act.29 悪霊
「(……………ぁれ)」
パチパチと揺れる焚き火を前にして目を覚ました。
パチ、と目を覚ましたら下に枕代わりにされた自分のコートがあって、体に薄水色の毛布がかけてあった。多分ルビーがかけてくれたんだろう。
目だけを動かし周りを見渡すと自分を囲うようにしてウインディが丸まって寝ており、そして鼻が付きそうな至近距離で目を開眼したまま眠っているムウマージが転がっている。(思わず叫びそうになった)
他のポケモン達はボールに入って眠っているのだろう。
そして焚き火を挟んだ向こう側にはルビーが毛布にくるまって熟睡、アブソルが彼に寄り添う様に眠っている。
「(三時かぁ……)」
あの後、キレイハナの可愛さに悶絶して意識飛びかけたアヤだったが、なんとかキレイハナと仲良くなりたくて構ってみたがやはりダメで。さすがに尻を追いかけるなんてことはしていないが物で釣ったりと色々試したが全て無視……というか警戒されて益々距離が空いてしまった。
……仲良くなるのは、中々難しそうだなぁ。
ついでにホーホーやコロボーシ達の音色はしっかりと聞けた。有名な自然観光地とだけあって、その合唱の音色は繊細で美しい。見たところコロボーシだけじゃなくてバルビートやイルミーゼの姿もあり、お互いに淡く光りながら宙を舞っていた。
「(綺麗…これはまた参考になるなぁ…)」
演技の参考にもなるしヒントもここから拾える。やはり自然の中で自ずとできた天然物の“舞台”は素晴らしい。ルビーも記録としてカメラで録画していて「いいですね。演技に活かせそうだ」と満足気だ。
……その後からは記憶が曖昧だから、多分寝落ちしてしまったのだろう。
パチン、とポケッチの画面に映る時間を見て閉じる。ポケギアもついでに着信や受信がないか確認して、枕と化しているコートのポケットに突っ込んだ。
シンオウは気温が低いだけあって真夜中となると極寒だ。アヤのコートの下は布が厚めであっても袖がない服であるため普通だったらかなり寒いが、それも全てウインディのおかげで寒さ対策はしっかり出来ている。ボールの外に出ていれば自分の半径3メートルは気温を暖かくコントロールできるのだ。
だから野宿であってもあまり気にしたことは無い。雨や雪が降っていたとしてもシャワーズが氷の洞窟を作ってしまえば関係ないし、比較的に今までも快活に旅をしてきたわけであるが。
しかしいくらウインディがいるとしても極寒の地で半袖やノースリーブ一枚ではさすがに生きていけない。
……改めて思うと、そんな変人はレッドだけで充分だと思う。
「(まだ早いからもうひと眠りし……ょ…、)」
少し重たい瞼を擦りながらもう一度毛布をかぶり直した時、急に背筋がゾワリと悪寒が走った。冷たい冷風が背中を撫で上げる感覚に息を飲む。
周辺はやけにしんとしていて、目を瞑ってしまえばまるで自分以外そこに存在していないかのようで。なぜか風もないのに木の葉だけがザワザワ擦れ合う音に、そして目の前の焚き火がパチパチと燃える音。ポケモンの声さえもしない。流石に夜行性のポケモンの鳴き声一つしないのは、おかしいのでは?
パチパチと火の粉が上がる音が真っ正面から聞こえる。
サワサワと葉が擦れ合う音が聞こえる。
「(あれ?これ、)」
時刻は三時。
―――丑三つ時。
ひた、
ひたり、と何か音がした。
ひたひたと素足で歩く音。
「(なんか、いる)」
背後に“何かがいる”。
突然気配が浮上したそれに心拍数が一気に上がった。
…こんな真夜中にトレーナーか?いや違う。こんなひたひた歩くのが人間であってたまるか、と人間である予想を直ぐに撤去した。
丑三つ時。そんな時間に、やめて欲しい。得体の知れないものが嫌いな自分にとってかなり悪趣味じゃないか。見えないものも正体不明なものも、怖いものは怖い。思えば、こういうのは昔からだ。何か変な気配を感じたり、変な不可思議な場面に出くわすことはあったが。ここ数年は何もなかった。
ふつふつと湧き上がる恐怖を封じ込め、意を決して振り向こうと思った。…いや、振り向いたらダメだ。背後で。たぶん自分を見下ろしているか、それとも顔がそこにあるような。そんな接近をされている気がするからだ。なんとなくアヤはその手のモノと“目を合わせたらいけない”と直感的に思っている。
もし予想通りの“モノ”ならすぐにムウマージを叩き起こしたい。幽霊には幽霊を。悪霊には悪霊を。ヤバいもんにはヤバいもんをぶつけたらいいんだよォ!!ぐっ、と首に力を入れて起き上がってムウマージを起こそうと……、
「(………!)」
動かない。
ピクリとも動かなかった。硬直したように動かない。
……金縛りだ。
ちょ、ちょ、待って!待ってよパパ!!と内心訳も分からない叫びを心の中で叫びパニックになりながらかなり焦る。メチャクチャ恐い。変な冗談は止してくれと冷や汗をかきながら懇願するが、そのひたひたと歩く存在は自分の真後ろに鎮座を続けている。
じぃ、っと。見られている。
じっと突き刺すような視線で見下ろされていることをビシビシと感じる。嫌な汗が吹き出る。
「(ひっ)」
ヒヤリ、と首に冷たい何かが添うように触れられた。そしてそれが徐々に上へ上へ。ゆっくりと移動して耳元に冷たい……唇のような。柔らかいものが押し付けられた。ゾワッ、と鳥肌が一瞬で立った事を感じ、次の瞬間物凄い低い声でお経みたいな、はたまた歌のような読経か何かを唱えるみたいに後ろのナニカは呟き始めた。けれど聞けば聞くほどそれはお経でもなく読経でもなく。聞いてはいけない、呪言のような。
アヤは頭の中が真っ白になった。
『縺ェ繧薙〒蜉ゥ縺代※縺上l縺ェ縺九▲縺溘?縺ゅ↑縺溘?遘√?螯ケ縺ェ縺ョ縺ォ驟キ縺?o』
「(ぇ、やだ、ムリムリムリムリ)」
耳元ではブツブツと男なのか女なのかわからない声色で何かを呟き続ける人間ではない存在がいて。
耳に直接唇を付けて直接言葉を流し込まれるような感覚が気持ち悪い。ぐ、ぐ、と首に添えられた指が少しずつ強くなっている気がする。
こんなものに抵抗する術なんて、知るわけがない。
ふ、と。と意識が薄らいだ。手足が冷たい。
いや、遠のいたと言った方が良いのかも知れない。嫌な遠のき方。大事な何かと一緒に体を徐々に離れていくような、そんな。
『謔斐@縺九▲縺滓?悶°縺」縺滄?縺九▲縺滓Κ繧√□縺」縺溷国螻医〒豁サ縺ォ縺昴≧繧育李縺?ご縺励>闍ヲ縺励>驟キ縺??縺??縺?ュサ縺ャ豁サ縺ャ豁サ縺ャ』
呪いのような呪文が耳から直接注がれて体内を暴れているような感じだ。
身の危険を感じる。
これ以上聴いていたらだめだ。
聞いたらだめだ。
「(だれか、)」
ぼんやりと朧気になる視界の遥か向こう側に、みすぼらしい積んであるだけの小さな石の塔を見た。
(―――かくれんぼ。出てきていいって言うまで出てきちゃ駄目だよ)
「ギャゲゲッ…ゲギイイィィィ!!」
「(――――ッ!)」
視界が真っ暗になった。
バサッとフワフワした柔らかい布のようなものが顔を覆い、声から遮断されて無理くり引き剥がされた気がした。頭の芯から痺れるようなこの声の主は…ムウマージの声だ。普段こんな声、今までの一度だって上げたことがないし聞いたこともない。けれど混乱した今の頭ではこの声が誰なのか、すぐに判断ができなかった。
眠っていたムウマージはいつの間にかアヤの頭の上に覆い被さり、何かを威嚇するように吠えている。気付けば首に触れていたあの冷たい指も耳元に触れた冷たい唇の感覚もなくなって、いつの間にか全身の硬直も解けていた。
顔からムウマージが離れていく。
ぼ。ぼ。ぼぼぼ。と炎が燃え上がる音がして、アヤの視界をゆらゆらと鬼火が回る。
「ギャゲゲゲ、ゲゲゲ、ゲゲゲ」
ムウマージがここまで喋っているのを聞いたのは実は始めてだ。アヤが何かを言うよりも早く、瞬く間に鬼火を纏ったままどこかへ消えてしまったムウマージに焦る。
アヤが待って、と手を伸ばすよりも先に服を引っ張られた。
「っ!!」
くん、と体ごと引っ張られる。
先程の恐怖感が残っていた為に自分でも奇妙に思えるくらい弾けるように震えてしまった。
「ブイ」
「アヤさん?今の声…、………何か、ありましたか?」
服を引っ張ったのはサンダースで、その横にはルビーとアブソルが居た。今のムウマージの叫び声で起きてしまったのだろう。まああんな叫び声を間近で聞いて飛び起きない生物など居なさそうだが……。
少し眠そうな彼の顔が、振り返ったアヤの顔を見て一瞬固まって。ルビーの顔付きが変わった。ドクドクと煩い心臓の音。気付けば固く握っていた手の中は手汗は凄くて全身から異常な程汗が吹き出ている。
「わふん」と気付けばアヤのクッションとなっていたウインディも心配そうに自分の体をピッタリくっつけて、鼻先をアヤの首元に付けてスンスンと匂いを嗅いでいる。少し離れた所にいるアヤ達同様に野宿していたトレーナー達も「なんだ?」と異変を感じ取り起き出した。
……起こしてしまった。申し訳無いことをした。なんだかさっきから騒いでみんなを叩き起すな自分……。
「アヤさん、大丈夫ですか。落ち着いて」
「ご、め」
「……怖い夢でも見たんですね。ほら、落ち着いて。少し過呼吸になってます。ゆっくり息吸って吐いてください。………そう、大丈夫ですからね」
汗のかき方が尋常ではなかったアヤを見て、ルビーは寝床から起き上がる。アヤの傍まで近寄ると目線を合わせるようにして片膝を着き、ゆっくりとアヤの背中を擦り出した。
「ゆっくり呼吸しましょう。なるべく息を吐き出して」という言葉を聞いて始めて自分がまともな呼吸を出来てないと。喉の奥辺りが痙攣しているような、かひゅ、かひゅ、と呼吸が正常な働きをしていない事に今更ながら気付いた。
背中をゆっくり撫でてくれる手と「大丈夫ですからね」と穏やかな声を耳で聞いて、サンダースやウインディが慰めるように傍にぴったり控えているのを感じてやっと落ち着いてきた。
………怖かった。
久々に、あんな怖い体験をした。
今一人ではなくて本当に良かった。アヤの背に毛布をかけたルビーは毛布ごと背中をあやすように摩っている。小さな声で「なんかいた」と呟くように言えばルビーと、それとサンダース達も訝しんで周囲を警戒するように見渡した。が、違う。変質者ではなく、もっと不可思議な……それこそそういう目に見えないものを信じられない人から聞くと「何を馬鹿な」と疑われて相手にはされない。
サンダース達は過去にそういう事例を身をもって経験している為「またか」と。そんな顔をしているが。
彼は非科学的なものを信じる人だろうか?
「もしかして寝ている内に何かされたんですか?」
見当違いなことを言うルビーにアヤは首を横に振った。
……アレは、なんだったんだろう。
まだ暴れる心臓を手で無理矢理押さえ込むように胸元をギュッと握る。呼吸も正常に戻りつつあった。…ルビーには感謝だ。本当に、一人じゃなくてよかった。もし一人だったら怖すぎて泣いてたかも知れない。そしてムウマージは、おそらく異変を察知して助けてくれたんだろう。今回だけじゃなくても、彼にはいろんな局面で“異変”があれば助けてくれている。
もしこの旅路に、自分の手持ちにムウマージがいなかったら今までどうなっていたのだろう。
今回も、もしあのまま唱えられる言葉を聞いていたらどうなっていたのだろう。
温度のない冷たい指先と唇に触れられていた感触を今でもはっきり思い出せる。
その後、首に微かに残る人の指圧の痕を見つけてアヤはまた倒れそうになった。
悪霊
(―――かくれんぼ。出てきていいって言うまで、出てきちゃだめだよ)