綺麗に歪む
※ミコマチ様作、遠い昔の名前の続編みたいなものを勝手に書いてみた浩輝
「……みぃつけた」
闇に溶け込むように、彼は笑った。
バシャッバシャッバシャッ!
「はあっ!はぁっ、はっ!」
ザァザァと雑音のように地面に落ちては弾ける細かい水の粒。
空は真っ黒な曇天。
曇天から続くものは雨、雨、雨。バケツをひっくり返したかのように強くなる雨に、傘を差さず只ひたすら走る。否、傘なんてものはとうに捨てた。邪魔だったから。そんなものを差して走るなんて余程の馬鹿がする事だ。叩き付けるようにその雨が肌を打ち、まるで前へ進む事を妨害しているかのよう。容赦なく降る雨を衣類が吸い、重たくなったそれは全身に鉛をかけられたかのよう。
それでも走らなければいけない。逃げなければいけない。ただただひたすら走る。地面に踵を打ち付ける度に高いハイヒールの音がカンカンと響く。それすらも鬱陶しい。上がった呼吸を正す暇なんて皆無。過呼吸気味でも、走る。走らなければいけない。逃げなければいけない。…捕まってはいけない。
仮にももし捕まってみろ。捕まったその時から、自分に自由なんて無い。空を見る事すら叶わない。毎日監禁されるかの如く機械とフラスコに囲まれて、それで人生終わってしまう。
加えて今連れているポケモン達は再び実験台行きか、最悪殺処分だ。それだけは何としても避けたい。
「おい居たぞ!!」
「っ!」
「隅に追い込め!!気を付けろよ、以外と狂暴なんだこの女ァ」
「(クソッ…!!)」
前から黒い服を来た男女の集団。弾かれるように前進していた速度にブレーキをかけ、また踵を返す。あまりにも人数が多い為突破は出来ない。仕方なく背後に追ってくる気配を感じながら、もと来た道を走り錯乱させるために小さな路地に入った。
カタカタと弱々しく揺れるボールの振動を腰に感じる。…戦うにしても手持ちのポケモン達は既に瀕死に近い状態だ。最初は有利にこちらに日が出ていたが、毒や麻痺の状態異常に陥り、有利だった形勢が一気に覆された。
何故、今日に限ってこんなについてないのだろう。あの筋肉馬鹿のお陰でナギとは軽い喧嘩はするし、そのお陰で今日は一言も喋っていない。頭を冷やそうと暫く散歩に出ようと思い、ポケモンセンターで借りた宿にアレックスとオレット以外を置いてきてしまった。そしたらまさかのこんな状況。誰も予想しないだろう。すっかり自分の立場を忘れていた平和ボケした頭を殴りたくなる。
せめてジュビア、悪くてポケギアの一つくらい持って来るんだった。迂闊な行動を取った自分を呪う。
「―――、しまっ…!!」
細い路地に入ったその先は、道が無かった。狭いせいで逃げ回る事は不可能。
ヤバい、捕まる…!!
足音が直ぐ背後から聞こえ、ギリリと奥歯を噛んだ…が。突然腕を強い力で引っ張られる。
「………!!?」
――バタン、という扉の音を残して、女は路地から消えた。
* * * * * * * * *
「………っ?」
真っ暗だった。
どこを見渡しても黒。何もない暗闇。何が起きたのかわからない。只、わかるのはどこかで「何処だ」「逃げたんじゃないか」「探せ、まだ近くにいるはずだ」と言う連中の声。暗闇で私の荒い息遣いだけが響く。ヒュー、ヒュー、と満足に呼吸が出来ないのは、無理に体を動かして肺に空気が上手く行き届いていないからだろう。
わからない。
意味がわからない。今さっきまで狭い路地にいたのに。何がどうなっていきなりこんな事になる?土砂降りだった雨も感じない。そして冷たい床に体を預けている感覚に今更ながら気付く。闇しか映さない自分の瞳も少しずつ慣れてきた。段ボール、マット、棚…そのようなものが沢山置かれていた。倉庫だろうか?
それに、さっき何かに腕を強く引かれたような、
「やあ、」
「―――――ッ!!」
弾かれたように飛び起きる。
落ち着いた呼吸がまた荒くなって行く感覚さえ疎か。クスクスクス…そんな笑いを噛み潰したような、見下して笑っている、不気味な笑い声。
誰だ?…いや、どうせロケット団の連中だろう。こんな人気なんて皆無なこの地に。得体の知れない何かに、身体中警戒するように身が固くなった。闇に慣れた瞳は、すぐにその人物を視界に捉えた…が。
ドクリ、跳ねる心拍。
私は、この男を知っている。
「お…まえ、は…」
「フフ、嬉しいね…覚えていてくれたんだ」
あの時、街中でぶつかった男。
長年“あそこ”に居たにも関わらず、私はこいつを知らないのに私の事を「シキ」と、そう呼んだ男。白い肌に碧い瞳。その輪郭は縁取られたように整い、唇は小さく弧を描いている。サラ、と黒い髪が頬にかかる。男なのにそこらのケバい女共なんか比べようがないくらいに綺麗な顔。私からして見れば忘れようがない容姿。
只あの時と違うのは街中で見たチャイナ服のみの姿ではなく、黒い白衣も一緒に纏っている。
黒い、白衣。……そうか、この男は。
「随分、涼しそうな格好してるね。ご機嫌いかが?孔雀姫」
「……最悪ね」
「そう、良かったね」
「…私をどうするつもり」
「…さあ?どうしよう。君はどうして欲しい?」
「何もせずにここから出て行って」
「残念。それは無理な頼みだなぁ。だって外、土砂降りだからね」
「……………」
この男、何を考えているのか分からない。
薄く笑みを浮かべるこいつはそれ以外の表情を見せない。何がしたいのか読めない。何が目的だ。さっきといい何故助けるような、この場に連れ込むような真似をしたのだろうか。私を捕らえたならさっさと連れて行けばいいのに。
何かを探るような目の前の男の視線が居心地悪くて、逃げるように視線をずらす。肌に貼り付いた自身の髪の毛も水気を含んだ服も、靴の中に入った水も全てが居心地悪い。首もとにびちゃりと貼り付いたのが最高に気持ち悪くて、ボタンを外した。
そう、外してしまったのだ。
「……さて、どうしてくれようか」
「…っ…?、―――!?」
ドンッ、と鈍い音がした。
背中に激痛。肩を掴み、思い切り壁に叩き付けられたらしい。一瞬息が詰まる。涼しい顔をしてギシリ、と肩を押さえ付けるその力は生半可なものじゃない。骨が悲鳴を上げる。見掛けによらず、似合わないその怪力に冷や汗が流れた。
睨み付ければ男はニコリと笑う。
「ねえ孔雀姫。君、馬鹿なんじゃないかな」
「なっ…に…?」
「確かに僕、女顔だけどさ。こんな密室に男と女がたった二人。正真正銘、男なんだよ僕は。……良いのかい、そんな首もと大きく開けて」
「………ッ!!!」
「アハハ!…いいねぇ、そういう顔。とてつもなく加虐心煽られる」
「ちょっとッ…、っー!」
ちょっと遊ぼうか。
そう耳に唇が触れるくらいの近さで、低く囁いた。耳に唇が落とされた感触を感じ取り、ぞわりと悪寒が走ったと同時に足が飛ぶ。
「こ、のっ……!!」
「…大人しくしなよ。それにやめた方が良い。君じゃあ僕は無理だ」
またニコ、と笑う目の前の近すぎる男。
私の振り上げた足を読んでいたかのように、足の頸で止めていた。何なのこいつ…と本格的に危ない人間だと思考が巡った。まさか蹴りを止められるとは思っていなかった。「格闘技なら一通りかじってるからね」と笑って言う男の声にドクドクと極度な緊張が走る。こいつは生き物を普通に、呼吸をするのと同じくらい簡単に殺せる人間、だ。
「ユウ、ね。本当に趣味悪い名前を偽名にしたね」
「あっ…!」
「ねえ孔雀姫、君の血はどんな味がするんだろうね?」
耳裏を生暖かい舌が伝う。
ゾワゾワと広がる悪寒。ツイ、と開いた首元に唇と舌が移動しベロリと舐められた。瞬間に鋭く感じる痛み。歯を突き立てられ、真っ赤に流れるそれを舐めとるそいつは酷く歪んだ笑みをを浮かべて笑う。
そして肩を押さえ付ける圧迫感が無くなり、冷たい体温が離れると同時に今度は床に放り投げられた。痛みに呻き、今度は起き上がれないように身体の上に大きい何かがのしかかって来る。…ポケモンのニドキングだ。
「何をっ…、!?――――ちょっとッ!やめて!!」
「煩いね。ちょっと黙ってなよ」
「ふざけんじゃないわよっ…!!何かしたら許さないわよ!!その首今に飛ばしてやる!!」
「ハッ、やれるもんなら」
ニドキングの背後に見えたそいつ。いや、そいつが持っているもの。それは私の、アレックスが入ったボール…!
そいつはボールから麻痺になったグラエナを、アレックスを出してまじまじと観察を始める。「へぇ、もしかしてこのピアス?」…と極めて楽しそうに言う男に、ザッと血の気が引いていく。麻痺になって身体を動かせないアレックスは只ギロリと殺さんばかりに男を睨み上げる。
そして、注射器を取り出したそいつは針を何の躊躇いもなく、突き刺した。
「い、やっ……!!!」
喉が乾く。
目を反らせない。
呼吸が荒い。
激しい動悸が止まらない。
小さく痙攣していたアレックスは次第にふと動かなくなった。何を、何をしたんだこの男は。絶対に許さない。そう憎しみ隠った目で睨み上げた。…だけど。
「はい」
そいつは、またアレックスをボールへと戻し、私にそれを投げた。
「………は、」
「ニドキング、もう良い。終わった。おいで」
「な、にしたの…?」
「安心しなよ。麻痺治しの薬射ち込んだだけ」
「…なんで、アレックス連れて行くなり、」
「…君は変な子だね。何、そのグラエナ連れてって欲しいの?良いんなら喜んで連れて行くけど」
「ふざけんな」
「だろうね。……今日は久々に気分が良いんだ。代わりに血液頂戴したけど」
「…………」
そいつはさっき射ち込んだ注射器とは違う注射器をチラチラと見せびらかす。いつの間に取ったのか知らないが、ニドキングが退いたのを見計らって素早く起き上がった。
と同時、この倉庫のドアをドンドンと叩く音に小さく身体が跳ねる。
『班長!いらっしゃいますか班長!』
「ん、ああ。居るよ、なんだい」
『露命孔雀の行方が跡絶えました!我々の手だけでは…班長のお力を貸して頂きたくっ…』
「了解。まだ近くに居るかも知れないね。引き続き追跡するように連中に伝えろ。君は先に行ってな」
『はい!』
去っていく足音。
分からない。本当に分からない。何考えてるのこの男。
「さ、早くお行き。暫くここらで固めといてあげる。倉庫の裏にあるB-3出口から出てひたすら真っ直ぐに行けば、ナギサシティに着くよ多分」
「…あんた、何考えてるの」
「言っただろ?今は気分良いんだ。早く僕の気が変わらない内に行った方が良いよ。僕は気まぐれだ」
「違う。何で、助けるのかと聞いているのよ」
「………助ける?…何か勘違いしてるみたいだけどね、今は潰すに惜しいと思っただけだよ。好きなものは、最後にとっておく方なんだ」
「…馬鹿じゃないの」
「ああでも、そうだなあ」
変わらない笑顔を張り付けた男。
段ボールの上で足を組ながら、尚男は冷たく笑う。
歪んで、笑う。
「次、は無いからね」
ああでもやっぱり不愉快だ。
ねえ孔雀姫。
ユウだなんて名前、捨てちゃいなよ?
綺麗に歪む
(その名前が、憎らしい)
(あいつに呼ばれてるみたいで、)
**十五夜**