act.37 緑さんからのお電話
『はぁああああ!!?』
キィイインッ…と耳が鳴った。思わずポケギアを耳から離してしまう。
苦笑いしか出て来ない。電話ごしの相手は予想以上に驚いていた。いや、レッド君を友達だと考える彼だからこそ驚かないとおかしい筈なのだけれど。
レッド君とダイゴがバトルしてから数日が経った。
レッド君の容赦無い攻撃に精神的にダメージを負って真っ白になったダイゴは防ぎようも無く、お前本当にそれでもチャンピオンかよとツッコミを入れたくなるほどアイツの戦いっぷりは情けないものであった。
まあ自分のことを当然応援してくれるだろうと思ってた妹(仮)から「ダイゴさんをボコボコにしてください」なんてレッド側に声援なんてしてたらショックだよな。知らんけど。
あの時少しだけ見えたのだ。
レッド君が離れた時のアヤちゃんの表情からもう確信した。
彼女も相当な鈍感だ。だってもうあれ確実にレッド君のこと好じゃん。
彼程ではないが、アヤちゃんもまあまあなポケモンオタクである。小さい頃は結婚なんてしない!ポケモンと死ぬまで一緒にいるんだい!将来は野球チーム出来るくらいのポケモンに囲まれて死ぬんだい!なんて馬鹿な事も言っていたアヤちゃんは大変な進歩だと思う。いやほんと何言ってんのかわかんなかった。
ああ良かった。やっと彼女にもまともな春が来た。アオハルだなぁ。
しかも無表情に無感情のポケモン以外は全く“興味のなかった”あのレッド君が相手かぁ…。ハードルがべらぼうに高かったけど何とかなるもんだなぁ。
ポケモン>>>>自分>>その他。そんな、あのレッド君が。
アヤちゃんに興味がないわけが無い。
他に関心を全く示さなかったレッド君が、あんな他人を抱き締めたり心配したり労ったり。昔からなら想像もつかなかったし出来るはずがない。そもそも「アヤの連絡先を聞き忘れたから知ってたら教えて欲しい」なんてわざわざ電話をかけてきてそんなこと頼むはずがない。
レッド君が彼女を嫌いな訳が無いのだ。
全く。同じような難ありの人種はこんなにも苦労するものなのだろうか。
『っで、で…?あいつ生きてたんですか…!?いやそれよりも、あいつが、気になってる人間がいる、だと…!?』
「大丈夫、ちゃんと生きてるよ。……んー、まあ。きっと自覚するまで時間の問題だろうし、自覚したらしたでまた面倒な事になるのは予想ついてるけどね…」
『え……えっ!!???』
「(凄い驚き具合)」
まぁ無理はないか。と座った椅子がギィッと鳴った。リーグの書類に字を書く手は最早止まっている。
そんなに驚くのは無理は無い。
ふと、沢山の本が詰まれた中の雑誌を手に取れば、タイミング良く今俺達の間で騒がれている彼女がリボンと王冠を取った5年前の雑誌だ。
そうだ、そういえば彼女は当時11歳だったっけ?11という若さでトップコーディネーターになっちまった女の子。それがカントーやジョウトにはあまり知れ渡る事は無くても、コンテストのメッカであるシンオウとホウエンで騒がれない訳が無い。
けどチャンピオンとなれば各地方の色んな競技について積極的に情報を取り入れることはあるし、その中でも各有名どころの人物は抑えてある。
無論それは各地方のリーグ系列、ジムリーダーしかり。直ぐに俺のとこにも情報は流れて来たし。アヤちゃんが優勝して暴力沙汰なんて笑えないことをしたことも、速報で情報が入ってきたものだ。
『そ、その彼女は一体どんな人なんですか?まさかレッドを掌握できる子がいるなんて……』
「5年前にミクリさんぶん殴って失踪したトップコーディネーターだよ…」
『……………そういえば、そんな子いましたね…』
沈黙のあと、『ああ、なんか当時炎上してたような…』と電話先で頭を抱えながら言っているであろう事が簡単に予想できる。
『え、大丈夫なんですかその子?ちょっと頭おかしい子じゃ…』
「あはは…まあ案外大丈夫だよ。あぁでも中身は君が想像通り、儚くて花のようなポッキリ折れてしまうか弱い女の子じゃないから!寧ろ真逆だから。かなり図太いから。…だから、ちょっと頼みたい事があるんだよ。レッド君の電話番号は知ってるかい?」
『いえ、あいつポケギア自体新しいものに変えたみたいで……』
「(あっ、そうか。俺が変えさせたんだった)………ってことはアドレスも知らないね。教えるからちょっとばかし手伝って欲しい事があるんだよ。……このままレッド君がポケモン一筋で人生終えるだなんて考えたくもないだろう?シロガネ山のヌシになんてなるところを想像したくないだろ誰も。……うん、うん。じゃあ、宜しくね。グリーン君」
言った後にブツ、と通話を切った。
多分もうそんな時間はかからないと思う。自分の気持ちを他人が教えてやるか、後ろからお尻引っ叩けばあとは勝手に動き出すだろう。…これでやっと、レッド君が本心から心安らかに過ごせる相手が見つかったと思いたい。
上手く行けばレッド君をシロガネ山から出すことが出来ればもう言うことない。レッド君もアヤちゃんも俺もお互いwin-win。
俺が言ってやっても良かったんだけどここはついでだし、彼に任せるとしよう。俺はとりあえずアヤちゃんをなんとかしなければ。とりあえず森から出す。
もう一度雑誌に目を落とす。そこにはお馴染みのポケモン達を控え、トップコーディネーターの証であるリボンと王冠を受賞したまだ随分幼い彼女が居た。
“蒼凰”
よくもこんな大袈裟な名前が付けられたな、と苦笑いする。雑誌に大きく載せられたトップコーディネーターと言う文字の横にまた目立つようにページを陣取る文字。(本当に大袈裟過ぎる)
それは彼女がグランドフェスティバルで未だかつて類を見ないほど、鬼才を誇るコーディネーターだったからだ。
相応しい称号を、と思ってグランドフェスティバルの運営委員会はつけたのだろう。
「んー…まあ。今までの演技を見ると、確かにそうなんだけどさ」
にしてもアヤちゃんの人とナリを見て全て知ってるから、その称号は人物負けしていると思う。
もうシンプルに“蒼い爆弾”でよくね?
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「はい!今日はですね!レッド氏…レッドさ……違ったレッドにオーダーされたポフィンを大量に作って持って行こうと思いまーす」
「ばう!」
「そうなのですリオル!木の実全種類15個ずつとかほんとナメてンのかって話だよね…」
「ばう…」
お互いお揃いのエプロンを装着してお手伝いのリオルがお玉を持っている。どうやらリオルはポフィン作りが楽しいので好きらしい。こっちとしては非常に助かる。レッドからポフィンが欲しいとオーダーがあったのは今さっきだ。
レッドやワタルさん達が各持ち場に戻ったのは数日前の事。ワタルさんとシロナさんは律儀に家の修理代(お互いブラックカードを置いて帰ろうとしていたからきちんとお持ち帰り頂いた)を置いて、屍になったダイゴさんを引きずりながらリーグに戻って行った。
そして最後に残されたレッドさんはボクの頬と首に残った傷を軽く撫でると「………痕に残らないといいが」と一言呟き、自分の頭を撫でるとリザードンに乗ってシロガネ山へと帰った。
何故だか全てにおいて気恥ずかしくてまともに目も合わせられなかったけど、この心がじんわり暖かくなる奇妙な感覚は、嫌いじゃなかった。あれからまたいくつか月を跨いで、それなりにレッドとは連絡を取り合う仲になった。
呼ばれてシロガネ山に行ったり生存確認しに行ったり、はたまた突然レッドが家に襲来したりと忙しい。その際にレッドのピカチュウさんはボクが作るポフィンを随分と気に入ってくれたらしい。家に来ると必ずピカチュウさんは鍋を指さしてピカピカ訴えるのだ。可愛いから作っちゃう。ポフィンなんて市販でも売ってるのに。試しに市販のものをピカチュウさんにあげたら投げ飛ばされた。なんてヤツだ。そんなものよりやっぱりボクの袖を引いて鍋を指さして作ってって頼むもんだから。可愛いから作っちゃう。それを見ているカイリューやリオルなど甘いもの好きな奴らが便乗してホットケーキの粉を持って立ってるもんだから。可愛いから作っちゃう。
味をしめたピカチュウさんは時々電話もしてくるのだ。
レッドから電話がかかってきて通話ボタンを押すと『ピッ!』と一声。おや、と思ってどうしたの?と聞くけどまぁーなに言ってんのか分かるはずもなく。
レッドがすぐに代わって『お前が作るポフィンに味をしめたらしい。…すまないが、作って貰っていいか』という依頼にも勿論断る理由もないから了承して作って何回か持って行った。家に取りに行くという申し出も、こっちは暇だし!という理由でカイリューの運動がてらに持っていくよと伝えて往復もした。なんどもなんども。
レッドからの要求……些細なことだけど。
それを断ったことは一度もなかった。
夜空の散歩や森の散歩(レッドへ食べられる植物や薬になったり毒物になったりする植物をレクチャーする為)を交えて時間を潰してきた。
少しずつだけど、良好な関係を築けているのは自惚れではない。
囁かな交流だった。
誰かと喋るのが楽しいと感じたのはいつ以来だろう。
誰かと一緒にいるのが心地いいと感じるのは、いつ以来だろう。
そんな事を考えながら木の実を包丁で切って鍋にどんどん入れていく。リオルがグルグルと回すお玉に変化があったら固形状になったポフィンを皿に移し変えてまた新しいポフィンを作る。その繰り返し。
「…………ねぇ。リオル」
「ばう」
「今まで誰もいないのが日常だったのにさ。ワタルさんや………ごめん、ウソ、違う。レッドとね。話すようになってから、毎日一人が退屈だと思うようになったのって。何でだろ」
「ばう」
「…ボク、今。凄く楽しいんだ。あのね、旅をしていた頃とか、大会に出ていた頃とは違う。どっちかっていうと、大会に出てた頃は、……苦しかった。…あっ、皆と頑張ったこととか、一緒に大会で演技するのは勿論楽しいよ!嫌だって思ったこともない!」
リオルが「え?」みたいな不安な顔をする。
慌ててそうじゃない、と付け加えて。
「落ち着いてるっていうのかな。前と比べて、ボク、凄く落ち着いてるの。レッドと会ってから毎日心の中が温かくて、余裕があるっていうか。……レッドとの交流が切れないように、今頑張ってるの」
本当ならもうレッドとの縁は切れてもいいはずだった。
体調もすっかり良くなったのだし。
シロガネ山で倒れたのを甲斐甲斐しく自分の家まで連れ帰って。都市伝説なんてそんなヤバそうな人と関わりを持ちたくなかった。治療して、治ったらすぐに出て言って貰うつもりだった。
……それが、今では繋いだ縁を切れないようにと。僅かな糸を両手いっぱいに巻き付けて必死に手繰り寄せている。レッドからの要求を断らなければ、断られないと知れば電話をかけやすくなる。要求を飲めば会える口実にもきっかけもできる。
彼との繋がりが切れないように、こんなにも必死なっている自分がいる。
「ボク、そんなに執着する人間だったっけなぁ…レッドのこと特別視しているとか…そんな。気のせいかなぁ……」
「ばう?」
「いや、気のせいじゃないよアヤちゃん」
「わぁあああああ!!」
「やぁ。これ、この前頼まれたホウエンとシンオウ地方のコンテスト習慣雑誌」
ここ置いておくよ、とドサッと雑誌が机に置かれた。
突然後ろから今この場に居ない筈の聞き慣れた声がして、後ろを見るといつの間に入って来たのかワタルさんが椅子に座りながら机の上にあるポフィンを摘まんでいた。
ふ、不法侵入……。
「って何食べてるんですか」
「んん!これ美味しいね。初めて食べたよ。んまーこんなに作って………レッド君に?」
「え、あ………はい。まぁ、頼まれたので、仕方なく」
「嬉しい癖に」
「うれっ…そ、そんなこと」
「嬉しいんでしょう?嘘つかなくていいよ」
とく。と胸の中に何かが鳴って、顔に熱が集まるのを感じた。
嬉しい?…嬉しいのかな。いやでも、そんな筈じゃ。
でもこの浮き足立つ感覚は何だ。早く作りたい。それは自分がポフィン作るのが好きだから……いやでも。早く作って、なに。早く持っていきたい。…誰に?
「素直になりなよ。レッド君に頭撫でられるのも、あの時抱き締められた時も嫌じゃなかったんだろ。あんな顔しといて」
「…………そ れは、」
「まどろっこしいなぁ」
何だろう。
こんなもやもやした感覚知らない。
と言うか知るはずが無い。それを嘲笑うように心の中がドクドクと大きな音を立てている。熱い。レッドの顔を思い出して、今まで彼と過ごした時間を思い出すと、今まで溜まっていた何かが溢れだしそうになる。
ポフィンをかじるワタルさんは机に肘を乗せながら苦笑いした。
「ねぇアヤちゃん、俺らは人間だ。その人が何を思ってるかなんて知らないよ。その人しかわかんないし、気付かない事も沢山あるよ。君も、彼も。たぶんこれから先、泣きたくて死にたいくらいどうしようもなく苦しい時もある。人間の恋愛なんてそんなものさ」
「なに言って…だって。レッドはポケモンが一番大事なんですよ。そんな人が人間相手に恋愛なんてするはず…。……レッドとはまだなにも、」
「ポケモンしか未だに興味なかったらアヤちゃんと連絡続いてないから。君の為にわざわざ山を降りてきたりしないから」
「そ…れは」
「極度の人間不信なとこあるからさ、レッド君って。だからアホ正直でバカ素直で騒がしいアヤちゃんを気にしてるんじゃない?………大丈夫、レッド君が他人にあそこまでべったりなのも珍しいから。縁はそう簡単に切れない思うよ。だから言いたいこととか好きならちゃんと言わないと、伝わるものも伝わらないよ」
「……はぅ…」
そうワタルさんから言われてもう押し黙るしか無かった。
ビリビリ手のひらが痛い。
好き。レッドをすき。すき?
ひぇ………。ショートしそうな頭を必死で抑え込んで。あぁ、でも、と改めて振り返る。今までの何とも言えない感じは何を当てはめても埋まらなかったが、それが恋慕だと思うとすんなりと心臓の空いた隙間のそこに上手く浸透してきた。
自分の頭の中に居るレッドへの念は尊敬や威厳や恐ろしさなど。それは一瞬の内に恋に起き変わった。いや、「恋」という文字が書かれた大きな石に「尊敬」「威厳」「恐ろしさ」と書かれた岩が全てぶっ飛ばされて彼方に飛んで行った。
すき。
レッドが好き。
うえぇ……。
どうして今まで気付こうとしなかったのだろう。否、気付こうとは思わなかっただけだ。
「………すき…ど、どうしよ…ワタルさ…ボク、これからレッドの所行くんれす…ま、まともに顔みて話せな……」
「あはははは、悩め悩め若者よ。っていうかアヤちゃん、時々俺をレッド君と間違えるだろ?それでしょぼくれるのやめてくれるかい?一々レッド君と間違えないで欲しいな少しイラッと来るから」
「ごめんなさいっっ!!?」
ワタルさんは声を上げて笑った。
心の進歩。
(これからどうしよう)