「……ねぇ、柳沢」
「何だーね」
「ルドルフ寮より狭いんだけど」
「……気にしたら駄目だーね」

抱えていた段ボールを何も無い部屋の隅に取り敢えず下ろして、木更津は目を細めた。ものが無いのに狭く感じるとは何事なのか。
つい先日、ふたりは中学高校とエスカレーターで聖ルドルフ学院を卒業した。大学こそ進路の関係で違うが、中三からだらだらと四年過ごした寮生活の流れのままに同棲を提案したのは柳沢だ。勿論お互いの存在が居心地良いというのも大きな理由だが、自分の事に頓着しないマイペースな木更津を心配した、という理由も実はある。それを柳沢は木更津に言った事は無いが、長い付き合いで散々面倒を見られていると木更津は理解しているし柳沢は納得しているのだから構わないのだろう。

柳沢が不動産屋を駆け回って探したアパートのひと部屋は、大学生の一人暮らしには十分だ。中学テニス界に君臨した何処ぞのキングでもあるまいし、ふたりとも大学生である以上借りられる部屋に関して金銭的な限界もある。ただ一人暮らしには十分でも机や、ベッドや、そんなものを柳沢と木更津の分ふたつずつ置くとなると何分手狭になってしまう。今まで寮に据え付けの家具で生活していたので、それらの家具も早々に揃えなければいけないなと柳沢はぼやいた。

「取り敢えず、モノ置いてみないと分からないだーね」

前向きに考える為の言葉を呟きつつ木更津の方へ振り返る。木更津は先程持って来た段ボールを重ねた上に腰を下ろして、何を思い付いたのか楽しげに笑っていた。
椅子と化した段ボールの、木更津の膝裏辺りにはマジックペンで一発書きしたアヒルの絵と「服」という文字が書かれている。柳沢の私服が入っている段ボールだ。
ふたりが寮から持って来た荷物は本当に最低限で、処分したものもあればまだ一年寮生活の残る後輩に押し付けてきたものもあった。

「柳沢、いい事思いついたよ」
「……何だーね」
「置けないんだから、ベッドふたつも買わなきゃいいんだ」
「……淳」
「大きいのひとつ。それでいいじゃん」

クスクスと特徴的な笑みを零しながら木更津が小首を傾げ、唇の端を誘うように吊り上げる。柳沢は口腔に溜まった生唾を飲み込んだ。誘われるまま木更津の肩に手を置こうとして、そこで木更津はふらりと段ボールから立ち上がった。出鼻を挫かれた柳沢は目を白黒させて木更津と視線を合わせる。

「淳?」
「今はやだ」

先程の様子は何処へやら、さっくりと言い切って木更津は部屋を出て玄関へと向かう。脱ぎ散らかしていたグレーのショートブーツに足を突っ込んで何回か床を蹴り履き込むと、木更津は未だ段ボールの前で固まっている柳沢の方へと振り向いた。

「段ボール運んだら、ベッド買いに行こうよ。それ以外は今日じゃなくてもいいし」

体良く『お預け』した割に機嫌良く木更津は踵を返して、アパート前に停めていたレンタルトラックの方へ降りて行った。荷台に積みっぱなしの段ボールの数はそう多くも無いが、木更津ひとりで持ち切れる量ではない。柳沢は慌てて玄関でハイカットのスニーカーを履き潰して木更津を追う。

「淳、」

階段を下りる背中を呼び止めれば、木更津はからかうように目を細めて唇の前に人差し指を立てた。その仕種に柳沢は大人しく口を噤む。それでも何とは無しに頬が緩んだ。

テレビも無いしデスクも無い。フライパンはあれど食材も無い。あるのは少しの服と雑貨と、今からふたりで買いに行くベッドだけだ。それでも今日は十分過ごせるだろうし、空腹になったらコンビニまで散歩すればいい。
だから取り敢えず、する事を全部済ませてふたりでだらだらと過ごそうじゃないか。


ベッドがふたつ置けない狭い部屋でもやはりそれはそれで良いものだろうと柳沢は小さく息をついて、階段を二段飛ばしに駆け降り先を行った木更津に追い付いた。