シェーラザードの夜伽噺





昔々あるところに
シャリアールという字(あざな)を持つ紅い瞳の王様が居りました


その王様は、とても有能な御方でした

それと同時に、とても恐ろしい御方でもありました

紅い瞳の王様は、前妃が不貞を働いてからというもの

深刻な女性不信に陥っておりました

世に住む全ての女性が信じられなくなり

毎晩新しい娘を夜伽に召しては

翌朝になると必ず処刑してしまうのです

ついに国中の乙女が消えた頃




蒼い瞳をした一人の大臣の娘が、お城に召し上げられました





【シェーラザードの夜伽噺】





豪奢な調度品に囲まれた、睡眠を主な目的としては些か煌びやかな寝室に、一人の娘が佇んでいた。

豊かな栗色の髪を高い位置で結い上げ、惜しげもなく露出した首のなんと細いこと、白いこと。絹で編まれた淡い澄水色のヴェールに顔を隠したその娘は、ただただ無言で瞑目し、静かに”その時”を待っていた。冷酷非道と名高い暴君、シャリアール何某の一夜限りの慰みものとして捧げられた自身の運命を恨むことは無かったが、残してきた今までの生活に未練が無いわけではない。
ふいに、彼女の耳にさざめくような人の移ろう音が届く。確かに近づいてくるその音に、覚悟を決めたように息を吐き、その風に長い睫毛を震わせる。ゆっくりとヴェールの下で目蓋を押し上げ、毛の長い絨毯に膝を着く。



娘が膝を折ったその瞬間、固く閉ざされていた扉が開け放たれる。豪奢な調度品に負けないくらいの豪華絢爛な装飾品を纏った、暴君と恐れられるこの国の王の姿がそこにはあった。王たる威厳が滲む威風堂々とした姿。しかし、燃え盛る暖炉の炎よりも鮮やかに、滴る血の色よりも深い紅なのに、底冷えのするような温度の無い双眸だ。
しかし、娘はその空気に気圧されることは無く、くっと細い顎を引いて王と向かい合う。




「…今宵の相手はお前か、娘」

「はい、国王様」




薄いヴェール越し、顔の見えない娘の応答に王は不愉快そうに眉根を寄せる。わたくしの名は、とお決まりの口上を述べようとしたその瞬間、抱いていたどす黒い感情は決壊し、噴出した本能のまま娘の躯を捻り上げる。あまりにも突然な王の暴行に、娘の口からは当然のようにか細い悲鳴が零れる。今にも折れてしまいそうな細い躯を天蓋の垂れる寝具に放り投げ、息つく間もなく馬乗りになる。間髪入れずに衣服に指を掛け、釦を外すことなく布ごと引き裂き前を露にする。




「お待ちください、王様」

「何だ。命乞いならば聞かぬぞ」



自分に跨る王を見上げ、娘は粛とした声を放つ。薄蒼のヴェールが揺れ、その様に僅かに眸を細めた王だが、即座に娘の言葉を一蹴する。しかし、娘の発言は、命乞いではなかった。




「顔色が優れません。もう、何日もお休みになられていないのでは」

「…………」




我が身を案じる娘の思いもよらぬ発言に、王は乱暴に突き動かしていた自らの指先を留める。じっと無言で娘を睨めば、ヴェール越しに確かに視線があった。
実際、前妃が不貞を働いてからこの数年、心安らかに眠れたためしがなかった。血色の悪い肌に浮かび上がる色と言えば、せいぜいが瞳の紅。眼窩に深々と刻まれた隈が、更なるすごみを増長させる。



この王にとって、性交などは単なる生物的な所業と浪費でしかない。快楽も情欲も目的ではなく、ただただ眠れぬ夜を過ごす間の一興。不貞を働くような”女”となど、二夜とて一緒に居られはしない。結局は皆、体液まみれになりながら命乞いをするのだ。国中の乙女を抱いて証明した事実だ。だのにこの娘は、己が貞操と命よりも、眼前の暴君の身を案じるというのか。




「眠れぬのですか」

「貴様には関係の無い話だ、娘よ」

「いいえ、いいえ、国王様。関係無いわけがないではありませんか」




今宵限りとは言え、わたくしは貴方様の妃の身分。関係がないわけがないではありませんか、と再度続けた娘は、王の痩せた頬を撫でる。ゆっくりと、慈しむようにしとやかに、滑らかな指先が肌を滑り伝う。




「眠れぬのであれば国王様。このシェーラザードが、今宵の王の一時を我が身ではなく、我が口にてお喜ばせ致しましょう」




肌を伝っていた娘の指先が、王の漆黒の髪に沈む。
いつぶりかに感じた人肌に、王は言葉を失う。いつものように強引に事に及び、凌辱し、その首を刎ねてしまえば全てが終わる。今この瞬間に感じる違和感や胸を着くうずきも何もかも、全てが終わるはずなのに。しかし、ようやく口を開いて発した言葉は、自らの言葉であるはずが、王の望んだものとはかけ離れたものであった。




「…シェーラザード、と申すのか。お前の名は」




名など問うてどうする、と自問するも、今や王は娘から視線をはずすことは叶わない。しかし、返ってきた娘の応えは、これまた予想外のものであった。




「いいえ、王様。シェーラザードはわたくしの字にございます。我が真名を語るべき刻は、今にはござりません故」

「王である我にも秘するとな」

「国王様のシャリアールという名も、真名ではなく字ではございませんか。お互い様にございましょう」




謀ったのか、と娘の喉に指を押し当て、縊りながら再度問い詰める。しかし、それでも動揺した様子の無い娘の飄々とした台詞に眉間の皺は深くなるばかりだ。




「ならばいつ名を明かす」

「来るべき刻が訪れた際には」




やはり怯えぬ蒼い娘。芯の通った強い発言。暴君は、無言のままに娘のヴェールをそっと剥ぐ。
蒼い瞳と、カチリと視線が合った。




「さて、シャリアール国王様。今宵わたくしが語りますは、遠い異国の海の冒険譚。朝日が昇るまでの暇潰しにはなりましょう」




そう言ってにっこりと笑った娘は、孤独な王の瞳を覗きこみ、優しい物語を紡ぎ始めた。先の読めぬ展開に、心惹かれる不思議な道具の数々に、王は次第に興味を示していった。そして、物語のクライマックス。窮地に立たされた若き船乗りはかようにして生還するのか、という折に至ったところで、シェーラザードはふつりと言葉を切った。




「どうした、シェーラザードよ。続きを語らぬか」

「国王様。もうすぐ夜が明けてしまいます。続きはまた、次の宵に語りましょう」




いつの間にやら白み始めた東の空を一瞥し、王はじとりと娘を睨んで逡巡する。娘の語る冒険譚に集中するあまり、情事に及ぶことが叶わなかった。その上、結末を前に話を止められては、その後が気になって殺すことも出来ない。
苛立ちか、それともこんな決断を下す自分に対する驚きからか、小さく舌打ちをした王は緩慢な動作で寝具から足を下ろす。




「ならばシェーラザードよ、貴様に今宵までの猶予を与えようぞ」

「有りがたき幸せに存じます、国王様。貴方様の退屈を、ほん一夜でも紛らわせることが出来ましたなら」




務めて冷酷な一本調子で娘の処遇を告げた王だが、らしくない決断をしたと彼自身も認識していた。朝の執務を行うために寝室から出て、無残にも切り刻まれた娘の遺体を片付けに来る大臣たちもさぞかし驚くことであろう。
しかし、それも一度限りに過ぎぬ気まぐれ。最後の一節を残して生きながらえたが、語り終えたその時が娘の最期。しかし、娘もそれを予期出来ぬほどの呆気者ではない。再び巡り来た宵の刻、望まれた結末を乞われるままに紡いだ娘は、先夜のように凶刃に晒された。そこで、娘は相も変わらずの柔和な笑みを浮かべて唇を震わせる。




「まだ宵は深きままにございます、国王様。残された夜明けまでの一刻を、別の物語を披露してお過ごしましょう」




わたくしを殺めるのは、それからでも遅くはないでしょう……そう言われてしまえば、王は突き立てた刃を収める他術は無い。



シェーラザードは言葉を紡ぐ。

遠い海を統べた覇者。
賊を討ち取った商人。
心とろかすような魔法の道具。


そしてクライマックスを直前に言葉を切り、宵越しの物語を微笑で包み込んで凶刃を避ける。
宵入りに前日の物語の結末を語り、持て余した残りの時間を新たな物語を語ることで眠れぬ王の傍に仕える。終えては始まり、越えては終わる。そんな日々が続き、ついに千夜となった、その夜だった。




「……これにて、この物語はお了いです」

「では、新たな噺を述べよ」




いつの間にやら、王は娘を殺そうとしていたことなどすっかり忘れてしまっていた。眠れぬ夜は相変わらずだが、そんなことなど気にならぬほどに、語り紡ぐシェーラザードと過ごす刻を心地よく感じるようになっていた。
しかし、対する娘は苦しそうに唇を震わせる。普段は気丈な蒼い瞳を王から逸らし、静かに言葉を発する。




「国王様、わたくしの知る物語はこれで全てです。全てを語り終えた今、わたくしを殺めずにいた理由は無くなりました」




さあ、わたくしの首を刎ねて下さいませ。
ヴェールを剥ぎ取り、素顔を晒した娘は、呆気に取られている王に向かってそう告げる。千の夜を過ごし、娘の持つ語り草は今宵をもってついに尽きてしまった。もはや身を守る術も王を癒す力も無い。全てを受け入れたように瞑目した娘だが、王が腰に帯いた剣の柄に触れる様子は無い。




「……待て、シェーラザードよ。お前には未だ、秘したままの物語があるではないか」

「いいえ、国王様。わたくしは全てを語り尽くしました」




王の言葉に目蓋を開いた娘は、驚いたような表情で応える。嘘偽りの無い真摯な瞳で王と向き合うが、王も引こうとはしない。紅い瞳に娘だけを映し込み、囁くような、とろけるような声音で続ける。




「お前の真名を、わたしは知らない。今この場で、語り紡いでみせよ」




するりと王の指が栗色の髪を梳く。ぱちぱちと瞬きを繰り返す娘に、王は今までの冷酷さなど面影も無い柔らかな笑みを浮かべ、そっと耳元で囁いた。




「愛しいお前の真の名を、わたしの耳に教えてくれ。そして、わたしの真名で……俺を、呼んでくれ」




包み込むように抱擁され、娘は僅かに息を飲む。誰もが恐れた暴君の、泣きたくなるような優しい願いに、娘の生きる世界が震えた。




「はい、国王様。貴方様の真名を教えて下さると言うのであれば、喜んで語らせていただきましょう。………ボクの、名前は、」








シェーラザードの
夜伽噺






夜毎紡ぎましょう

途切れぬように、愛しましょう











〜おまけ〜


彩「ああああああああああああ緊張したああああああああああああああああ!!あ、ユウちゃんどうだったボクのシェーラザードの役っぷりは!?」
夕「とても艶やかで素敵な演技でしたよ、流石はアヤさんです」
凪「すっごく綺麗でしたよー!」
彩「き、綺麗だなんてヤダなぁナギ君……あ、レッド!お疲れ様〜!」
紅「疲れた」
凪「僕、レッドさんがあんなに喋ってるの始めて見ましたよ」
結「………で、俺の役は?」
彩「あ、ユイ兄」 
夕「大臣役で出てるじゃないですか良かったですね大台ですよ」
結「何をどう解釈したらそうなるんだよ」




おわり。



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