大学卒業を目前にして家を建てると決めたのは、幸村が片手間にインテリアコーディネーターの資格を取得した後か、いつしか趣味:資格取得になっていた俺が建築士の資格を取得した後か。
 何かの話の流れで自分たちのデザインで家を建てようということになった。役割分担は幸村が主な外観内観デザインを担当で、俺が図面引きと素材決めを担当。「そろそろ家でも建てるか」という一言から一ヶ月足らずで完成した出来上がり予想図は非の打ち所のない程完璧で、仁王の仲介で業者までもう決まっていた。あとは土地を購入して着工するのみだ。
 どうしてこれほどまでにスムーズに話が進んだのか、自分でもよくわからない。共に住まう家をイチから建てるというのは、もし異性同士であれば将来を約束するようなものだ。「結婚」という二文字が早かれ遅かれ浮かび上がる程のもの。しかし俺たちは同性。結婚は不可能だが、それ故に尚更深刻な未来計画だ。
 俺も幸村もそれほどの大きな決断をしたという自覚もなく、俺たちにとっては何ら違和感のない当然の流れだった。

 抑々、入学当初はお互いに一人暮らしをしていた。しかし幸村は一ヶ月もしないうちに週の大半を俺の家で寝泊まりをするようになり、夏を迎える頃には一週間のうち六日はうちにいるようになった。元より生活能力の無い幸村の食事の世話はするつもりだったのでそのことはさほど問題ではない。問題があるとすれば無駄な賃貸料くらいだ。俺たちが同居を始めるのにそう時間はかからなかった。
 住人がひとり増えても、敢えて引っ越しはしなかった。元々幸村が常時滞在することは計画の内だったため、俺の部屋は学生の独り暮らしにしては広く部屋数も多かった。俺が単身住んでいたアパートに幸村が転がり込む形で始まった同居はそれから3年続いた。
 そして今。二人で作り上げたイメージを元にマイホーム計画は順調に進んでいる。

 マイホームを建てると言うと、俺たちを良く知らない人間は「その若さで」と驚くだろう。しかし友人知人は納得するに違いない。今迄の生活、そして新居を構えるに当たり俺たちに金銭面での問題は全く無かった。
 俺は学生時分より株取引や主に美術品を扱う合法売買の仲介人、画商という副業をしていて貯金はあったし、共同家主となる幸村もまた自らの作品が金に変わるような名の知れた芸術家だったからだ。幸村が好きなように絵を描き、適切な相手に俺が売るという流れは自然と出来た。
 そして買い手は仁王や柳生の紹介であることが大半。いくら大枚叩こうと何処の馬の骨とも知らぬ下品な金持ちが幸村の作品を所有するなど到底許されないというのが満場一致の意見だった。

 高校卒業と同時にラケットを手放した幸村に倣って俺もテニスを辞めた。俺にはそれが最大の理由だが、他に辞めた者の理由は知らない。幸村に無意味な責を負わせないためか、誰も言葉にはしなかった。
 これは推測でしかない。だが、少なくとも仁王と丸井がテニスを辞めたのは俺と同じく幸村がもうやらないという理由からだろう。幸村がサークル活動だけでもテニスを続けていたら俺たちもまだ続けていた。
 柳生は医者を目指し医学部に進学。ジャッカルは持ち前のスタミナを活かし、実業団の陸上部に所属。真田はプロテニスプレイヤーとしてキャリアをスタートさせた。来年には切原もその道を行くだろう。彼等を除くメンバーが立海大で普通の学生として授業を受けたり適度にサボッたりしているというわけだ。
 デザインから素材迄細部にこだわり、かなり手の込んだ造りの新居になったので出来上がるのはまだ暫く先。俺と幸村は当然今年の春には卒業する。
 卒業後の進路は明白だ。授業に行く必要がなくなるだけで何もかわらない。何なら大学院への進学や他学部へ編入しても良い。それらは全て暇潰しの一環でしかない。俺の進路は精市に寄り添う形でしか有り得ないのだから。
 一度卒業後の進路について幸村に尋ねてみたが、返答は「神の御心のままに」と言ってはぐらかされて終わってしまった。定まらないのならそれで構わない。一生食うに困らないだけの技能、手に職はある。








 それから数ヶ月後。完成したマイホームのテラスでアフタヌーンティータイムをするのが習慣となっていた。
 ある時にはパティシエ修業中の丸井の手作りの菓子と共に。またある時には柳生や仁王からの差し入れの菓子と共に。何物にも代えがたい至福の時間だ。
 そんなティータイムで、俺か精市、どちらが先だったかはわからない。恐らく同時だったんだと思う。「だから精市、」と俺は言い、「それなら蓮二、」と幸村は言った。

「来世までよろしく」

 シンクロした台詞。俺たちはそれに笑い、持っていたティーカップを掲げて祝福の乾杯をした。


来世までよろしく
箱庭 様に提出