理想の貴方



守られ慕い、そして敵対し



【理想のあなた】



とある平日の昼下がり。


センターのロビーで待ち合わせをしていたユウは、一人静かに読書を楽しんでいた。このままコーヒーの一杯でも飲みながら一服するのも悪くない、と本来の目的である待ち合わせからは掛け離れたことを考え出したユウだが、ふいに聞こえたバタバタと駆ける音に顔を上げる。
叫びながら全力疾走をする、見覚えのある人物達を見付けた。



「こぉぉぉぉの愚妹がああああああああッ!」

「わあああああああ!!あっごめんユウちゃんもう少し待ってて!!!」

「…………………」



待ち人であったアヤと、その兄ユイの登場にユウは孔雀石色の瞳をぱちりと瞬かせるが、当の本人達は風の速さで視界から消え失せる。
何がどうしてこうなった、としか言えない惨憺たる形相だったが、アヤの「もう少し待ってて」という言葉に、ユウは相変わらずの無表情のまま目線を手元の書籍に戻す。何事も無かったように、ぺらりと読みかけの本の頁をめくった。



* * * *


「お…お待たせしまし、た……」

「こんにちは」



更に待つこと数十分。
悪鬼の如き形相で詰め寄られていた悪漢、もとい実兄から逃げ切りセンターに戻って来たアヤさんは、よれよれの恰好で私にもたれるように倒れ込んだ。
取り敢えず場所を変えましょう、と提案すれば力なく同意し、手近な喫茶店に移動して角席に座った途端、ばったりと机に突っ伏してしまう。激走するうちに風で乱れたのであろう柔らかい栗色の髪に指を通し、簡単に手櫛で直してやればアヤさんは「疲れたぁぁぁ」と非常に率直な意見を発した。



「何がどうしてあんな鬼ごっこをしていたんですか?」

「いや、まぁこれには色々と事情が……」



運ばれてきたお冷やを一気に飲み干し、ようやく一息ついた様子のアヤさんに率直に尋ねれば、向こうはもごもごと言葉を濁す。
「いつまでも子供扱いされても困るって言うか」だの「いくら兄妹って言ってもやっぱりモラルとか境界線みたいなものは必要だと思うんだよね」だのとしどろもどろ主張するその姿は、らしいと言えばらしくもあるのだが、普段の彼女の明朗さを知る人間としてはどうしたのかと心配になるレベルだ。



延々と似たような単語を羅列するアヤさんを前に、取り敢えず店員が運んできた適当に注文しておいたコーヒーを口許に運ぶ。じわりと広がる心地良い苦みを堪能しながら、静かに机の向こうの友人を眺めてみる。
どうやら単純に兄妹喧嘩をしたようだが、それにしたってあの"お兄様"の執拗な追跡は異常だ。幾ら手塩にかけて育てた溺愛している妹とは言え、彼自身の根本はあまり他人との馴れ合いを好まないものの筈。それをああも追い掛け回すとは、一体何があったと言うのか…――――そう疑問に思い、未だ兄に対する不平とも不満とも取れる発言を繰り返していたアヤさんを見て、ある一点に気が付いた。思わず瞬きを繰り返す。



「そりゃボクだってただ一人の身内に対してコソコソなんてしたくないけど、やっぱり一個人としてプライバシーくらいは…―――」

「……アヤさん、」



長々と列べられた口上を遮り、視線を机上のコーヒーカップに落としながら、つん、と自分で自分の首を指差す。私の行動の意図が読めていない様子の純粋な彼女に緩やかなため息を一つ零し、「見えてます」とストレートに言えば、ようやく伝わったようだ。
ポカンと呆けていた顔を一瞬で赤らめ、激走したことにより多少乱れた襟元から覗く紅い痕…――――恐らくはあの伝説の人間が刻んだのであろうキスマークを、アヤさんは慌てて隠す。



「……なるほど、ね。理由はそれですか」

「うぅ…」



蒼い瞳をさ迷わせながら唇をキュッと噛み、さらさらの髪の隙間から赤らめた頬が惜し気も無く見えている。
見る人によっては、中々に嗜虐心をそそるような姿だ。私は生憎そのような趣向は持ち合わせていないが、あの私に負けず鉄面皮の青年にとっては、きっと弾丸よりも破壊力のあるのものなんだろう。それにしても、あんな目立つ場所に所有印をくっきり残すとは、実に独占欲が高いようで。周囲への牽制のつもりなのだろうか。見てるこっちとしては何となく歯痒いのだが。



「お兄様にとって、アヤさんは妹であると同時に娘のような感覚が少なからず有るようですからね。激昂するのも無理は無いかと」

「……うぅー…んー……」



丹精込めて、というわけでは無いらしいが、親替わりとなって自らの人生の一部を懸けた相手だ。いつまでも清廉潔白なままで居て欲しい、否、居るべきである。なんて認識は軽く持っていそうだ。
それを何処の馬の骨とも知れない輩に手折られたとなれば、まさに噴火でもしそうな勢いでリミッターは爆発するだろう。とは言え、無関心を決め込んでいるが、アヤさんのお兄様は妹に対する愛情が些か過剰ではなかろうか。取り敢えず今度会ったら「シスコン」と呼んでみよう。



「兄妹、というか……"家族"というものは、とても煩わしいものなんですね」

「んー…まあ、面倒臭いことも腹立つことも多いけど……」



机に肘を着いて手付かずだった紅茶のカップを持ち上げたアヤさんは、不機嫌そうな、それでいて複雑そうな表情を浮かべる。
カチャン、と陶器の触れ合う音に瞳を細めた。



「ボクがまだ小さかった時さあ、ユイ兄に遊んでもらっててさ。別段道具なんかがあったわけじゃないけど、手を銃っぽい形にして互いに『バーン!』とか言って戦う遊びしてたの。でもユイ兄ったら狡いんだよ!?確かにボクの撃った弾が当たったのに、『ペシ。はい、バリアで弾落としたー』って攻撃無効化するし、ボクがバリア真似すれば『お前は使えないんだ』とか変な設定にして自分だけ勝ち越してッ!」

「………………」

「それにボクがちょっとユイ兄の漫画読もうとして持ち出して、奥付のとこちょーっと折っちゃって返したらすんごい形相で『もっと綺麗に扱え!』って怒り狂ってさぁ!その癖今は普通にボクの漫画とか本を読んで広告や帯ぐちゃぐちゃにするんだよね!その事で文句言ったら『お前も昔やっただろ』って!!成人した大人が年齢一桁の子供の行動を同一視して良いの!?つーか自分がされて嫌なことを他人にはしちゃいけませんって学校で習わなかったのかあの馬鹿兄はあああああッ!!!」



兄への悪態を語る彼女の口は、これでもかというくらいに回る回る。「どうせならユウヤさんとかナギ君みたいに優しいお兄ちゃんが良かった!」と主張する姿はまさに"吐き捨てる"といった表現の似合うものだったが、それでも言葉の端々に滲む感情は、どれもこれも嫌悪や蔑視と言ったものからは相反するもので。
時と場合によっては、不平不満を連ねた悪口も一種の愛情表現となる。何を言っても大丈夫、決して裏切られることは無いという確信を持った発言。近しい相手だからこそ言える台詞。独りよがりではない繋がりの上に成り立つ、砂糖菓子のようにふわふわとした、とろけるくらいに甘い信頼だ。



「ちょっとだけ、羨ましいです」

「へ……?」

「鮮やかな思い出も…その相手が、色褪せることなく存在していることも」



自然と漏れた苦笑。
アヤさんを相手にしていると、自分の感情を偽ることなく素直に伝えたくなる。それはきっと、彼女の持つ独特の空気、底抜けに華やかで色鮮やかな視界に映る世界のせい。

小さく笑ってアヤさんの背後を指差せば、ヒクリと引き攣る彼女の表情。突如あらわとなった、今の今まで押し隠されていた殺気。ゴゴゴ、と滲み出る不穏な気配。



「好き勝手言ってくれるじゃねぇか……」

「ギャアアアアアアアユイ兄ィィィィィィッ!!!?」



背後にそびえ立つ人物に気付いたアヤさんは、ここが店内であることも忘れて絶叫する。突然の発声に驚いた店員や他の客の視線が一挙に集まるが、当人達は全く気にしていない……というか、そんな余裕は無い様子。
再度始まった逃走劇を、私にしては珍しく笑顔で見送ってやる。乱暴な男は嫌いだけど、今日くらいは、心配性のお兄様に荷担してみようかな。



理想のあなた


私から見れば、二人とも合致してると思うんだけどね。




鬼の形相で追いかける兄ちゃんが面白、い…!ユウちゃんの「シスコンと呼んでやろう」と言う言葉。うん、是非呼んであげてくださぁああああ\(^o^)/

素敵な小説ありがとうございました!




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