「…懐かしい」
日曜日、することもないので部屋を掃除していたら、本棚の奥から古びた一冊の本が出てきた。海から覗く美しい長髪、胸元を覆う貝殻、輝く尾ひれ。小さい頃読んでいた、人魚姫の絵本だ。
「何年ぶりだろ…」
最後に読んだのは、小学校低学年くらいだろうか。何の気なしに表紙を開くと、他の人魚たちと楽しそうに暮らしている人魚姫の姿が描かれていた。そのままページを捲れば、人間の王子様に一目惚れする人魚姫。でも王子様の船は嵐に遭って、海へ投げ出された王子様を人魚姫は助けて。
「…」
懐かしくなってしまって、気付けば絵本に夢中になっていた。王子様と一緒にいたくて、声を犠牲にした人魚姫は足を手にいれた。けれど王子様を助けたのは別のお姫様ということになっていて、声が出ないから本当のことは伝えられなくて。…好きだと伝えることも、出来なくて。
「…似てるね、私と」
美化してるって笑われてしまいそうだけど、でも私と一緒だなあ、なんて思った。人魚姫の気持ちに気付かず別のお姫様と恋に落ちてしまう王子様。けれど声の出ない人魚姫は、笑うことしか出来なくて。刺すような足の痛みに耐えながら、それでも笑ってた。
あの子しか見てないから、黄瀬くんは私の気持ちなんて知る由もない。幸か不幸か私を信用してくれているらしい黄瀬くんは、私に自分の恋の話をたくさんしてくれて。自分の気持ちを伝える勇気も覚悟もない私は、胸の痛みを隠して笑うんだ。
私だって、いっそ泡になって消えてしまいたい。そしたらもう、こんなにつらい思いはしなくて済むのに。黄瀬くんへの気持ちが消えてしまえば、こうして彼を想って泣くこともなくなる。
「…っ」
けれど、そんなものは無理な話なのだ。黄瀬くんを諦められるなら、そんなのとっくにやってる。ぼろぼろ零れ落ちる涙を拭うこともせず、絵本を抱き締めた。
好きなんだ。叶わなくても、報われなくても、私は黄瀬くんのことが。
「黄瀬くん…っ」
人魚姫が本当に痛かったのは、きっと足なんかじゃない。歩くたび刺すような痛みを感じる足よりも、胸の痛みの方がよっぽど強かった。だって、私もそうだから。
胸の痛みも止まらない涙も、全部私の恋心。黄瀬くんを想う気持ちは、泡になんてならない。苦しくてつらくてたまらないけど、それでも私は黄瀬くんが好きなんだ。
カッターナイフの深海
使われることのなかったナイフは、深海へ溶けた。