滋養強壮 、効果有り



「勿論ご飯の後に卓球やるよね!?ボクのシェーク捌きを見せちゃうよ!?」

「ビール…いや、地酒だッ!燻製焼きのツマミで一杯やるぜェェェェッ!!!」

「…………あの人達、目的忘れてません?」

「「………………」」



【滋養強壮、効果有り】



「いやぁ〜……極楽極楽…」



湯煙が立ち込める大浴場に、テツヤの独り言が響き渡った。
この後に待っているキンと冷えたビールや地酒を想うと、極楽気分も更に拍車が掛かるというもの。そんな鼻歌混じりに湯舟に浸かるテツヤの隣に、「そうですねぇ」とこちらも上機嫌のナギが湯の中に腰を下ろした。



「温泉宿を丸ごと貸し切った……って最初に聞いた時は驚きましたけど、やっぱり広いお風呂は気持ち良いですね」

「これも俺の人望と人脈があっての技だぜ!真似すんなよぉ?」

「しようったって出来ませんよ…」

「…俺達も来て良かったのか?」



上機嫌ここに極まれり。もはや有頂天と言っても良いほどに貸し切りにした温泉を満喫するテツヤの傍には、温泉の雰囲気宜しく頭にタオルを乗せたナギ。そして、いまいち状況が掴めていないレッドの三人だ。俺達、というのは、壁を挟んだ女湯に居る人物のことである。


遡ること僅か一日前。

観光シーズンから外れた中途半端な時期のため、知り合いの経営する温泉宿を貸し切れたから早速行こう、とテツヤが言い出したのが事の始まり。三人だけで行ってもつまらないから、とその日のうちに「近場に居たから」という理由のみでアヤとレッドを呼び出し、上手く理由を飲み込めていない二人を半ば強引に連行。
それによりレッドはこうしてテツヤとナギの二人と裸の付き合いをしているわけだが、正直な話意味が分からない、というのが彼の本音。貸し切りにした経緯や労力も分からないが、何より他人のためにここまでする深意が計り知れない。貸し切りにしろ単なる宿泊にしろ、自分とアヤが加わったことにより費用が増すことに変わりは無い。


一体何故。
そう問えば、浴槽の渕に肘をついた屈強な男は、ニヤリと意味深な笑みを浮かべた。



「楽しいことしようってのに、理屈が必要か?」

「―――――…」

「単なる思い付きですよね?」

「……ナギ、最近お前ユウに似てきたな」



パシャン、と熱い湯が跳ね、曖昧な境界線を崩すように湯煙も広がる。
紅い双眸を反らすことなく見据えて斜に構えたテツヤだが、にべもないナギの発言にヒクリと口許を引き攣らせる。しかし、仕切直すように厳かな咳を一つ漏らしてから、「まぁ、そうだな」と踏ん反り返る。



「単純ってーのには違いないな。……人間、一人じゃそうそう喋んないだろ?」

「「…………?」」




テツヤの意味深な発言に、レッドは不可解そうな、ナギは訝しげな表情を浮かべる。
二人の視線を一身に受けたテツヤは、ニヤリと再度口の端を持ち上げ、すっと一差指を突き立てる。その指の先にあるのは、二重の意味で大きくそびえ立った、重厚な一枚の壁。



『うわ〜…!凄いね、これ本当に貸し切り!?』

『思ってた以上に広いですね』



無言の男湯に響き渡るは、明らかに壁の向こうで交わされる会話。煙で見えていなかったのだが、どうやらこの室内大浴場、天井部分まで壁が繋がっていない、所謂突き抜け型の形式のようだ。よって、客が入りきった喧騒飛び交う通常とは掛け離れた今、両浴場間の会話は筒抜けとなってしまう。
この状況を理解した瞬間、ナギはビキリと身体を硬直させた。対するレッドは「ほぅ」と何やら感心した様子だが、ナギにしてみれば堪ったものではなかった。



「テツヤさん、これ狙ってこの温泉にしたんですか…!?」

「なんだよ、気に入らなかったのか?」

「銭湯じゃないんですから……!!」



向こうには聞こえないようにと声を押し殺しながらテツヤに食ってかかるナギだが、相手に反省の色はまるで無い。あっけらかんとした様子のまま、あろうことか「んじゃ、ここらでいっちょ覗きに行くか?」とまで口走る始末だ。



「だから、どうして毎度そういう展開に結び付けようと…―――!本当に何で、」

『何でそんなにスタイルが良いかなー、もう!』

『何で、と申されましても……そういうアヤさんこそ、素晴らしい脚線美じゃないですか』



ナギの心の叫びに呼応するように、アヤの半ば自棄になった台詞が重なる。
いきなり飛び込んできた男連中が聞くには些かデリケートな話題に、今の今までいきり立っていた少年は再度身体を硬直させた。聞こえてきた会話にテツヤは待ってました、と言わんばかりにナギを押さえ込み、身動きが取れないようにガッチリと固定する。何するんですかとあああああああ…と悲痛な声が細々と発せられたが、構わず進む壁の向こうの会話。



『あーでも本当に羨ましい……ボクもそれくらい豊かになりたいなぁ』

『キャッ!ちょ、ちょっとアヤさ…―――――!』

『え、やだ今のユウちゃんの声可愛いなにそれー!…もしかして、くすぐったいの苦手?』

『やっ、あのッ…ひゃ!どこ触って……!!』

『うわぁ今の声すっごいレア…!ナギ君に聞かせてあげたいくらいだよ……!!』



バッチリ聞こえてます、とナギはこれでもかと顔を真っ赤にさせてうなだれる。そんなナギの様子をテツヤは至極楽しそうに眺めつつ、レッドに至っては普段は決して口にしないであろう恋人の発言を興味深そうに聞いている。

しかし、純情、純粋、純心の三拍子が揃った思春期の少年には、想い人が繰り広げるディープな会話は刺激が強過ぎたようだ。
聞かないように自制心を働かせようと、否応なしに耳に入る会話に頭はパンク寸前。視界はぐるぐると渦巻き始め、顔どころか全身が赤くなってきた。流石にヤバイと思ったのか、拘束を解いて「…大丈夫か〜……?」とテツヤが尋ねても、返事すらままならない様子。



「おいおいおい…こりゃ重症だな」

「ちょっ、と…露天に行って、外の空気を……ッ!」

「…歩けるか?」

「は、い……」



おまけにすっかりのぼせてしまったのか、外へと向かうその足取りはフラフラと覚束ない。どう見ても目を回してしまっている。
言葉は平淡な調子ながらも、気遣うレッドに肩を支えられたナギはゆっくりと露天に向かう。

この時、テツヤの本日三度目の含み笑いに、二人は気付かなかった。



* * * *



半ばレッドに担がれるように外に出たナギは、のぼせた頭を冷やすように新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込む。キンと刺さるような鋭さを持った寒暖差のある空気も、今は都合が良かった。

よたよたと石渡を進み、これまた荘厳な岩造りの露天の端に辿り着く。
室内浴場の篭った空気のせいであっという間に茹だった自分を情けなく思いながらも、気遣うような青年の言葉も耳には入らない。かと思えば、大浴場から逃げる原因となった少女達の声は、しっかりと聞こえたままで…――――



「(ああ、頭が沸騰してるからか、幻聴まで聞こえて、きて…――――)」

「あ、」

「えっ」

「へ……?」



湯煙の向こう、見えた人影に幻聴に続いて幻覚でも見たのかと思ったが、それにしては妙にリアルじゃないか。思考の纏まらない頭でそう考えるが、隣に立つ青年の同じく驚いたような表情を見て、ナギもようやく現状を理解した。



「ッ、えぇぇえぇえぇぇッ!!?」

「ギャアアアアアアなんでレッドとナギ君がァァァ!!?」

「アヤ、声がデカイぞ」

「あら…」



ナギの絶叫を皮切りに、アヤも同じく抱いた疑問を率直に言葉にして喉が張り裂けんばかりの勢いで叫ぶ。
対する黒髪の二人。レッドは耳にキンと刺さった恋人の粉叫(?)に淡々とツッコミながら目を細め、ユウも「あらまぁ」と言った感じに頬に手をあてて瞬きをするだけ。女性陣、男性陣共に身体にタオルを巻いて際どい部分は隠れているとは言え、この二人の反応のなんと薄っぺらなことか。迷惑とも取れるような声量ではあるが、状況を理解するや否や声を張り上げた前者二人の方がまともな反応と言えるだろう。



「な、なななななな何で、」

「……混浴?」

「そのようだな」

「「(何であの二人はあんなに冷静なんだ……!!)」」



ふむ、と考え込んだユウの導き出した答えに、納得したように平淡な調子で同意するレッド。


レッドにしても生粋の男というだけあり、そういった事に全く興味が無いわけでは無いのだが、その感情は愛しい相手にのみ限定されるもの。絶世の美女と評される女の裸体を前にしても微塵も興奮しない謎の自信が彼にはあった。
仮に自分が抱くような、アヤに対する不届きな感情を伴った視線で眺める者が居れば八つ裂き以上のことをしてやるが、現状に居合わせたもう一人の男であるナギは問題無い。彼には彼の愛しい存在が居るし、何より奥手過ぎてアヤどころかその想い人の姿すら直視出来ていない。


普段から「別に減るもんでもなしに」と口にしているだけあり、ユウも自分の身体を見られることにあまり頓着しない。とは言え常時肌を出しているわけではなく、むしろ露出の少な過ぎる服装でガチガチにガードをしていると言えるのだが、相手によってはその堅固な城壁は紙の如く薄弱となる。
ナギに対しては「彼が自分に無理矢理に行為に及ぶことは無い」という絶対の信頼を持っているらしく、肌着姿だろうが下着姿だろうが、あまつさえタオル一丁だろうと気にしない勢いだ。隣に立つレッドに至っては彼が自分に対して興味を持っていないことを十分理解しているようで、まるで頓着する様子は無い。



「……?ナギ、具合悪いの?顔が真っ赤……」

「あ、わわわ…!これはッ、その……!!」

「ナギ。こうなったら腹を括れ。……というわけで、俺はアヤと露天に入る」

「え!?ちょ、レッドそれ本気……!!?」



火照りきったナギの様子に気付いたユウは、つつつ…と、小さな歩幅で歩いてその身を寄せる。湯煙により多少なりともぼやけて見えていたもの全てが鮮明に視界に映り、ボフン!と爆発でもしそうになったナギは助けを求めるようにレッドを見る。しかし、その返答は実に淡泊な年長者の提言。
相風呂宣言をしたレッドは本気も本気、大真面目な顔でアヤの肩を抱き寄せ、スタスタと歩き出す。「レッドさぁぁぁぁん!?」というアヤのものかナギのものか判別不可能の絶叫が、露天風呂内に虚しく響き渡った。



「……行っちゃった」

「………うん…………」

「それより、ナギは大丈夫なの……?」

「ッ、!!」



消えた友人とその恋人である青年の背中を見送ったユウは、視線を戻して再度尋ねながらす、と更に一歩前に出る。今にも互いの肌が触れ合う、という距離に、ナギはビクリと肩を震わせた。気遣うように頬に触れてきたその指の感触に、ぶれるように視界が滲む。
彼女の性格上、意図してこのような行動を取る筈が無い。完璧に無自覚、それでいて無防備なその姿に、官能的な思惑は皆無。それでも、魅力も威力も十二分。


クラリ、視界が反転した。



「ってギャアアアアアアアユウここ男湯だぞッ!!?」

「ナギが倒れちゃったんだからそれどころじゃないわよ!!!」

「……………なんか、あっち騒がしいね」

「知らん」



滋養強壮、効果有り



とりあえずテツヤさんの陰謀だった事。感謝してまぁあああああ\(^o^)/
ナギ君相変わらずウブな子でいいなぁと思いました。癒される←
素敵な小説ありがとうございました!





- ナノ -