act.23 深紅の瞳





「ああ、わかんないか」



くすくす、



「猿には人語は通じないですもんね。これは失礼しました」



彼は笑った。



「大の良い歳した大人が、女の子一人に大人気ないと思いませんか?」



いつの間に公園に入って来たのだろうか。



「(だ、だれ…)」



月明かりに照らされたその人の顔は見覚えがあった。今は一般トレーナーのラフな服装をしているが、この少年は昼間のカーニバルのステージに出場していた…アヤの記憶に間違いがなければラグラージを連れた歳若いコーディネーターだ。

濁流の水を飲み込んでしまったのか、咽込む奴らに冷たいような馬鹿にしているような声でそう良い放った彼は、アヤと目が合うとゆっくりとした足取りで近付いて来る。

助けて……くれたんだよね?え?味方で合ってる?

サンダースが近寄って来る少年へ向けて電気で威嚇した。“これ以上近寄ったら炙る”という目を彼らに向けて。
そんな彼の横にいたラグラージが溜め息を着きながら一言二言、サンダースに言葉を告げるとサンダースは徐々に威嚇の放電を止めた。
……サンダースが警戒を解いた。……と言う事は自分達に危害を加えることはたぶんない。いや、まあ確かに濁流で彼らを攻撃したのを見ればわかるが。

アヤの元までゆっくりした足取りで歩いてくると、少年は頭の上から足先までアヤをじっと見る。

深紅の瞳が暗闇で鈍く光って、その表情は暗さでよく見えない。

何を考えてるのかさっぱりわからなかった。



「大丈夫ですか?」

「は…は、い」

「怪我は?」

「ない、です。でも何体かポケモン達が…」

「そうですか…でもあなたが怪我をしていなくて良かった。ポケモン達はすぐにセンターへ連れて行きましょう」



少年がふと笑った気がした。

さてと。そう言うと少年は犯罪集団へ向き直り、ラグラージの他にフライゴンをボールから繰り出した。羽音すらさせずゆっくりと舞うように躍り出たフライゴンは……よく育てられている。体の艶も申し分ない。
そしてラグラージの濁流に呑まれて既に濡れ鼠状態になった敵のポケモン達をサンダースが放電で追い討ちをかける。濁流の威力もあり感電しやすくなったおかげで幸いにも戦闘不能にできた。
何人か舌打ちするのが聞こえて、ポケモンをボールに戻したランス達が、次のポケモンを疎らに放つ。ランスはマタドガスとドクロッグを、他はジバコイル、ゲンガー、ダグトリオを場に繰り出した。……本当に、手持ちのポケモン達は対自分用に構成されているパーティーだった。ランスの毒タイプを中心に組まれた構成は確実に毒で体力を削る為に用意もされている。

ランスは新たな乱入者を見て何かを考え込んでいるようだが、ふと思い出したように口を開いた。



「……!その顔、見覚えがあります。あなた、ホウエン地方のコーディネーターですね?まさかターゲットが二人も場に揃うとは…我々も運が良い」

「あれ、俺を知ってるんですか?それは光栄だ」

「噂は良く聞いてますよ。確か…キレイハナをお持ちですね?我々に引き渡して貰いたい。手荒なマネは私、嫌いなんですよ」

「手荒なマネはって…もう既に手荒なことしてんでしょうが。……今ここに、先の爆発音で警察とジムリーダー達が向かっているんですが。撤退しなくて良いんですか?顔、見られたらマズいでしょう?」



それ以上やるんだったら今度は俺らがお相手しますよ、と深紅の瞳を細めて彼は薄く笑った。

彼の言葉を聞いて部下達が少なからず目が動揺の色に染まる。どうする、と上司なのかわからないがこのグループのリーダーのランスへと部下達が横目で確認していた。ランスは小さく舌打ちをするとポケモンをボールに戻し、撤退する旨を伝えると捨て台詞に「また会いましょう」と残して速やかに撤退して行った。



「(いや、もう絶対会いたくない)」



と言う言葉は胸にしまっといて。

いきなりの襲撃で思考が追い付いていない緊張の糸が、彼らの姿が見えなくなったところでついに切れた。冷や汗を流し、腰が抜けてそのままズルズルと座り込むととっくのとうに元の毛色に戻ったサンダースが慌てて近寄って来る。シャワーズもムウマージも遅れて戻ってきた。みんな一様に「どうした、どこか怪我をしたのか」と言いたげな表情だが生憎みんなが頑張ってくれたおかげで自分には一切傷はない。サンダース達が個々にアヤから敵を引き離してくれていたおかげだ。ありがとう、お疲れ様だったね。と一言ずつサンダース達に礼と労いの言葉をかけて頭を撫でた。

遠くでパトカーの音や騒がしい人の声が徐々にこちらに向かって来る気配がした。



「大丈夫ですか?…本当に怪我はどこもしていませんか?」

「怪我は、本当にどこも…」

「そう、よかった。……怖かったですね。一人で不安だったでしょう。でも、もう大丈夫」



少年はアヤの傍に寄ると視線を合わせるように腰を屈めた。ニコ、と笑顔を浮かべる少年とも青年とも言えない、名も知らない人が笑う。

月明かりで照らされたその顔は綺麗に整っていて、レッドやワタル、ダイゴにも負けないキラキラした容姿を誇っている。



「(い、いけめん……)」



そして地面に座る自分に滑らかな動作で手を差し伸べてくる。……どうやらこの人は、喋り方も柔らかいし物腰もそうだが、本当の紳士らしい。見たところ自分と同じような歳なのに。どこかで徳を積んだのだろうか。



「それにしても驚きました。いきなり爆発音が響いた時は。だって空にサンダー飛んでるんですもん」

「え、あ…サンダー、見えてたんですね…」

「えぇ勿論。街のみんながこぞって撮影してましたからね。明らかにポケモンバトルじゃない“戦闘音”が遠くから聞こえて、蒼い雷も見えたからもしかして、って来てみたんですけど。早めに駆け付けて正解でした。………ご無事で良かった」



少年はふぅ、と一呼吸置いて。

アヤはハッとして、そう言えばまだ助けてくれた事にお礼も言っていないのに気付き、慌てて口を開く。



「あ、あのっ。助けてくれて、ありがとうございました!えっと…」

「ああ、いえ別にお礼なんて。それに自己紹介がまだでしたね。改めて、初めまして。トップコーディネーターのアヤさん。こんな所でお会い出来るなんて光栄です。昼間には会場で目が合いましたよね?俺はルビーと言います」



以後お見知りおきを、と彼は頭を垂れ、左手を胸に添えながら微笑む。何だこの人どこかの王子かよと思いながら爽やかな微笑みとイケメンの顔面から発せられる後光がアヤの両目玉を刺し貫いた。






深紅の紳士

腰が抜けて力が入らない。今更ながら、手の中がぐっしょり濡れていて、小さく震えているのがわかった。



「(…………負けてたら、)」



負けてたら、どうなってた。

たぶん、サンダースを奪われて最悪他のポケモン達も奪われいた。このルビーという少年が来なかったら、あと少し来てくれるのが遅ければ。もしかしたら今頃サンダース達は自分の元からいなくなっていたかもしれないことを考えて、額から汗が流れ落ちた。



「……帰りましょうか」



腰が抜けて力が入らないのを分かっていてか、彼は少しの時間を待っていてくれていた。「手、貸しましょうか?」と下心を感じなさそうな爽やかな笑顔で手を差し出し、微笑む彼にアヤは小さく頷いて。少し戸惑いながらその手を掴んだ。「ありがとう」と伝えると「いえ。では失礼しますね」と彼は立ち上がれるように上へ引っ張ってくれる。

迂闊に異性に触らないところも、随分とまあ紳士的であった。



「(ルビー……ルビー?)」



あれ、そういえばその名前。どこかで聞いたことある。……そうだ、確か勤務中の今年のグランドフェスティバルの出場名簿に、そんな名前が上がっていたような。

確か、今年の優勝候補として。












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