act.38 好きということ
プルルルルル、と開いたままのリュックの中にそのまま置いた赤いポケギアが鳴った。
今まで技と技同士がぶつかり合う音しか響かない大きな、もう自分の世界である洞窟から電子的な機械の音が高く響いた。
トレーニング中で爆音の発生源であるピカチュウとカビゴンに軽く手を上げて中止の合図を出せばやがてピタリと止まった。二匹とも『休憩しよー』とかなんとか言ってカビゴンだけ温泉の方へ歩いていった。寝るつもりかアイツ。
再び静寂を取り戻した薄暗い空間に只、電子音のみがやけに大きく鳴っている。
…………彼女だろうか?
アヤと言えばつい2時間くらい前に電話をしたばかりだった。以前あいつの家で食べたポフィンというポケモンの食料(のクセにアヤは菓子のように自分も食べていたが)をピカチュウが思いの外気に入ってしまった為、作って欲しいと電話で頼んだ。頼むと同時に声も無性に聞きたくなったから、躊躇いも無く電話をかけた。頼めば、アヤが来る。顔が見れる。
そう考えて自分はどれだけ彼女からの電話に期待しているんだ、と苦笑した。期待する意味もわからないのに。
「………?」
ポケギアを手に取り画面を確認したら名前は表示されていなく、数字のみがずらりと配列していた。アヤじゃない。誰だこれは。
自分の電話番号を知っている人間なんて5本の指で数えられるくらいしか居ない。足元に寄ってきたピカチュウは尻尾を振りながら誰だ、と一声鳴いた。それがわかれば苦労しないが。少し考えた結果、出ることにした。変な電話なら着拒してブツ切りすれば良い。……アヤと会う前は、ワタル以外の電話になんて出る気もなかったのに。
「(……俺も変わったな)」
もう一度、鳴り続けるポケギアの画面の数字に目を向けて通話ボタンを押した。
『………れ、』
「は?」
『レェェエエエッッド!!!』
「………っ、」
通話ボタンを押した矢先に自分の名前を絶叫する耳元での大音量に、思わず顔をしかめた。
それより誰だこいつは。
『生きてるか!?いや死んでないなちゃんと生きてるな!?お前馬鹿!今どこにいるんだほんとバカっ!馬鹿野郎!!』
「……グリーン?」
『そうだよグリーンだよバカ!!』
電話の向こう側の相手はグリーンだった。
昔からの顔馴染み(永遠のライバルとか奴は言っている)でいろいろと世話好きな男。いや、物好きな男。そういえばこいつには番号教えなかった気がする。
………ワタルか。おそらくワタルから聞いたのだろう。
「ピッカァ!」
『その声ピカチュウじゃねーか!久しぶりだなぁ元気か?レッドの野郎に無理させられてねぇか?』
「ピピカチュ!」
『そうかそうか、ピカピカ何言ってんのかさっぱしわかんね!』
「ピィカー!」
「…………(こいつは何を用件にかけて来たんだ)」
『おうレッド、ところで今どこにいるんだ』
「シロガネ山だ」
『やっぱり……もうヤダこの男…』
つくづく煩い男だと思った。
今すぐ切っても良かったが後々面倒になりそうだったので一応話は聞くだけ聞いてみる事にした。近くの手頃な岩を見つけて腰を下ろし、ピカチュウに木の実を渡すとカリカリと口に含み始める。
「何の用だ」
『ああ、そうだった。あまりのショックでうっかりするとこだった。ちょっと聞きたいんだけどよ、……………レッド。ワタルさんから聞いたんだがお前…蒼い目をした栗色の髪の女の子と接点があるのは本当か?』
「………アヤの事か?」
『!!っそう!その子!良いかお前その子は人間なんだぞ!断っっじてポケモンなんかじゃ無いんだからな!?』
「?そんな事わかってる。何言ってんだお前は」
『わかってるんだな?わかってるんだよな!?だったらその子今直ぐじゃなくてもシンオウに引っ張って来い!』
「何で」
『何でってお前っ、ポケモンコンテストは名前だけでも知ってるだろ?ホウエンとシンオウ地方の奴らは彼女を(いろんな意味で)血眼になりながら探してるんだぞ?アヤちゃんはトップコーディネーターなんだから!グランドフェスティバルの5年前の優勝者!鬼才!』
「…………は?」
『逃げたんだよ!暴力起こして!』
叫ぶ幼なじみに間が抜けた。トップコーディネーター…名前だけは聞いた事はあるが、シロガネ山にいる限りそんな深い情報は一切流れて来る筈がない。何しろ今まで、アヤと関わるまで下山を一切していなかったから。下界のことなど知らん。
何やらバトルと違いポケモンを演技させ美しさを競い合うトレーナーの事を言うらしい。
それのトップに立つのが、アヤ。
あぁでも、確かにそうなのかもしれない。
一番初めに出会ってバトルした時(中途半端に終わってしまったけど)今までに無いトレーナーの違和感と見たことの無い綺麗な戦い方をする奴だなと思った。すぐに興味を持ったのは確かだった。アヤがその優勝者なのだと聞いてもそう思えばすんなりとあぁそうなのか、とあまり驚く事も無かった。
「……そうか、優勝者だったのかアイツ」
『やっぱり知らなかったのかよ…!とにかく、お前なら連れて帰れる!だから、』
「断る」
『即答かよ!ってかお前、アヤに何もされてないだろうな?結構暴力的って……』
「おい、気安く呼ぶな改めろ」
『もうヤダこいつほんとタチ悪ぃ……!!!』
ワタルさんが言ってた事本当だったんだ……とかブツブツ電話の向こう側で呟き始めた奴にこいつは何なんだ、と思い始めた。
それよりグリーンがアヤの事を呼び捨てにしたのが気に入らない。暴力?冗談だろ。理由も何もなくそんなこと出来る女じゃない。…会ったことも喋ったこともないくせに。彼女のことを何も知らないくせに煩い。
何でか知らないが無性に気に入らなかったし、腹も立った。
『レ、レッド…お前、タチ悪いぜ…』
「……誉め言葉として受け取っとく」
『……そう取ってくれても構わないけど。それにしてもお前にも春がやって来ようとは…ポケモン一筋のポケモン馬鹿のお前が…………アオハル…俺には未だに来ないのに…』
「何か知らんが殴るぞ」
『冗談だって。それにしても、その子普通のバトルはしないだろう?これもワタルさんから聞いたんだけど、弱いトレーナーの名前を絶対覚えるなんてしないお前が……なんでアヤちゃんにだけそんなべったりなんだよ』
「………本当に、なんでだろうな」
『マジかよおまえェ………』
再び唸り出したグリーンに俺も目が座った。
唸ったり叫んだりと忙しい男だなこいつも。
でも、確かに自分でも自覚はある。戦った人間の顔や名前なんか覚えようともしなかったし興味すらなかった。特に己より劣るトレーナーや、その他の人間なんて。
特に、女なんて。
それが、何故?
こんなにも、いつの間にか彼女に執着する自分が理解できなかった。この前ワタルから潰した筈のロケット団に、アヤが怪我をさせられたとメールが来た時も異様に焦ったのも自覚はある。けど理由なんてわからなくて。
心の内が、何をしても霧掛かったように晴れてはくれなかった。
『その、アヤちゃんって可愛いの?』
「何を言ってるんだお前は」
『だから、可愛いのかって。他の大勢の女の子達と、アヤちゃんを一緒の括りにできるのかって聞いてんだよ』
「……他と一緒にするな気持ち悪い」
『はいはい。ってことは、アヤちゃんと他の女の子はもうお前ん中で別物だろ?その別物の子に可愛いな、って思ったりしねぇの?』
「……顔が?」
『それは知らねぇ。顔でもいいし、仕草とか。その子見てビビビッて感じるそういうの。一緒に居たいとか触れたいとか、一緒にこれやりたいとか。特別に思うことはねぇの?』
仕草、顔。喋り方。雰囲気。
会話。喜怒哀楽。
自分の名前を呼んで笑ったり焦ったりするアヤの顔は、
確かに。確かに。特別だ。他とはちがう。
「、ぁる」
『……お前も、面倒な親友になったな本当に。俺はお前のこと、大切なダチだと思ってる。今まで苦労してた分、幸せになって欲しい訳よ俺サマは。好意があるならさっさと認めちまえば良いだろうに』
「………好意?」
そうだよ馬鹿、お前自分の性格把握してるだろ。普通気づくだろ気づけよ。というグリーンの言葉を頭の片隅にやりその“好意”についてじっくりと考えてみる。
数年振りにシロガネ山の山頂に誰か来たと思ったら、女だった。うぇ、と思いながら。ポケモンを連れていたし、さっさとバトルで負かして追い返そうと思っていた。
……が。そしたら見たことない強烈な戦い方をする奴だった。美しい洗礼された動きに思わず指示するのも頭を回すのもやめて、見蕩れていた。一面雪しかないのにリザードンにわざと溶かさせて、水浸しにさせるとシャワーズがひとつの雫になって溶けた。
いやちょっと待て。おかしい。
なんだそのシャワーズは。
体の細胞が水に近いというだけで、そんな身体を一から分解するようなことはできないはずなのだ。するとフェイントで水の至る所から噴水のように水柱が出始める。視界を更に悪くさせるためか一際大きな水柱がスプリンクラーのように回り始めるし。
いやいや待て待て。
なんだそれは。
そんなん見たことない。
美しく完成させられた“技”だ。見蕩れる一方、ふつふつと何かが心を揺らした。それは小さな炎が揺れて、着火するような。水柱は突然怒りを持ったようにハイドロポンプへと変わり、リザードンも俺と同じように“見学”していたところを不意をつかれたように直撃した。飛来していたリザードンが体制を崩す。
面白い、と。思った。
ぼぼぼっ、と心の中の火が大きくなり完全に闘志が宿って。フレアバーストで容赦なくここら一帯の水を雪ごと蒸発させる。簡単に炙り出したシャワーズを上からドラゴンクローで仕留め呆気なく終わってしまった。ほら、次のポケモンを早く出せ。まだいるだろ。そこのサンダースとか。なんでもいい。次は何をするのか見せてみろ。
柄にもなくワクワクしていた。女は困ったように俺を見ると意を決したようにボールを投げる。……投げ方も綺麗だなこの女。何かやってるのか?そして次に出てきたポケモンは見たことないポケモンだった。その帽子を被ったようなポケモンはゆらゆら揺れているが、佇まいもこれまた妖艶で美しい。なんなんだこの女。ほんと何者だ。
……他地方のポケモンか。見たところエスパータイプかゴーストタイプといったところか。そう分析して、次の戦いに移行しようと思ったが。
不覚なことに、その女の目の前で意識は無くすし。
おそらく、この時から多少なりともこの“女”に興味は僅かばかりにあったのだろう。
目を覚ますと室内だった。
まずい、連れ込まれた。そう思った。
思ったんだが。この時初めて女の、アヤの顔を見た。海のように深い蒼い瞳に、栗色の髪。全体的にチカチカしている女だな……。と。
「っ、?」
どクリ、と。何かを、どこか掴まれたような気がしたがよくわからなかった。
どうやら自分は毒に侵されているらしい。確かに体は怠いが、原因が分かっていればあとは自分でなんとかできる。それならもうここには用はないと出ていこうとしたら。
まさかボディーブローをかまされ、また意識を無くして寝込むはめになってしまったのだ。
もう意味わからなかった。なんて凶暴な女なんだ。暴力で全てを解決する系統のゴリラである。
こいつなんなんだ。
「アヤです!!」
「煩い」
女は、アヤと言うらしい。
俺を相手に普通に怒るし、騒がしいし。ちょっと馴れ馴れしいし。脳筋で実に単純そうな、馬鹿そうな女だと思った。それなのにあんなポケモンバトルをするということに脳がバグりそう。本当に同一人物なのか?
一応今のところ無害だと思ったアヤの家に体調が完全に回復するまで居候させてもらうことにした。まあ本当にヤバそうな女なら力ずくでここから出て行けばいい。
しかし数日間過ごしてわかったことは、アヤは決して馴れ馴れしいという訳では無いらしい。貸し与えられた部屋は殆ど俺専用部屋みたいになってるし、俺の態度を見てそうしているのかわからないが用がない限りは全く近寄って来なかった。かと言って変に遠慮をしている訳では無い。食事をする時は基本みんなで。
さすがに何もせず出された飯を食うのは気が引けるので、洗い物や洗濯などの出来ることは手伝ったけれど。それが案外楽しい。俺が部屋から出てアヤを手伝い始めたのを見て、アヤは俺に対してどこまで踏み入って良いのか。ここまでなら許されると思うがここからグレーゾーンといった感じに俺との距離感を測っているのを僅かに感じられた。
馬鹿だと思っていたさっきまでの自分に訂正を入れたい。
こいつ、案外見てるところは見てる奴だ。
「レッドさんホットケーキ焼きますけど食べます?」
「……お前、もう少しまともに食事しようとか考えないのか…」
「好きな時に好きなもの食べようと思って…」
「…朝も昼もそんなのばっかだっただろうが。病気になるぞ」
「雪山で何年も半袖で過ごした脳筋にそんなこと言われたくない……」
「あ"?」
「ピッ」
誰に向かって何だって?もういっぺん言ってみろとその頭を片手で鷲掴みすればビビり散らかしたアヤが逃げていく。でもここで食ったホットケーキは普通に美味かったから「食う」と言えばアヤはコクコクと何度も頷いた。
生地を作りながら黙々とフライパンで何枚も焼く後ろ姿を何故かぼうっと見て。ジュウジュウと焼ける音を聞きながら「………平和だ……」なんて思ったりも。こんなに何もしない日はいつぶりだろうか。
アヤはホットケーキはもっと美味い食べ方があるとバターだけではなくアイスやら生クリームやら何やら乗っけだしたので、自分は普通で良いと丁寧に断ってそれとなく皿を離した。「美味しいのに……それを知らないなんて人生の8割くらい損して生きてますよ……」「してないから安心しろはよ食え」「ボクが作ったのに……」なんて何気ないうだうだした会話をして。
…………遠慮のないやり取りが、俺には心地よかった。
下心がなにもない善意。
今までの謝礼に金を渡そうとするとゴキブリを踏み潰したような顔をして突っぱねて来た。そんなもはいらんと。金を積めば大抵の人間なんて折れるし喜ぶのに。………どんなことをすれば、アヤは喜ぶのだろう。アヤと過ごしたのはたったの7日間だけだが、それでもアヤという人間が自分の心の中にしっかりと入ってきたのは事実で。おそらくだが、このまま何もせずに去ればアヤとは今後二度と関わることはないだろう。お互い進む道が違いすぎる。アヤがまたシロガネ山に来れば話は別だが「大きな理由がない限りもうあんなおっかないところ行きません……」とか言っていたから。
アヤとの縁を、ここで切りたくはなかった。
失いたくはなかった。
何とかして繋げたくて、金を受け取ってくれないのならと自分のあまり使われた試しがない連絡先を手渡した。まあアヤはおっかなびっくりしていたが、彼女は笑っていた。金を渡すより、自分の連絡先を書いたメモひとつで、笑ってくれるような。そんなアヤとこれからも交流を持ちたいと思ったのだ。
ピカチュウが寝込んだ時、アヤの顔を数日ぶりに見て柄にもなく安心したのを覚えている。
アヤと話をすると落ち着く。姿がそこにあれば安心する。笑顔を見るとこちらもじんわり心が軽くなる。一挙一動、騒がしくてもそれは嫌悪感とは程遠い…ずっと見ていたくなるような、そんな。
今後もなるべく近くにいて、顔が見たい時にすぐに見れる距離だといいのだが、案外シロガネ山からウバメの森は少し距離があるものだ。何か良い案はないものか……と考えていたのだが。
「(待て、アヤがシロガネ山に引っ越して来ればいいのでは?)」
シロガネ山に引っ越しなんてそんなパワーワード聞いた事ないが。馬鹿なことをそんなふうに真面目に考えてしまうのは間違いなくアヤの影響だろう。
アヤがここに越してくればほぼずっと毎日顔も見れるし話もできるし。普段どんな風に過ごしているのかを24時間リアルタイムで観察できる。どうにかアイツをウバメの森から炙り出す方法。……良い案が思い浮かばない。もういっそのこと家でも焼くか…。
そんな現実的ではないことを悶々と考えて、ふと思った。
「(そうか、……俺。アヤと一緒にいたいのか)」
自分が他人なんかを気にかけて。
シロガネ山に一泊させたアヤの人肌が予想以上に心地好くて、暖代わりにさせてもらったが悪くはなかった。
俺は自分が思ってるよりずっとアヤを気に入ってるらしい。
怪我をした、と聞いた時も一瞬頭真っ白になった。
ロケット団は俺が前にぶっ潰した犯罪集団だ。なんで復活してるんだよ。ポケモンを使って非人道的なことをすることに戸惑いがない。人やポケモンを殺したりするのに躊躇いが一切ない危険集団だ。そんなやつを相手にして、怪我したと?怪我の度合いがわからない。まさか大怪我した訳じゃ。
ひく、と喉元が締まる。脳裏に掠めたのは墓石に見覚えるのあるペンダントが引っかかっていた一場面だ。シオンタウンのポケモンの墓場。グリーンが手持ちに入れていたラッタの墓だ。一度、グリーンは自分のポケモンを殺されている。
ロケット団に。
それを思い出して、考えるよりも先に勝手に体が動いた。
リザードンに乗って爆速でアヤの家に。ついでにフロントを破壊して侵入した。そんなことより、である。心配していたよりも本人は元気そうであったが。
ピカチュウがサンダースからその時の現場の様子を聞くと、まあアヤが思っているよりなかなか深刻そうな状況だったと。
アヤが相手にしていたロケット団員は元コーディネーターで、過去アヤに色々と突っかかっていた男らしい。実力はまあまああったからプライドも相応に高くなり、それに比例するようにさんざん舐め腐っていたアヤに準決勝で呆気なく敗退した男は逆恨み。プライドも何もかもへし折られて転落。現在ロケット団へ。というのがその男の人生なのだという。
恨みをもっていたと。
アヤがいなければ、今こんなことをしていないし、底辺で苦渋を舐めていない。今もベテランとして先陣を切っていた。自分が優勝していたかもしれないのに。
と。完全な逆恨みである。殺意は……そこの所はよく分からないらしい。ちょっと怪我させようとしただけなのかもしれないが、鎌鼬なんて首に当たれば人間なら即死だ。頬と一緒に首、それに髪もザックリやられている。腰まで伸びていた髪が今では肩につくかつかないかの所まで切られてしまっていた。………当たり所が悪ければ、運がなければ死んでた。今、アヤはここに居なかったかもしれない。
墓石に変わっていたかも知れない。
想像して、どっと汗が吹き出て。気付いたらフラフラとアヤの腕を掴み、もたれるように肩にすがりついていた。漠然と、いなくならなくてよかった。失わなくて良かった、とそう思って。抱き締めれば今度は離したくなくなってしまった。思ったより細くて、柔らかくて小さい。
「…………?」
そこから心情が一気におかしくなった。
前よりもアヤのことを考えたりする時間が長くなり、そこにいればずっと目で追っている。どうにかして会う理由をつけたり、一緒に過ごせるように要件を考える。散歩は良い。景色を変えながら静かな空間で会話ができる。
些細なことでもアヤは基本笑う。
彼女の笑った顔が好きだった。
照れたり嬉しかったりする時に口元をキュッと結びもにもにする仕草が好きだった。あれから会う度に何度も触れたいという欲求はどんどん大きくなって、それと同時にアヤ自身のことももっと知りたい。
自分が変わっていく感覚。その変化は簡単に感じ取れるし嫌な感じはしないが、寝ても覚めてもアヤのことだけ考えてる自分にため息が出るほど呆れた。これではいけない、と感じつつもどうしようもないしどうすることも出来なかった。気付けばもういくつかの季節を通り越して冬になっている。そして時が経つに連れて彼女に向ける感情も濃くて大きい感情に成り果てていた。
もう何も理由もなくても互いにアポ無しで訪問し、遊びに出かける感覚で会いに行けるような仲になっているし。アヤの家に簡単な置き荷物もしている状態である。
「(…………かわいい)」
今日も今日とてアヤ家に襲来し窓から侵入した。
涎を垂らして爆睡するアヤを見てこんなことを思う自分は一体なんだ。たぶん鼻水垂らしてても鼻ほじってても可愛いと思うんじゃないだろうか。ゲロ吐いてても最悪可愛い……いや流石にそれは可愛いとは思えない。可哀想だと思いたい。
っていうか俺はちょっと間抜けで馬鹿そうな表情のアヤが好きらしい。完璧で美しい笑顔より、こうして素で健やかな顔をしている方が好きだ。
頭を撫でれば気持ちよさそうに身動ぎしているのを見て、自然と口角が上がるのを感じる。
……なぜアヤだけにこんな。
他の人間になんて何も感じないのに。
最近は悶々と名前の付けられないそれの正体が分からなくて嫌な感じだ。疑問と押し問答しているような。よく分からない感情の行き場がぐるぐる同じところを回って胸の当たりがつっかえている。とりあえずアヤとの関係を崩したくないし、終わらせたくない。続けるには、もっと上手い立ち回りが必要で。欲を言えばもっと触りたい。その前にこの感情に名前をつけなければ。
…………と考えていたが。
ひょんな所で答えがわかってしまった。
『好意があるならさっさと認めちまえば良いだろうに。好きなんだろアヤちゃんのこと』
そ れ だ。
グリーンお前ってやつは…。
すると今までどうしても晴れなかったものが綺麗さっぱり無くなった様な気がした。当てはめてしまえば簡単だった。そうか自分は彼女が、と妙に冷静な頭で納得するとすんなり受け入れてしまった。この感情に名前を付けるならそれが一番しっくり来る。
“特別”な先に行き着く感情は“好意”だ。
人を好きになる感情。
その先は愛情になる。
「………す、き」
『……お、おい?レッド?』
「………好き、か。俺が。そうか。……そうか」
『………アッ。俺、余計なことしたかも……』
グリーンが電話の向こうで息を飲んで嘆いているのが聞こえるが、気にする事はないのだ。いや、感謝はしている。気づかせてくれてありがとうグリーン。
今までの声が聞きたい、顔が見たいなどと言った欲求もあるが、“恋”を自覚してからそれと違う欲求がグングン沸き出し始めている事にも気付いていた。触れたい、触れたい、触れたい。手元に置いておきたい。24時間何をしているのかずっと見ていたい。アヤの表情全て写真で記録したい。口付けたい。どんな味がするのだろう。
今まで綺麗に色づいていた感情が、徐々に黒くなっていくのを感じて。
どす黒いものに変換されて行く。激重感情の完成である。
普通の可愛い恋愛になるわけが無いのだ。っていうか他人なんか好きになるなんて思わなかった。人生何があるのか分からないものだ。
改めて、なんて厄介な感情なのかと思う。
とりあえず今これから必ずやるべき事を上げよう。アヤと離れたくないなら、恋人になってしまえばいい。手中に収めるのだ。
「………なんで入らないんだろうな」
『な、何が…?』
「人。なんで人はモンスターボールに入らないんだろうな」
『ぐおおおおッッッ……!!そう来たかッッ…!!!』
好きな人間を捕まえるなんて、もうヤバいこと言ってる。まずい。果てしなくまずいものを封印から解き放ってしまったかもしれない。
『いやレッド、ちょっと…ちょっと落ち着こうぜ……』
「落ち着いてる」
その時、洞窟の向こうから人が来る気配がして視線をそちらに向けた。
今自覚して膨れ上がった欲求に、会いたかった相手が丁度良く現れて心なしか口端が緩んだ気がしたがそれはきっと気のせいではない。何も知らない獲物がのこのこと巣穴にやってくるとはこの事だ。
「切るぞ。……やっと来た」
『え、ちょっと待て。来たって…』
「アヤが」
『何だって!!?今!?このタイミングで!!??』
「モンスターボールで捕えられないなら別の方法で手中に収めるしかないよな」
『正攻法だよな!!?それは安全な正攻法だよな!?』
ちょっと待て。平和な方法だよな?順序を踏め!早まるなと叫ぶグリーンに苦笑いして足元のピカチュウを撫でた。今はとても良い気分、だ。
「………礼を言う。ありがとう」
『………!!!くそっ、犯罪は犯すんじゃねーぞ!!』
「そんなもん起こすか」
失礼な奴だなお前、と言葉を押し付けてブチッと電話を切った。同時にピカチュウが元気良く鳴いて走り寄った先に目を向ければ、今話題になった彼女が居た。背後には大量のポフィンが入って居るだろう袋を抱えたカイリューが佇んでいた。(2つに分けたのか小さな方はアヤが抱えている)
ポケギアをバッグへ放ると岩から腰を浮かす。
「……えっと…これ、頼まれた物。ここ置いておくから早めに…っ!?なっ…なに!!?………エッ!!?」
受け取った袋はとりあえずそこに置いて、アヤの腕をグッと引っ張りその身体を抱き締めた。コートを着込んでいても身体がかなり冷えている。こんな真冬にシロガネ山に来させるのはやっぱり危ないか。会いに行く時は明日からは俺が下に降りるとして。
…やっぱり、抱きしめると落ち着く。頭部に鼻を寄せればいい匂い。気持ちを自覚する前と後では感情の感じ方もまるで違う。人間の感情って面白い。
すり、と耳元に擦り寄ればアヤは見事に真っ赤になっていた。震えて何事かと口をパクパクしている。拒絶はされないだろうと自信はあった。今まで俺が行ってきた小さなスキンシップでは逃げることはあるものの、嫌悪感や拒絶すると言った試しは一度もなかった。
今もどうしていいかわからない、と言った困った顔をしながらも逃げずに様子を見ている。良かった、意識はしてくれているらしい。
今までもやもやしていたこの感情の正体が発覚したことだし。それに欲しいと思ったらどうにかして手に入れる主義である。もう遠慮はしない。
「好きだ」
「、っぅ、ぇ?」
と耳元に擦り寄った勢いのまま小さく告げた。
何も反応がなく聞こえていないはずはないけれどもう一度「アヤのことが好きだ」と伝えると、「聞き間違いじゃなかった…」と驚いて口をキュッと噤んだ。パチパチと目を瞬いて頬を染めたまま彼女は何か困ったような顔をして。
でもどこかじわじわと嬉しそうに笑うと、破顔したようにへにゃりと笑った。
「……えへへ。ボクも、レッドのこと好きだよ」
「……そうか」
もうその顔は最高に可愛かった。
心に留めておく。
自分と同じ気持ちを相手から返してもらうのは、こんなにも嬉しいと思うものなんだな。
好きです!
(唇をかすめたら、腕の中の存在は数秒間停止した)