act.95 七夕・7月7日。星に願いながら願う
「(短冊……願い事、か……)」
星空に花火が打ち上げられていた。
ホドモエ橋には大勢の夜の観光客や祭りに参加している者達がほとんどで、今は誰もが揃って空を見上げている。隣のアヤやピカチュウ、オシャマリも空に上がった花火を見て楽しんでいて。ボールの中のサザンドラもチュリネも、きっとこの景色を共に楽しんでいることだろう。
夜空に花のように咲く光の爆発。
花火は見たことはあるが、ここまで食い入るように見たことはなかった。実家で見たものと殆ど同じようなそれは、それでも見る場所や共に見る相手が違うとこうも見方が違うものなのか。間違いなく今見るこの光景は自分の中で良い思い出として記憶されているのがわかる。
そんな中、レッドは隣に立てかけられた笹の葉に大量に飾られた短冊を見続ける。
“私のポケモン、ずっと一緒にいてくれますように”
“お母さんが元気になりますように“
“トレーナースクールで一位を取りたい”
“おじいちゃんが退院できますように”
“受験に合格しますように”
“ジムリーダーになりたい”
“チャンピオンに勝てますように”
“〇〇なポケモンが欲しい”
“行商が成功しますように”
“お金が欲しい”
“玉の輿に乗りたい”
“病気が治りますように”
“アイツらが別れますように”
“あいつと同じポケモンが欲しい”
“早く楽になりたい”
“宝くじが当たりますように”
“嫌いなクラスの人達がいなくなりますように”
“あいつらみんな死ねばいいのに”
「…………」
どろどろと。
レッドの目には黒い思念が渦巻いて、蠢いて“ソレ”らが見えている。
それはその笹の葉だけではなく、もうこの近辺。否、ホドモエ橋やライモンシティ一面に黒い思念体が、毛虫のように蠢いていて。気分が悪くなる。
「(……人間は、どこに行っても皆同じ、か)」
特にこういう、人が多く集まる所は特にそうだ。
だから人混みが嫌いだ。
騒音や雑音が嫌いだ。
こういう所には色んな“想い”が集う場所だから。
黒い思念体は蠢いて、煙のように揺らいで、形となって、新しく人の姿を形取って蠢く。周囲の姿を消したゴーストポケモン達が嫌そうに避けたり追い祓ったりしているのを眺めていた。短冊から滲み出た黒いものが、空気中に漂うものと集合して新たに形となったものがよりにもよって此方へ。何故かアヤに向かってフラフラと向かって歩いてくる。
それを見て、レッドはため息を着いて。
その黒い影を消し飛ばした。
チリチリと緋色の炎が燻る。
その“緋色”を見てゴーストポケモン達は慌てて距離を取ったり逃げて行ったりと様々だったが。
「(短冊に願い事を、か。それは呪い(まじない)だ。一種の、呪い(のろい)だ)」
わざわざ、年一回の7月7日の夜に合わせて皆一様に空を見上げ、短冊に筆を持ち、念を込めて、笹の葉に飾る。
挙動一句全てが同じ動きをする。
それは儀式にも似たような一連の動作。
呪い。
7月7日。
その意味。
「(願いや内容、念の込め方、飾り方、時間の法則、日付、焚き上げ方によっては嘸かし大層なモノになる)」
レッドは己の白い短冊を眺めた。
そこに、薄く、火で炙ったような文字がジリジリと白い紙一面にびっしり滲み、浮かび、焼き上がって。
「(願いが本気な程、濃ければ濃い程、思いが重い程、)」
手の中の短冊が縮れ、燃えて、炭になって。
「(そういう神力を持った“専門職”の輩が呪術を行使すると、こうなる)」
願いが本気な程、濃ければ濃い程、思いが重い程。
「(それは“呪い”となって相手へ飛ぶ)」
好きになればなるほど。
執着が強ければ強いほど。
「(よりによって呪いが届きやすく、強い呪いが発生しやすい。儀式的な渦に当たる“七夕”の今日が、アヤの誕生日だなんて)」
愛が重ければ重いほど。
深くなればなるほど。
「(俺にとっては嬉しい誤算だ)」
ドロドロに煮詰まった黒い感情がアヤに届きやすくなる。
自分の感情を持て余すくらい。取り繕うことも誤魔化すことも出来ず、制御ができない程強い念や感情は自分にとっても相手にとっても毒だ。
それは強い呪いへと成る。
けれど自分がアヤへ向ける感情は攻撃的なものでは勿論ない。
まあ、狂気的で綺麗でもなんともない感情の塊だとは理解はしているが。
それが一歩間違えたら彼女の精神をおかしくさせるくらいの毒々しいものだとも理解はしている。自分の一挙一動をずっと伺って、姿がないと見つかるまで泣きながら探し続けて、他の女と喋っていたり一緒に居たりするのを見て不安にかられて大泣きすればいい。寝ても醒めても自分の事しか考えらない思考になればいいのだ。
前はアヤを不安にさせるようなことはしたくはないとは思っていたが、しかしどうだろう。自分が我儘でもっと、自分に対して貪欲になって欲しいと望み狡猾になればなるほどアヤをもっと困らせたり泣かしてみたいとそんな願望がちょくちょく滲み出てきていた。
最近、心の中が矛盾していてぐちゃぐちゃだ。
安心して笑うアヤと不安で自分に縋って泣くアヤはどちらも自分にとって甘味だ。しかし自分の心を満たすため可愛いからと心の痛覚を与え続けてしまえばその内壊れる。人間の感情なんて思ったより脆い。気づいたらあっという間に壊れて再起不能……なんてことも考えられる。そんなことになったら自分は何をして償えばいいのだ。死んでも死にきれない。
……最近上手い具合に整理がつかない。
それもこれも全部アヤのせいだ。
これでは自分が望まないようなやり方でアヤを傷つけてメタメタに泣かせてしまうかも知れない。それはまずいのだ。改めなければ。
「ーーーー、ーーー、ー、」
何かを呟いて、言葉を区切ると手の中の短冊は完全に灰になって消えた。
「………?レッド、何か言った?」
「いや、何も」
「あれ?レッド、短冊は?」
「ああ、もう飾った」
「いつの間に…!?なんて書いたの?」
「秘密」
「えー」
これも自分の暴れる感情をコントロールしろという。そういうことなのだ。
上等じゃないか。
お前の為ならなんだってしてやるよ。
「…さて、そろそろ帰るか」
「あ、うん。そうだね!いやー楽しかったぁー」
「それは良かった」
「…レッドは楽しくなかったの?」
「……かなり楽しんだ」
「それはよかった!」
彼女の崩れた髪型を手直しながら。小さな空いた手をするりととって握る。
彼は、艶っぽく、ドロリと愛に濡れた目で笑った。
さて、今日だな。帰ったら早速楽しもう。
7月7日。星に願いながら、呪う
好キ
好キ
離サナイ
死ンデモ離サナイ
離レタクナイ
愛シイ
離シタクナイ
愛シテル
好キ
愛シイ
死ンデモ一緒
逃ガサナイ
死ヌホド好キ
もし何らかの事故で、他人に何らかの形で奪われたとしたのなら
そいつを必ず殺す
「(7月7日。それがアヤの産まれた日、か)」
7月7日。七夕。
「(アヤ、お前は知らないだろう。……いや、殆どの人間は知らないことか)」
ジラーチ。1000年に一度、7日間目覚め、正しい心を持つ人の願いを叶える伝説のポケモン。
「(ジラーチ。別名、星神)」
森羅万象、万物の神アルセウスには遠く及ばないものの。
神と名の付くポケモンの中でも高位に坐す星神と崇められるポケモンだった。
しかし1000年前の7月7日に神堕ちしているという、そんな記述があるらしい。
神堕ちしたということが本当なら祟り神になったか、はたまた呪いに転じたかどちらかだが。
ジラーチほど力のある神が祟り神や呪いになった場合、どのような事象を起こすのかもさっぱり想像もつかないし記述もない。1000年前から今日まで、この世界に起こった災いは全て神に坐す伝説のポケモンが引き起こしたと。
そう言われているが…それらの災いがその星神の呪いで引き起こされているものなのかさえわからない。そもそも星神はいったいどんな理由があってどのような堕ち方をしたのかも。神堕ちしたというだけで経緯も詳細も何も記述が残っていないのだ。
「(……やはり分からんことが多いな。神や伝説は、)」
だからこそ面白いのだ。
ホウオウにしろルギアにしろ、アルセウスにしろ。
神と呼ばれるポケモンは昔から代々信仰している家があるにしろ謎が多いのも事実だ。
そもそも星神の神堕ちも本当かどうかわからない。
「(本当だったとして。その堕ちた星神は、今はどうなっているのやら)」
七夕の日に願いを叶え続けているのか、それとも呪いを吐き出し続けているのか。
それは星神にしかわからない。