日常的な非日常
それは、いつもと変わらない、日常風景のはずだった。


【日常的な非日常】



「ぬおおぉぉおぉぉぉおぉぉぉぉ!!助けてくれなのだああああああああ!!!!」

「待ちなさああああああい!!ガーッシュ!!!!」

「逃げてばかりじゃ修業にならないぞぉ!!!!」



王宮のとある一角、延々と続く豪奢な廊下にて、もはや日常と化した風景が繰り広げられていた。



(またやってるのね……)」

「ぬおぉぁぁぁぁぁぁ……!!」

「戦えよガッシュー!!今日の修業は持久走じゃないんだぞー!?」



必死の形相で私の目の前を走り抜けていったのは、この世界の王であるはずのガッシュ。風格よりも親しみ易さの先立つこの若き王は、今日も今日とて過激な修業に勤しんでいる。
けれど、その修業の相手がどうも相性が良くないようだ。ティオ、キャンチョメと言った昔馴染みの者に加え、ダニーやテッドと言ったコテコテの肉体派に追い掛けられ、精神的にかなり追い詰められている様子。

大量の書類を抱え、仕事の真っ最中だった私は大変そうだなぁと他人事のように(実際他人事だし)思いながら傍観する。
バタバタと廊下を駆ける集団の顔触れを眺めていたら、あれ、と違和感を覚えた。



「………、」

「…あら」



私が違和感を覚えた原因、いつもなら必ずガッシュの修業に付いているはずの人物が、遅ればせながら廊下の角から姿を見せた。

散々走り回ったせいだろう。汗の滲んだ額には白銀の髪が張り付き、薄い唇からは微かに乱れた呼吸が漏れている。修業中であろうと、彼は普段通りの華美ではない程度の装飾品を纏った服で身を包み、大きなマントは相変わらず邪魔そう。私だったら、修業をする時にこんな恰好は絶対にしない。
それでも平然とした様相を保とうとするガッシュの兄、雷帝ゼオンは私を視認したとたん、その端正な顔をこれでもかとしかめた。



「やっぱり貴方も一緒だったのね……今日はどんな修業なの?」

「………対他人数の場外無し組み手、だ」



不機嫌そうな表情は言及せず、単純に抱いた疑問を尋ねれば簡素な答えが返ってくる。

滲む汗を髪ごと掻き上げたゼオンは、大きな窓から廊下に吹き込む風に、涼しそうに紫雷の瞳を細める。
その腕にキラリと光るものは、ガッシュも同様に身につけていたもの。キッドとコーラルQが先日発明した、嵌めた者の魔術を封じ込める特殊な魔法具の試作品だ。本来であれば罪人の捕縛用に開発が進められていたものなのだが、ガッシュは時折魔術を駆使してでも執務から逃れようとするため、修業も兼ねてゼオンに強制的に身につけさせられたのだろう。加えて言うならば、王族であるガッシュやゼオンの嵌めているものは特別製で、嵌めた者しか外せないという設定付き。



「魔術の使用を禁止した組み手のはずが、いつの間に鬼ごっこになってしまったの?」

「あいつが逃げるのが悪い」



長時間の逃走劇を繰り広げているのであろう弟の修業に付き合うのに飽きたのか、ゼオンが再び走りだす様子は無い。
「暑い」等と言いながら、窓枠にもたれ掛かってキツそうな襟元を指で広げる。



「……その魔法具、本当に魔術が使えなくなるの?」

「簡単なものならな。ジガディラスやバオウ………"シン"クラスの術なら破壊出来るだろうが」



チャラ、と自身の手首に嵌められた簡素な魔法具を眺め、ゼオンは怖い事を平然と言う。
王宮ではジガディラスもバオウも見たくはないのだが、好奇心も手伝いその腕輪に顔を近付けたら、ひょいと視界の中から消える。



「あまり近付かない方が良いぞ。試作品だからか、まだ不安定な部分が多いんだ」

「そうなの?」



隠すように魔法具の嵌められた腕を背中に回し、ゼオンの静かな言葉に思わず身を引いた。その不安要素というものの内容も気になるが、それを自分で実証したいとも思わない。



「ぬぉぉぉぉおおおおおお!!!!、おぉ!!?」

「えっ!?」

「ばっ……!!」



いつの間に城内を一周したのだろう。先程ゼオンの現れた廊下の角から、突如飛び出して来たガッシュが速度を落とさずに私にぶつかる。



あまりに突然だったため、反応の遅れた私は、そのまま窓から放り出されてしまった。



落ちる、と思った瞬間、何かに体が包まれた。



「た、大変なのだ……!!」

「ガッシュ!!ようやく追い詰め…――――」

「ゼオンとアリア殿が窓から落ちてしまった!」

「はぁ!?」



* * * *



遠い場所から、ガッシュの叫ぶ声や仲間の喚く声がキンキンと響く。ぱらりと髪から葉が落ち、落下の衝撃によりぶれた視界の焦点を結ぶのにかなりの時間を要した。



「っ……」

「(え………!?)」

すっぽりと嵌まってしまった小さな窪みの中に、明らかに自分のものではない、誰かの低い呻き声。
パッと顔を上向ければ、額が触れ合うのではというくらいの、今だかつて無い程の至近距離に紫雷の瞳。痛みに歪む端正な顔が、視界いっぱいに映った。
恐らく、私が窓から放り出されたその瞬間、ゼオンは咄嗟に私の腕を掴んだのだろう。けれど、彼は今魔術が使えない。突然の出来事に対応仕切れず、一緒に落下した上に私の下敷きになってくれたのだ。


あまりの距離の近さに慌てて離れようとするが、その目論みはガチャン、という騒々しい音と、首のつかえるような感覚に阻まれる。



「な……」

「…うそ……」



絶句という表現がピッタリな声が、二人同時に口から漏れた。
ゼオンの腕に嵌められていた魔法具が、形状を変えて私の首にもその効力を伸ばしていたのだ。



「アリアー!!大丈夫ー!?」

「…――――ティオ……?」

「今飛行能力を持つ魔物を呼んでくるから!!すぐに助けるからねー!!」



言葉を失う私達とは対照的に、騒々しい会話が鳴り響く場内から、甲高い声が叫ばれる。
魔術の使えないガッシュを除いても、あの場に居たメンバー…―――ティオもダニーもテッドも、全員が飛行系統の能力は持っていない。しかも私も魔術を封じられてしまったため、他の誰かを呼びに行ってもらうしかない。



…――――けれど



「(…待つって…この状況、で………!?)」



ザ、と顔から血の気が失せたのが自分でも分かる。こんな密着した体勢で、いつ来るかも分からない救出を待たなければならないと言うのか!?



冗談じゃない、というのが正直な感想。
顔面蒼白になりながらもどうにか拘束から逃れようとした私だが、首に添えられていたゼオンの手が、するりと滑るように移動した。



「きゃ……!?」



大きな手が後頭部に回され、そのまま広い胸にぽすりと落ちる。
訳が分からずに目を白黒させていたら、手袋に包まれた長い指が、私の髪を軽く梳いた。



「ゼ、ゼオン……!?」

「騒いでも仕方が無いだろう。動くだけ労力の無駄だ」

「でも、こ、こんな……!!」



嫌になるくらいに平淡なゼオンの口調に反し、私の口は舌が縺れてなかなか上手く回らない。情けなく吃る私の事など意に解さず、雷帝殿は更に一言。



「……眠い」

「―――――は、」


突如の意思表示に、思わず間の抜けた声が口から飛び出す。ゼオンの胸に張り付いていた顔を上げ、その表情を窺えば、とろりと緩んだ瞳が揺れる。
成人に近付くにつれ、一部の特殊な魔物(私とか)以外の者は、ほとんど睡眠を必要としなくなるのだが、私達の年代は非常に微妙な所だ。王以上の激務を担当し、自身の修業も怠ることなく兵士達に稽古を付ける雷帝様だ。疲労が溜まっていても無理は無い。



しかしだ。それが、どうしてこんな状況に繋がる?



「俺は寝る。騒ぐなよ」

「…そっ…………」



こてりと垂れた細い首が、私の片口に綺麗に収まる。
硬直した私を抱いたゼオンの口からは穏やかな寝息が聞こえてきて、もはや抵抗することも叶わなかった。



日常的な非日常

抱き枕にされた私が救出されたのは、それから20分は後の事




どんな理由でも密着した体制で眠るのはどんな理由であり興奮するんだぜ…!頭に手を置く雷帝様にキュンキュンします!
ありがとうございました!




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