藪蛇(臨也と波江01)

暇そうな上司から押しつけられた仕事が一段落した矢霧波江は、資料として使った文献や書籍を片付けていた。そこへ確実にタイミングをはかって戻って来た件の上司が、不快な笑顔を貼り付けて波江に声をかけてきた。
「やっと終わったの?遅かったね」
「あなたが渡して来たのが急だったからでしょう?」
「それは悪かったね、お疲れさま。でも俺ならもっと早く終わるけどね」
上司――折原臨也は、必要な書類に目を通しながら、嫌味を織り交ぜた心にもないような労いの言葉を波江にかけた。
だったら将棋かチェスかも分からない悪趣味なボードゲームなんてやらないで自分でやればいいのにとも思ったが、情報屋の優秀な部下は口をつぐんだ。それは決して、上司から倍返しに言葉を返されるのが嫌だったわけではなく、単に波江が早く片付けを終えてしまいたいがための懸命な判断だった。
全ての資料を元の場所に戻し終えたところで、いつもは喧しい上司が、先程から一言も話していないことに気付く。ちょっとした興味本位で上司の手元を覗き込んで、波江は首をかしげた。
「…卒業アルバム?」
「そ、まだ来神だった頃の学園。波江も見る?」
「結構よ」
「君の弟くんが通ってるところの昔の姿だよ?興味ない?」
「見せてもらえるかしら?」
「そうそう、素直が一番!」
何をしていても癇に障る男だと上司を睨みながら、そこは彼の言うとおり素直に受け取る。波江にとっては、それがどんなに重大な、それこそ例え自分の命に関わることでも、自らの弟へ向ける愛情を邪魔するものは一切ないのだ。情報屋の優秀で唯一の部下は、実にシンプルで、しかし他人には理解しがたい思考回路の持ち主であった。最もその位変人奇人でないと、折原臨也の部下は務まらないのかもしれない。
波江は黙ってページを捲って行き、あることに気が付く。
「…この校舎は築100年だったりするのかしら?」
「いや?俺が入学した時は新築の匂い漂う綺麗な校舎だったよ」
「ならこのボロさは何?まるで戦争一つ越えた建物じゃない」
映っているどの建物も、一言でいえばボロボロだった。
窓ガラスは何故か見た限り全てなくて、校舎の所々が被爆したように穴が開いている。
「大地震なんてあったかしら?」
「ああ。それ、全部俺の仕業ね」
爆弾発言。上司の奇怪な発言にもそろそろ耐性がついて来たと思っていた波江ですら、動揺を隠しきれなかったそれは、もはや暴言と言ってもいいだろう。
「…何ですって?天災じゃなくて?人災でこれだけ?何をしたのよあなた」
「質問攻めとは感心しないなぁ。交渉の基本がなってないよ?」
「茶化さないで。あなたにこんなはた迷惑な能力があったとは初耳よ。転職を考えなきゃいけないじゃない」
「そっちの心配してたの?やっぱり波江はおもしろいなぁ!まぁ正確にいえば俺じゃないから、そこは安心して」
臨也は楽しげに顔を歪ませて、事務所に唯一ある高価な革張りのソファに腰かけた。その行動一つとってもいやに演技じみていて、上司を逆に負の感情に波江の顔が歪んだ。
「は?矛盾してるわ。あなた実は馬鹿じゃないの?」
「ひどいなぁ。俺は直接は手を下してないけど…俺が原因じゃないこともないってこと。頭のいい波江ならわかるよね?」
「どういう…」
はっとした。そういえば、この上司は言っていたではないか。同級生にいたのが誰であったか。
「…平和島静雄ね」
「ピンポーン。それ全部、俺に焚きつけられたシズちゃんが暴れた跡。いやぁ、何度見ても化け物染みてるねぇ」
「ほんと、ばっかじゃないの」
「もしかしてそれ、俺に言ってるの?」
「あら、自覚ないの?」
「傷つくなぁ」
全く答えた様子もないのに大袈裟に心臓の上を押さえる上司を冷めた目で一瞥してから、波江は静かにアルバムに目を落とした。
「もうシズちゃんたらさ、この頃から馬鹿に丈夫でさ、トラックに跳ねられても死なないんだよ?いやーあの時はびっくりしたね」
「……」
「毎日毎日いろんな不良グループ買収して仕向けてんのに、ほとんど無傷なの。ありえないよね」
「………」
「あ、写真に写ってる窓が全部取り外されているの気になる?授業中にさ、モップとか自転車とか人間とかまで飛んで来て窓割っちゃうからさ、いっそのこと外しちゃおうってことになったんだよね」
「…………」
「卒業してもしつこいの何のって!池袋歩いてるだけで追っかけてくるんだもん、嫌になっちゃうよね」
「……………」
「…うん、別に返事とか期待してないけどせめて相槌くらい打ってくれないと、流石の俺も虚しくなってくるんだよね…ってマジで聞いてない?おーい波江〜?波江さーん」
「……うるさいわね」
「あのねぇ…上司の話なんだから、そこは聞いてるふりくらいしてくれない?」
「あなたが話すことの9割はどうでもいいことだわ」
「…最近辛辣になってきたよね波江…ああ、どっかの紀田くんを思い出すよ…」
「誰よそれ。どっかのって名前言ってるじゃないの。…ってワザとなのね、言って損したわ」
「まぁまぁ、そんな怒らないで」
このどうしようもない上司に一矢くらい報いてみたいではないか。そう考えた波江は、最も効果がありそうな言葉を何とはなしに探し始めた。
「………そうね。ならわたしが、タメになることを教えてあげるわ」
表情がない部下が怒っていると思っているのか、悪趣味にもにやにやして見てくる上司へ、アルバムを閉じた波江はようやく目を向けた。
「へえ?珍しいこともあるね。何?教えてよ」
本当に驚いたようで、上司はソファーに凭れかかりながら目を見開いて愉快そうに笑っている。
わたしで暇つぶしをしに来たこと、すぐに後悔させてあげるわ。
波江は心の中で物騒にもそう呟いた。そして、これまた希少な笑みを赤い唇に乗せながら、基本的に興味のない人間の中でも、群を抜いて嫌悪の対象に部類される相手に、衝撃を与えるべく言葉を発した。
「あなた、口を開けば平和島静雄の話ばかりしているのよ。知ってた?そう言う時のあなたってすごく生き生きしてるわよ」
思惑通り、今まで見たこともないほど驚愕一色になった無駄に秀麗な顔が、波江を穴が開くほど見つめてくる。波江は久しく動いていなかった己の感情が高ぶるのが分かった。
「こうして制服を着なくなっても追いかけて来てくれるなんて、よかったじゃない」
「は?」
「つまり、」
聞き返したというよりは、ただ単に言っていることが理解できなくて思わず奇声をあげてしまったというところだろう。
この上司らしからぬ失態を心から嘲りながら、波江は日頃の鬱憤を晴らすべくトドメを刺した。
「それって、両想いってことでしょう?」
それが決定打だった。雇い主は面白いほど動揺して、いつもの良く回る口は金魚のように情けなく開閉しているだけで音を成さない。文字通り、あの折原臨也が、絶句しているようだ。
美しい笑顔を貼り付けて感情を込めず淡々と話す波江の言葉には、やたらと説得力があるのだ。
ひとまず満足した波江は、既に帰り支度を済ませていたバッグを持って、事務所を後にした。
一人残された情報屋は、数拍後、ようやく部下が普段の意趣返しをしてきたことに気がついた。やり場のない苛立ちに舌打ちして、ソファに寝転んで呻くように毒づき始める。
「何だよ、聞いてたんじゃないか……両想いだって…?そんなわけない、俺もシズちゃんも、お互い殺したいほど嫌いな相手なんだから……」
波江の言葉を懸命に否定する情報屋が心をひどくかき乱されている理由は、決して図星だったからではない、ということにしておこう。



をついてびを
(部下の仕返しにはご注意を)




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100415
臨也と波江と言っておきながら臨→静なのは我が家のデフォです^^
絶対に名前を呼ばない波江姉さん。まだ雇われて1,2か月の頃。この頃はまだ割と信頼されてるけど、どんどん失っていくという…普通と逆。静雄のことは直接は知らない。ただ誠二をブッ飛ばしたって知ったらキレると思う^^

寝た子とかパンドラとか候補はあったんですが、ちょっと長くなったので、簡潔にしました^^










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