act.120 人生の転機
カチ、カチ、カチ。
時計の針が進む音が聞こえる。
既に深夜4時を過ぎていた。短時間の散歩から帰ってきて少し会話をしてからすぐに二人は床に着いた。しかし横になっても一向に眠くならない。早く意識が眠りへと落ちるように瞼をずっと閉じたままにしたら眠れるかも……と、そういう意識が強いから逆に眠れないのかもしれない。
「(ううん……困ったなぁ…)」
眠れない時余計に何かを考えてしまうのはまあ、よくあることだと思う。
着々と、レッドがもうすぐ自分の隣からいなくなるんだと実感が強くなっていく。だってもう26日だ。レッドがいなくなるまでもう一週間もない。
年末年始のカウントダウンが、違うカウントダウンに聞こえて来る。
何となく怖くなってしまって、アヤは隣で眠るレッドにもぞもぞと縋り付くようにその体にぴとりと寄り添った。
嫌だなぁ、そう思って。
「………?どうした、眠れないのか」
アヤが動いたのを気配で察知したレッドはすぐ様目を開けた。栗色の頭が半分布団に埋まっていて捲るとぴたり、自分にくっついたアヤを見てゆるゆる笑みを作って。蒼い目と目が合った。爛々と輝くその目は生憎眠そうでは無い。レッドはふむ、と一人納得した。そりゃそうだ。さっきまで眠ってたんだから。
「あ、ごめん」
「いや、良い。早く寝ろよ。明日はちょっと早めに回線繋げなきゃならないからな」
「今から眠って、起きれるかなぁ」
「声かける。一時間前に起こせば問題ないか」
「う、うん。ありがと。……おやすみなさい」
「おやすみ」
肩を抱き寄せてポンポンと頭を撫でる。今日は随分甘えただこと。
薬で眠っていたアヤを無理に起こしたのは自分だと言うのに。彼女には少し申し訳なく思ったがまあ収穫は沢山あったので良しとする。
明日の朝はオーキド博士から自分のポケモンを送って貰うのと、その後はユイからアヤのポケモンを呼び戻さなければならないのだから。オーキド博士と自分との間に本来ならその場に彼女は必要ないのかもしれないが、今回は顔を出して欲しいと頼んだのはレッドだった。
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朝8時。
レッドとアヤはポケモンセンターの通信ボックスの前に並んでオーキド博士からのコンタクトを待っている。心做しか、ピカチュウは耳をピクピク動かし何やらソワソワとして落ち着かない。まあ久々に仲間に会えるのだから当然と言えば当然か。
「(………久し振りだな)」
こうして全員揃って顔を合わせるのは約1年振りだ。新顔もそれぞれいるから挨拶も兼ねて、レッドに至ってはあと数日間でまともに戦闘が出来るように調整しなければならない。まあ調整と言ってもあまり関係ないが、ピカチュウ以外のメンバーは1年のブランクがある。
本音を言うともう少し早めにパーティーに呼び寄せたかったが年末年始ということもあり、中々オーキド博士の手が空かなかったこともある。ここ一年のポケモン達の様子も聞いておきたかった。因みに、レッドは個人的にワタルの他に信用のおける人間は二人いる。それがオーキド博士とグリーンだ。この二人には、何かと小さな頃から面識があって色々助けて貰った仲だからだ。
そして自分の実家の内情を知っている数少ない人間でもある。
オーキド博士の研究の兼合いもあり、焔家が祀るホウオウと多少の関わりがあるのだ。………と言っても、名ばかりではあるが。名のある研究者と繋がることは、焔家にとっては都合が良いらしい。焔家はオーキド博士とは別にも、数多くの研究者と懇意にしている傾向がある。まあ、どうでもいいのだが。
―――pipipi!
「あっ」
「―――来たか」
パソコンの画面が明るくなって、画面の向こう側にはレッドにとって顔馴染みの人物が二人、映し出されていた。
『久し振りじゃのぉ。元気にしておったかレッド!』
「お久しぶりです」
『うおおおお久しぶりじゃねぇかレッド!』
「お前は呼んでない帰れ」
『お前昔から俺に対しての当たりが強くねぇ…?』
『ハハハハ、相変わらずそうで安心したぞ』
通信が開始されるとアヤは数歩後ろに下がった。メインはレッドだからだ。
画面先で行われる3人の会話を聞いて、アヤはおや、と目を瞬かせた。何だか親密そうな匂い。あのレッドが表情柔らかくリラックスして喋ってる。グリーンとは幼馴染?みたいな話を聞いた事があるが、成程。きちんと友達はしているらしい。邪険っぽく扱いつつも嫌な感じはしない事が何よりの証拠だ。しかし何故かレッドはグリーンだけにはツンツンしている気がする。電話で喋っているのを時々聞いた事あるが、いずれもそれ会話?と呼べるような内容だが。
けれどこうして面と向かって喋るとレッドは面倒くさそうにしながらも、言葉のナイフでグリーンを一方的に切り刻みながら会話しているではないか。
「お前の昔の黒歴史程痛いものはない」
「ボンジュールはダサい」
「ウニ頭に磨きがかかってるがヘアセット失敗したのか」
「女に浮気されたらしいな」
などなど切り刻んでいる。
あ、いや、心の傷を抉るような話し方しかしてないわ。ごめんグリーンさん。許してあげてください。レッドってパリピが嫌いなんだって。
世間話の5分くらいで物の見事に戦闘不能に陥っているグリーンは血を吐いて再起不能になってしまった。そして画面の向こう側に映り込む自分の姿を見つけたのだろう。早くも復活したグリーンは『お?』と言って手をアヤに向かって振った。
『アヤちゃん?久し振りだなぁ、元気だったか?』
「お久しぶりです。元気です!」
そう手をグリーンに振り返す。グリーンも顔が良いからか微笑まれて悪い気はしない。イケメンって本当に得して生きていけるよね…なんて思っているとレッドに何故か睨まれた。何でだ。オーキド博士も『おお、キミか!』と自分の顔を見てちょいちょいと手招きをしている。『もっとこっちに来て顔を見せてくれ』と言われたら行かない訳には行かなくて。アヤは少し肩を固くしてソロソロと近寄るとレッドの隣に並んで軽くお辞儀して挨拶をした。オーキド博士とは初対面だったからだ。
「あの、初めまして。アヤです。コーディネーターしてます」
『うんうん、勿論知っておるぞ!自分はオーキドじゃ。そうそう、ワシはお前さんの演技、いつも楽しみにしてたんじゃよ』
「えぇっ!?」
『毎回毎回、よくもまああんな演技をするなぁ。良く思いつく。君がまだシンオウ地方のコンテストを回っていた時から毎回楽しんで見ていたよ。…素晴らしいものを見させてもらった。好きな研究をしている時と同じくらい、君達が生み出すものを見るのは老いぼれにとって有意義な時間だった。良いものをいつも見させてもらったし、どれもが美しかった。ありがとうなぁ』
「えっ…いや、そんなっ…」
『ジジイ毎回釘付けだったんだぜアヤちゃん』
「へっ…ぇ…あのオーキド博士が……」
『………アヤちゃんさ、もうちょい胸張ったらどうだ?アンタだけだぜ?シンオウ地方のコンテストの記録一発で全部塗り替えてグランドフェスティバルの最高得点叩き出したの。偉業を成し遂げてんの自覚ある?しかも負け無しだろ?』
「ま、負けてます………」
『あ、え?そうなの?』
「ジム戦はな。お前、ボロ負けした時あったろ」
「そうそう、そうなんですボロ負けして…………え?」
確かに、アヤは未だコンテストでは負けたことがない。
コンテストでは負け無しだがしかしジム戦となれば話は別だ。初めて興味本位でチャレンジしたジム戦は実はジョウト地方のジムである。というよりアヤがまだコーディネーターではなくトレーナーだった頃の話だ。とあるミルタンクにボコボコにされて手も足も出なかったことがあるのだ。
ミルタンクの“転がる”でまだサンダースがイーブイだった頃、ほぼ一撃で倒されてしまいそれならとノーマルタイプをほぼ貫通できるゴーストタイプをぶつければいいとムウマをドヤ顔で出したらそのまま転がってきたミルタンクに吹っ飛ばされてKOされてしまった。目を回しているムウマを見て「………まぐれだよね…?」なんて愚かにも思って。ムウマをボールに戻しガーディをフィールドに繰り出せばそのまま転がってきたミルタンクに軽くはね飛ばされKOされる。
ミルタンクはアヤのポケモン達を連続KOしたまま、“転がる”は時間が経つに連れて威力が増していき力では止められないスノーボールを形成しつつ鬼の強さを誇っていた。何が起こったかイマイチ理解出来てないアヤはさっきのはまぐれだろうと元気の欠片を使ってムウマを起こした。愚かにも程があった。
ムウマは笑っていた。
そしてミルタンクに踏みつけられて一撃でムウマは散った。
「…………え!!?なんで!!?」と混乱して叫んだアヤに向かってそこのジムリーダーは笑顔で言ったのだ。「もっと勉強してきぃや」と。あの時は良くもまぁろくに調べもしないでジム戦なんて挑戦したものだ。あの頃の自分に言いたい。恥を知れ。なんでゴーストタイプがノーマルにやられてんの!と「……はぁ?」とその時は訳分からなかったアヤも後々調べるとミルタンクの特性が“肝っ玉”のせいだと言うことが分かった。初めて聞いた特性だった。何だそれはとアヤは唸ったがそれからそのミルタンクに勝てた事が一度もなかったのだ。何度か挑戦して工夫に工夫を重ねたが力で全てなぎ払われてしまい小細工を仕掛けてもどうしよもなかった。あの時のメンバーや進化状態では出来ることは限られていたしレベルの暴力というのもある。そりゃもう人生で初めて一方的にボコボコにされたと言っても過言では無い。そしてあまりにも無様過ぎて口外したくないくらいの秘密だったのに。
コーディネーターになる前の自分なんて、ミルタンクとそのジムリーダーであるアカネと道行く顔も知らない複数のトレーナーしか知る人は絶対に居ない。(恐らく昔過ぎて彼らは忘れているに違いなかった)
そうアヤは思っていた。ヒカリやルビーですら知らないことなのに。それなのになんでレッドは知っているのか。
「何で知ってるの…!?」
「調べた」
「調べた!?どうやって!?」
『『ハハハハハ』』
なんて画面の向こう二人組は笑っていて。
そして、オーキド博士は嬉しそうにアヤを見て笑った。
『……………ありがとうなぁ、アヤくん』
「え、え?何がですか?」
『レッドが、こんな顔して喋る日が来るとは』
「こんな顔って、どういう、」
『レッドを…宜しく頼むな。ジジイの頼みじゃ』
『……おいレッド』
オーキド博士はそう、笑った。
何か言葉の裏に含まれている気がして、どういうことか聞きたかったけれどレッドに肩を叩かれた。「部屋に先に戻っていろ」そう言われて。え、いいの?と聞くと「………博士に、アヤを紹介したかったから」とポツリという声を聞いてアヤは首を傾げながら頷く。自分がいない方が三人で話しやすいことはわかっていた。積もる話もあるだろうし。アヤは頷いてパソコンの向こう側の2人へ会釈して部屋へと戻ろうとすると、レッドの肩に乗ったピカチュウは飛び降りてアヤに着いて行った。
それを見たグリーンは感慨深そうに、それでいて嬉しそうにレッドに言った。
『よっぽどアヤちゃんが大事なんだなぁ』
「……………」
『ピカチュウを自分から離してまで大事にしたいんだな』
「………、だ」
『…守ってやれよ』
「当たり前、だ。その為に。今から潰すんだ」
ヴヴン、と目の前の転送装置からボールが5つ、送られてくる。パリ、と軽い電磁波を放ちながらランプが点灯する。「転送完了」の文字がモニターに浮かび上がると5つそれぞれのボールは軽く揺れて、ボールの中から『息災ですか』『お久しぶりです』『お元気そうで』とそれぞれから声が聞こえてくる。その声に軽く返答しつつ腰のボールベルトへと装着する。久々に全匹揃った。かなりしっくり来る。
ボールが無事にレッドの手に行き届いたことを確認したオーキド博士は笑った。
『良い子そうじゃの。お前が人を好きになる日が来るとは……素直で、礼儀もある。テレビで放送されたミクリ君への暴力沙汰の件はやっぱり何か理由があったんだろうて。世間の目はまだ厳しいが、まあ大丈夫じゃろう。んーしかし、ちと卑屈かな』
「………ええ」
『ワタルの坊から聞いておる。気を付けろよ。今回お前が関わろうとしている研究組織は特に得体の知れん奴らじゃ。関わってもろくな事がないだろう。ワシらの間でも良い噂は全く聞かん』
『あんま詳しくは知らねぇけど……その今回の依頼はアヤちゃんの兄貴からだろ?まさかアヤちゃん達が間接的に被害者的な意味で関わりがあるとは思わなかったけどな……でも、早めに対処した方がいい』
大事ならちゃんと守れよ。
お前にはそれが出来るだけの力があるんだから。
グリーンはそう言って。
『……随分、幸せそうだな』
昔は死んだような顔してたのに。
感情の一切を無くしたような顔をしていたのに。
初めて会った時はそりゃ酷いものだった。
それが特別な人間が出来た事でこんなにも変わるものなのか。
俺な、マジでお前はポケモンと結婚するのかと思ってたわ。
『良かったな、レッド。アヤちゃんに会えて』
『……そうじゃなぁ。随分穏やかな顔つきになって』
『きっとこれも何かの縁かも……運命かもなぁ』
二人のそんな言葉を聞き、パチ、とその両の眼を瞬いたレッドはゆるりと口元に笑みを作った。
「(アヤに会えて、……か)」
本当に。
良かった。
彼女に会えてよかった。
もしアヤと会えていなかったら、と馬鹿な想像をして背筋が若干震えたが。恐らく、あのシロガネ山にアヤが来なくても自分はどこかでアヤと会っていた。そんな気がする。必然的にどこかで会って、そしてどっぷりまた惚れ込んで手中に収めようとしているに違いなかった。
いや、そうであって欲しい。
今やアヤと出会えていない自分なんて、そんな馬鹿な想像をしたくはなかったから。
アヤと出会えていなければ、こんな感情を知ることすら無かっただろう。大切な人間がいるのはいい事だ。それにアヤは色んなことを教えてくれるし、大切なものもたくさんくれる。
「―――ああ。本当に良かったと、…そう思う」
『お……お前っ……ちゃんと笑えたんだな…?の、能面じゃ、ねぇ…』
「…あ"?」
『だからなんで俺にはアタリがキツいんだよ!?』
『ハッハッハ……さて、二人とも。その辺にしておくれ。預かったポケモン達は特にこの一年、変わったことはなかったよ。各々トレーニングをしていたくらいかな。
―――レッド、くれぐれも気をつけるように。頼れる時にはきちんと大人を頼りなさい。我々にしか出来ないこともあるんじゃ』
「…はい。オーキド博士、」
『一応そいつらのこと、俺の方でも調べてみるよ。まあ俺が調べたことなんてお前は殆ど知ってる事だと思うけどな』
「………いや。ありがとう、助かる」
そう言うとグリーンが『俺に礼を言った!!??』なんて大声で叫んでいるが無視して通信をブツっと切った。本当に煩い野郎である。昔から変わらない。
しかしグリーンは何かと小さな時から自分のことを心配してくれて、何かと世話焼きで。
そんな彼を心の許せる数少ない友人だと思っているのは事実だった。
善性の、良心の塊のような奴。ダメだと言うことははっきりダメだと言って、怒って、自分相手に喧嘩を売るような奴だ。一人の人間として、友達として接してくれる。オーキド博士も年配の大人の中で初めて自分を子供扱いして助けてくれる人間だった。
二人には、感謝しているのだ。これでも。
「(アヤに会えて、本当良かった)」
これから先、アヤ以上の人間と出逢えるとは思えなかった。
「何かの縁……いや、運命、か」
あんな、何もしなくとも自分と一緒にいるだけでさぞかし幸せだと。見返りもなにも望んではいなそうな顔でくふくふ笑って。手を繋いでくれる。
他に替えがきかない、たったひとつの、かけがえのないもの。
「(アヤと逢えたのは、間違いなく俺の人生の転機だ)」
だから無くさないように、奪われないように。
守らなければ。
「(俺の、大切なもの)」
その為なら何だってする。
アヤから両親を取り上げたのも許せない。それにもし今後、その組織がアヤに害するようなことがあれば。
「(アヤの母親に携わった研究所全て炙り出して潰すのは前提に。主犯を殺す)」
そう思った。
人生の転機
ああ。そういえば言うの忘れてた、とレッドはグリーンにメールを飛ばした。“今回の依頼が全て終わったらアヤと結婚することにした”と。そして秒で電話がかかってきて“なんでそれを早く言わねぇんだよ!?”と嘆きのメールが光の速さで届くのであった。