Burst Lady 前編





「……戦闘続行不可の確認!ウルガモス戦闘不能!よって勝者、チャレンジャー!スイ!!」


ダイケンキのハイドロポンプがウルガモスに直撃。

空を優雅に、けれども獰猛とも言える程に相棒であるダイケンキにその炎の猛威を奮っていたのはイッシュ地方、ポケモンリーグのチャンピオン、アデクが使役するウルガモスだ。

彼にとってはパートナーポケモンで最後の手持ちの6匹目に値する。

スイは今まで数多戦ってきた炎タイプを得手とするトレーナーの中でも、炎タイプのポケモンにここまで苦戦した事はなかったし、するとは思っていなかった。炎タイプと言わず、やはりチャンピオンのポケモンは今まで戦ってきたどのトレーナーより群を抜きんでて強かった。……いや、それは至極当たり前だ。

彼とスイでは年齢の差も宛ら、積んできた努力、経験、ポケモンとの絆の深さ……数え出したらきりがないくらい沢山あるのだ。

自分が今、彼に勝っているのはなんだろう。……若さ…年齢?なんて思えてしまうくらいには、スイには余分に考える程の余裕が、頭の片隅にあった。

だがしかしそんなスイでも、チャンピオンであるアデクの正式なポケモン達を4体も戦闘不能に追い込んだのは紛れもない彼女の実力なのだし、14歳で初めてポケモンを手にしてからチャンピオンに挑戦できるまでのスピードは異例である。

新しいチャンピオン誕生なるか!?と、このチャンピオンリーグ初戦から全国ライブ中継され、実況者も熱く解説を続けている。チャンピオンを打破出来ればセキエイリーグを制覇した最年少、ーーレッドの次に名を馳せることができるのだ。

アデクのポケモンを4匹倒したところでスイの残りの手持ち数はパートナーポケモンであるダイケンキ残り1匹となってしまった。
だがしかし驚いた事に、審判が試合開始の合図と共にスイがダイケンキをボールから放った勢いで水遊びで視界を奪い、アデク5匹目のポケモン、シュバルゴ相手に瞬速の速さで冷凍ビームを放った事で畳み掛けるように勝利を収めてしまった。

これは試合前にダイケンキと練りあった作戦で、奇襲攻撃成功の為に日々とある人物の雑誌や動画を参考に練習を重ねた結果だったのだが…。見事成功するとは思わなかったのでスイも喜びを隠せず飛び跳ねて喜び、そんなスイに流石に驚いたのかアデクも大きな声で「お見事!シュバルゴが避けきれない速さとは……あのカモフラージュは、んん!あっぱれだ!まだ何もしとらん」なんて笑い飛ばしていた。観客も大声援だった。

そんな次のアデクのポケモンにスイは大苦戦する事となる。



「(っ………!!?なんなの、あれ!!)」



炎タイプのポケモンにこんなに苦戦するなんて。

攻撃が全く当たらないのだ。ダイケンキはスイのパートナーポケモンと呼べるだけあって一番手持ちの中で強いと、はっきりと断言できる子だった。

相性の差もある。楽に勝てるとは塵程にも思ってはいなかったが、まさかここまで強いとは。相性なんて何のその。アデクとウルガモスは確実に、ダイケンキにダメージをジリジリと積み重ねて行く戦闘方法を取った。



「チャンピオンとしてちとかっこ悪いかな」



なんて顎を撫でながらニヒルに笑うアデクに、スイは焦りを顕にした。空を優雅に舞いながら灼熱の炎で猛攻を繰り出すウルガモスは笑っているように見えた。
炎技はそんなに水タイプには効かない。けれども少しずつ溜まる体の痛みにダイケンキから苦悩の表情も見える。

“火傷”だ。

アクアリングで少しずつ体力を回復しているけれど、それ以上に火傷で持っていかれるダメージが、あまりにも大きすぎる。

ウルガモスの日照りでソーラービームの猛打の連射も、冷凍ビームで相殺し続けているが…長くは持たないだろう。このままでは負ける。そんなのは嫌だ、負けたくない。

大技で高火力を誇るハイドロポンプや、瞬時に打ち出し高速を誇る冷凍ビームはひらりと避けられ当たらない。日照りもあり視界が悪い。せめて雨乞いを覚えさせていれば何とか打開出来ていたのかもしれないが……。

ソーラービームを直撃したダイケンキが重量なんて無いかのように空高く吹っ飛び、継いで熱風で吹き飛ばされる。アクアリングでオート回復しているとはいえ、まもなくこちらが戦闘不能になってしまうだろう。スイは震えた。どうしたらいいのか考える。どうしよう、どうしよう。何も出てこない。

吹き飛ばされたダイケンキがスイの足元まで転がってきた。

ダイケンキが吼えた。

負けたくない、何をしている、指示をくれ。

と。そう言っている気がした。

でも違うの。指示出来ることがないの。これ以上どうすればいい。打開策が見つからない。あの猛威を掻い潜って攻撃を当てる術が見つからない。

お先真っ暗で、どうにも“負け”のイメージが、ジリジリと出てきてしまって。

どうしよう。

何すればいい。

何すれば勝てるの。

あの最年少と噂される少年なら、どうやってこの壁を突破する術を見つけるのだろう。



ーーーー出来なかったり、何かない時は代わりのものを代用すればいいんです。作ったりとか。なんか今ある手の中でないかなぁ〜って。何でもいいんです。天候だったり、相手の技とか、特性だったり、フィールドだったり。

コーディネーターは発想が武器ですから。

考えることが途切れたら、そこで負けちゃう。んー…でもそれって、コーディネーターじゃなくても全職種にも言えるかな…。



ちょっと前に見た雑誌の中で、こんな事を言っていたのを思い出した。

そうだ、攻撃が当たらないなら動きを止めてしまえばいいのでは?

避けられなくするなり自分から当たりに行ってもらうなり。……後者は難しい。
視界が見辛いなら、同じようにすればいい。ダイケンキをこちらに呼び戻し大量の水を呼び起こしてもらった。…波乗りだ。ウルガモスに向けて避けきれないような大波を叩きつけるように攻撃すれば、凄まじい熱風と炎で水を焼いて蒸発させて行く。水蒸気となり辺りが白く包まれて行くとダイケンキはまた口内にエネルギーを溜め出した。次の指示を予想して分かっているのだろう。

スイは背中が疼いた。勝利の確信。

濃い水蒸気が吹き荒れ、熱風で最後かき消した瞬間、強烈なハイドロポンプが間髪入れず命中した。




*********
********
*****·*





ごめんなさい!!

なんて叫んで、リーグから逃亡したのはもう何ヶ月前だろうか。テレビで中継されていたのだから、全地方唖然として一時期では話題の人物。新聞やネットニュースでは1週間ぶっちぎりの1位を獲得した。パパラッチやマスコミから脱兎のように逃げ出し今も逃げ続けている。

だってチャンピオンの座席なんて………そんなのに座ったら自由がないではないか。スイはまだ14歳。まだまだやりたい盛の好奇心の塊のような女の子だ。

噂では地方のリーグにもそんな問題児の処遇をどうしようか審議に掛けているとかなんとか。カノコタウンにある実家の方にもマスコミや挑戦者、ファンが一時期目まぐるしく来訪していたらしく、手が回らない母から泣きの電話が入ったこともある。

そしてそれはリーグ管轄であるジムトレーナーであるチェレンがマスコミらの対応を捌きつつ、アデクにもスイの行いに対して謝罪をして下さったそうだ。



「全くキミは!!後先を考えずに逃亡するなんて!少し考えればわかるだろ!?キミのご両親に迷惑かけるな!」



と鬼のようにかかってきた電話に流石に無視することも出来ない幼なじみであるチェレンに、憤怒の説教が待っていた。

怒られた内容もご最もであり、返す言葉もなかった。

それ以上に文句は言いつつも自分の後始末のような事をしてくれた上に、スイはもしかしたら精神的なダメージを負っているのでは…何か我慢出来ない程に心身の負担があったのでは…と多大な心配と迷惑を掛けてしまったのだ。

確かに、少しは疲れているのかも知れない。ジムを制覇して行くごとに、悪事を、不貞を働く大人達を片っ端からバトルで粉砕して行くその姿にマスコミに追いかけるなという方が無理な話である。

チェレンの言う通り心身共に疲れきっていることを認めれば、彼は深いため息をついた。

一呼吸おいてわかった、と。

彼はいくつかの約束をして、何か困ったことがあったら僕かベルに、 それと母親にはできるだけ定期連絡くらいしろ、と困ったような声色が電子音となって通信機器から流れて来るのだった。

自分のしでかしてしまった出来事に改めて重い責任が背中にのしかかった気がしたが、でも嫌だったのだ。チャンピオンにはなりたい。いつかポケモントレーナーとなって、トレーナーなら誰でも夢に見る舞台、リーグ戦を勝ち抜きチャンピオンのアデクを撃破する。
昔なら夢のまた夢、テレビの中の話で、自分なんかとは別世界の出来事だと思っていた。だけれど初めてポケモンを貰って、バトルする楽しさやポケモンという奥深さにどっぷりとのめり込んだスイは気づいてしまったのだ。

バトルとはポケモンの能力を限りなく引き出し、相手を屈服させるセンスの問題だ。

スポーツ選手は努力で己の肉体の限界を極め、加えて天性のものもあり才能もある。ポケモントレーナーもそうだ。血のにじむような努力も、ポケモンそれぞれの個体値も勿論だが……殆どはセンスがあるかないか。に偏ってくると、スイは思った。

大勢のトレーナー達とバトルをして、ポケモンを育成して、それを繰り返していたらスイは自分は他一般のトレーナー達とは抜きん出た才能とセンスに恵まれている、と理解した。それはジムリーダーや四天王とも対等に、又は上回るほどの。
自分なんかがそんな才能とか烏滸がましい……なんて思ったりもするが、だがやはり一般のトレーナーがどうしてもやって出来ないことを努力の末にやってのけてしまうのだからと、スイはそれを受け入れた。

決して自慢や傲慢ではない。 ただスイは、自分はトレーナーに凄い向いてる!バトル好きだしラッキー!!程度に喜んだ。

ポケモンが好き。

それは胸を張って、大きな声で主張できる。だからこそ世界中のポケモンをまだ見てみたいし、いろんなトレーナー達とバトルしてみたい。まだ見たことの無い、未知の発見をしてみたい。でもチャンピオンにはなりたい。そんな憧れでもあり人生最大の目標でもあったチャンピオンに上り詰めだが直ぐに逃亡を図ってしまった。

しかもカメラの前で。どうしよう、なんて考えながらもスイはワクワクしていた。



「次向かうとしたら………ジョウト地方かなぁ。ここトキワシティからならジョウトまで近いはず。ほらあそこ!エンジュシティ!一度は行ってみたかったんだよ!」

「ピカー!」

「スピカもそう思うよね!名物のいかり饅頭!行くなら絶対に食べたい!」



ピカチュウのスピカを肩に乗せ、スイは上機嫌でジョウト地方のマップ片手に次の行先について詮索を始めた。

このピカチュウはここ、トキワの森で捕まえたピカチュウだ。名前はスピカ。ピカチュウ欲しさに約1ヶ月くらい粘りに粘ってやっと出会えた子だった。そもそもトキワの森に来たのだってピカチュウ欲しさにやって来たようなものだったから、もう捕まえてしまえばここには用はない。目当てのポケモンがゲットできて大層喜んだスイに、ダイケンキやウォーグルも満足気に頷いている。

ピカチュウの出現率が著しく低い事はグリーンにも聞いていたが、本当に、全くと言っていいほど姿形一切見かけなかった日には心が折れるような……そんな1ヶ月だった。3日…1週間…3週間…ただ時間だけが過ぎていく事にスイはいよいよ泣きべそをかき始め、スイのポケモン達もどうしたものかといよいよ両手を上げる始末。

ポケモンセンターに戻って本格的に体を休めた日はいつだっただろうか。確か三日前だったか。食料は多めにストックして持ってきてはいるが風呂は3日程入っていない。それ程までに執着してピカチュウを探していたのだが…もう諦めた方がいいのでは……と誰もがそんな思いを持ち始めた時、座って涙ぐんでいたスイの足元にオボンの実が転がってきたのだ。思わず拾い上げ、転がってきた方向に顔を上げたスイは悲鳴を飲み込んだ。ピカチュウがいたのだ。しかも木の影に隠れながらもチラチラとスイを見ている。大声を出しそうになったがすんでのところで飲み込み、スイは静かに木陰にいるピカチュウに問うた。

この実はキミがくれたの?と。

………しばしの沈黙が続き、そのピカチュウは小さく頷いたのだ。

その様子を見ていたダイケンキとウォーグルはシパシパと目を瞬かせ、はて、どういうことだ、と言いたげにお互い目配せをしている。

そうなんだ、ありがとう。そんな感極まってか細い声で礼を述べたスイにそのピカチュウはソワソワと、けれども逃げる素振りは一切なくスイをじっと見ていた。
二匹はもしかしたら、このピカチュウ、随分前からスイのことを観察していたのかもしれない…と思い始めた。

確かにこの1ヶ月、スイはピカチュウの名前を呼びながら探し続けていたし、探されている野生ピカチュウ達もどことなく変な人間がいる、程度に森中噂で流れていてもおかしくはない。……もしそれが自分の立場だとしたら、気になるかもしれないが近づきたくはないかもしれない。とウォーグルは失礼ながら関わってはいけない部類の人間かもと思ってしまう。

もしその変な人間の噂がピカチュウ達に知れていれば、なるほど。

ここまで探し回ってピカチュウ1匹見かけないのも納得できた。名前を叫ばない方がピカチュウは見つかりやすかったのでは……とウォーグルが思い始めるとダイケンキはそれは言ってやるな、と明後日の方向を見た。

だがしかし、変わり者は人間だけじゃなくポケモンの中にもいるらしい事はこれではっきりした。

スイはここにやってきた理由を唐突にピカチュウに説明を始める。……それはもはや熱烈な告白だった。

ピカチュウは口をポカンと開けながら、これまた沈黙して、おずおずと木陰から姿を表した。ぽってりとした丸い、愛らしいフォルム。その絶妙な可愛さにスイはまた打ちひしがれ、出来ることなら抱きしめて頬ずりもしたい。それを堪えて、お願い!仲間になって!!と土下座する勢いでお願いしたがピカチュウは急遽戦闘態勢をとった。

え、とスイが驚くのをよ他所にピカピカ、と何か喋っているが生憎、何を言っているのかスイはわからない。そしてピカチュウの主張を聞いたダイケンキとウォーグルは互いに目を見合わせ、あいわかったと一つ頷き、ウォーグルが戦う意思を見せ勢いよく羽ばたいたのだった。

結果は勝利した。このピカチュウ、相性の問題もあるが随分と戦い慣れしており、なんと終始ウォーグルを圧制していた。予想以上の強さに苦戦を強いられたが、ウォーグルの岩雪崩によりピカチュウに致命傷を与え戦闘不能にまで追い込むことが出来たのであった。

…そんなこんなで気絶したピカチュウに傷の処置を施したスイは、ピカチュウが起きるまで待ち、改めて仲間になってもらうように頼み込むと自らボールへと捕獲される事に。ボールの捕獲音が鳴り止むとスイは感極まって号泣した。1ヶ月粘って本当に良かった。苦労は報われた。

――この時ピカチュウは一番初めに見た事を一生忘れないだろう。

生まれて初めて入ったボールの中から見た自分をゲットした人間は、泣きながら、でも嬉しそうに笑っていたのだから。

そしてまた初めて自分だけの名前を貰えたことに、ピカチュウは密かに衝撃を受けることになるのはまた余談。



「ウォーグル、ジョウト地方まで行きたんだけど、大丈夫?飛べる?」

「クルルル」

「目的地は……ここ、エンジュシティなんだけど…」



ジョウト地方のマップを広げるとウォーグルが覗き込み、難しい顔をして暗記を始めている。スイはウォーグルと会うまで、ポケモンは人間が作った地図を理解することは出来ないだろう、と勝手に解釈していたがそれは間違いだった。

イッシュ地方を旅していた時、どうしても欲しい洋服があったがどこのブティックで見かけたのか、全く思い出せずにマップを広げてウンウン唸っていた時があった。

目的地を決めかねていたスイの後ろでウォーグルはマップを覗き込むなりここだ、と言いたげに嘴でとある町を示した。
スイはぎょっとした。え?ポケモンって地図を理解できるの?しかもいつかもわからない欲しいって言ってた洋服を、どこの街の店にあるか記憶してるなんてそんな……ウチの子……天才なのでは……。思わず「好き…大好き…」と呟いたスイにウォーグルは頬を緩めて主人に体を擦り寄せたが、まもなく肩に乗ったスピカの尻尾にぶん殴られた。

スイが凄い凄いと褒めまくるその見えない死角で二匹の攻防戦が繰り広げられる事はポケモン達しか知らないのはまた別の話として。

しばらくマップと睨み合いをしていたウォーグルはバサッとその大翼を広げる。ジョウト地方の大まかの地図は頭に叩き込んだのだろう。なんて頼もしい。ウチの子素敵すぎ。後でウォーグルの好物をしこたまご馳走してあげよう。

乗れ!と言うように少し屈むように背中を向けるウォーグルにしっかり捕まる。きちんと背中に乗ったスイを確認し、大空へと翔くのであった。




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「うわー…すっごい。賑やか。ザ!都会!って感じ」

「ピカピカー…」



行き先を変更した。

ここはコガネシティ。目的はエンジュシティだったが先に大きな街で必要なものを揃えたかった。今まで約1ヶ月間ずっとポケモンセンターとトキワの森を行き来していた為、バッグの中が半分以上減ってしまっていた。荷造りならトキワシティでも出来たが、まあ折角なら新たな街で観光も含めて、買い揃えても良いだろう。

ウォーグルに行き先を申し訳ないけど、とコガネシティへと変更の旨を伝えると小さく鳴き声を上げて了承を得た。

そうして約3時間程かけてトキワシティからコガネシティの入口に降り立ったスイは、ウォーグルに労いの言葉をかけてモンスターボールへと戻ってもらった。ゆっくりとした空の旅はとても面白い。普段見ることの無い地上の風景はやはり圧巻だ。途中で同じように空の旅を満喫しているトレーナーや、ポケモン郵便であるぺリッパー、デリバード、ピジョットを目にして。空を渡る野生のポケモン達と行き違ったりして有意義な時間を過ごせたと思う。

コガネシティのゲートを潜る前にスイはバッグからキャップを取り出し目深く被る。

軽い変装だ。まずはポケモンセンターに向かった。ジョーイに宿泊か回復か問われると回復で、とスイは一緒にトレーナーカードを渡す。受け取ったトレーナーカードを確認したジョーイは「え?」と丸い目を更に丸くして、スイとカードを交互に見ては「あら、まあ…」と一言漏らした。まあ、そうなるだろう。

少し間を空けて事情を把握したジョーイは苦笑いし、カードをお返ししますね。と。

それだけだった。もっと何か言われるだろうと思って身構えていたスイだったが、しーっ、とジョーイが内緒と言うように人差し指を立てて他言無用の姿勢だった為、スイも特に変に身構える必要はなくなった。
ジョーイから渡されたトレイに手持ちのモンスターボールをセットし返却すると「お預かりします」とソファに腰掛け待つこと10分。その間に母親にメールを打つことにした。

“ジョウト地方に行ってきます。迷惑をかけてごめん”

それだけ打ち込んでメールで送った。本当は電話の方が良いのかもしれないけど。するとすぐに返信が来た。「え、はやっ…」と声に出してしまったのはしょうがない。

“連絡が遅い!気をつけるのよ”

こちらもたったのこれだけだった。スイとしては余計な詮索をされないことはとても有難い事だったが、もう少し心配というか、問い詰めるというか、文句くらい言ってくれても良かったのに、とも思ったが。



「スイさん」

「あ、はい!」

「お待たせしました。お預かりした子達をお返ししますね」

「え、あっありがとうございます。いつも通りアナウンスで呼んでくだればよかったのに」



トレイにスイのポケモンを乗せたジョーイが何故かカウンターから離れ、ソファへと腰を下ろすスイへと声をかける。スイは慌てて立ち上がりお礼を言ってボールとトレーナーカードを受け取った。

率直な疑問を口にすればジョーイは困ったように首を傾げる。



「アナウンスで放送をかけたら、騒ぎになってしまうでしょう?」

「あ」

「……大丈夫ですよ。ここにはあなたの様な子が時々だけど、来ることがあるの。ポケモンセンターは逮捕状とか、そういう滅多な理由がない限り個人情報は守秘されるわ」

「え、あの、最初のってどういう…」

「では。良い旅を」
「まっ…」



ジョーイは背を向けて勤務に戻ってしまった。

スイの疑問の言葉には目もくれず、カウンターに戻ったジョーイは助手のラッキーやハピナス達と共に仕事を捌いている。やはり規模が大きな街だからか、忙しさも小さな街のポケモンセンターと比べると鬼のような多忙さだった。

戻ってきたボールから勝手にピカチュウが飛び出し、いつの間にか定位置になったスイの肩に飛び乗った。



「ピッ!ピカァ」

「スピカ。……お腹が減ったの?そう言えば、お昼まだだったね」



そう言えばお昼ご飯もまだだった。と気付いたのはもう時計の針が既に数字の2を示していた頃だった。




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「みんな、ご飯だよ!」



その声にスイの持っていたボールから瞬く間に開閉音が響き渡り、彼女のポケモン達が姿を表した。

コガネシティで自分用の昼食をテイクアウトしたスイは今度はポケモン達の昼食を確保する為にポケモン専用のレストランへと向かった。お手軽なフーズではなく、少し奮発して出来たてのものを購入し、どこか食事を摂れる広場を探し求め自然公園へと移動した。コガネシティからそう遠くないその公園はジョウト地方の住民なら知る人ぞ知る人気スポットらしい。確かに広々としていて沢山の花と木で溢れているこの公園は、草ポケモンなら大喜び間違いないだろう。

なるべく人気がない広場を見つけ、仲間達を呼び出す。ダイケンキ、ウォーグル、グレイシア、シャンデラ、チラチーノ……歴戦の仲間達が久しく全匹揃って顔を合わせる事が出来た。序にトキワの森でゲットしたピカチュウも新しいメンバーに加わったことや紹介も含めてスイは仲間達に伝えたが、殆どボールの中から見ていたので堅苦しい挨拶は抜きにして早速昼食を摂り始める。

ピカチュウは再び衝撃に撃ち抜かれていた。

今まで森の木の実しか口にした事がない為、人間が作った食べ物を生まれて初めて食べたのだ。人生で一番の、破格の美味しさだった。桁違いだった。この世にはこんなに美味しいものがあるなんて。

最初見たことも嗅いだことも無い食べ物に若干の警戒心を顕にしていたピカチュウだが、ダイケンキがさり気なく「これは安全だ」アピールをしながら口にしているのを見て、ピカチュウは恐る恐るその食べ物をかじった。

唖然と、両手に持ったまま固まってしまったピカチュウにスイは「スピカ?まずかった?美味しくない?」と心配気に聞いてくるスイに慌てて首を振る。再びガツガツと頬張り始めるピカチュウを見ては「だよな、人間の作るものって規格外だよな」仲間達は同じことを思うのだった。



「ん〜さて!エンジュシティに行くのが目的だったんだけど……観光ガイドを見るとどこも魅力的な場所が多いよね」



昼食を食べ終わり、スイは先程のポケモンレストランで貰った観光ガイドを片っ端から見ていく。この自然公園もガイドがオススメするスポットの一つであり、ジョウト地方にはなかなか奥ゆかしいものや人間が理解出来ない観光地もあるらしい。

マダツボミの塔、龍の穴、ヤドンの井戸、ラジオ塔、スリバチ山、渦巻き島、氷の抜け道、アルフの遺跡、怒りの湖、ウバメの森、鈴の塔などなど。ジョウト地方の見所は溢れていそうだ。中でもスイが気になった場所は3つ。



「勿論エンジュシティには名物の怒り饅頭があって街並みも古風、テレビでしか見たことない舞妓さんもいるし、ジョウト地方の伝説ポケモンが誕生したって噂の焼けた塔も見所!ここ自然公園からなら直ぐに行けそう」


しかもそこのエンジュシティのジムリーダーはイケメンだと言うのだ。それは是非とも拝み倒して行きたい。

それに元々スイの一番の目的であった名物怒り饅頭の他に、テレビでしかお目にかかる事のなかった舞妓さんがいる。ホンモノ。こちらも是非とも写真を一緒に撮って頂きたい。

そして焼けた塔には伝説ポケモンのスイクン、ライコウ、エンテイが昔誕生し、鈴の塔にはホウオウが住んでいるとか何とか。運が良ければもしかしたらその姿をひと目見ることも叶うかも知れない。スイのテンションは上がる一方だ。



「あとはここから近いアルフの遺跡」



謎の古代遺跡だ。約1200年前の遺跡だと解明されているらしい。ただその壁に掘られた謎のアンノーン文字というのは全く解明されていなく、誰がなんの為に作ったのかは未だ謎に包まれているらしい。
ロマンが詰まっているその遺跡には後で足を運びたい。エンジュシティからまた近い所にあるらしいから、エンジュシティを観光した後に見に行ってみようとスイは思った。
そして。



「………ウバメの森、か」



何となく、スイが直感で惹かれた場所だった。

森の妖精や森の神様とも呼ばれているらしい。ウバメの森はセレビィが住む森とも言われ、森の奥には祠もあるらしい。何よりも気になったのはあらゆる時間という時間を自由に行き来しており、遭遇し、運が良いと祝福を授けられるとか何とか。セレビィが通った道には草木が生い茂ったり珍しい花や草木が成長すると言われている。
ジョウト地方のパワースポットとして有名で、観光がてらセレビィの祠を目当てに詮索する客、トレーナーも多いらしい。祠にお供えをして願い事をすれば、願いが叶うとかなんとか噂だけど。

ロマンが、詰まるだけ詰まっている……!



「よし、決めた。ウバメの森から行こう」

「「「!?」」」



え、あんたエンジュシティに行くんじゃなかったの??

スイのポケモン達は揃って同じ疑問を口にしたのだった。



**********
*********
*******



「うわ……く、暗い……」

「チャ〜」

「あ、スピカは慣れてるか〜」

「ピピカチュ!」

「トキワの森も暗かったもんね」



とは言ったものの、ここまで暗いとは思わなかった。殆ど草木が空を覆い隠し、今は昼間の時間帯の筈が夜だと錯覚しそうになる。ここで迷ったら空を飛ぶ事は叶わないから穴抜けの紐を使って脱出をするしか方法はなかった。

とりあえず、探検!



「スピカ、やっぱり故郷とは違う?」

「ピカ」

「そうなんだ」



トキワの森とウバメの森はやはり違うらしい。森は森でも、だ。
ずっと森で生活していたピカチュウが違うと言うのなら全く違う場所なのだろう。
それは空気が違うのか、森の質が違うのか、それは分からないが…。

それにしても複雑な森だ、と思う。

森の神様が管理しているからなのだろうか。ただセレビィが住んでいるから、という先入観なのかは知らないが確かに何かがありそうな場所だと思った。スイは祠を目指して進むが、目当ての祠は一向に見つからなかった。

……考えたくないが、もしかして迷ったのかもしれない。

先程まで人が手を加えた道の上を歩いていたはずなのにいつの間にか逸れてしまったのだろうか…。別段不安に思ったりはしないが、祠は普通にヒワダタウンとコガネシティを繋ぐルート上に、向かえば必ず祠の前を通るとも聞いていたのだが。



「あー……これはもしかしなくても、迷っちゃったかなぁ……」

「ピカ!?」

「私って、方向音痴だったっけ……?」



ピカチュウは生まれてからこの方、森で迷った試しがなかった。と言ってもずっとトキワの森で暮らしてきたから迷う事も何もなかったが。そんな自分の人生でも森で迷うなんてことがあるなんて貴重……と少々ズレた考え方をしている事に誰も突っ込まない。

ボールの中から様子を伺っているスイのポケモン達は、まあ穴抜けの紐があるからいざとなればいつでもそれを使って脱出できるだろうと何も言わなかった。

後々、それが間違いだったと、この時引き返せば良かったのだと誰もが後悔したのはこの後すぐの事だった。

スイはライブキャスターを取り出し時間を確認した。16時30分。17時になったら祠は諦めてエンジュシティに向かおう。そう決めて。ボールの中のポケモン達にも聞こえるようにそう伝えれば、5つのボールの内数個、了承を伝えるために揺れた。

少し前まで極僅かな光が木々から差し込んでいたが今はもう夕暮れ時。僅かな光さえ指していなかった。さすがに何も見えないのでは心細いのでスイはボールからシャンデラを出した。シャンデラは久々にスイと散歩出来るのが嬉しいのかユラユラ左右に揺れて辺りを薄らと照らし始める。そんなシャンデラに可愛いなぁ、なんて思いながら更に歩を進めていくと少し空気が変わったのを肌で、感じた。



「………??」



何とも表現し難いが、澄んでいる。と言えばいいのか。嫌な感じは全くしない。それはピカチュウやシャンデラも感じているのか辺りを注意深く見渡しながら進む。

細かな葉や鋭い枝を抜けた先には、とてもじゃないが、見たことも無い風景に溜息が出そうになった。



「わぁ……凄い……!」



森の最深部なのだろうか。

開けた場所には小さな泉があって、そこに生息する草木はどれもがとても美しかった。植物にあまり詳しくないが、どの種類も見たこともなく不思議な形をしているものもあり、小ぶりだがとても可愛らしい形をしている花も、数も種類も多い。セレビィが住む森だから、きっと特別な森で、特別な場所なのだと思った。

シャンデラもピカチュウも美しい自然の風景に気を取られてスイが少し自分達から離れていることに気付かない。



「ぴ、……………、!?」



ふと、ピカチュウは視界に映った花を見て、認識して、そして蒼白した。それは辺り一面にぎっしりと咲き誇っていることに気づいて戦慄する。

スイはうっとりとその風景を目にしっかり焼き付けようと辺りを見回すと、目に付いた花があった。それは黒く、美しい花だった。花弁は6枚ありどれもが金色の細いラインで花弁を縁っており茎の色も金色で。こんなにも美しい花は見たこともなかった。思わずその花に手を伸ばし、花弁に触れる。香りも確かめたくて鼻を近づけるが鼻腔を通ったはずの香りは何も感じなかった。スイは訝しげに思って首を傾げる。

匂いはないのか。

ならば味はどうなのだろう。

花弁を戸惑いなく毟って口に含んだ。



「「「!!!??」」」

「ピカ!!ピカピカ!!」



突然のスイの奇行にボールの中のポケモン達はぎょっと目を見開き、ピカチュウがスイの手の中の花を叩き落とした。ピカチュウはこの花を見たことがある。

そう、“見たことがある“だけだ。

トキワの森の奥深くに稀に自生し、気付いたら枯れているとてもとても綺麗な花。

しかし森のポケモン達はその花に1匹たりとも近づいているのを見たことがない。

一度だけ、まだ自分がピチューだった頃の朧気な記憶の中でその花を抱えた友達であったレディバが木を背にして座っている。それは何だと聞くと、その子は母親だと言ったのだ。訳が分からなくてもう一度問いかけるとまた、母親だと。

その子は次第に震えだし泣き出したのだ。

次の日、またレディバの所へ遊びに行くと何かを食べながら泣いていた。

枯れたあの黒い花を大事そうに抱えて、お母さん、と呼びながら。

また次の日に様子を見に行くと、その子は尋常じゃないくらい体が震えていて、また泣いている。お母さん、お母さん、とうわ言のように名前を呼びながら。同族のレディバやレディアン達は何やら深刻そうに何かを話し込んでおり、1匹のレディアンがその子を抱えて飛んでいくのを最後に会えなくなった。

その後、そのレディバがどうなったのかはピカチュウは知らない。母親に聞いても首を横に振るだけだ。みんな、同じことを言うのだ。絶対に見つけても近寄るな。と。



「ちょ……ちょっとピカチュウ!何するの!」

「ピカー!!ピカピカチュウ!」

「な、なんで怒ってるの…!?」



ピカチュウはスイの様子を観察するが、これと言った大きな変化はない。毒なのかなんなのかわからず。果たしてこの花はなんなのか未だに謎だったが、何も無いのならそれにこしたことは……。ピカチュウはとりあえず早くこの場から離れた方が良いと判断した。

元の場所に引き返そうと少し目を離したのがいけなかった。

ブチ、と何かを引き抜く音。

スイが先程口にした黒い花を次々に引っこ抜いていたのだ。



「ぴ、ピカピカ!」

「シャンシャン!」



『触るな、ここから早く離れて』そうピカチュウが叫んだのを聞いていたから、何だか良くない事が起こっているのだと。スイのポケモン達皆が思って。

シャンデラが慌てて火の粉でスイの足元の黒い花を焼き払った。

よく見たら黒い花は辺り一面に咲き乱れている。久々にシャンデラは異様な事態に狼狽えていた。パンッとボールの開閉音が響き、ダイケンキが飛び出してくる。得体の知れない、何があるかわからない為シャンデラを先にボールに戻るように伝えるとシャンデラは素直に聞き入れ直ぐにボールに戻った。ダイケンキはこのパーティーのリーダーの役割を担っていた。滅多にないとは思うが、もしスイ不在時や、何らかの状況下でスイの指示が受けられない時、緊急時に全員を纏めあげ、指導する者が必要であり、今それが必要だった。

ブチブチと花を引っこ抜き花弁を咀嚼するスイを押さえつけ、ダイケンキはピカチュウに問うた。コレは一体何だと。ピカチュウは分からない、と答える。ただ、故郷の森でも同じモノを見たことがあって、誰も近寄らなかったと。それだけしかわからない。ごめんなさい、なんてピカチュウが悪いわけではないのに謝るそれに何故謝る、お前は別に悪くはないんだから、とダイケンキはバツが悪そうに言った。

さて、どうしたものか。ダイケンキはこの場をどう切り抜けるか考え始めるが、一向にいい案が出ない。

穴抜けの紐は人間しか使えないし、ウォーグルで空を飛びたいがこの深い森では飛ぶことさえ出来ないだろう。今のスイに正常な思考があるかと問われれば答えはNOだ。この場所に長く留まると自分達もおかしくなりかねない。とりあえずこの場から早く退散するのが先かと考え、ダイケンキはスイの服をかじり、引っ張って移動する事にした。



「や……めてよ……!」

「ルオー!」

「離して!」



黒い花を掴んだまま、ダイケンキにズルズルと引き剥がされて引きずられていく。

待ってよ、わたし、まだあそこにいたいの。



「どうしたのスイ。そんな必死な顔をして」

「え?」



とても聞き覚えがある声が聞こえた。聞き間違えるはずがない。

その人はすぐ目の前にいて、自分の視界には靴が見える。



「おや…ダメだよ、スイ。そんなもの食べちゃ。お腹痛くなったら困るだろう?」

「え……な、んで、ここに」

「さあ…どうしてかな」



ふふ、と笑うその人は間違いなくNだった。

忘れるはずも、見間違えるはずもない。

なんでここにいるの。だってここはジョウトだ、とスイは思った。そもそもこいつは本当にN本人なのかもわからない。

穏やかな笑みを浮かべながらNの姿をしたそれは黒い花を一輪持ってスイへと向き直り、スイの前でしゃがみ込んだ。スイの手をやんわりと包み込むと心底心配している、という声色で呟いた。



「……可哀想に。こんなに冷えて」



手を握られて、触れて、とても暖かかった。
ちゃんと触れてる。Nだ、とスイはこの時強く思い込んでしまった。ここにいるはずもない人間が、こんな簡単に自分の前に姿を表すはずがないのに。

ずっとずっと、言いたかった事があるのだ。

謝りたかった事が、あるのだ。



「エ、ヌ」

「ん?」

「…なんで、ずっと、探してたんだよ……今までずっとどこにいたの。ねぇ、答えてよN……!」

「「「………!?」」」

「スイ、スイ。ごめんね。泣かないで」

「わた、わたし……ずっと!言いたかったことが」

「ルオーッ」



ボールの中にいるピカチュウ以外のポケモン達が息を飲んだ。それはダイケンキも同様であり、直ぐに周囲を確認したがNらしき人影は見当たらなかった。

N?Nがどこにいると言うのだ。冷や汗をかきながらスイの様子を見るとボロボロ泣きながら吃逆を上げて嗚咽している。おかしい。この奇妙な花が原因なのは間違いないだろうが、これはスイの妄想なのだろうか?それとも記憶に囚われているだけなのだろうか。

にしてもこんなに精神的に不安定になるなんてどうにもおかしい。



「サヨナラなんて、そんな悲しいこと言わないで……!」

「うん」

「あなたは人間だよ。化け物なんかじゃ……そんなんじゃない……違うの…ちが…」

「うん」

「どこにもいかないで」

「ああ、勿論だよ」



Nは黒い花を一輪、スイの頭に差した。綺麗だね、なんて言って。



「そんなことはもう言わない。どこにもいかない。約束するよ」

「……ほんとうに」

「本当だよ」



スイの両手に触れて、花を差した頭を抱きしめる。酷く優しい抱擁だった。可哀想なことをしてしまったね、とNの姿をしたナニカは呟いた。



「スイ、食べれるかい?」

「……なに、を」

「忘れてしまったの?さっきまで口にしていただろ?」

「……なに…?」

「しょうがないな」



よく噛んで食べるんだよ、なんて声が聞こえた。Nは1枚花弁を千切ってはスイの口内に押し込んだ。そして次々に花弁を口内に押し込み始める。上手く飲み込めなくなって口から零れると「おや、」とNは少し考えて自ら花を千切って、自分の口内に花弁を入れてからスイの唇へと押し付けた。無理やり唇をこじ開けて、舌で花弁を流し押し込む。飲み込んで何も無くなっても舌と舌を絡み合わせて荒々しく貪った。



「ごほっ、ごほっゴボッ」

「ルオォッ」

「グルルル!」



現実のスイと言えば、自分で花弁を掻き集めて一心不乱に口内に押し込んでいた。嗚咽を響かせながら嘔気と共にゴボゴボと嫌な音が聞こえる。

ダイケンキだけでは、とウォーグルもボールから飛び出してスイをこの場から遠ざけようとダイケンキと共に引きずっていく。シャンデラも再びボールから出て黒い花を焼き払おうとしていた。

しかしこれだけの規模の黒い花を焼き払えば、忽ち森は火の海と化すだろう。それだけはまずい、と言うようにダイケンキは咎めるように吠えた。

どう対処したらいいのか、何が正解なのかこの場にいる誰もが分からなかった。



「抑えてて」

「―――グルルル!?」



突然第三者の声がした。あまりの現場の出来事に他の気配に気づかなかったのは仕方がないのかも知れない。突然現れた人物はフードを目深く被り顔は確認出来なかったが、小柄。声も女性の声だ。あまりに突然すぎてスイのポケモン達は停止していた。
そしてそのフードの人物は躊躇ない動作で、スイの項に注射器を打ち込んだ。


ーースイは無理やり口内を貪られる苦しさの中、首に鋭い痛みを感じたのを最後に「いけない」と、貪っていた唇を離してNはどこかを見ながら呟いた。



「スイ、邪魔する奴がいる」

「………え?」

「見てごらん」



霧がかった視界がクリアになる。そこには自分のボロボロになったポケモン達と、ゲーチスが仁王立ちしていた。高笑いが耳に痛い。うるさい。その声も。うるさい。許してはおけなかった。



「僕達の敵だ。戦わなければ」

「戦わないと」



スイの目先はゲーチスに、フードの人物に固定された。



「ダイケンキ!ゲーチスを…そいつをボコボコにする!」

「「!!?」」



ダイケンキやウォーグルだけでなく、ボールの中にいたスイの仲間達は目を丸くした。ゲーチス?ゲーチスがどこにいるって?ここに居るのは自分達と、あとはこのフードの女だけだ。何やら薬をスイに投与したが、恐らくは害のある人間では無いだろう。何故ならスイの項に薬を打ち込んだ人物は「大丈夫、花を食べてから時間がそんなに経ってないから直ぐに正気に戻るよ」と言ったのだ。心底安心したのも束の間、スイは正気に戻るどころか錯乱状態になった。

ここでやっとわかった事だが、スイは一種の幻覚と幻聴を見ているようだった。

「ダイケンキ!早く!!」と叫ぶスイに、ダイケンキは従わざるを得ない。錯乱してようが何だろうがトレーナーはスイだ。ダイケンキは申し訳無さ気にフードの人物に視線をやるとヒラヒラと手を降っていた。特に気にしていないのだろう。そんなダイケンキに女は「5分くらい。さっき射った薬の効果が出るまでの時間」と言った。

それが本当なら、なんとも有難いことだった。


「ゲーチス!こんな所までノコノコと…ッ!ダイケンキ!シェルブレード!」

「!?」



ちょっと待て、まだポケモン一匹出てない相手にそれはないんじゃないかと言いたいが、命令だ。しかもフードの女も腰を見ればボールを付けていたし、トレーナーだと信じて最大限手加減したシェルブレードを放った。



「ルカリオ、行ける?」

『ああ、任せろ』



シェルブレードが女に向けて放てられてから、直ぐにボールの開閉音が鳴りルカリオが優雅に地上へと降り立った。最大限手加減されたシェルブレードは空気のように軽く、ルカリオの指先ひとつでかき消えてしまった。

肩を回し、コキコキと骨を鳴らしながら固まった筋肉を解していく。

バトルは久々だ、と思いながら。



「あの子、バーストレディの花で正常じゃない。解毒剤を射ったからあと5分くらいで薬が効いてくると思うけど…」

『ああ、分かっているとも。あちらのポケモン達も彼女が正気ではないことは理解しているらしい。攻撃が軽い』



ダイケンキはこのルカリオ、波動を使って人語を話すことが出来るのか、と少し吃驚して二人を見た。詳しい事はあまり分からないが、波動という一種の特殊な力を操るルカリオの中でも、人語を操ったりその風景のヴィジョンを送ったり出来る個体は珍しい。

相当な手練か、トレーナーに訓練されてレベルが高いルカリオでないと出来ない芸当な筈だ。

ダイケンキの戦闘本能が疼く。これが正式なバトルなら良かったのに。



「ダイケンキ!連続でアクアテール!」

「全部避けて」



本気ではないダイケンキの攻撃はルカリオも簡単に避けられた。とりあえずこの場にいる全員は早くスイに正気に戻って貰いたいのだ。今のスイと対話を試みようにも幻覚と幻聴でまともに会話が出来ないだろう。しかもあのフードを被った女がゲーチスに見えているらしい。話なんて無理に決まっている。

ダイケンキの連続のアクアテールに、さすがにルカリオも見切りを発動させて一撃一撃をしっかり捌いていた。



「スイ、相手はゲーチスなんだ。そんな相手にわざわざ1匹で対応してやる事はないよ」

「そう………そう……だよね……」



Nの姿をした何かは、スイの耳元でゆっくり、言い聞かせるように呟いた。背後からゆっくりとスイを抱き締めて、その髪に鼻を埋めて、首筋に口を付ける。うわ言のように呟いたスイは隣りで困ったように待機しているウォーグルとシャンデラに視線を送る。

二匹はぎょっとして、まさか、戦うのか?とも言いたげだ。



「ウォーグル、シャンデラ!行って!」

「「………ッ!」」

「ウォーグル!ブレイククロー!シャンデラはシャドーボール!」



戦いたくはないが、命令だ。

二匹はおずおずと戦闘体勢を取った。スイを助けてくれる人物相手に攻撃は戸惑われた。二匹もダイケンキ同様に極力威力を抑えた技を放ち様子を伺う。



「………っ……?」



スイの視界が少し霞んだのを発端に、対峙しているゲーチスの姿が一瞬ぶれる。なんだろう、何かおかしい。頭も痛い。でも、そんなのどうでもいい事だ。早く、早くアイツを倒してしまえ!ゲーチスのポケモンであろう何かは、姿がよく分からなかった。

あれ、ゲーチスってどんなポケモンを使っていたっけ?姿がよく分からない、でもポケモンと思わしきその相手の動きは確かな強さを誇っている。スイの自慢の3匹の攻撃を軽くいなしているのだから。

スイは3匹に次の攻撃を指示した。あんな非道な人間に、丁寧にルールを重んじる必要はないのだ。

極力技の威力を落としているとはいえ、迫り来る猛攻にフードの女もさすがにルカリオ1匹では分が悪いか、と別のモンスターボールを手に取った。



「ルカリオ!大丈夫!?」

『問題ない!あの3匹、かなり手加減してくれている!攻撃も単調で避けやすいしな』



久々にいい運動になる、とルカリオは若干、不謹慎ながらも楽しげだ。

それなら良かった、と女は思ったがそろそろこの戦いを終わらせなければならなかった。これ以上戦うと森に傷が付く。それにもしかしたら攻撃の流れ弾が野生ポケモンに直撃しているとまずい。



「…うぅっ…」



スイの頭痛は止まらない。寧ろ、どんどん酷く悪化していった。頭が割れそう。痛い。吐き気もする。



「ううぅっ……!」



頭を掻きむしる。痛い。痛い。苦しい。上手く呼吸ができない。

涙が滲んだ。



「……スイ」
「え、Nっ…」

「悪い子だね」

「まっ待って!いかないでっ…」



やんわりと握った手を離されて、Nは背を向けた。



「君には失望した」

「N!」

「ちょっと、落ち着きなよ」

「がっかりだ。…やはり、君は英雄じゃないのかもね」

「待って…!待ってよぉ…!!」

「落ち着けって、」

「待って!やだぁっ」



また、わたしの前からいなくなるの?



「しっかりして。それは幻覚だよ」

「もう、二度と会うことはないだろう」

「いかないでっ…行かないでよ…!」

「しっかりしろ!」



ボロボロと涙が溢れた。痛い。頭も痛い。でも何より心の方が、痛かった。心を鋭利なナイフでズタズタに切り裂かれたような痛み。

Nは心底落胆したような顔で、吐き捨てるように言った。

サヨナラ、と。



「ぅぅッ…ぁ、あぁぁぁッッ!!!!」



スイの喉奥から裂けるような、痛々しい悲鳴のような泣き声が上がると同時に、スパァンッッ!!!!っと高く鋭い音が森に響いた。

女がスイの頬を思いっきり平手打ちしたのだ。

頬の痛みが熱を持ち始めた頃、スイの目の前からNは霧のように消え、変わりに目に映ったのは横たわったスイを見下ろすフードを被った女だった。そこから覗く蒼眼はとても綺麗で、どこかで見たことあるような、そんな顔立ちだった。





Burst Lady 前編








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