act.112 不穏分子






『………で?焦って連絡してきたと』

「…………」

『バーカ。本当に死ぬ直前ならこんなのほほんとしてられっか。もっと騒ぎ倒してるわ。じゃなきゃこっちに来る日程を1月1日で良いっつー訳ねェだろ今すぐ来て手伝え阿呆』

「…………今すぐ…という訳じゃ、ないんだな…」

『そもそも勝手な思い込みで勝手に死ぬ予定を作るな。それにこっちも切羽詰まって急いでるんなら半年前に呼んでるっつーの』



電話先の向こうでだいぶ気怠い感じの男の声がした。

薄暗い寝室の中、レッドは深夜の時間帯にアヤの兄…ユイに電話をかけていた。普通ならこんな時間に突然電話などしない。普通なら。

そしてこんな真夜中に何もアポなど取っていないにも関わらず予期せぬレッドから連絡があった事に、ユイは流石に眉間に皺を寄せた。レッドとまず気軽に連絡できる程仲良くはなかったし、知り合いとしても打ち解けている程の間柄でもないからだ。そんな相手からの突然の電話なんてろくでもないに決まっている。絶対に妹がなんかやらかしたか、また様子がおかしいのか。彼では対処出来ないことが起こってしまったと。自分に電話してくる理由はだいたいそなものだろう。そんな緊急性を要するものだとユイは勝手に思ってしまった。

液晶画面に表示されるその名前を見て一瞬固まり、訝しげに眉を寄せる。しかし不愉快そうな表情ではない。“何かあったのか”の表情である。いわゆる心配。因みにその表情を読み解けるのは今や表面上暴走族と成り果てた“生き残った”僅かな海魅の人間かユウヤくらいである。

何も無いことを祈りながら通話ボタンを押したユイはポケフォンを耳に当て、此方から話す前に受話器の向こう側から「アヤの命の期限を教えろ」ときた。

ビキッと血管が浮いて「あ"ァ?」と思わず軽くキレる。

失礼にも程がある。勝手に人の妹を死ぬ予定にしてんなよクソガキ、と思いながら。

しかしなかなかどうしてか珍しく焦っている様子と彼の要件を受話器越しで聞いて、ユイは不謹慎にも口角を上げ、笑った。前に直接会った時は歳不相応な落ち着きをしているくせ妹に劣情を抱くいけ好かないクソガキだと思っていたのだが。



「(……流石、鋭いじゃねえの。焔の坊ちゃんは頭は悪かねェらしい。勘もある。頭の回転が良い奴は好きだ)」



まだ、自分達の事はそんなに話していないのに。しいていうなら母親が研究所で作られた、くらいしか話していない。それなのによくそこまで考え至ったな。妄想力と想像力がまあ豊かなこと。

ユイはそんなことを思いながら手に持った煙草を吸いながらギシ、と椅子をしならせた。チラと視線を時計にやると時計は3時を示しており、なんでこんな時間にそんな事……と思い、ハタ、と。思い至った。たらりと嫌な汗が流れ落ちた。ユイは勘が良いのだ。



『お前、まさかとは思うが』

「……」

『ヤッてねェだろうな』

「…………すんでのところで思い留まった」

『半分やらかしてんだろソレ』



はァ、と溜息を着きながら吸っていた煙草の吸殻を落とす。

よかった。まだ何も……何も無いわけではないが妹は無事らしい。

まあ、そうだろうな。あれだけ愚妹にズブズブな気色悪い重たい感情を向けていて、恋仲の男女24時間一緒に居て寝床も一緒だろうしそれでいて何も無いという方がおかしな話だ。寧ろもう一年近く一緒に過ごしているのに自分の言いつけを守って最後まで致していないというのは、相当の理性の持ち主だ。鉄の精神である。

思い留まったということはそれ程愚妹を大事に思ってくれて、大切に扱っているのだろう。そこだけは褒めたい。



『…………大丈夫だ、とは言いてぇところだが。実の所ハッキリまだ分からねぇのよ』

「……わからない?」

『俺達の、母親の……。母親を作った研究所の情報が少なすぎる。まだ知りてぇ事も、未だ分からねぇことも沢山あんだよ。だから俺達の体のことも分からねぇ事が多すぎんだ』

「……そう、なのか」

『……愚妹は、そこにいるか』



ふと、ユイの空気が少し、変わった。

言い淀むような、言うか言わないか。それを決めあぐねているような、そんな雰囲気を電話越しに感じて。レッドはそっと毛布に包んだアヤを見る。規則正しく上下にゆっくり動いており、心地良さそうに眠っている。まだチュリネの薬の効果時間内のはずだ。彼はじっ、と見て。アヤが寝たふりか何かしていないのを確認して、頷いた。



「……………いる、が。大丈夫だ。爆睡してる」

『………呑気なもんだな』



口の中でユイは舌を打つ。

本当に、呑気なもんだ。

こっちは大変だってのに。お前はいつもそうだ。大変な時に限って、それを知らない。

ユイは煙草の煙と、僅かに燃える火を見ながら視線をさ迷わせて。

戸惑いつつも口を開いた。



『………俺達の母親は、普通じゃない』



それがとても言い難そうにしていたのをレッドは電話越しに察して、黙って聞く。

“普通じゃない”

それは前に聞いた。



『研究所で作られたんだ』

「……」



それも、聞いた。



『……お袋は。人間の遺伝子とポケモンの遺伝子をぐちゃぐちゃに混ぜられて人間の手で人工的に造り生み出された、キメラだ』

「………は?」

『見た目はヒトの形こそしてるが、中身は全く違ぇ。本能や考え方はポケモンに近い』

「…………!!」



レッドは息を呑んで、黙った。



『俺達の父親はそれを知っていた。合成獣だとも、人獣だとも、キメラだともそう言っていた。それを人は、なんて言うんだろうな』

「そ、れは。アヤは」

『知るわけがねェ』

「……!」



ポケモンと、人間が混ぜられた?

別々の生き物である2つを混ぜて、造った?

なんだ、ソレは。完璧に人の領域を踏み外している。生への冒涜だ。



『人でもない、ポケモンでもない。中途半端な生き物だ。そんなのを人は、化け物だとか怪物だとか言うんだろうな。正にその通りじゃねェか』

「お、い」

『いいかよ、焔の坊主。よく聞け。俺達の母親が死んだのはな、身体の中が耐えきれなくて腐って崩れて溶けて死んだ。最期なんて人の形がもうなかった』



この時点で、レッドは冷や汗でいっぱいだった。

眠っているアヤの顔を見て、口の中がカラカラに乾いて。



『お袋は、人でもねぇ。ポケモンでもねぇ。それを世間はなんて言うか知ってるか』


「……おい、やめろ」

『その母親のガキでもある俺達はたぶん、もしかしたら。遠くない先でいつしか母親のようになる……かもしれない。

―――化け物だよ。俺もアヤも、人じゃない』

「やめろ!!」



レッドの怒声が、寝室に響いた。

生まれてこの方、彼がここまで声を荒らげたことはない。



「……それが、どうした」



ユイに電話をする前に、レッドはもしかしたら、と思っていた。以前、母親が作られた、としか聞いていなかったが。もしそうならそれは人なのか?……否、恐らくそれは、人ではない。ということは、その母親から生まれたユイとアヤはなんだ。人ではないのではないか。



「(だが、それがどうした)」



それが、どうした。

人間じゃないからってなんだ。

何か問題があるのか。

人に害を成すのか。

アヤが優しく笑うのを知っている。照れたり嬉しそうに笑うのを知っている。自分の為を思って考えて、泣いているのを知っている。時々、怒るのも。
信じていたポケモンに騙されて裏切られて、惨めだと顔を歪めて泣くのを知っている。

レッドが会った人間の中で、アヤは一番人間くさかった。

人じゃないからってなんだ。だからどうした。



「アヤが化け物なら、今まで俺の周りにいた虫共はなんだ」



化け物なんて、もっと周りに溢れる程、腐る程虫のようにいるではないか。家の連中なんてその代表格だ。そいつらの方がよっぽど化け物だ。

アヤが人じゃなかろうが、何だろうが。

そんなことはさぞどうでも良かった。



「お前達が化け物なら、俺はじゃあ、いったいなんだ」



それに、それに。

自分も人間じゃない。

凡そ人とは思えない。

ヒトと思った事などない。

ただ、アヤの実の兄が。自分達とその母親と、アヤを。化け物呼ばわりしてそれを声に出して認めているような事実が、レッドには受け入れられなかった。

電話の向こう側で密かに怒気を感じる。あの物静かな小僧が発したとは思えないような怒声にユイは少し、ちょっとだけ驚いたようにぱち、とアヤと同じような色の瞳を瞬いた。レッドが怒っている理由は何となく、まあわかる。しかし訂正する気はないがそれよりも。



『(だからどうした、か)』



特に黙る訳でもなく怯む訳でもなく「だからどうした」とは。

ふむ、とユイは机に肘をついてゆるゆると口角を上げた。



『おめェさん、本当に………アヤが好きなんだな』

「は?」

『は……ふ、はは、』



突然笑いだしたユイに、レッドは不愉快そうに眉間に皺を寄せる。

ふざけてるなら次会った時殴ろう、そう思って。



『いや、すまねェ。………ハー……。今回お前に頼む依頼は、それの打開策も含めて一緒に探してる最中なんだよ。造れるっつーことは、それを分解して一つだった生物を元々のあるべき姿へと戻せるってことだろーが』

「!」



詳しいことはわかんねぇけど、ユウヤがそう言うならそうなんだろうよ。

そうユイは静かに続けて話した。



『それに俺達は造られてない。元々こんな感じできちんとお袋の腹の中から産まれてきたしな。もしかしたら母親のようにもならんかも知れねーし、なるかも知れねェ。不明点が多すぎてそれはどっちか分からん。何せ成功例であるお袋から産まれたのが今んところ俺達しかいない。それに俺はまだ身体ん中は普通の人間の細胞のままだ』

「…………アンタの身体は、普通の人間…ということか」

『ああ。けど、愚妹はもう違ェ』

「っ、な」

『この前、“健康診断”したろ。俺ンとこで。それが少し人間のものとは違ぇ。……変化がある。あいつよりも数年長く生きてる俺は何も変わらないクセになんで愚妹だけ突然変わったのかも理由も何もわかんねぇし、それが今後どうなるかわかんねぇから、観察が必要なんだよ』

「(…………この前の、アヤが熱を出した時にユウヤが採血していたのも。ソレが理由、か)」

『聞け、』



ユイは言った。

造られたもの達は。ゆっくり、ゆっくり、身体の中の細胞破壊が始まる。その変化が見られるのは個体差はあれど、稀有な“成功例”である母親は30年以上生きていた。変化があったのはいったい何歳の頃かはわからない。ただ、元々体の弱かった母親はユイを身篭ってから更に弱くなり、アヤを身篭ってから拍車をかけるようにして弱って行った。まるで子供が母体の生命を吸い上げるようにして。………いや、こんなことを考えたくは無い。気分が悪くなる。

そしてアヤは体内が何らかの“変化”が見られてから半年経ってもなにも特変がない。しかも弱るどころか元気に走り回ってるときた。このまま何も無ければいい。元気でいてくれさえすればいいのだが。

そもそも、やはり造られていなくてもその母体から生まれ落ちたなら身体の作りは一緒なのか。ということはユイも後々変化が訪れるのか。そうではないのか。

この時点で、もうわからない事が多かった。



『健康診断で採血して、そこからこの前愚妹が熱を出して採血したろ』



その時の採血の結果は、“何も変わっていなかった”。

高熱が何日も続いていたから、もしかして兆候が進んだのかと思ったのだ。その手の類は勿論一般の病院には行けない。行っても殆ど意味が無いからだ。変だと勘づかれて検査入院か、最悪闇病院行きだ。

だから態々シンオウからライモンシティまで来訪した。ユウヤに診てもらうのが一番確実で手っ取り早いからだ。

ユウヤは人体のエキスパートだ。

元々組織内の人間だったし、人間やポケモンの生態医学に詳しい。組織内でも“人獣”というのは噂で聞いた事はあったようだし、しかし実物を見たことがなかったから単なる幻か所詮噂かと思っていたがユイから実在しているという事実(それがその本人達とその母親)と、その研究データを見た時はそりゃおったまげたものだった。少ない資料を見て、引き攣った笑みを見せながら「相変わらずイカれてんねぇ」と。
彼はそう言って。嘲笑したような笑みでユウヤは「しばらく借りるよ」と資料をひったくった。

そして今持っている人獣研究に関するデータを全て渡したら1週間で頭に全て叩き込んだ。



「……なんか、すまん」

「何言ってんの。もし変化があったらユイもアヤちゃんも、最悪お母さんみたいになるんでしょ?溶けて腐って死ぬんでしょ?………まだそうなるって決まったわけでも…わかんないけどさ。ぜっっったいさせないから。許さないからそんなの」

「何で俺にキレてんだよ」

「キレてない」

「キレてんじゃねぇか」

「キレてない!うっさいから出てって!」




「…………」



ユウヤは見た目はあんなんだが非常に優秀な研究者であり、医学に携わる者だった。彼を仲間に引き入れた事がこんな形で吉報になるとは思わなかったが。



『ユウヤが研究論文を掻き集めてる。正しくは、俺達が』

「………」

『あいつは頭と顔と腕だけは良い。性格はてんでダメだが』

「さり気なくディスるな」

『…………ユウヤや、生き残った海魅家の奴らが総出で俺達兄妹を万が一にも死なせない為に、今。動いて、くれている』

「………そうか」



レッドは俯いた。

そうか。

そういうことか。

そう思って。



「わかった。謹んで引き受ける」

『…………焔の坊ちゃんよ、』

「?」

『……………ありがとうな。愚妹のこと』

「……何を藪から棒に」

『恩に、着る』



そうしてユイとの通話が切れた。

その後すぐ、ユイからメールで『ざっくり伝えたが、他に詳しいことは直接伝える。まあ今はそんな焦らなくても大丈夫だと思うから、年末はゆっくりしてろ』と。そんなメールが届いた。要は年始から扱き使いまくるから今くらいゆっくりしておけということだろう。返信はしなかった。

暫く考えるように停止していたレッドはポケフォンを置いて、未だ眠ったアヤの頭を撫でて寝室を出て行った。カチャン、と起こさないように気遣われた、静かに閉められた扉の音。暫くするとシャワーの音が微かに響く。



寝室に残されたアヤはモゾり。寝返りを打った。




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寝室外に居たポケモン達は皆静かに眠っている。
当たり前だ。まだ4時だ。普通ならまだ眠っている時間なのだから。

蛇口を捻り、冷たいシャワーを勢いよく頭から被ったレッドは排水口をじっと見ていた。



「……―――任せろ」



研究所潰しは、俺の専売特許みたいなもんだ。

今まで数多の法外な研究所を潰してきた。

今回は自分の命よりも重いものが絡んでいる。絶対一つ残らず根絶やしにして、その研究資料とやらを洗いざらい炙り出す。

人獣研究所?

何だそれは。

ふざけるのも大概にしろ。



「根絶やしにする。塵ひとつ残すか」



そうレッドは言って、その赤い瞳がジリジリと鈍く光った。







不穏分子




モゾ。

モゾ、

もぞり。



「……………なに、それ」



思えば、この日から少しずつ、少しずつ。

思い返して。

自分はおかしくなっていったのかしれない。









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