act.125 ピチカート







時計の秒針が0時を過ぎて12月31日になった。



何故だろう。

このままレッドの言う通りただ帰りを待っているだけでいいのか。ただ言われた通り、彼がいない間ぼうっとしているだけでいいのか。

明日の深夜過ぎにはレッドはイッシュ地方から立つことになる。

いない。

しばらく自分の傍からいなくなる。

別に前にも別行動していたからなんてことはないのかもしれない。

けど何となく。

ふと思う。


このまま見送ったら何か嫌な事が起きる気がする。


漠然とアヤはそう思った。



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「…………」



パチ。と目が覚めたアヤは時計を確認する。

……7時30分だ。12月31日。今日で一年が終わる。1月1日を過ぎて夜明け前になったらレッドはライモンシティからシンオウ地方の、テンガン山にある兄の拠点に向かうだろう。

ああ、嫌だな。

しばらく会えなくなってしまう。

だって明日のこの時間にはもうレッドはいない。

いっその事ついて行きたい。離れたくない。本当は。

寂しい。


あれ。



「(………ボク、いつからこんな、)」



あれ。あれ。あれ。

自分はいつからこんな寂しんぼになってしまったのか。前よりも、レッドに寄せる感情や愛情が格段に大きくなっている。……いや、これは執着心だろうか。ドロドロと濃くて自分でもどうにもならなさそうな、制御できそうにない薄暗い感情が全身を支配しているようだ。少し息苦しいような、でもこの感情に身を任せるのは酷く心地良くも感じる。

つい数日前、なるべく早く帰ってくる、とはレッドは言ったもののいつ帰って来るのかは明確には分からなかったから兄にメールをこっそり打ったのだ。自分もついて行きたい。


“ねぇ、レッドと一緒にそっち行っちゃダメ?仕事の邪魔しないしなるべく部屋から出ないようにするから。”

そうメールを送ると意外にもすぐに連絡が来たけれど。



《“うるせぇ邪魔だ”》



とそれだけ返信があって、それ以降は何も連絡は来なかった。

兄からのはっきりしたNOという拒絶の言葉だ。もう自分が近くにいるだけで癇に障るのか、それとも気が散るのか分からないが。

まあこんなもんだよね、やっぱりダメか。とアヤは肩を落として。

レッドは隣で珍しく随分と深く眠り込んでいる。アヤは隣を抜け出して寄れた衣類を整えた。昨日は特にお触りはなかったけど、いつも通り寝る前には自分を抱き込んで抱き枕になって。

そしてうとうとする中、言葉遊び程度に戯れているとレッドは笑った。



「寝るか」



そう言って、また頬に口付けて。



「おやすみ」



そこからの記憶は殆どない。

不思議。レッドのおやすみ、はなんだか魔法のようだ。

そう言われて頭を撫でられてしまえば抵抗虚しく安らかに眠りに付ける。母親に抱かれて眠り落とされる赤ん坊のようだ。

隣で熟睡しているレッドをアヤはしげしげと見て、昨日疲れてたのかな、と考えて起こさずに寝かせて上げることにした。ベッドから上半身を起こしたアヤは軽く上着を羽織って、寝室の外に出た。

リビングはまだ流石にしんとしていて、ソファにはピカチュウとチュリネが眠っている。因みにレッドの帰ってきたポケモン達とサザンドラは今日は一日ジョーイに預けている。明日に向けて忙しくなるから、一日完全オフだ。そしてアヤのポケモン達はと言うと、アヤの元に帰ってきてからあまりの煩さにレッドによりジョーイに問答無用で預けられた。『鬼!アンタ悪魔や!!』とどやされているがレッドは気にしない。っていうかこの煩さ、ただでさえこの狭い宿泊部屋に詰め込むのは煩すぎてしっかり休めない。

アヤも「うん……そうだね……テンション上がってると中々静かにならないかな……」と明後日の方向を向いて言うものだから『アヤのアホ!!裏切り者!』という誰だかわからない捨て台詞を問答無用に切り捨てレッドは迷いなくジョーイの手へぶち込んだのだった。

今日くらいアヤとゆっくり過ごさせろ。こちとら1月1日から離れにゃならんのだ。邪魔すんなとばかりにレッドは眉間に皺を寄せた。いくらアヤのポケモンとは言え邪魔は許さん。

そんなことを思いながらレッドはこの数日アヤと一緒に過ごしていたのだが。



「(レッドがいない間、どうしよう……)」



それは、実は前から思っていたことだ。

レッドがいないならライモンシティに留まる理由も、イッシュ地方に居る理由もない。元々レッドの図鑑集めに留まるオマケとして着いてきたものだから、用が済んでレッドが違う仕事でイッシュから居なくなればアヤがここにいる理由もなくなる。

アヤは洗面台でお湯を出し、顔を洗い始める。洗い流してタオルで拭いて、軽く化粧水で整えた。コップに水を入れて今度は歯を磨き始める。一日の朝のルーティンである。



「(いっその事、ジョウト地方に戻ろうかなぁ)」



久々にウバメの森に帰るのもいいのかも知れない。レッドからはあまり一人で外に出るな、とは言われてるけどジョウト地方は自分の故郷だ。特に危険があるとは思えなかったけど、レッドの言いつけ通りあまり一人で外出しないことを考えると、昔みたいにウバメの森で籠城した方が良さそうだ。それなら、ここにある荷物を一旦宅配で向こうに送らなきゃ……とレッドが帰ってくるまでのプランを考えながらアヤは口を濯いだ。



「よし。今日はいろいろやることあるし。頑張って支度しよー」



明日はレッドの誕生日だ。本当なら昼間とかにゆっくりお祝いしてあげたいが、日付が変わってしばらくしたらいなくなってしまうことを考えると今日、お祝いしてあげたい。レッドは誕生日があまり好きでは無いらしい。詳しい理由は話してはくれなかったけど、家族と何かあったのかなぁ程度に察している。

とりあえず今日明日の全てのイベントは前倒しだ。

簡単なおせち料理を用意してお雑煮食べてケーキ食べて年越しそばを食べなければ。凄い。今日一日でこんなにすることが、食べることがある。なんて贅沢な年越し誕生日お正月なんだろう。ケーキはもう用意してあるから、後でコックさんの所で無理して用意してもらった簡単なおせち料理を取りに行って、年越しそばを……天ぷらも用意しないと…あれ、なんか同じこと言ってる気がする。



「初詣したいなぁ……」



そういえば。初詣したいなぁ、とも言えばレッドが渋そうに顔を歪めた。え、どうしたの?と聞けば「いや………なんでもない」と言っていたけれど、もしかして初詣も好きじゃないのか?どういうことなの?

それにしても、彼にあげたいものもある。ちょっと癖があるから、受け取ってくれるか心配ではあるが。



「マリー」

「あ、オシャマリおはよう。今日は早いね」

「マリマリ」



お湯を沸かしていたアヤの足元がペチペチと叩かれる。オシャマリだった。オシャマリを抱っこして机の上に置いてあげれば蓋を外したコーヒーの匂いをクンクン嗅いで、苦い顔をした。この匂いはあまりお気に召さないらしい。
オシャマリは案外人間の食べ物を良く好んで食べている。体に悪いと嫌だから、あまりあげてはいないけれど。

カーテンを半分開けて室内に光が入ってくるようにすれば部屋が少し明るくなった。もうすぐみんな起きてくる時間だからいいかな。

今日の朝ごはんこれでいいや、と冷蔵庫からヨーグルトやリンゴを取り出す。ポットに水を入れてお湯を沸かしている間にリンゴの皮を剥く。切り分けたリンゴをオシャマリに上げるとシャリシャリ食べ始めた。うん、今日も可愛い。自分も、と思ってアヤも一緒になって切ったリンゴを口に含む。甘い。しっかり実が詰まってて美味しい。このリンゴはどうやら当たりだ。

起きた時の沈んだ気分が少し良くなった気がして、アヤはそのまま鼻歌を歌い始めた。気落ちしたまま、沈んだ雰囲気のまま今日一日を過ごしたくはなかったから。



「ーーーーー♪」

「マリ、」



オシャマリがアヤの鼻歌を聞いて。あら、とその目を瞬かせた。

赤ん坊の時のアヤやユイに良く聞かせていた歌だったから。因みに迷いの森で遭遇した少女(生前人だった頃の幼い自分やアヤの幼少期にそっくりの少女だったけれど。仮にまだ研究が続けられているとして存在しているならもう一切関わりたくはなかったし思い出したくもなかったから少女、と呼ぶことにする)が歌っていた歌も、勿論知っている。

天神様の子守唄。

これも、アヤが小さな時に歌った記憶はあるけれど、子守唄と名付けられてはいるがあまり子守唄としては採用できない歌だったからだ。

海の神を眠らせる歌。所謂神様に贈る歌。

海魅家に代々受け継がれている歌、らしい。そして天神様の子守唄の譜面をひっくり返すと、ルギアの目覚め歌になる。

そして今アヤが鼻声で奏でる歌は、ユイとアヤの為に子守唄として自分が作った。



「ーーー♪」



懐かしい。けれどうろ覚えで歌っているのか所々音がいい感じに外れている。しかもその先を思い出せないのか短い曲調を何度も何度も繰り返している。

アヤ、違うわ、ここの音階はね。

アヤ、この先のメロディーは、こう。

よく聞いてね。

よく覚えてね。



「―――♪――「―――♪」……えっ」

「―――♪―――、―――♪」

「あれ、オシャマリその曲……知ってるの??」



オシャマリはアヤの歌と重なるように音を紡ぎ始める。え、と思ったアヤは吃驚したような顔で歌うのをやめて、続くように歌い続けるオシャマリを凝視した。

この歌は母が小さな時に歌ってくれていた曲の、その中の一曲だ。全部は覚えていなくて、記憶も曖昧だからそれっぽく適当に歌っていたのに。自分と、兄と、母しか知るはずのないメロディーのはずだ。それを何故オシャマリが知っているのだろう。



「実は有名な歌なのかな…?」



でも母の出したCDとかには多分収録はされていない曲のはずだ。
この長期間ライモンシティに滞在している間、ぶっちゃけ時間もかなり有り余っていたから、暇つぶしとして動画を見たり音楽を聞いたり……まあいろいろと暇な時間を潰してきた訳だけれど。

その中でアヤは母の音楽や今話題の音楽を聞いたりして過ごしてきた。

だからメディアでは聞いたことがない。

そこでふと、兄の言っていたことを思い出した。



「母さんは基本ポケモンと仲が良かった。いろんなポケモンと歌を歌ったり教えて貰ったり聞かせてたり………昔は、そうしてた」



そんなことを不意に思い出して。

母の記憶があまりないアヤは兄に生きていた頃の母親の話を求めたことがある。問われた兄は少しだけ考えて、言った。

ただ体が弱くて、見た目は美しくて、物静かで、人が出せないような歌声を持っていて、暇さえあれば歌っていた。

そんな人らしい。

そっか、じゃあもしかしたらポケモン達の間で話題の歌、とかもきっとあるのだろう。歌を歌うのが得意なポケモンもいるのだ。代表格としてプリンとかラプラスとか。そう考えてもおかしくないだろう。

アヤは特に何も考えず、オシャマリの鼻歌と一緒に歌うことにした。何だか調子が良い。誰かと一緒に歌うと、こんなに楽しいんだなぁ。
アヤの歌う鼻歌はやはり所々音程がいい感じでずれていて、オシャマリがそれを補正するように正しく音程とリズムを刻んでいく。ああ、多分この音程が正しいのかな、と思ってそそれを真似して曖昧になって忘れてしまったメロディーも「あ、そうだった。こんな曲だったな」と思い出していく。

今まで長年モヤモヤしていたものがスッキリしていく感覚にアヤは満足して。

正しい音階と、忘れてしまった曲をオシャマリに教えて貰ったアヤは一曲鼻歌を通していく。そしてアヤが完璧に曲調を覚えたのを確認したオシャマリは全く違う音階を歌い始めた。



「―――♪―――♪―――♪」

「(は、はもってる……!!)」



うちのオシャマリは音楽の天才なのかもしれない。(かもしれない、じゃなくて実際人間の時は歌と音の天才と呼ばれていた)

可愛いし歌も歌えるし可愛いし演技のセンスもあるし可愛いし最強。選り取りみどりである。ハモリって超気持ちいい。メイン音程を歌っている身としてはこうもハモってくれる人……この場合はポケモンだけど、いや。それにしても、これは。



「(オシャマリってもしかしたらというか。これはもっと訓練すれば……ピチカートもできるのでは)」



ピチカート。

コーディネーターの専門用語になるが。コーディネーターと合わせて歌を歌いながら演技をすること。

ポケモンの歌声は独特で、人と歌を合わせるとなるとかなり難しい。元々人の肉声とポケモンの肉声は全く異なる種類の為、不協和音になってしまうからだ。今までチャレンジして来たコーディネーターもいるが、全て得点にならず寧ろマイナス得点が多かった為殆どのコーディネーターはピチカートをすることがない。

と言うよりも歌を得意とするポケモンを手持ちに入れて、わざわざピチカートに特化させるコーディネーターがいない。歌を武器にするほとんどのコーディネーターはポケモン単体の歌の技量を伸ばして歌唱させるだけだ。

アヤも勿論そんな高難易度の演技なんてやったことがない。

そもそもアヤの手持ちの性質上、歌が上手いのは………まあシャワーズくらいだったが、彼には歌唱技術よりももっと特筆すべき能力があったからわざわざ歌の技術を伸ばそうとは思わなかった。だからそんな、アヤもピチカートなんてそんなものとは無縁だとは思っていたが。

けれど、これは……。



「(これ、練習すれば舞台で披露できるレベルまで持っていけるかも……)」



やるにはオシャマリだけではなく、コーディネーターである自身も声音や発生の訓練が必要となってくるが、出来なくはない……と思う。そもそも演技のバリエーションが増えるのはいい事だ。



「(でも。もうグランドフェスティバルは引退しちゃったし、もうあの舞台で活躍することはないか……)」



プロに行く、ということはもう決めてあるからグランドフェスティバルの大会でパフォーマンスを披露することはもうない。

人に見られる舞台に立つ、ということだけは変わらないけれど。

もしもオシャマリが舞台用のポケモンとして育ってくれるなら、一緒にコンテストやグランドフェスティバルに出場したかったな、というのが本音だ。

まあ、今更こんなこと思ってもどうにもならないけど。

暫くオシャマリと歌う。そして突然音程が変わったり伸びたりするオシャマリに都度合わせて鼻歌を歌えば、オシャマリは嬉しそうにその平べったい白い手をパチパチしながら笑った。まるで凄い凄い。よくできました、と言ったように。完全にアドリブだし、聞いた事のない音程も混ぜるもんだからアヤも適当にそこら辺は合わせて歌うことにする。



「―――♪」

「―――♪」

「―――♪―――〜…って!!?いつからそこに!?」

「おはよう」

「あっおはよ…じゃなくて!起きたんなら一言声掛けてよ…」



気付いたらなんか視線と気配を感じて振り返ったアヤの目の前にはソファに腰掛けたレッドが足を組んで座っている。そして既に起きたピカチュウとチュリネも揃って座っており二匹揃ってピカピカチュリチュリ何か言っている。たぶんおはよう、とかそんなところだろう。

あ、と思ったアヤは沸かしたお湯をカップに注ぎ、コーヒーを入れる。レッドの分だ。彼は朝は何も砂糖の入っていない濃いコーヒーを好んで飲んでいる。眠気と頭をスッキリさせる為、らしい。そういえば「眠い時に濃いコーヒー飲んでみろ。トぶぞ」とかなんとか言っていたが。注いだカップをレッドに手渡すと彼はそれを受け取って口を付けた。



「なんだ、もう歌わないのか」

「いやいや……人に聞かせられる程のものじゃないから…!」



そんなことないと思うがな。そう言ったレッドはソファから立ち上がりアヤが台所で切ったリンゴを「貰うぞ」と声をかけ、一欠片摘み口に入れた。残ったリンゴをピカチュウとチュリネに手渡すと二匹はシャリシャリと食べ始める。

そしてポケフォンを机から手に取ったレッドは何かを操作して、ピコン、と電子音の鳴る音を響かせて「ん」と顎でしゃくる。



「え?」

「もう一曲頼む」

「だから人に聞かせられる程のもんじゃないって!?歌いませ………っそれ録音してんの!?……やめてよ!?」

「チッ」

「チじゃない!」




こっそり録音しておけばよかった、と思うレッドだった。







ピチカート


『少ししか聞いた事ないけどさ、アヤって案外歌上手いよねぇ』

『ええ、ええ。そうでしょう、そうでしょう。わたしの子ですもの』

『あ。でも俺も上手いよ?聞く?』

『え』

『ねぇーちょっとー。何その顔。だって俺可愛いし?国民のアイドルポケモンだよ?歌も踊りもそれっぽく出来るに決まってんじゃん。誰よりもあざとい自信あるし』

『(この子の自信ってどこから来てるのかしら……)』










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