act.105 嘘
「アヤ」
「………?」
「飲めるか、これ」
「……薬?」
暫くして寝室に戻ってきたレッドは、その手にチュリネが調合した薬を持ってアヤを起こした。水と、小さな容器を数個机の上に置いて。
億劫そうに身動ぎをしたアヤは動くと痛みを感じるのか、極力下腹部に力を入れないように上半身を起こした。アヤの上半身を軽く支えたレッドはコップに入った水を差し出し、「口を開けろ」と一言。アヤは逆らうことなく、戸惑いなく口を開けた。
元々の生理痛もあり身体は怠かったのもあり秘部の痛みも相俟って頭の中で何かを考えることをしていなかった。特段レッドのすることに対して大きな疑問も何も感じなかったが、口を開けたアヤの口内にサラサラと粉薬を数回に分けてスプーンで流され、「飲みこめ」と指示される。口内に苦味が広がり、そこでやっと顔を顰める。不快な味が無くなるまでアヤは水を飲み干した。
何を飲まされたんだろう。
「にっっが……なにこれ…」
「少し強い薬だ。痛み止めな。しっかり飲めよ」
「……?ジョーイさんか誰かに貰ってきたの?」
「ああ」
うぇぇ。と顔を顰めるアヤにチュリネが薬を作った、とは言わなかった。
ハーブを作るのにあれだけ顔を青くしていたアヤだ。今伝えれば更に顔色が悪くなるだろうし、今伝えるのはやめた。
けれどチュリネとしては自分のおかげでアヤが元気になったその事実は確認したいだろうし、まあ落ち着いた時に伝えて礼を言わせてやればいいか、と思って。
薬を飲んだアヤを寝かせてレッドもその横に寝転んだ。薬が効いてくるまでどれくらいだろうか。今飲ませた薬は2種類だ。いずれもきっと表面上に効果が現れるから、そうしたら次は塗り薬を………とそんな事を思案している内に、アヤは今までずっと疑問に思っていた事を聞いた。
「あの……レッドって、さ」
「?」
「前に彼女か誰かいた事はあるの?」
「は?」
「あの……なんて言うか。前から疑問に思ってて。随分慣れてるなって思って」
随分慣れている。その意図を汲み取れない程レッドは鈍くはなかった。
アヤが言っている遠回しにも聞きたいことは誰かと体の関係を持った経験があるのかどうか。誰かとそういうことをした経験があるのかどうか。
アヤにとっては考えたくも聞きたくないことだろうが、やはり気になるものは気になる。
レッドと初めて会った時、ポケモン以外の興味が欠落した少し変わった人間だと言うことは分かっていた。けれど、もしかしたら昔から故意にしていた異性の人がいたのかも知れないし、顔は一級品なものだから、あの歳でもうそういう行為を一通り終えていてもおかしくは無い。今どきの子供は精神年齢がませている子供も多いし、そういう事に興味津々な子達も少なくは無い。
ただの興味本位とその場の勢いだけで性行為をして事件になってしまったなんてのも時々ニュースで聞くくらいだ。
アヤが思うレッドは、人並みに性欲がある男だとも思っている。
ただちょっとそこら辺の男性より考えがぶっ飛んでいることは否めないから、性欲に対しても普通の感性ではなさそうだとも。
他人に興味のない人でも、こんな無表情の鉄仮面でも生理現象には逆らえないのではないか。だとしたら恋愛関係ない所でそういう経験の一つや二つ、興味本位でしていたとしてもおかしくないかもしれないし。
「(それか、)」
昔はポケモン以外に興味ないながらも、幼いながら誰かに思いを寄せたりした人が隣に誰かしらいたのではないか……そう思った。
だって今は自分が隣にいるのだ。ポケモンにしか興味ない男が何故か自分にも目を掛けたように、昔同じように目を掛けた異性がいてもおかしくない。
「………一応聞くが、なんでそう思うんだ」
「え。だ、だから…随分と慣れてるなぁって……だって、初めてって思えないんだもん……」
えっちな事するとき、絶対気持ちいいんだもん。
そう小さくモゴモゴ言い難そうに言ったアヤを見てレッドは眉を寄せた。
「何回も言うが、女にはお前にしか興味がない。というより今まできら……女に興味そのものがなかった」
というよりも、大嫌いだった。
「う、うん…」
「だからお前が、全部俺にとって初めてだ」
そう、レッドにとって“アヤは初めての塊のような存在”だ。
何をするにしてもレッドが今まで考えてきた“常識”は一切通じないし、自分一人では気にしないようなことも気にかけなければならない。
アヤは見栄(変なプライドはある)を張らない。肩書きにも名声にも拘らない。
金に執着もない。
物欲もない。肉欲もない。
我儘でも高慢でもない。
家で見た女達はアヤとは全てが逆で。女なんてものはそれさえ与えておけば大人しくなるものだとばかり思っていた。だからアヤにも当初同じような事をしようとすればめちゃめちゃにビビられた。というかこの前もショップで「ゼッ……0の数が多い!やめてやめて!!」とかビビってたな。
「じゃあレッド……本当にボクが、初めてなんだ…」
「だからそう何回も言ってるだろ」
「あんなに上手いのに…?これも才能なの…?よ、世も末…」
「…………全部、お前が“初めて”だよ」
「………そっ、かぁ」
嬉しそうに笑うアヤを撫でて、そしてやっと。眠そうにうとうとし始めたアヤを引き寄せて、肩に顔を埋めた。
そうだ。自分にとって、アヤは初めてだ。全部初めての相手で、初めての“好きな子”だ。
「(嘘、じゃない)」
嘘じゃない。
そう思いたかった。
家で今まで自分がしてきた事。されてきた事。穢らわしい。おぞましい。ふざけんな。あんなものはノーカンである。
アヤには知られたくなかった。家の昔からの由緒あるしきたりとかだいぶぶっ飛んだふざけた理由と幼い子供ゆえ、どうすることも出来なかったし。逆らえない、逃げられない。そんな理由があったとはいえ、それをアヤに絶対知られたくなかった。
気持ち悪い自分を、知られたくはなかった。
世間一般的でない事をしている自分の実家。
「(俺の精子は、御神家の界隈で破格の値段で取引されてるらしい)」
優秀な遺伝子だかららしい。次産まれてくる子供に神とされているポケモンの力を引き継ぎやすいよう、優秀な遺伝子同士を交配させて新たな子供を造る。そりゃもう造れるだけ造らせろというのが家の方針だから限度がない。
まるで高個体値のポケモン同士を厳選して、更に高個体のポケモンを産ませる悪徳ブリーダーのようだ。奴らには道徳なんてものは一切存在しない。親が死ぬまで、良個体が生産できても更に産ませられる。終わりがない。
「(俺は6Vのメタモンかよ)」
さしずめ自分は6Vの色違い夢特性を持ってたまたま生まれたような物体だ。あの母親にその数多く孕まされた内の一人なのかわからないが。
気持ち悪い。
人間性を否定されているような気分になる。
家族ぐるみ、一族揃って犯罪に手を染めている。それが正しいことなのだと、いかにも自分達は正義だと宣い、ホウオウの啓示だと彼のせいにして盾にして。そんなことあるわけないのに。
もう清らかだった自分はとうの昔にいなくなった。
いくつもの女の体液に塗れて、自分の精はいくつもの女の体内へと持っていかれた。
そんな汚い自分を、知られたくなかった。
それを知られてしまったら、知ってしまったらアヤはどう思うだろう。
泣くだろうか。
嘘つきと、触るなと。
自分を汚い目で見るのだろうか。
それか、それとも。
「触んないでよ、汚いなぁ」
吐き捨てた汚物を見るような目でそう思われてしまうのだろうか。
もしそんなことを言われたら。
拒まれたら。
想像しただけで耐えられそうになかった。
「“心”は、お前が初めてなんだ。俺の心は全部全部、お前にやるから」
レッドはこの時、初めてアヤに“嘘”をついた。
嘘
この嘘が、後に大きな引き金となって爆発することなんてレッドは知るわけがなかった。