Burst Lady 中編





身体が、燃えるように熱い。

足元から暑い湯に浸されて、どんどん加熱されていくような熱さだった。暗い海の底からゆっくりと海面まで引き上げられて行くように、スイの意識は覚醒した。固く閉ざされた瞼がやっと開かれ、大空をそのまま切り取ったかのような透明度が高い水色の瞳を瞬きし、ぼんやりと全く身に覚えのない天井を見つめた。

自分はいつの間に眠ってしまっていたのか、はたまたここはどこなのか、思考力の低下したスイには考える力事態が損なわれていた。

起き上がろうにも身体に力が入らず座位になる事すら叶わない。気付けば頭も尋常じゃないくらい痛みがあり、自覚すればする程、身体の至る所が不調を訴え始めた。



「うっ……」



気持ち悪い。胃からせり上がってくるものに耐えきれず、スイはそのまま嘔吐した。



「(なに……これ……っ)」



口から勢い良く吐き出したものは稀に見る吐瀉物ではなく、黒い花の花弁が大量に胃液と混じり、布団の上に投げ出された。気味が悪かった。花弁を吐くなんて、自分は何か大きな病気にかかってしまったのだろうか。

噂に聞いたことがある。花吐き病というものがあるらしいが、まさか自分はその病にかかってしまったのか。その病気について詳しくは知らない。でも、花弁を吐いたのだから間違い無いのかもしれない。

これらは先刻、スイが大量に接種した黒い花の花弁であり、身体が拒否反応を起こして嘔吐により体外に押し出そうとしているだけなのだが…スイはあれら一連の出来事は綺麗さっぱり忘れているようだった。激しく咳を込んだ後、漸く落ち着き呼吸を整える。

口元や枕、ベッドを汚してしまった。誰か知らないが、このベッドの持ち主に後で謝らねば、と。

熱と頭痛に魘されたぼんやりとした意識の中でスイは改めて室内に視線を巡らせた。そこは小さな部屋で、必要最低限の物しか置いていない。簡潔なベッドと、机と椅子、簡単な棚に、この部屋の唯一の明かりである少し大きめのランプが棚の上に1つ。それと机には何かの粒子が詰まった小瓶が数個と、すり鉢と水差し、コップが1つ。それと置時計。どう見ても客用のシンプルな小部屋だった。ポケモンセンターではない。本当にここはどこなのだろう。自分はいつからこの状態なのだろうか。そしてスイの大切な……ポケモン達もいない。ポケモンだけではなくボールも、荷物もなかった。



「…………夜中……」



そして今の時刻は深夜の2時を指していることを確認した。


コンコン、と部屋のドアをノックする音。
気怠い頭でそろそろと視線をドアの方にやればドアノブが下がった。一人分入れるだけの隙間を静かに入ってきた人物はフードを被っていて顔は見えない。



「……あ、起きたんだね。大丈夫…ではないか。まだ気持ち悪い?ちょっと待ってて」



フードの人物は、女性だった。顔はあまり見えないが声は高くはなく、落ち着いた少し低めの声。名も知らないその人は手袋を嵌めてスイの嘔吐した花弁を手早く処理する。「ごめんなさい、汚い、こんなこと、ごめんなさい」と途切れ途切れに伝えると彼女は「気にしないで」とあまり気にしていない様子だった。嘔吐して汚れた口や首も手早く清拭すると、今度は氷の張った桶に浸したタオルを絞りスイの額に乗せる。冷たくて心地が良い。

彼女はスイに問いかけた。どこまで覚えてる?と。そう問われてスイは改めて思い返そうとするが、上手く思い出せなかった。ふむ、と女性は何かを考える素振りをして、ゆっくりと話し出す。



「ここはウバメの森。ジョウト地方にある最も広い森だよ」



キミはそのウバメの森で倒れて、そんな状態になっている。

彼女は簡潔に、結果だけを話し出した。なんともわかり易いシンプルな説明だった。



「森の奥深くに開けた広場があったでしょ?小さな泉がある。そこに生えていた黒い花を覚えてる?見た目はとても綺麗で、美しい。黒い花を」



そう言われて、スイは少しづつ霧がかったものが少しづつ晴れてくる。あの時、何をしたのか。セレビィの祠を目指して歩いていたけれど、見事に迷って、あの場所を見つけて、黒い花を目にして、そして。そして……そこからよく覚えていない。誰かと、喋っていたような。



「ボクがキミを見つけた時には、キミは今吐いた花弁の花を一心不乱に食べまくってたよ」

「え、えぇ……!?」



え?あれを?あの気味悪いのを?食べまくってただって?そんな馬鹿な。

スイは戦慄した。



「取り乱さない為に言うけど、あの時見た不可解な出来事は全て幻覚だよ。………覚えてる?行かないで、って言ってた」

「ーーーーーー………」



そこまで言われて、スイはやっと思い出した。

とても綺麗な花を見つけた。黒い色の、金色のラインで花弁を縁どった不思議な…けれどとても美しい花。思わず手に取り、こんな綺麗なんだから香りはさぞかしいい匂いなんだろうと想像して、匂いを確かめたくて……そして、そして。

何故か猛烈に食べたくなったのだ。

その花を。スイは今考えると何故食べたくなったのか、あの時の自分に小一時間問い詰めたくなったが、何でと聞かれてもあの時自分は「食べたかったから」としか言えない。

今思い返すと末恐ろしい。食べた花弁は美味しくもなかったが、ひたすらに貪り尽くしたい衝動にかけられた。

そうして、Nがいたのだ。彼女が言うには、あれは全て幻覚だという。夢のような、けれどどこかとても現実味があるリアルな……スイは、あの一瞬、あの全てが幻覚で本当に良かったと安堵した。幻覚のNはとても優しく、甘く、まるで砂糖菓子の中にいるかのような穏やかな一瞬の出来事だった。いつまでもあそこにいられたら、どんなに心休まるだろう、とも考える。

けれど、けれど。そんな夢から覚めそうな時、Nは再び背を向けた。

酷く落胆したような表情で、冷たい表情で。失望した、サヨナラ、とも言われた。それはスイにとって二度と聞きたくない言葉だった。思わず思い出した言葉を改めて理解しするとジワジワと、大きなスイの水色の瞳に涙の膜が張られ、大粒の涙となって頬を滑り落ちた。

夢で、よかった。

震えながら嗚咽を噛み殺しながら泣いた。スイはこんな見ず知らずの人の前で泣くなんて、とも思ったが知らない人間だからこそ涙が溢れてしまった。傍にいたのが誰か知人なら、我慢………出来たかどうかは謎だが知り合いにこんな風に泣いてる自分を見られるのは死んでも嫌だった。

その様子を見ていた女は静かに椅子に座った。



「我慢…しなくていいと思う。あれは人の深層心理を暴く」

「………うぅっ……」

「辛いこと、あったんでしょう」



女は余計な詮索はしてこなかった。
それがとても有難くて、でも悲しくて。

あの後ろ姿を探していた。思えば、いつも寂しそうな顔をしていた。

手を伸ばせる距離にいたのなら、手を差し伸べたかった。

声なく泣き続けるスイに、フードの下の蒼眼がそっと閉じられる。彼女は音もなく椅子から立ち上がり、静かに部屋を出て行ったのだった。




********
*******
*****



次にスイが目を覚ますと、体内の熱はだいぶ下がり、あれだけ気怠かったのが嘘のように身体が軽かった。瞼も鉛のように重かったのが嘘のようだ。のそのそとスイは上半身を起こし、スイは周囲を確認する。部屋の状態は全く変わっていなかった。変わっていることと言えば、足元に丸まってスピカが眠っているくらいだろうか。机の上にあった粒子が詰まった瓶と、水差しを見ていると強烈な喉の渇きを覚えてスイは水差しを手に取った。

勝手に申し訳ないと思いながら、水差しからコップに水を注ぎ少しずつ飲み干す。
……適度に冷たかった。きっとあのフードの女性が気を使って水をこまめに取り替えてくれたのだろうと、スイは思う。記憶を辿っていけば、自分はあの女性に沢山の迷惑をかけてしまった事が伺えた。あの時、ゲーチスの姿をした………たぶんフードの人がゲーチスに見えていただけで、暴れるスイの相手をして、意識不明になった自分を連れ帰り看病する。

はぁぁぁ〜と深いため息をついて頭を抱える。どうしよう。あの人に迷惑かけてごめんなさい。ありがとうございました、だけではスイのプライドが到底我慢出来なかった。いや、そんな一言では人間が廃る。

意識を取り戻したスイの気配でスピカがガバッと飛び起きた。普段通りとまでいかないがスイの顔を見て目に涙を溜めて、ピカピカ、となんて言ってるか分からないが胸にしがみついて泣きじゃくっている。スイは心配かけてごめん、とピカチュウの背中を摩るとブルブルと震えていた。余程怖かったのだろう。予想も出来ないことに遭遇し、人間がおかしくなった姿を見たのは初めてで、このまま戻らなかったらどうしよう、と。

ピカチュウと出会ったのはつい最近だ。

最近でも、ここまで好かれて慕われている。

ピカピ、ピカピカ…と泣きながら、震えながら小さくピカチュウが呟いてる言葉はきっと「よかった」だと思う。
涙腺が緩んでしまったのだろうか。また視界が水っぽくなり、スイは泣かないようにぎゅっと目を閉じた。ごめんね、ごめんね、怖かったよね。仲間になったばかりなのに。心配かけてごめんね、もう大丈夫。心配いらないよ。スイはピカチュウの背を撫でながら謝り続けた。

泣き止んだピカチュウはいそいそとスイの膝の上から降り、スイはよいしょとベッドから立ち上がる。一瞬足の力が抜けたが踏み留まった。……思ったよりも身体は本調子ではないらしい。とりあえずスイは早く助けてれたフードの人物にお礼を言いたかった。

ギイ、と個室からゆっくりと出ると今まで居た個室との光の加減が違い過ぎてスイは目を細める。



「「「ーーーーッ!!」」



突然部屋から姿を表したスイに、良く見知った姿…スイの仲間達が呆然として皆一様にスイを凝視した。まるで幽霊を見たかのような顔にスイは「え?」と逆に呆然とするが、それもそのはずだった。
チラチーノが飛び付いてシャンデラが体当たりしてウォーグルの羽毛に埋もれた。溺れかけたスイはもがいて「ちょ、ちょっと…待っ…」と言葉と共にまた床に倒れ伏してしまった。皆揃ってスイに良かった、良かった、あなたに何かあったら死んでも死にきれなかったと、しがみつきながらそれぞれ言葉にしていた。勿論スイには言葉は聞こえないが。

ダイケンキも何か言いたげだが、ひとつため息を着くだけで特には何もしてこなかった。



「ご、ごめっ…私が悪かったから……!」

『おや、目が覚めたのか』

「!?ルッ……ルカリオ!?しゃ、喋ってる!?」

『波動だ』

『すっ……凄い……!初めて見た…本当に喋ってる…っ』

『喋るぞ。鍛錬すればルカリオなら』



部屋の片隅からひょっこり姿を表したのは……ルカリオだ。イッシュ地方ではあまり姿を見かけない為、珍しいポケモンになる。

スイが吃驚したのがお気に召したのだろうか。凄い凄いと感激し、尊敬の眼差しで見られることに気を良くしたのかハッハッハ、と軽快そうに笑うこのルカリオ。どうやらあの人のポケモンらしかった。何だか愛嬌があって素敵だ。

スイは初めて喋るルカリオ……いや、言い方に誤りがある。波動を駆使して人の言葉を操る個体を初めて見た。ポケモン大好きなスイにとって、ポケモンと人の言葉で完全に意思疎通が出来て話すことは、そう。まさに夢のような出来事である。出来ることならずっと喋っていたいが……。



『…驚いたな。もう自力で歩く事が出来るのか』

「え?ま…まあ。まだ少し違和感というか、少し怠さとかはあります。気持ち悪さも……少し。でも前よりかは全然マシです」

『そうか。それは良かった』



ふむ、とルカリオはスイを上から下まで観察し、よく分からないがウンウン頷いていた。さすが調合した素材が良かったな、とか何とか言って。



「あの…本当に、ありがとうございました。いろいろ…なんてお礼を言ったらいいか」

『ああ、それならア……主人に言ってくれ』

「ただいまー…あー疲れたぁ〜…え。あれ、もう起きたの?」

「あ!!」



ガチャ、と玄関の扉を開けて室内に入って来たのはフードを被ったその人だった。

最初に見かけた時と同じようにフードを目深く被り、少し大きめの黒いカバンを肩に下げている。彼女は机の上に下ろすと「あー重たい」と言いながら肩を摩った。



「よく一人で動けたね。まだ本調子ではない筈だと思うんだけど…」

「あっ、いえ。まだ本調子ではないんですけど、最初と比べたらだいぶ良くなって…」

「ってことはまだ全回復って訳じゃないでしょ?まだ毒も抜け切ってないんだから」

「………毒…?」

「そう。あれ食べておかしくなったでしょ。キミ、いったいあの症状から今の状態にかけて何だと思ってたの。あれ危険度星5の植物だよ?」

「……………え、え…!?」



スイはまたベッドに逆戻りし、フードの女は一から説明しようと試みたのだった。



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「それで、キミが必死になって貪ってたアレなんだけど…」

「あ、あの……一心不乱に食べてたのは間違いはないとは思うんですが!………改めて言われるとちょっとショックなので…もう少し……こう…」

「あ、オッケ。オブラートにね」



また個室の簡素なベッドに逆戻りしたスイはとりあえずベッドに端座位になって話を聞くことにした。フードの女はまた椅子に腰掛け、新しく持ってきた色とりどりの粒子が詰まった小瓶を机に置く。

改めて言われると精神的にキツイ。確かにあの時見た黒い花はそれはそれは美しかったが、あの真っ黒な花弁を次々に毟っては食べていたなんて考えたくもなかった。ただ綺麗だとしかそれ以外思わないのに、別段美味しそうだとも今は全く思わない。
ベッドに嘔吐したいつも見る吐瀉物なんかではなく、黒い花弁を見てスイはまた吐きそうにもなったのだ。

だとしたら何故あの時の自分はあんな奇行に走ってしまったのか。



「あれはバーストレディって花で、ざっくり言うと麻薬の一種かな」

「まっ…え、麻薬……!!??」

「そう。花の美しさは植物の中でも指折りなんだけど……人の手が行き届いていない森の奥、更に小さな水源があって、周辺に強い毒性を持った虫ポケモンが複数いる事を条件下で咲くの」

「…確かに…小さな泉は…ありました…」

「半年に1回1週間ペースで咲く。花には繁殖意識みたいなものがあって、対象を花の香りで思考力を鈍らせてから体内に吸収されるように仕向ける。そうすると幻覚や幻聴の症状が強く出始めて、対象の強い願望やトラウマになっている部分をほじくり返して、その人が望んだ現実を見せて夢の中に閉じ込める」



そうしてその花を喰い、果てに廃人になった対象の老廃物や分泌液などを吸って、花の寿命を永らえようとしているのだ。

スイは話を聞いているうちに背筋に冷たいものが流れた。今の話の内容はそっくりそのまま、あの時見たものはスイがこうだったら良かったのに、とひっそりと心に映し出した願望のようなものだ。背を向けて姿を消した彼を追いかけたい衝動と、後悔と。あの時もっとこうしていれば、こうであれば、と考え出したら切りがない。そんなスイにとってはあの花が見せた幻はとても優しい世界のようなもので、ずっとあのぬるま湯に使っていたい気分だったと、それは今でも思い出せる。

それでもただの幻にずっと浸りたいとはスイは思わなかった。



「獲物を取られそうになると花自体も対象者を使って抵抗しようとする。……気味が悪いでしょ」

「ま、まあ……」

「後悔したことや心残りのあったことを全て覆すくらいの幻覚を見せるから、あの花は麻薬みたいな物なんだよ。ほっとくと脳はやられるし胃は溶けるし」

「とけ………え!?溶ける!?溶けるんですか!?」

「キミは大丈夫。殆ど致命傷の量は吐き出してたから。少し胃に残ってても排便と一緒に除去出来るだろうけど、なるべく体外に出さないといけないしね。……ってことで、はいこれ」

「?これは…?」

「花くだし」



フードの人物はテーブルにある小瓶の中の1つを手に取り、それをスイに手渡す。粒子ではなく薄いピンク色の液体だった。

スイは反射的に受け取るとそれをまじまじと見つめる。



「後で飲んで。因みにキミ、うちに来てから5日寝込んでるからね。身体は清拭してるけど、そろそろお風呂も入りたいでしょ?」

「えっ…5日も、寝てたんですか私…?」

「うん。体もまだ本調子ではないみたいだから……治るまでここの部屋のものを好きに使っても構わないよ。お風呂も自由にどうぞ。あ、お風呂はこの部屋出て右に曲がってすぐだから」



よっこらせ、と女性は椅子から立ち上がると部屋の扉へ向かう。それを見てスイは慌てて呼び止めた。



「あっ……!あの!ちょっと待って!」

「……まだ何か?」

「何でここまで良くしてくれるんですか!?こんな見ず知らずのっ…」

「見ず知らずっていうか…キミ、イッシュ地方のチャンピオンだよね?」

「しっ…知ってたんですか!?」

「最初は分からなかったけど、持ってるポケモンと寝顔を見てもしかして?って。悪いけど荷物漁ってトレーナーカード見ちゃったんだよね。ゴメンね」

「……!」




なんだ、この人は何が目的だろう。スイは途端に身構えた。スイはチャンピオンになってから人からの親切で良くして貰った後、ろくな目にあった試しがないのだ。大抵が何か見返りを求めてくる人が多く、もっと大胆で酷いと要望や希望に添えない時は脅しのようなことをしてくる人も少なくはない。

別にサインや握手の一つや二つ、バトルの1回や2回は許容範囲だ。

でも連絡先を聞き出そうとしたり写真を撮ろうとしたり、今イッシュチャンピオンとここにいるぞ、などと言ったことを写真と共にネットに載せようとしたりするなんて言語道断。マナーの欠片もあったものではない。

こんな危機的な状況を救ってくれた人だが、誰かも分からない人からはいそうですかと得体の知れない施しを受けるのも、スイは躊躇われた。それにこの人、自分の自己紹介だってする気配ないし、ずっとフードを被ったまま顔を見せてくれない。ただ元々そう言う人なのか、故意があって顔を隠しているのかわからない。



「……別に取って食うわけでもないのにそんな身構えなくても」

「す、すみません。でも見ず知らずの人にここまでして貰うのも悪いですし、今日中にここを出ていきます。あっ!でもお礼はちゃんとさせてください!薬代とかもちゃんと払います!」

「キミはどうしてウバメの森に来たの?」

「え?」

「何が目的でここに来たの?」

「どうして、って……」

「えっと…スイちゃん?でいいか。別にボクは助けたんだから君に何かをして貰おうとか、あれ欲しいこれ欲しいとか。やれあれしろこれしろなんてそんな言うつもりないし、別にどうでもいいの。有名人だからって、チャンピオンだからってそういう後ろ盾目当てにここに置いてない。だから治ったらすぐに出て行ってもらうつもり」

「………」

「で?何で?」



フードの下の蒼眼にじっと見つめられるスイは少し息が詰まった。

ここに来た目的はただの観光目的で、しかも森で迷った上にこんな失態を犯す始末。何だか非常に情けなくて恥ずかしい話だからあまり言いたくはなかったスイだが…窮地を救ってくれたこの人物はなんと見返りも何も求めていないと。
スイは未だにどこか疑う気持ちを捨てきれず「いや、あの…」と言葉を濁してしまったが、答えを求めてる相手はスイが本当の事を言わない限りここをどこないつもりだろう。それにここまで世話になっておいて、言わないのも何だか失礼な気がした。

なのでスイは次に向かう土地はジョウト地方のエンジュシティに行こうと思ったが、ウバメの森にあるセレビィの祠を見たかったこともあり、そしてただ迷ってしまったことを伝えた。理由が理由なだけに恥ずかしい。一応、自分はイッシュ地方の新チャンピオンだ。大舞台で逃走して、世間に生中継された。

プレッシャーとかでは、ないけれど。下手なことはできない。今までと同じようにはもう生活できない。全て人の目を、自分の体裁を気にしてしまう。

情けなくて恥ずかしくて、思わず顔を見られたくなくて俯いたスイは、フードの下の大きな目がパチパチと数回瞬きしたのを知らない。彼女は「そうなんだ」と一言。



「ってことは……なんか変な探索をしたり、面倒な厄介事を持ち込みに来たって訳ではないのね」

「も、もちろっ……、……は?………え?」

「なぁんだ」



それならそうと早く言ってよね〜。なんて軽く息を着くように吐いて、その人物はフードを取った。その下から栗色の髪が溢れて深海をそのまま縁どったような蒼色の瞳。スイは一目見て誰だか分からなかったが、二度見てギョッとした。




「え………えッッ!!!???」

「改めて、初めまして。ボク、アヤって言います。あ、覚えなくていいからね」



スイはしばらく現実というものがよく分からなくなった。




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その布の下から現れたのは幾度雑誌で見たこともあるアヤ本人その人だった。いや、雑誌の人物よりも幾分か成長しており、雑誌の中そのままとはいかないまでもきちんと面影を残している。

トップコーディネータのアヤ。

コーディネーターを名乗る人間で彼女を知らないものはいない。

彼女は異例の速さであらゆるポケモンコンテストを総なめし、コンテストを勝ち抜いた者だけが参加する権利が得られるグランドフェスティバルを最年少で優勝し、加えて全ての演技種目も過去最高得点を叩き出した異例の人物だ。未だその得点を超えたものは出ておらず、彼女を目標にする物は少なくない。加えて見た目も色彩鮮やかな為かコンテストやグランドフェスティバルの広告にも過度に使用されている。

そんな人物が5年前、優勝した瞬間に王座を踏み倒して行方を眩ませたのだからこれはもう世間的に伝説となっている。………が、全地方ポケモントレーナーやそのトレーナーが目指す公式リーグ、チャンピオンと比べるとまだコーディネーターやポケモンコンテストは知名度は低い。コンテストやグランドフェスティバルが爆発的に盛んなのはホウエン地方やシンオウ地方だ。勿論興味が無い人も、名前さえ知らない人もいるだろうが、ポケモン大好きなスイはポケモンと名のつくものはありとあらゆるジャンル問わず興味の対象なので知り尽くしている。

コーディネーターは独特な戦い方をする、とスイは思っている。スイ達ポケモントレーナーは勝つためにポケモン達の肉体を極限まで叩き上げ、技の威力を限界まで引き上げ、より力を示し勝利へと近付けるように指示を持ってサポートする。

加えてコーディネーターはあらゆるものを利用し尽くして戦うのが殆どだ。

一つの技が少しの工夫で何通りにも形を変えて別の技になったりなんかもするのを見たことがある。一体のポケモンでとんでもない動きをする。二体のポケモンでどんな動きをするのか全く予測不可能。スイは好奇心でたまたま見たアヤの試合の映像を初めて見た時、信じられない気持ちで見ていたのだ。

こんな、こんな戦い方があるのか。戦ってみたい。でもそもそもトレーナーとコーディネーターって戦えるのだろうか?見たことも聞いたこともない戦法に生粋のバトル好きのスイが、コーディネーターやコンテストというものに強い好奇心を持つのは当たり前だった。

スイは中でも水ポケモンが好きなこともあり、特に水タイプの演技が好きだった。

そしてアヤの唯一所有する水タイプのポケモンのシャワーズの演技は、とても静かだった。

一つ一つの動きが研ぎ澄まされ、精練された音のない演技。水飛沫の音一つ立てないそれはどんな訓練を積んだらそうなるのか。

ポージングや技の全てが美しく、計算され尽くした無駄のない動き。それは何もアヤのシャワーズだけでなく、コーディネーター達が育てる全てのポケモンにおいて言えることだが“ポケモンを限界までより良く魅せる”事に全てをかけている。

スイ達ポケモントレーナーには無い意識だ。それなら、とスイも一度見様見真似でバトルの中で取り入れようともしたが…やはり長年のバトルスタイルの癖はそう簡単に拭えなく、すぐに諦めた。そもそもトレーナーとコーディネーターでは戦うという概念事態が別物だ。そんな事をグリーンに何となく話したら「はあ?おいおい、お前はコーディネーターになりたいのか?スイはトレーナーだろ?お前はお前しか出来ない独自の戦い方が出来るんだし、勿論他の奴らがお前の真似事なんてそんな簡単に出来るはずも………あ、いや。一人だけ不可能を可能にするような超人はいるが…。つーかなんでそんな事聞くんだよ?」なんて言われたこともあったような。



「ピカァ!」

「………スピカ…今何時……」



ペチペチ、ペチペチ、と頬をつつかれるような感触にスイは重い瞼をこじ開けた。そこにはまさに元気いっぱいといった様子で、目を輝かんばかりにハツラツとさせたスピカがスイの枕元にいた。

ぼんやりと覚醒仕切れてない意識を無理に奮い立たせ、スイは上半身を起こすと机の上に置いてある時計を見て飛び起きた。時計はAMの9:00が表示されている。「うぁぁっ…しまったーー!!」と半ば悲鳴のような叫びを上げ、ボサボサの髪も気にしないで部屋を出ればスピカも慌てて後を着いてくる。

そしてリビングへと勢いよく突進するような勢いで辿り着けばそこにはスイのポケモン達や………そしてアヤのポケモン達も勢揃いして朝ご飯を平らげていた。



「あ、おはよう」

「すっ…すみません!交代します!私やりますっ!」

「いやいいよ。もう殆ど作り終わったしね〜」

「そ…そんな……!!」



寝る間際にフードの人が誰だったのか知った時の衝撃も勿論だが、昨日の事まるっと全てが夢じゃないかと思ったりもしたが、全然夢じゃなかった。

キッチンで大量のパンケーキを焼きまくっている栗色の髪の人……アヤは起きてきたスイに気付いて「はい、朝ごはんはホットケーキでいい?」とかなんとか言いながら机にスイの分のお皿を置き、朝食の支度をせっせとこなしていた。スイはここにいる間、世話になる代わりに少しでも何か手伝えることがあるなら……と昨日寝る前に考えていたが、朝食の支度は寝坊してしまいがっくりと肩を落とした。

自分の朝ごはんだけではなく、ここに来た時からこうしてスイのポケモン達のご飯も用意して見てくれているなんて……これ以上迷惑かけたら死ねる…とスイは内心気が気ではない。アヤに促されるまま席に着いたスイは緊張というか、畏れ多いのか俯いたままピッシリ背筋を伸ばしていた。

アヤは自分の分のホットケーキも皿に乗せてよいしょ、と椅子に座る。



「………食べないの?もしかしてホットケーキは嫌い?」

「え!?そんな!嫌いなんて滅相もっ…」

「………緊張してるねぇ。それに加えて迷惑かけっぱなし〜とか思ってるんでしょ。それは気にしなくていいって昨日言ったと思うんだけど…」

「うっ…そうは言っても…」

「んー迷惑かけっぱなしが嫌ならちょっと手伝って貰おうかなって思って」

「え?」

「まあそれは後でおいおいに。それよりもその緊張!キミはボクが有名人か何かかと思ってガチガチになってるみたいだけどキミも同じ有名人だからね!」



いや、有名人か何かかって。

どう誰が見ても有名人では…·とスイは心の中で思った。



「キミもボクからしたらテレビの中の人で、雑誌の中の超有名人物だから。そんな人を森で拾って看病してるこっちの身にもなってよね!」

「ええー!?」



逆ギレされた。




**********
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「球根集め?」

「そう、それを集めるの手伝ってくれるかな?調合すればちょっとした薬が作れて、売ればお金にもなるのよ。…ちょっとだけどね!」

「お安いご用です…!」



え、むしろそんなんでいいの?

とスイは意気込んで鼻息荒くしながら玄関でスニーカーの紐を結んだ。パンケーキを平らげた二人は朝っぱらから眠くなるのを我慢しながら台所で食器を洗い、部屋の掃除をし、洗濯物を洗い外で干し気付くと午後を回っていた。朝ごはんのパンケーキで腹傘が満たされているのか、昼食を摂らなくてもいい程にお腹は満たされている。何とも有難いことだ。

アヤは一息着くと「よし、じゃあ次はこっち手伝ってくれる?」と今度は植物採集に行くようだ。アヤが1枚の写真を見せて「無理しなくて良いから、球根は生えてる葉っぱはこんな形だから比較的に見つけやすいと思う」とざっくり説明をして外に行く準備を始めた。

森の最深部はポケモンも凶暴な個体は多いらしい。まあスイちゃんなら大丈夫だと思うけど、念には念を、とアヤは注意を促しながら上着を羽織った。



「じゃ、夕方頃にまたここに戻ってきてね。道に迷ったらルカリオに聞いて」

『ああ、庭みたいなものだからな』

「君は本当に調子者だね…」

「あはは…頼もしいです!」

『過剰に当てにしてくれて構わないぞ』

「もう……じゃ、スイちゃん頼んだよ〜!」



そんな調子のルカリオはボールへと戻り、スイのバッグの中に収められた。
アヤはまた違う植物を採集した後、近くのヒワダタウンで食料調達をした後に帰宅するらしい。

薄暗い森を散策しながら、アヤが自生しているポイントを教えてくれた記憶頼りに片っ端から探していく。万が一違う球根や植物を引っこ抜いてしまったら必ず戻すことも条件に出されていたので、目当ての球根じゃなければまたひたすら元通りに土に植え直す。
小一時間採集して、けれど採れた球根は数個しかなかった。
もうすぐ日が暮れる。流石に半日探してこれだけは……とてもじゃないが格好悪いとスイが焦りを見せ始めた時、ルカリオが唐突に話かけてきた。



『ふむ、お前は勘と運がいいのかも知れないな』

「え?」

『お前がアヤに頼まれて探している球根だが……実はある程度希少価値が高い。欲しくて探してもそうホイホイ見つけられるものじゃない』

「えっ…そうなの…!?」

『ああ。寧ろ慣れてる訳ではないのに数個見つけるのは凄いことだ。黙っていて悪いことをした、申し訳ない』

「べ、別にそんな謝られるほどじゃ…」



どうやらアヤのルカリオはボールの中だろうが波動を飛ばし会話をしてくる。お喋りが好きな性格なのかどうかはわからないが…波動での会話はとても便利だが慣れないとまあ、心臓に悪い。

森の周辺を見渡したスイはふっーと溜息を着いた。暗くて、静かだ。森の最深部は異様な程静かで、人工的な音一つしない。時々野生のポケモンの気配がしたり、鳴き声が聞こえてきたりするだけだがスイの発する音以外、それ以外は無音だ。けれど恐怖心は不思議となく案外軽い気持ちで森の中を散策していたと思う。スピカはスイの数メートル先を小さな足取りで歩いており、散策の途中で木に実っていたオボンの実をかじっている。



「ピカピ!ピカァー!」

「あっスピカもしかしてナイス…!」



草木をかき分けた先、木の根元に自生している葉を見つけたスピカはスイの足をパシパシ叩き指を指した。あの葉っぱの形、もしかしたら…と、足早に近くに寄り屈んだ瞬間だった。

急に胃が圧迫されたような、胃をぎゅっと上に押し上げられたような痛みと気持ち悪さにスイは口元を覆った。



「………っ!いっ…」

「ぴ、ピカ!?」



地面を踏みしめている気力もなく、尻もちを着いてしまった。胃の中をグルグルにかき混ぜられるような気持ち悪さに、背中に悪寒のようなものが走った。気持ち悪い、吐きそう。スイは喋ると確実に吐く謎の自信があり、スピカが心配しておろおろしているのを感じ取りながらも何もする気に起きなかった。スピカは突然唸り、苦痛を顕にした主人に吃驚し泣きそうになっている。そんな時だった。



『大丈夫か、とりあえずこれを食うか匂いを嗅げ』

「……?(い、いつの間に…)」



いつの間にかボールから出たルカリオが白い小さな木の実を割ってスイに差し出してきた。見るからに怪しい木の実だ。しかも割ったら中から……白子みたいな、粘液に濡れたニョロニョロしてる物体が出てきたのだ。え、これ食べれるの?これを?スイは戦慄した。



『なに、大丈夫だ!見た目は………まあアレだが悪いものではない。痛みや嘔気痺れなどの症状を多少緩和できる。本当は加熱したり煎じたりして使用する薬の一種だが…今はそんなことしてる暇はないのでな!』



さあ!遠慮はいらないゾ!なんて言うルカリオはキラキラした目でスイを見ている。スピカもそのルカリオの手に収まる木の実?を若干ひいた目で見ており数歩下がった所でその一人と一匹の様子を見ている。……がしかしスピカは止める気はないようだ。

にちゃ、と不吉な粘液質な効果音を発してその木の実の中をつまみ上げたルカリオはスイの顔面目がけて迫ってくる。



『さあ、口を開けたまえ。噛まなくても勝手に溶けるから口内に入れたままでいいしな!ああ、遠慮はいらないぞ。この為に着いてきたんだからな。……はい、あーん』

「(えっ…ちょ、やめッッーーー)」



とんだ災難だった。






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