※大学生設定




「………仁王くんなんてもう知りません」

「……俺も柳生なんかもう知らん」

バサッとテーブルの上に雑誌が投げ出される。些細なことで喧嘩をしてしまった。本当に些細なこと。ただの意見の食い違い。お互い大学生になり、二人で同棲をすることにした。それから2年。バイト等で必死にお金を貯めた。そしてたくさん、とまではいかないがそこそこお金が貯まってきたところで旅行に行こう、という話になった。旅行に行くということで、柳生は海外に行きたかったらしいが俺が国内旅行がいい、ということで口論になった。柳生はどうしても海外に行きたかったらしい。普段は遠慮がちなのに今回だけはどうしても引かなかった。それに対し、俺は海外なんて異国には行きたくないし、英語なんて大して話せない。柳生は話せるかも知れないが、それでは俺がつまらない。それだったら国内でいいと思い、提案したらこうなった。

「私はもう寝ます」

時刻は11時半。柳生は基本的に12時までには眠りに就く。俺たちが寝る場所はダブルベッドだが、今は柳生と一緒に寝るのも嫌だったため、しょうがないからリビングのソファで寝た。いつもは隣にある温もりが今日はなく、少しだけ肌寒く感じた。




翌日、大学は休み。だが、柳生は休みではなかったらしく、俺が起きたときには既に居なかった。かわりに、テーブルの上にはラップのされた朝食が置いてあった。その横には、起きたら温めて食べてください、とのメモ書き。いつもならこういう日は必ず柳生が俺を起こして一緒に朝食を食べていた。やはり柳生も昨日の事を根にもっていたようだった。俺は取りあえず洗顔をしてから柳生の作った朝食を昼食代わりに食べた。時計を見れば12時。随分と寝過ごしてしまった。昼食を食べ終え、俺は出掛ける支度を始めた。行く宛なんか無い。ただ、家に居るのもつまらないし、散歩がてら外に行こうと思った。持ち物は携帯と財布だけ。

「(柳生は何しとんのかのう)」

一瞬だけ脳内にでた疑問に頭を思いきり振る。今更謝るつもりはない、と意地を張り、家を出た。




朝、朝食を作りながら仁王を起こそうか迷っていた。昨日のこともあり、やはり起こすのは躊躇い、取りあえず朝食だけラップに包み、逃げるように、家を出た。大学での授業中もどこかやりきれない気持ちでいっぱいだった。心にモヤモヤした霧がかかったような、そんな感じ。だが、こちらも謝る気などさらさら無い。なんとか気を紛らわし、授業に集中した。授業が終わって家に帰る途中、携帯が鳴った。携帯のディスプレイを見れば仁王からのメール。メールの内容は、今日の夕飯は要らないとの事。少し落ち込んだが、今は仁王くんなんて知らない、とかぶりを振り、帰路についた。毎日の料理は私が作る。というより用事があるとき以外はなるべく作るようにしている。仁王も美味しいと言ってくれる。しかし、今日は独り。独りで夕飯を食べるのは初めてではないが、ここ最近では随分と久しぶりだった。静かな食卓。自分の作った料理がいつもより美味しくない、なにより、寂しかった。

「(仁王くんは今何処にいるのでしょうか…。もしや、女性の方と一緒に――――)」

そう思えば急に孤独感が襲ってきた。考えてみれば、1日に仁王と話さない日は今までに無かった。むしろ、1日に一回は必ずキスもした。それに毎日、とまではいかないがセックスだってしている。こんなにも仁王に触れていない日があっただろうか。仁王と話さない日があっただろうか。考えれば考えるほど、悲しくなり、涙が溢れた。


――――触れたい、仁王くんに。




俺が家に帰ってきたのは12時過ぎだった。リビングに行くと、ソファには柳生が静かに寝息をたてていた。仁王くんはベッドで寝てください、と柳生なりの気遣いなのか、どうしようもなく嬉しく感じた。俺が家を出てからは行く宛もなく、ブラブラしていた。途中でファストフード店に入り、時間をつぶした。気付けば夕方6時近くになっており、帰るのも面倒だったので柳生に夕飯は要らないとメールをした。メールをした後、別々に夕飯を食べるのは久しぶりだなと思った。いつもは用事があってもなるべく早く帰るようにしていた。柳生の料理は美味しいし、二人で食べるのは楽しかった。その日あった出来事など他愛のない話をしながらいつもなら柳生の料理を食べる。今日はそれがない。寂しい。何しろ柳生と話さない日は初めてだし、こんなにもつまらない日も初めてだった。そんな思いで家に着けば既に12時過ぎ。そして柳生の優しさに触れ、嬉しい気持ちのまま眠りに就いた。

「(俺には柳生が居らんと駄目じゃ。明日朝にでもちゃんと話そうかの……)」




翌朝、柳生ときちんと話したいため朝食の時間より早めに起きて、リビングに向かった。すると、トーストの良い匂いがした。朝食はもう殆ど出来上がっているようで、柳生は俺に気付くとおはようございます、と目を合わさずに言葉だけを投げ掛けた。一応、おはようさん、とだけ返し、テーブルの椅子に座る。最後のお皿が運ばれてきたところでどちらからともなく頂きます、と朝食を食べ始める。やはり会話の無い食事。俺と柳生は食事中にテレビはつけないため、本当に静かな、悪く言えば気まずい食卓だった。しかし、そんな静寂を破ったのは、俺と柳生だった。

「あの、」

「柳生」

ほぼ同時にお互いが声をかける。再び一瞬だけ静寂が訪れた。

「あ、仁王くんからどうぞ」

「ええよ、柳生から話しんしゃい」

俺が譲れば、柳生はおずおずと話し出した。

「この間は私がムキになってすみませんでした。やはり、考えたのですがたった1日、仁王くんと話さなかったりするだけで…寂しくて、寂しくて仕方ありませんでした。昨日の夜、仁王くんから夕飯が要らないとのメールが来たときもしや女性の方と居るのではないかと、不安で……っ、」

一気に話したと思えば、最後の方は涙声だった。そんな柳生を慰めるように、俺は優しく柳生に話し出す。

「…俺も同じじゃ。この間はすまんの。昨日は女となんか居らんきに、ずっと柳生の事考えとった。昨日程につまらん日はなか。俺には柳生が居ないと駄目みたいじゃ」

「本当ですか……?私も仁王くんに触れてさえいない日は初めてでとても、とても辛かった…」

「本当じゃ。女となんか居らん。……柳生、本当にすまんの、俺の我儘でこんなことになって」

「いえ、私にも責任がありますし……」

今の俺たちには先ほどの気まずい空気はとうに消えていた。今あるのはいつも通り話す俺たち。

「で、柳生。旅行のことじゃが…海外に行かん?」

「えっ…でも仁王くん、海外は嫌だと…」

「ええんじゃ。考えてみれば国内旅行なんか何時でも行けるナリ、海外は滅多に行けんからのう」

そう言えば柳生はぱぁっと一気に表情が明るくなり、がたん、と椅子から勢い良く立った。その勢いに少し驚けば、すぐに冷静を取り戻し、椅子に座り直した。

「本当ですか!良かった。仁王くんと是非行ってみたい所がありまして、なんでも恋のパワースポットがあるらしいんです!」

「ほぅ……おもしろそうじゃの」

いつから柳生はこんなに女々しくなった。と心のなかで苦笑する。パワースポットなんてあまり信じる性格ではないが、柳生となら行きたいと思える。すっかり何時もの調子を取り戻した俺たち。和やかな空気が流れる。俺は椅子から立ち上がりソファに座る。不思議そうに俺を見る柳生を手招きする。

「柳生、こっちきんしゃい」

「?なんですか?」

「俺たち今日は大学休みじゃ。昨日喋っとらんし、触れてもいないじゃろ。だからその分今、愛してやるぜよ」

不思議そうな柳生に言えば顔をほんのりと赤らめて、小さな声ではい、と呟いた。

「旅行、楽しみじゃな」

「ふふ、そうですね」

その言葉を最後に俺は柳生の唇にキスをした。1日振りのキス。たった1日、それが俺たちにはとても長く感じた。キスをした後、柳生の顔を見れば、綺麗な顔で笑った。それにつられて俺も、笑った。