act.123 グロウディング
『あの……ルカリオ、さん』
『なんだチュリネ』
『アヤちゃんって、トレーナーじゃないんですか?』
『アヤは違うぞ。トレーナーは旦那だけ。アヤはトレーナーじゃない。コーディネーターだ』
『え??』
チュリネは数日前から不安で不安で眠れない夜を過ごしていた。
理由はアヤの元々のポケモンである仲間達が、アヤの所に戻って来るということを聞いて。それを聞いたチュリネは早速表情を曇らせた。
どうしよう、と。
だって。アヤの元々の仲間達ということは、アヤとずっと一緒にいたポケモン達だからだ。その仲間達がどうして今まで手持ちにいなかったのかは 甚だ疑問だが、アヤと今まで一緒に旅をしてきて、アヤと一緒に戦ってきたポケモン達だからだ。みんな強いに決まってる。
『(わ、わたし。どうしよ、)』
その中に、こんな戦えもしない自分が混ざったらどうなるかなんてチュリネは想像に容易かった。人間は、トレーナーは、バトルが好きなのだ。アヤもそうだ。別に戦わなくても良いとは言っていたけれど、やはり仲間達が戻ってくれば考えを改めるかも知れない。だって戦えないならそもそもな話パーティーにいる意味がない。なんの役割も持たない無意味なポケモンが一つの手持ち枠を圧迫するなんてトレーナーならそんなバカなことはしないだろう。
アヤだけじゃない。その仲間達もみんな戦えるのに、何で自分だけ戦わないの?って言われるかも。アヤの見ていない所でその仲間達から意地悪されたり、使えないって言われたりするかも。
出ていけ、ってアヤじゃなくてその仲間達から追い出されるかも知れない。
そんなことを想像して、チュリネは真っ青になって固まった。
隣にいたオシャマリが『どうしたの?』と声を掛けてくる。
いきなり声を掛けられて狼狽えたチュリネは『な、なんでもありません』と答えた。そんなチュリネを見てオシャマリは首を傾げて。
オシャマリは、きっと歓迎されるだろう。だってあのレッドですら褒めていたのだから。「ボロボロになりながらよくアヤを守った」と、あの時褒めていたもの。
『(もし、あの時私だったら)』
私は、とチュリネは考えた。
あの森で、もしもオシャマリと自分の立ち位置が変わっていたら?あの時ペンドラーに食い殺されかけたのがオシャマリで、自分がアヤの手持ちだったら?アヤを助けていただろうか?自分を犠牲にしてまで、アヤを守れていただろうか。
『(たぶん固まってた)』
否。きっと、怖くて、何も出来ずに全員食い殺されていた。
それほど意気地がないのだ。自分は。
戦いが怖い。敵意が怖い。立ち向かう勇気がない。
どうしよう。アヤは大丈夫だって言っていたけど、自分から見捨てることは絶対にないって。そう言ってくれたけど。
その仲間達からは絶対に良いように思われない。そうに決まっている。どうしよう。自分が出来ることなんて薬を作ることくらいだ。どうしよう。役に立たない。どうしよう。アヤの元から離れたくない。追い出されたくない。野生に戻されて死にたくない。一緒にいたい。傍にいたい。見捨てないで一緒に連れて行ってお願いアヤちゃん……。
チュリネはそう思いながら、その“当日”を迎えた。
初めて会ったアヤの仲間達は、めちゃくちゃ煩かった。
『『(う、うるさ………)』』
それはオシャマリもチュリネも、全く同じことを思った。
煩すぎて耳が割れそう。個性もそれぞれ強い。
でもうるさい。
それは本当。
でも。
『(このポケモン達が、アヤちゃんの仲間)』
しかし、みんな強そうだった。
戦闘慣れしているのは本当。しかも、みんな美しい。丁寧に磨き抜かれた肉体に、綺麗にケアされた毛並み。美しい佇まいに立ち振る舞い。レッドのポケモン達(こっちはこっちでみんな化け物のような狂気的な強さを感じて泡を吹きかけた)とは方向性の違った強さやオーラを感じる。チュリネは冷や汗と緊張で死にそうだった。
こんなポケモン達に馴染めというのか。む、無理……。
とりあえず、挨拶。挨拶をしなくては。
案外オシャマリと一緒に挨拶すれば、アヤのポケモン達の反応は様々だったが、一番性格が良さそうだったのはルカリオとカイリューだった。彼らはめちゃくちゃフレンドリーで歴戦の友達みたいに話をかけてくる。コミュ力の塊、と言っていたアヤの言葉が分かった。うん、確かに。コミュ力の塊だったよアヤちゃん……。
でもサンダースはぶっきらぼうだしムウマージは何を考えているのか分からなかった。サンダースへ挨拶すれば『おう、よろ』と素っ気ない一言。ムウマージへ挨拶すれば『…お前さんも随分因果が濃いねェゲヒヒヒ』なんてよく分からないことを言われて。どういうことなのか。それにしてもシャワーズとウインディの新顔への敵対心が半端ない。もう明らかに気に入りません!と言った顔。
しかもシャワーズのあの嫉妬全開の顔……めちゃくちゃ恐ろしい顔でオシャマリを見ていた。そんなオシャマリはいつもの笑顔と余裕な佇まいでシャワーズに笑顔を返している。よろしくお願い致します。新参者ですが、などと言って。なんて肝っ玉が座っているのだろう。自分もそれくらいどっしり構えていた方がいいのだろうか………いや、自分はそこまで度胸はない。残念ながらあんな真似はできそうにない。
「ちょっとみんなで話してきたら?」
そう言ったアヤは早速、オシャマリとチュリネをみんなのど真ん中に放った。
なんてことをするのアヤちゃん。わたし死んじゃう。球根のど真ん中を刺し貫かれて亡きものにされちゃう。
するとルカリオは何を思ったのか『さあ、お前達。こっちだ』とオシャマリと一緒に抱えあげられシャワーズ達と距離を置いた。なにやらウインディと喧嘩をしているらしい。おかげでみんな水浸しだった。ルカリオは爆笑していたけどウインディはなにやら呪詛を込めた目でシャワーズを睨みつけていて。怖い。あんなポケモンと仲良くできる訳が無い。助けてアヤちゃん。
その時、ちょこちょこと近寄ってきたアヤの身体にシャワーズが擦り寄って、その小さな体にグルグルと巻き付きはじめた。チュリネは目をひん剥いた。シャワーズとは思えない身体の動きをしていたから。まるでアーボやミニリュウのような、体に骨が無いような滑らかな動きをして。
彼は。まるで挑発のような。自分達に見せつけるように、馬鹿にするように。
「どうだ!凄いだろう!こんなことできないだろう!バーカバーカ!」と言ったようにアヤの身体を軟体動物のように這い始めた。うへぇ。何それ凄い。対するアヤも困ったようにして、何を思ったのか空高く投げた。
そして、弾けて水になった。
「!?」
み、水に。水になった。
チュリネはまたしてもその大きな目を溢れんばかりにカピカピになるまで開いてシャワーズを探した。おっかなびっくり。そんな顔をして。だってさっきまで実体があった肉体が、破裂したように水になって消えて行った。ある意味ショッキングな映像だった。隣のオシャマリは『まぁ』と驚いているんだかいないんだか。その“シャワーズだった水”は雨のようにチュリネ達と、アヤをビシャビシャに濡らして。
最早濡れ鼠になった。
チュリネは青くなった。
『(アヤちゃん、また病気になっちゃう)』
チュリネの中でアヤは勝手に物凄く病弱な人間にされてしまっていた。
だって。
迷いの森の騒動の後、高熱で一週間以上寝込んだみたいだし。その後も血だらけで顔面蒼白だったし。1ヶ月に1度は月経という“病気”にアヤは体調を崩すし。(ちょっとお腹が痛かったり身体が怠いだけだよ、とアヤは言っていたが)
自分の薬によってアヤは半年間、“治療”をされているのだ。(レッドによる睡眠の質を高める薬(ただの睡眠薬)の調合とピカチュウによる全身の筋肉の懲りを解し、感度を高める薬(ただの媚薬)の精製を頼まれていたから)
早く暖かい格好をさせなきゃ、とチュリネは慌てるようにルカリオの腕からもがこうとしたら『え、』とチュリネはその目を瞬いた。
アヤがウインディに指を指すと自分達の水気を一瞬で蒸発させて吹き飛ばし、アヤがジャンプすると熱気が吹き荒れた。ぶわ、と栗色の髪が勢い良く広がり水気を飛ばすといつも通りのサラサラの髪に戻って、両手で洋服を払うように叩くとそれも蒸発して一瞬で元通りに乾いていく。
アヤちゃん、今何したの…?
理解が追いつかないままチュリネはアヤとそのポケモン達を交互に見つめるが隣のカイリューが『いいなぁシャワーズもウインディも。久々にボクもアヤと演技したいなぁ。またアヤ、コンテスト出ないかなぁ』なんて羨ましそうにボヤいている。チュリネは思った。コンテストって?コンテストって何だろう。演技って何を演技するの?チュリネがわからないだらけの単語を聞いていると不意にルカリオが苦笑いしながら言った。
『またいつかアヤの気が向いた時に大会には出れるだろ。それよりもプロに行くみたいだからな。……っていうか、プロに行ったらどのくらいの頻度で俺たちはどこで何をするんだろうな』
『プ……?』
プロってなんのプロですか。
トレーナーなら、チャンピオンとか、ジムとか。噂に聞いていた程度だけどそれを目指すのではないのだろうか。
チュリネは思わずルカリオに尋ねた。
『あの……ルカリオ、さん』
『なんだチュリネ』
『アヤちゃんって、トレーナーじゃないんですか?』
『アヤは違うぞ。トレーナーは旦那だけ。アヤはトレーナーじゃない。コーディネーターだ』
『え??』
アヤちゃんトレーナーじゃないの?
コーディネーター?って何…?というか旦那って何。…ああ、レッドさんか。
いよいよ知らない単語の羅列に首を傾げたチュリネにルカリオはなんだ、知らないのか。と首を傾げる。いや知らない。この前まで野生だったのだ。人間社会については殆ど無知のまま育った。そんなチュリネにルカリオは丁寧に説明を始める。『そうだな、』と少し考えて。
コーディネーターはバトル専門ではなく、演技専門のトレーナーであること。トレーナーがジムやチャンピオンを目指すように、コーディネーターにも小さなコンテストや大きな大会があること。トレーナーのバトルと違って勝ち負けが演技の点数に左右されるから、例えバトルステージでも相手をKOしても点数で負けたり時間切れで勝敗が傾くこともあったりしてルールが細かく難しいこと。
チュリネはちんぷんかんぷんな頭で『そうなんですかぁ……』ととりあえず頷いた。いや、全くわからないけど。
『アヤはね、凄いのよ』
何度かアヤの演技を見たことがあるオシャマリはそう言って微笑んで、ルカリオもカイリューもその一言にパチパチ目を瞬きながら笑って言った。そうだぞ、よく分かってるじゃないか。ボク達のアヤは凄いんだよと。いや俺達も勿論凄いぞ。とか。
そんな言葉を聞きながらチュリネはアヤ達を見ていた。
『(コーディネーター……わたしには、よくわからないや…)』
そうこうしている内に何だか不満そうなアヤをルカリオやカイリュー、それにシャワーズが煽るように焚き付けている。久々にいいねやろうやろう、と口々に言って。いつの間にかわいわいとポケモン達に囲まれているアヤを見ながら先程からグラウディングとちょいちょい聞きなれない単語を聞くけれど、それは何なのか。グラウディングって何?オシャマリに聞くと彼女は『さぁ…?』と頭を傾げたまま。
『アヤが俺達と一緒に演技する事だ』
『(あっ。こ、怖い人)』
怒ってはいなさそうなのにずっと不機嫌そうなサンダースがいつの間にかルカリオの隣にいた。彼は、アヤのパートナーポケモンらしい。この不機嫌そうな見た目はデフォルトらしく、特に怒っているわけでもなんでもないとルカリオが教えてくれた。そしてぶっきらぼうな性格なのか、『なんか聞きたいことあったら教えてやる』と言うサンダースに人生の8割を損しているぞ!とルカリオに言われて『うるせぇー』とかなんとかぼやいているが。確かになるほど。悪いポケモンではなさそうだし見た目話しかけにくいだけで面倒見が良さそうな性格をしている。
『ようはポケモン単体だけの演技じゃなくて、そこにコーディネーターも一緒に合わせて演技するのをグラウディングっていうんだ』
『なかなか難しいんだよ』
『は……はぁ…』
三匹が代わる代わる教えてくれる。
主に1次審査でそれが行われるが、実は指定が無い限り1匹以上のポケモンを出して演技させても問題はないのだ。それにポケモン1匹で単体演技をするより1匹以上で複雑に演技した方が得点も高く、評価点が稼げる。
そしてそのポケモン達が行う単体演技だけではなく、コーディネーターが間に入り一緒に演技することをグロウディングと言う。グロウディングは更に得点と評価が高い。しかしコーディネーターも一緒にポケモン達と演技を合わせるのはかなり難しく難易度は高くなる。指示しながら、演技しながら、そしてその都度大会で土壇場に提示される動きを即席で組み込まなくてはならない為、常に頭と身体を動かさなくてはならない競技だった。
グロウディングしてシンクロするとなるとその分失敗した時は悲惨で、目も当てられない程不格好に様変わりする。多くのコーディネーターが自分の衣装がボロボロになったりずぶ濡れになったり焼け焦げたり…最悪ポケモン達が傷付いてコーディネーター自身も怪我をする可能性がある。そうなった場合当然大した点数を望めないし、最悪無得点。しかし成功すれば獲得点は大きい。
そして演技するポケモンが多ければ多いほど難易度は格段に上がる分、点数も高い。
並のコーディネーターなら精々操って2〜3匹。
ヒカリやルビーなら3〜4匹が限度だった。
『アヤは初出場のグランドフェスティバルで、いきなり5匹とグロウディングした』
これは最早グランドフェスティバルの歴史に残るような功績だ。
5匹とグロウディングするコーディネーターが今まで居なかったのが理由である。初めてグランドフェスティバルに出場した時はリオルは不参加だった。まだそこまで育て上げられてなかったからだ。
当時のインタビューで「5匹以上とグロウディングできるのか?」との質問に「やったことがないからわかりません。けど相性と動き次第によってはなんとかなるかも」と漠然と憶測で答えたアヤにちょっと上手く出来たからって調子に乗るなとバッシングを第三者から受けていたが。
そんなに凄いことなの?とチュリネは思って、ふと視線をアヤに戻せば丁度アヤと目が合った。じっとチュリネを見るアヤの顔は何かを考えるように頷いて。
『まぁ、一重に演技なんて言われても想像もつかないか。
―――一度見ればコーディネーターがなんなのかわかるさ』
ああほら、アヤ達が見せてくれるぞ。
ルカリオはそう言ったのを合図に、アヤ達の演技が始まるのであった。
グロウディング
この前。チュリネは生まれて初めてアヤ達と夜空に打ち上げる花火、というものを見た時。
人間はこんな綺麗なものを作り出せるのかと思った。
凄い。綺麗だなぁ、なんて思って。
『………、すごぃ』
そして今回も。
今目の前で行われるこのアヤとそのポケモン達で行われる演技というものは。
チュリネにとってとても衝撃的だった。
ポケモンはバトルしてこそ、人のために戦ってこそ。初めて人にとって存在意義と真価が発揮されるものだと思ったから。
それは凄く、綺麗で、美くて。
こんな綺麗なものを簡単に生み出せて。
『………きれい…』
それは。
チュリネの記憶へと焼き付くのだった。