今、幸せですか?


「ばうー!」

「ブイィィ!」

「…あれ、どうしたのリオル?え、ちょっ、ま…!どこ行くの馬鹿っっーー!!」



それは、二ヶ月後の事でした。



「ちょっ…待って…!勝手に…!ああもうチクショウ…!!」



ある昼下がりの事だ。

旅で立ち寄った小さな町で夜を越そうと思っていた。まだ早いかと思われる時間でもバトルで溜まった疲労などがあり、久々に皆の長期回復でも計ろうかと一日二日、この町でゆっくりしようかと算段を踏んでいた。
町は小さいがとても綺麗な町で、何より美味しいものやショッピングセンター、温泉などがあると言う。これは行くしかないだろう。

早々にポケモンセンターで宿を取り、まずは買い出しから行こうと宛もなくフラフラと出歩いていた矢先。それは何の前触れもなく訪れた。
肩に乗っていたリオルが突然何かに反応したように飛び降り、サンダースも慌てたようにリオルの後を追う。吃驚して追いかけるテンポが大幅に遅れてしまったが、何とか追い付くとそこには久々に見た後姿を見付けたのだ。

スラリとした長い脚にあの羨ましい程に細い身体の曲線、特徴的なフードの耳は!



「ユウちゃんだ!!」

「!?」



突然の訪問者に、振り向いた彼女のフードがズルッと落ちた。



* * * * * * *



「うあー!久しぶり!二ヶ月振りだねぇ」

「……お久しぶりです。元気そうで何よりです」



突然名を呼び止めた人物に一瞬呆然としていたユウはパチパチと瞬きを数回繰り返した。広場にも響き渡るような声を発したその声の人物、アヤは嬉々と言った表情で瞳を輝かせながら大股でユウとの距離を積める。「わああああユウちゃん奇遇だね久しぶり会えて嬉しいよ時間あるお茶しない!?」と息継ぎ無しに質問したアヤはユウからの返答を待っているのか笑みが絶えない。
そしてやっとこの状況に頭が冴えてきたユウは、喉につっかえていた空気を静かに吐き出しずれたフードをかぶり倒した。目の前にあるのは確か二ヶ月前に見た、一つ歳上の友人…と言うかあんな一回お茶をしただけで、数時間喋っただけで友人と呼べるのかどうかは分からない。だって何より内容が内容だからだ。
だがアヤはもうユウを友達と認識しているようだ。「怪しい人じゃなければ一回喋ればもう仲間さ!」と言わんばかりのアヤならでは。数時間しか喋った事がないけれど、確か彼女はそんな性格をしているだろうな、とユウは思う。何てフレンドリー。何てダイナミック。自分ならまずそんなフレンドリーさは設けられない。近寄って来る人間は子供であろうと老人であろうと、ユウにとっては全てが警戒に値する対象だからだ。

けれど何故かアヤだとその警戒線が緩んでしまう。気が緩むオーラを醸し出しているからだろうか、若しくは馬鹿さ加減全開のせいかはわからないが。
自分の孔雀石色の瞳と深海色の蒼い瞳が絡み合い、ふと下を見ればアヤのポケモンであろうサンダースとリオルが興味深くユウを見上げていた。先程足元をウロウロしていた小さな物体はリオルだったのか、と頭の片隅に置いてユウは視線を宙にさ迷わせる。
大丈夫、まだ時間はあるだろう。
視線をアヤに戻したユウは「良いですよ」、と一言呟いた。



「ユウちゃん何飲む?」

「(カフェじゃないんだ…)…じゃあ、ホットココアで」



ガコン、と自販機から落ちたホットココア。

てっきりお茶しよう!と言われてカフェか何処かに入るのだろうか、と考えていたユウの思考は180度引っくり返された。
まさか広場の隅にあるベンチに案内されるなんて誰も思わないだろう。奢ってくれるらしいアヤはユウから頼まれたココアのボタンを押し、少し熱い程度に熱を持った缶をユウに渡した。



「ユウちゃんも旅の途中で寄ったの?」

「ええ、休憩ポイントで立ち寄ったものですが」

「へぇーそうなんだ。…って事は今日には出て行っちゃうんだね」

「まあ、はい。アヤさんは…」

「ボク達はあと二泊していく予定!」



ユウの隣に腰をどっかりと降ろしたアヤは、自販機で買ったポカリスエットの蓋を開けてそれを喉に流す。
そんなアヤを横目で見ながら、自身の手元にある缶の口を開けた。そう言えば二ヶ月前のあの暴走族集団はどうなったのだろう、とココアに口を付けながら思うが、別に奴らの安否が気になった訳ではない。ただそいつらをなぶった張本人は、横に居る少女の恋人が原因だ。確か強烈な赤色が印象的な、自分と同じ無表情の仮面を付けた男。

ユウとしてはあまり好かない相手だった。いや、他人、しかも男性なら針を突き刺すように拒絶するが。確かに彼は強いかもしれないが、あんな無愛想のどこが良いのか分からない。自分なら、まずは考えられない相手だ。しかも相手は暴走族。尻拭いとしてアヤの存在を知っている彼らなら後日改めまして、と言う状況が無いわけでもない。

…でも大丈夫そうだ。アヤの表情を見て直感でわかった。



「でさー!あの停電王子が…って聞いてるユウちゃん!?」

「…………はい?」

「はい?じゃないよ!ボクが今まで喋ってた5000字くらいの話しが…!」

「細かいですね。…ですがもっと喋ってるような気もしますが」



アヤに呼ばれた事で思考を泳いでいた意識が外界に戻された。握り拳を作って力説する彼女を見て停電王子って何だ、とか色んな事を思うが気にしない方が良さそうである。



「あれ…あの、ユウちゃん怪我したの?」

「え?」

「その、膝…」

「………ああ、気にしないでください。軽い切り傷です」

「うへぇー…痛そうだね大丈夫…?」

「ええ」



アヤの視線の先は、ユウの大腿部の包帯。

真っ白の布で何層にも覆われた大腿部はアヤが思ってもない、想像以上の怪我が刻まれている訳だがそれを彼女は知るはずも無いだろう。

今思い返せばとてもおぞましい出来事だった、と思う。

幾多の男という生物が自分の周りを囲み、狂喜に満ちた廃人に、自分に恐れを為して銀に輝く刃を振り回す男。別に怖いとは思わなかった。ただ不快。ただおぞましい。汚い手で触ってくれるなと全身の毛が逆立った。そして肉が裂ける感覚に、体内からごぽりと勢い良く吹き出す液体で赤黒く染まった己の肢体を、今でも鮮明に覚えている。

本当は大丈夫?だなんて聞かれるような怪我のレベルじゃなかったけれど。

その怪我があったおかげで。



「…ユウちゃん、笑った…!」

「は?」

「や、何かユウちゃんがそんな柔らかく笑った顔を見た事が…」

「(……まあ、そう言われればそうかも)」



あの時は笑うだなんて雰囲気は自分は醸し出していなかったかも知れない。

そっと包帯を撫でれば、無意識に彼の顔がぼんやりと浮かんだ。彼があの時助けに来てくれなかったら自分は今頃、きっとこの場には居なかった。あんな人の優しさに、真っ正面から受け止められて触れたのはある意味、初めてのこと。

彼は優しい。

あの時は理解出来なかったけれど、今ならアヤの気持ちが分かる気がした。



「何だか、幸せそうに笑いますねー…こっちまで暖かくなっちゃうよ」

「幸せそうに、ですか?」

「うん、凄く今幸せそうな顔してるよ」

「………」

「あ、帰るの?」

「はい。二回目ですが、ごちそうさまでした」



飲み干したココアの缶を自販機の隣に設置されたゴミ箱に投げ捨て、立ち上がる。

アヤが残念そうにユウを見上げ、行ってしまうのか…とそんな表情で見ている視線が痛いくらいに伝わってくるが仕方ない。そろそろ帰らないと皆が心配するし、何より彼も、心配する。



「…………帰る場所が、出来たんです」

「!そっか…」



少し見開く蒼の瞳に、ユウはフードを被り直す。



「今、幸せ?」


「そうですね……、

―――悪くはないです」



フード越しに見えた淡い笑みに、アヤは満足気に笑った。


風が冷たい、午後の事だった。



今、幸せですか?

(私には、帰りを待っててくれる大切な人がいる)




**十五夜**




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