ」
「退屈しのぎにはなるだろ。アヤもよく知ってる人間だそうだ」
「そ、そうなの!?誰…」
「それは俺も知らん。お前の兄貴がそう言ってたからな」
さて、そろそろ。
「風邪ひくなよ」
レッドがアヤの頭を撫でる。首に巻いたレッグウォーマーを口元まで引き上げたレッドはリザードンに飛び乗った。
「―――行ってくる。」
「…うん。行ってらっしゃい。
気をつけてね、レッド」
レッドを乗せたリザードンが翼を大きく羽ばたき、空を勢いよく登ってジェット機みたいに飛んで行った。
その姿が夜の空に溶けるまでずっとずっとアヤは見ていて。
「…………違くて」
彼は、アヤに対してオープンだ。
素直に付き合ってきた。嘘はつかないようにしてきた。
自分の思っていることや愛情全て隠さずにアヤに伝えてきた。
アヤの感情をコントロールする為、愛情を手繰り寄せる為、自分へ執着させる為に。
だって彼はいつも努力してそう、務めてきたから。
彼は優しい。いつだってアヤの味方になってくれる。
いつだってレッドはアヤに甘い。
「そうじゃ、なくて……」
でも。
そうじゃない。
そうじゃなくて、
少しだけでもレッド自身の事を知りたかった。
だって。だってさ。
あまりにも経験の差が激しすぎるんだもん。
歳相応に見えない雰囲気。仕草、ものの見方、考え方。経験値。
思考回路。
本当に20年ぽっちを生きてきた青年の在り方なのだろうか。
俄に、本当に女を初めて相手にしているのかと言う具合の対応の仕方。
…自分が初めてだと言っていた。嘘じゃないと、そう言っていた。自分以外の女も嫌いだと言っていた。
彼は嘘をつかない。
「アヤに嫌われるのが嫌だから嘘は極力つかないようにする」
といつしかそう言っていた。……だから嘘じゃないと思う。そんな言葉一つ馬鹿正直に信じている方が、馬鹿なのかも知れないけど。彼は嘘はつかない。それを信じたい。
だからこそ自信を無くす。
たぶん、自分の為。
関わらせまいとしている。
よく分からないけど、よくないモノから自分を守ろうとしている。
そして、
「………レッドって、肝心なことは一切。何も教えてくれないよね。
ずっと、隠してばっかり」
彼は都合の悪そうなことは何ひとつ、教えてはくれなかった。
自分のことさえ。
なにひとつ。
赤と蒼と白と、その先
いろいろ、あった。
それからたくさんの事があったのだ。
例の研究所は潰さなくてはならなかったし。
でもそれと同時に同時多発する事件が近年稀に見るほど異常発生して。
自分の役割はその脅威を退けることだ。
別に他人はどうでもいい。
死んで泣こうが喚こうが。
果てしなくどうでもいい。
だから全部、彼女の為だった。
ここさえ攻め落とせれば終わる。帰れる。
脅威を退けることは実質守ることに直結するから、手は抜かなかった。
いや、抜けなかった。
地方から地方を飛び回り、その都度各地方のチャンピオン達と結託して退いて来たが同時進行することは、なかなか難しかった。
全て片付けてまともに会えたのは、
ここから5年の歳月が流れていて。
気付いたら、手遅れになってた。