Burst Lady 後編





あの子を拾ったのは、たまたま外に出ていて野生のラフレシアから花粉を頂戴していた時だった。

ここ数年のアヤの生活パターンは森で食料になる果物や木の実、野菜、薬になりそうな草や花を採集しては自分で調合してポケモンセンターで売って生計を立てていた。

コガネシティのジョーイとはもう数年の付き合いとなる。
グランドフェスティバルを優勝し、失踪した数ヶ月後に森の中にある買い手が全く付かないという家を格安で購入し森から出ずに生活をしていた。初めこそは快適かつ、人と関わらずに住む毎日は気楽だった。

ポケモン達もアヤが楽ならそれでいい、というように文句一つなくアヤと共に生活をしている。けれどやはり街中に出て家具やその他生活用品を揃えなくては行けない時もある訳で。目深くフードを被ったり、マスクをしたり、帽子を被ったりメガネをかけたりと様々な軽い変装をして渋々街に出る。それで声をかけられたり怪しい人間につけられたりは奇跡的に一度もなかった。

けれどもやはり人の目がとても気になるのだ。気分も良くはなく、悪くなる一方で。「ここでもし、正体がバレてまた人に晒されるように見せ物みたいになって、興味本位で跡を付けられたりして、写真なんかも撮られて、ありもしない変な噂なんか流されて、そして、そして……」悪い方のイメージが膨らみ、やっと抜け出せたトラウマや嫌なことが背後にのしかかってきた。

胃が痛くなって気持ち悪くなり、すぐそこのベンチに座った。そしてしばらくしてから聞き覚えのある声に話しかけられる。



「ねぇ、ちょっとあなた?大丈夫?」



コガネシティのジョーイだった。聞き覚えはあるが恐らく面識はない。

不思議なもので、この世界のポケモンセンターのジョーイは顔は皆同じで、声質も殆ど同じだった。しかし同一人物ではなく全くの他人。

アヤに声をかけたジョーイは色々な質問をアヤに問いかけ、反論する気力もなかった為「いらっしゃい」と言うジョーイに若干の抵抗はあったが、暖かな手を振り払えるほど礼儀知らずでもなかったので素直に着いていくことにしたのだ。

ポケモンセンターの宿泊施設に案内され、改めてジョーイはアヤの顔とトレーナーカードを確認した彼女は最初こそは「え?」と声を上げたが、それだけだった。

アヤも特に何もなく過ぎ去ったジョーイに驚き「何か言われるかと思いました」と伝えると「別に何もしません、特別な条例がない限り私達には守秘義務があるから」とそれだけ。

何となくアヤの事情を察したジョーイは気分が落ち着くように、と飲み物と仮眠を取ることを勧めてくれた。ポケモン達もせっかくだから、とメンテナンスしてくれるらしい。特にそれ以上アヤから何も聞こうとしない大人であるジョーイの存在はアヤにとって大きく、とても助かる存在になっていた。

この出来事をきっかけにやはりポケモン達のメンテナンスはしっかり専門家であるジョーイに任せるようになったし、月に数回、ポケモンセンターに通いジョーイと話したり薬を売ったりしてコミュニケーションを図っている。

そんな中だった。今度新しくポケモン専用のサプリメントでも作ってみるかと、ものは試しで野生のラフレシア相手に花粉を分けて欲しいと交渉していた時だった。

ボールから出てラフレシアと交渉真最中のルカリオが『なんだと?』と少しの警戒を顕にした声色にアヤも「え?ダメだった?」と聞き直すとルカリオは首を振った。

違う、と言うルカリオの手にはきちんと採取したラフレシアの花粉が瓶に詰め込まれている。お礼にと木の実を数個分けてやれば、ラフレシアは嬉しそうに木の実を抱えて森の中へと姿を消した。



『先日黒い花を見かけたそうだ。まあこの森のポケモン達に限って近付く奴は一匹も居ないだろうが』



ルカリオはそう言って瓶の蓋を閉め、アヤの鞄に勝手にしまう。黒い花…とアヤは恐らくバーストレディの花だろうと予想する。確かこのもっと奥の方に自生できる条件が揃った場所があったはず。希少価値は高く滅多に見られるものではない。是非とも採集してみたいがあれは薬にもならないし、素手で触るのも危険だ。自分は研究者でもなんでもないし、わざわざ危険を冒してまで取りに行くような、そこまでの執着はないが。

次はどこに行く?とルカリオが視線を辺りに巡らせる内にまた耳がピクピク動き出し、言葉を途中で飲み込みある一点をじっと見つめた。何か気になることがあるようだ。



「?どうしたの?何か見つけた?」

『…いや。アヤ、黒い花は確かここから更に奥の方に咲いていただろうか』

「……確かそうだったと思う。バーストレディ。近くに水源があって、人の手が加えられていないかつ更に周辺に毒ポケモンが大量に生息しているのを条件に咲く」

『そうか。残念なお知らせだが…人が近くにいる』

「ええ!?」



過去セレビィ見たさに森に迷い込んだ観光客が、偶然にも咲いていたバーストレディに迂闊に触り、発狂した事件が今まで数えきれない程この森で起きていた。

確か警察沙汰にもなりジュンサーが‘ここから先立ち入り禁止’の札を立てていたはず。もしかしてそれを無視したのか、それとも迷った際に気付かずに札を越えて入っていたのかなんなのか…。とりあえず面倒なことになりそうな予感なのは拭えない。解毒薬はあるが果たして今持っている種類で解毒できるのか分からなかった為、アヤはポーチを確認した。…たぶん効果はあるだろう。



「最悪放っておくと花に取り込まれて死ぬ可能性もあるからなぁ……様子見にいこう。一応何があるか分からないから、ルカリオはボールに戻って」

『…大丈夫なのか?』

「うん」

『了解した。こっちだ』



バーストレディは繁殖力は強く、しかし短命だ。他の生き物に自らの命を犠牲にして取り込ませ、獲物を苗床にして種を体内に植え付けた後、種は数十個に破裂し分裂する。

そして体の養分を根こそぎ喰らい尽くし、新たなバーストレディが咲く。…そう、苗床次第で次々と繁殖するのだ。そして花自身も意志を持つ為、寄生された獲物が逃げようとしたり、第三者が助けようとすれば花は脳神経を麻痺させて幻覚を見せ、阻止させようとする。誰かが言った。執着する女のようにしぶとい、と。

そこからBurst Lady(バーストレディ)と名づけられたようだ。

ボールから発せられるルカリオの案内通りに森の最深部に進むと、成程。人の声とポケモン達の声が聞こえてきた。それは焦りを含む声がほとんど。周辺を見渡せば毒ポケモンが遠くからこちらの様子を伺っており、夥しい数の黒い花が辺り一面に咲き乱れていた。こんなに繁殖してるのは見たことがなかったが、たまたまそういう条件が重なったのだろう。

そして騒ぎの中心人物と言えばまだ年端もいかない少女が一心不乱に花を貪り喰い続け、その少女のポケモンであろうダイケンキやウォーグルが少女を必死に引き剥がすように遠ざけている。

シャンデラは軽く森を焼かない程度に花を燃やしているしピカチュウは泣きべそをかきながら花を燃やしたり少女の足にまとわりついていた。「うわぁ、これはまあ…悲惨な…」とアヤは少しの同情を送りながらポーチの中から注射器を取り出した。

半狂乱になって泣き叫ぶ少女へとズンズン向かう。突然の第三者の乱入に驚いたのだろう、目を見開いて驚きを露わにする彼女のポケモンであるダイケンキに「抑えてて」と声をかけ、手っ取り早く注射を打ち込むのだった。



「……戦わないと」



そんな少女のぽつりと落とされた一言がとても恐ろしく感じた。

こちらを見た少女の目は焦点が会っていなく、どこを見ているのかわからなかい。

そして半ば怒鳴りつけるようにダイケンキを呼んだかと思えば、少女はアヤを指さして「ゲーチス今からお前をボコボコにしてやる」と物騒な言葉を発した。ゲーチスって誰ぞ。自分はアヤです宜しくお願いします。

やはり花の繁殖本能というか、生存本能というか花は自分を守る為に少女を半狂乱のまま戦闘へと駆り立てた。

ダイケンキは気乗りのしないバトルを行うことに不満を持っているようだが、主人の命令には忠実のようだった。申し訳なさそうにアヤをチラチラ見るダイケンキやウォーグル、おろおろしているシャンデラやピカチュウを見て「ああ、この子は愛されてるトレーナーなんだなぁ」なんてのんびり思ったりもして。



「〜ぅっ……ぅぅぅぅ〜〜〜〜〜」



少女は泣きながら顔と頭を掻きむしっている。

だがそんなのんびりしている暇もなく、ダイケンキが放った鋭いシェルブレードの攻撃にアヤの腰に着いた3つのうちのボール全てがカタカタと揺れているのを感じ取れた。とりあえず少女のポケモンに聞きたいこともあるし、会話ができるルカリオを戦闘に出すことにした。



「ルカリオ、いける?」

『ああ、任せろ』



高く放ったモンスターボールから回転して綺麗に着地したルカリオは軽くシェルブレードを弾いてしまった。ルカリオも予想と大分違ったダメージの軽さに驚いており、どうやらこの少女のポケモンは頭が相当キレるらしい。

状況判断能力が抜群に優れている。

ふむ、とルカリオは目を若干輝かせながら固まった筋肉を解していく。少しワクワクしているルカリオには申し訳ないが、これからまともに戦う訳ではないのだ。場の鎮圧をして欲しい。



『ああ、分かっているとも。あちらのポケモン達も彼女が正気ではないことは理解しているらしい。攻撃が軽い』



有難いことだ。と呟いたルカリオがアクアテールの連撃を軽くいなしながら距離をとる。すると少女がさらに猛攻を仕掛けてきた。戦いに戸惑いのあるウォーグルとシャンデラを戦いの場に引きずり出してきたのだ。「逃げるな、抵抗するな」と唸るように呟き、指をガジガジ噛む様子に、これは焦っている。

これは解毒薬が確実に効いているのだろう。あと少し、あと少し…と思った所で少々予想外の事が起きている事にアヤは気付いた。



「………!(何この子!?強くない!?)」



三匹の連携は完璧だ。いや、彼らの意志により最大限手加減されてるのは分かるし、この少女も正気ではないのにこの戦いっぷり。そんじょそこらのトレーナーではない。恐らくだが充分に戦い慣れしており、身のこなしやフェイント、戦いの駆け引きなども申し分ない。各々のレベルも相当高いことが伺える。



「ルカリオ!大丈夫!?ヘルプいる!?」
『問題ない!あの3匹、かなり手加減してくれている!攻撃も単調で避けやすいしな!』

「そう…!(バトルの癖からしてコーディネーターではないことは分かるけど、たぶんトレーナー。しかも15歳前後の手練。人は見かけで判断するなよーってそれはボクも自分のこと言えないけど…各地方のジムトレーナーは把握してるつもり。…ってことは、ジムチャレンジャー?)ルカリオ!見切り続けて!」

『楽しいぞ!』

「いや聞いてない!!」



いや聞いてないし楽しんでんじゃないよ。

ルカリオは三匹の猛攻を見切り続けひたすら攻撃を避け続けている。勿論アヤにもルカリオにもこちらから攻撃を仕掛ける気はなかった。

…5分経った。

効き目が出てくるまでもうそろそろだと思うのだが、と思った瞬間にその時がやってきたらしい。少女は突然唸り頭を抱えた。『やっとか』というルカリオの声に少女のポケモン達も一斉に攻撃を止める。

頭を激しく掻きむしる少女は今頃激しい頭痛に襲われていると思うが、それは薬が効いてきた証拠だ。アヤはよしよし、と一段落着いたように小さな息を着いた。

アヤはとりあえず少女がこのまま正気に戻れるようならこのまま自力で介抱しようと考えており、しかし自分でどうにもならない時は直ぐに病院に叩き込むつもりである。少女へと近付き声をかけるが、全くアヤの声は聞こえていなかった。

ただひたすら「行かないで」「待って」と泣いて実体のない誰かに縋っている。

落ち着け、と言っても全く意味がないように思える。さて、どうしたものか…。とりあえずアヤは嘔吐しやすいように背中を摩る事にした。



「うっ、ぐ、ぇぇっ」

「……結構食べたね…」

「やだぁっ」

「!」



酷い嗚咽の後に少女が勢いよく黒い花弁を吐き出した。薬による拒絶反応だろう。それでも幻覚を見ながらも地に手を付き、花を探すように両手は震えながらさ迷っている。

凄まじい花の生への執念だ。
少女の目は最早虚ろで今にも倒れてしまいそうなのに、それでも花に意志を支配され、身体を動かし続けている。大きな瞳からボロボロ雫を零し、泣きながら手探りで花を探し続けているが次々に花を嘔吐している。異様な行動は傍から見ればホラーの一種に違いない。

が、次第に少女の行動が変わった。アヤの目がピクリと釣り上がる。



「い…ない…!、いか、ないで…!!」

「ちょっと、しっかりしなよ」



嘔吐した花弁を今度は口の中に戻し始めたのだ。吐き出した花弁を咀嚼し両手で貪り始める。

せっかく吐き出したのに余計な事を、と卑しいまでの花の執念に流石に呆れを感じた。

嘔吐してはまた口の中に戻す行為を続ける少女に、アヤは口腔内に指を差し入れて無理矢理掻き出し始める。
すると面白いくらいに花が塊となって胃から逆流し、勢い良く口内から吐き出され始めた。苦しいだろうに。嘔吐する合間でひゅーひゅー、と少女は喘鳴を起こして呼吸苦になっている。

絶え間ない花吐きの間、空気を求めて喘ぎ、酸欠にもなっている少女は正しく花に溺れそうになっていた。ゴボゴボと嫌な音が少女から聞こえる度、予想以上に重体だった事を知ったアヤは冷や汗を流しながら良くこんなになるまで生きていられたなと思った。
頭が割れるように痛いのだろう。先程から頭部や顔を両手で強く抑えており震えている。それに彼女のポケモン達と言えばそれはもう卒倒しそうになっていた。ピカチュウとシャンデラなんて気絶しそうになっている。

…少女も可哀想だがこっちもこっちで可哀想に思えた。

そして既に限界を迎えている少女は絶叫した。

心が耐えきれなくなって悲鳴を上げたのだろう。それにこれ以上精神にダメージを与えるのは良くない。アヤは少女の顔を思い切り張り飛ばし半ば強制的に気絶させた。その時一瞬目が合ったような気がしたが…気のせいだろう。

地面に打ち付けられる前によいしょと身体を支えたアヤは更に解毒薬を打ち込む。横向けにして嘔吐しやすい体制にすると次々と食道から口内を通り大量の花弁が吐き出される。思ったよりも体内での繁殖が進んでおり、スイが生花を食べ体内で種を植え付けられて分裂し、 増殖していた。

薬を射つのがあと少しでも遅かったら、もしかしたら助からなかったかも知れない。それに彼女のポケモン達が止めていてくれたおかげもあり、摂取した花が致死量に至らなかったのもある。
アヤは震えているピカチュウの頭をワシワシと撫で、ポケモン達に「大丈夫だよ、この後ちゃんと治療すれば元気になるよ」と伝えるとピカチュウは緊張の糸が切れたのだろう。ホロホロと泣き出してしまった。

ダイケンキやウォーグルもおっかなびっくりした顔をしているが、一先ず大丈夫な事が分かると大きな溜め息を着き、アヤ達に頭を垂れた。物凄くきっちりと躾られている…と言うより元々そういう性格なのか、とても律儀な性格の子達だ。

落ち着いてきた少女を見て、「とりあえずここから離れよう。ちょっと離れた所にボクの家があるから、そこまで運ぶ」とアヤは伝えるとダイケンキは頷いた。するとシャンデラとピカチュウをボールへと戻るように指示し、何やらウォーグルと話した後ダイケンキはボールへと戻ってしまった。アヤが抱えようとしていた少女をウォーグルは代わり、背中に俵担ぎにして背負った。

……おお、成程。やはりこのダイケンキ、相当頭が良い。



『……こんなリーダーシップがある奴、うちのパーティーにいただろうか…』

「いや、いないねぇ」



寧ろうちの連中は自由過ぎて好き勝手する奴しかいない。

帰り道の道中、ウォーグルにこれまでの経緯をルカリオに聞いてもらいながら帰宅した。

ざっくりと聞き出したみたいだが、道に迷ってたどり着いてしまったらしい。ということは立ち入り禁止の札は見ていないという事だ。まあ運が悪かったのだろう。
森の最深部から出たアヤ達はそこから少し離れにある自宅へと向かった。アヤの家も最深部とはいかない迄も、道順を正しく覚えていないと迷ってしまうくらいには入り組んでいて迷ってしまう場所にある。

普通に生活するには少し不自由に感じるかも知れないが、アヤは長年住んでいてもそんなに困った記憶はない。それに滅多に人もここまで来れない為、人を避けているアヤにとってこれ以上の良物件は珍しいと思う。

木々を抜けた先に開けた広場には小さな家が建っていた。

「ここ、着いたよ」とアヤはウォーグルに一言伝えると一度ボールの中に戻ってもらう。ドアに鍵を差し込み、ルカリオに少女を任せたアヤは小走りで自室へと戻り解毒薬を更に追加で作ろうとバタバタと用意を始める。

棚を弄る騒音に、ベッドの布団の下からサンダースがなんだなんだと顔を出した。うるさい、と若干の不機嫌さを滲み出しアヤをジト目で見ている。気付いたアヤはごめんごめん、と言いながらまたもやバタバタと駆けて自室を出て行ってしまった。



「……………ブィ、」



もしかして面倒な案件を持ち込んで来たな、アイツ。

とサンダースはまだ眠気がある頭で考え、よっこらせと思い腰を上げた。
ぐーっと背中を伸ばして欠伸をして。変な人間なら直ぐに追い出そう、なんて考えて。




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「……うぅんっ」



不意に。ぼんやりと、逆光で顔が見えなくて誰だか分からないような不確かな人影が見えて…スイは自分の両頬をピシャリと叩いた。

後遺症……とまではいかないがまだ花の影響が体には残っているらしい。それでも自力で振り切るくらいの精神力はついて、ちゃんと心は回復している。仄かな灯りがついた部屋の一角を見てスイはため息を着いた。

N、今頃どこで何してるのかなぁ、なんて思って。

実はと言うと、ここまでNとは深い関係でもないかもしれないし、友達とは言い難い。ただあの事件の中で幾度か関わりがあって、人間とポケモンへの暴力的なまでの支配下に置こうとしていた悪性が強い組織と関わったお陰で繋がっただけの間柄だ。


彼からしたら自分なんて、そこまで思入れもなくその他の中の一人くらいの存在かもしれないけど。

それでも自分の出生や自分の親だと思っていた人からあんな非人道的な扱いを受けていて、真実を知った時のあの顔は見ていられなかった。あの時気丈に振舞っていたけど本当は叫び出したかったに決まっている。

彼の意地とプライドが邪魔しただけで、強がっただけで。

ポケモンが大好きだと、友達だと言った彼を一人にしたくなくて、自分と同じように周りに恵まれた環境にどうかいて欲しかった。

そんな最低な所にいなくていいと。

…あの時は時間がなくて、サヨナラと言われて呆然としてしまって。一人にするべきではなかった。背を向けて一人になろうとするNをぶん殴ってでもいいから引き止めて、一緒にいるべきだったのだ。ポケモンだけではなく、本当の他者との絆を知るべき人だったのに。



「……スイちゃん?」

「え?」

「んーー…まだ副作用がある?それとも心の問題?」



木の実をすり潰しながら目の前に座るアヤは訝しげにスイの様子を見守っている。
手が止まってるよ、と指摘されながらスイは慌てて薬草の土を払った。

じとりと嫌な手汗が滲んだ。……考えすぎだろうか。というより、自分はここまで物事を深く考える性格だっただろうか。前はもっともっと、楽観的だったような気もするのに。

視線が泳いで、再びアヤの顔を見ると蒼色の瞳にじっと見られていて、思わずといった風に言葉を紡いでいた。

はっきり言うと仲良いかも分からない、友達とも言えるかどうかもわからない、旅の途中で何回か会ってバトルをして、ちょっとした事件に巻き込まれただけの関係だけれど、最後に物凄く心に傷を負った状態のその人に無理やり笑ってサヨナラと言われた。でも、何も言えずに別れてしまった、と。
しばらくの間、無言が続いた。黙ってしまったスイを見て、それから静かに聞いていたアヤはふむ、と頬杖をつく。



「うーん、後悔してるんだねぇ…」

「こ、後悔……してるんでしょうか…」

「それ以外に何があるってのさ…憂鬱な気持ちなのね、スイちゃん」



はーぁ、とやれやれとアヤは首を振り、なぜか自分のモンスターボールを机の上に6個置いている。何をしているんだろう…今から磨くのだろうか、と見ているとアヤは唐突に「どれがいい?」とスイに指差している。



「……え?」

「どれがいい?さっ、早く選んでね」

「え!?あっじゃあコレ!?」

「オッケ、じゃあボクはその……そこの右から2番目のボールで」

「えっええ!?何!?どゆこと!?」

「さぁさ、外にレッツゴー!善は急げってね!」

「えぇ!?ちょっ……アヤさーん!?」



ボールを掴み鼻歌を歌いながらアヤは「おーいそこで水浴びしてるキミ!体動かすよ〜!」なんて言いながら玄関の扉を開け、外に出て行ってしまった。

え?なに、バトルすんの?今から?

スイは目を白黒させながらアヤの後ろ姿を呆然と見送る。暫くして我に返ったのか慌ててボールを掴んで外に飛び出すスイの後ろ姿を、サンダースとピカチュウはやれやれと言った表情で見ていた。なんで自分のトレーナーってあんな自由気ままなんだろう…と。




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「やっぱり悩んでる時とかむしゃくしゃしてる時はバトルが1番!ってことでアクアリング宜しく!」

「シャワワー!」

「どんな理由で宜しく!?氷の礫!」

「グレィッ!」



何故か唐突にポケモンバトルをしている…なぜ!?

スイは考えていた。さっきの会話からなぜ突然バトルに展開したのか…そんな要素あった……?と。

アクアリングを纏ったシャワーズがグレイシアにオーロラビームを数発、勢いよく放たれた。氷の礫はオーロラビームに殆ど弾かれ、代わりにグレイシアは撃ち込まれたオーロラビームをミラーコートで技を跳ね返す。



「……大丈夫?」

「フッー」



返ってきた自分のオーロラビームを水の反動を使ってヒラリと優雅に躱していく。
濁流だろうか。シャワーズは体のクッションにするように濁流に乗って地に静かに着地した。氷の礫で数カ所傷になったところはアクアリングでゆっくりと再生していく。

シャワーズに声をかけた##name_1##は次の指示を出そうとしているのか、シャワーズの周囲に水が散り始めた。



「(抜け目ない……っていうか、濁流ってそんな使い方も出来るんだ…)」

「グレッ」

「スノウ、いくよ雪景色!」



コーディネーターと戦う事は、スイは初めてだ。

しかも相手はグランドフェスティバルの優勝者だ。

何をしてくるかは全く検討も予想もつかない。まずはグレイシアに少しでも有利な状況を作って、予想外な攻撃を受けた時に少しでもダメージを半減できるようにしなければ。

雪景色により森周辺の天候が崩れ、粉雪が散り始める。
氷タイプであるグレイシアは普段の防御力の数値が上がる。



「氷の礫!」



何をしてくるかわからない。
それなら攻撃させなければいい話だ。先制攻撃の礫を飛ばせば、シャワーズの頬を掠めて後ろの木に直撃した。



「グレイシア目掛けて扇状に、水の波動!」

「えっ」



扇状に放たれた水の波動。それは水の波動のレーザービームのように辺り一帯を水浸しする。直線で撃たれるより、扇状に撃つ方が格段に避けやすいのに。迫る水の波動を縄跳び感覚で避けたグレイシアは首を傾げながら着地した。

こんなの当たるわけないだろう、と言った顔だ。



「シャワーズ、溶けて」



ちゃぽん、と。

水の波動で水浸しになった地面へと、シャワーズは溶けるように吸収された。




「………っ…!!や、やられた…!」



そうだった。シャワーズは体の細胞が水の分子だ。自分の体の中を弄って溶けることもできる。

これは、まずい。

ばしゃん、と音がグレイシアの背後でして。

ハッとしたグレイシアは振り返ると、そこには水の分身で出来たシャワーズが泳いでいた。パチパチとその目を瞬いている内に、またパシャん、と水音が鳴り、辺り一面には次々とシャワーズの分身が数体作り上げられる。



「……ッシャワーズってそんなことも出来るの!?」

「うちのシャワーズ、コントロールだけは手持ちの中で一番なんだ〜」



彼女は、そう言って雑誌の中のように笑った。



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猛攻、だった。

その分身のシャワーズは時には水に溶けて、また新たな個体を作り上げる。そしてオリジナル本体のシャワーズは地面の水分をかき分けてグレイシアの隙を着いて地上に上がってくる。姿を表しては不意を付き、ハイドロポンプや水の波動など…水の闘技で翻弄を続けている。ノーマルタイプの技を使って物理攻撃をしかけてこないのは、それが悪手だとわかっているから。



「(そんなの、私だって悪手だってわかる!)」



分身のシャワーズは攻撃という攻撃はしてこない。視界阻害や突進での水圧衝撃などでグレイシアの行動を阻害している。

本体のシャワーズは隠れながら攻撃をするのが、一番最善手だ。

影からじわじわ嬲って、疲れた所を仕留められる。

しかも水の波動やハイドロポンプが更にシャワーズに取って有利なフィールドを作っていく。完璧なフィールドメイクであった。




「(楽しい)」



シャワーズのハイドロポンプが背後から直撃し、グレイシアが吹っ飛ばされる。
けれど雪景色で防御が底上げされている為、まだ致命的な攻撃は受けてはいない。飛ばされたグレイシアは身を躱し、受身を取り立ち上がった。

スイは、うずうずと高鳴る鼓動に拳を握りしめる。

楽しい。

やはり、ポケモンバトルは楽しい。

強敵であればある程良い。

しかも一度は戦ってみたいと思っていたコーディネーターと。
見たことないバトルの方法は実にスイの探究心と興味を刺激し、闘争心に火をつけた。

今まで暗く思い詰めていたのが嘘のように晴れていく。

楽しい。

ポケモンバトルは、こうでなくては。



「(私だって、イッシュ地方のチャンピオンだもの)」



バシャン、バシャン、とシャワーズの分身が水になったり個体を作ったりを繰り返す。グレイシアはもう全身ずぶ濡れだ。



「スノウ!広範囲…いや、辺り一面凍らせろ!」

「あっ」

「凍える風!」



アヤはげっ、と顔をした。

それは突破策だからだ。

凍らされれば意味が無い。しかしこの範囲をガチガチに凍らされない限りはまだシャワーズの独壇場である。とりあえず次どうやって動こうか…と考えた間もなく、周囲一帯は、真冬であるかのように凍って雪が積もった。



「おいおい…まだ夏だっての…」



一瞬で森が真冬に変わった光景を見て、アヤはヒクリ、と口端をひん曲がらせる。

はァ?ただの凍える風がどんな威力をしてるんだ。おかしいんじゃないの?と悪態を付きながら。

パキ、と固まった地面…否、散々シャワーズの水の波動やハイドロポンプで水浸しになった土は水分を過剰に吸い、ドロドロになっていたがそれは凍ってスケートリンクのように硬くなっていた。
これではシャワーズはもう地上に上がって来れないし、凍らせている為原型に戻ることもできない。



「……これがチャンピオンかぁー…」



何人かチャンピオンの知り合いが、アヤには居るが。
その誰とも戦ったことは無い。

スイがイッシュ地方のチャンピオンで、しかもそのチャンピオンのポケモンはこんな化け物級の威力を持つポケモンを育て上げるのだから。やはりどの地方でもチャンピオン級のトレーナー達はアヤなんぞが手に負えるような人間ではない。

所詮コーディネーター。バトルの本職の人間とポケモンに叶う訳がない。

グレイシアから漂う高密度の冷気が練られている。

これは……



「負けたかなぁ…」

「フリーズドライ!!」



容赦なく放たれた冷気に、アヤは思った。

チャンピオンって、怖い。と。




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「すみません!大丈夫ですか!?」

「大丈夫大丈夫…やめてよ、なんか惨めになっちゃう…」

「え、あ、なんかスミマセン」



自分から喧嘩を売った手前、一撃で終わった事にアヤは少なからずショックを受けたようだ。

とりあえずアヤは思った。チャンピオンに喧嘩を売るものでは無い。

フリーズドライは水タイプにも効果抜群の技である。にしても特防が高いシャワーズをこうも簡単に1枚抜きされるとは…恐ろしい子である。

はあ、やれやれ、とアヤは溜息を着く。シャワーズが戦闘不能になって目を回したのを見て、アヤはシャワーズを抱えて庭のビニールプールに沈めた。これで大丈夫だろう。水に浸しておけば元気になる。
グレイシアはそんな伸びたシャワーズを心配そうに見つめているが、決して同情はしない方がいい。ツンデレではあるがこう見えてプライドが高い♂なのである。



「いい顔になったね」

「え?」

「楽しかった?」

「……は、い」

「それは良かった。今度そのNって人に会ったらさぁ、ボコボコにしてやんなよ」

「え!?」



ボコボコに!?

そう、ボコボコに。

スイがおっかなビックリな顔をしてアヤを見るが、アヤは至って真面目な顔をして頷いている。



「………もう、大丈夫そうだね」

「…あ、」

「ちゃんと会えたら、言わなきゃ。そこまで後悔してるなら尚更。伝えられ時に、伝えないとダメだよ」

「……はい」

「ということで、もうそろそろ行っちゃうんでしょ?」

「えっと、実は。そろそろ身体も全快に近いですし。……お世話に、なりました」

「いいえ。どういたしまして」



元気になって、良かった。

アヤはそう言って笑ったのだった。





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「傷薬は持った?ボールは持った?ご飯は食べたっけ?あっ食べたわ。忘れ物は……」

「アヤさん…ママみたい」

「まだ子供を産んだことはないよ」

「知ってます」



なんて言いながらスイはウォーグルの背中に乗っていた。これから、シロガネ山に向かうらしい。シロガネ山の噂の都市伝説?とやらに興味を持ったスイの次の行先である。
スイの頭に乗ったスピカはブンブンとアヤに手を振っている。アヤもそれに返しながら、そうだ。と言いながらスイに小瓶を1つ手渡した。



「こ、これは?」

「ルカリオがこの前スイちゃんに食べさせたアレを粉末にして砕いたもの」

「え"」

「あはは。お土産にあげる」

「これを!?」



渋い顔をして固まったスイを見て笑う。その顔が何となく面白くて、アヤは気分が良くなった。チャンピオンの渋い顔頂きましたーと思いながら。



「じゃあ、行ってらっしゃい。もうあんなもの、食べちゃダメだよ。


ーーー今度は死ぬからね」





ーーーこれが、スイとアヤの出会いである。







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