「…」
なんで、戻ってきてしまったんだろう。
SHRを終えすぐに教室を出た私は、駅まで来たところで定期がないことに気がついた。鞄もポケットも漁ったけれど見当たらなくて、もしかしたら机の中かも、なんて思って。自腹で帰るにもお金がピンチで、面倒だなと思いつつも学校まで引き返すことにした。まではいいけれど。
「ごめんね黄瀬くん、手伝ってもらっちゃって」
「いいんスよ、俺が言い出したんだし」
教室の中から聞こえる会話に、ぎゅっと鞄を握り締めた。黄瀬くんと、桜ちゃんだ。
桜ちゃんは学習係だから、先生にノートの提出を頼まれることも多かった。クラス分のノートを回収して、それを番号順に並べ変えて、職員室まで持っていく。言うだけなら簡単だが、実際40人分を番号順に並べ直すというのは案外骨が折れる作業で。
「でも本当に助かるよ、ありがとね」
「ならよかったっス」
桜ちゃんの机で、二人きりでノートを並べるその姿は、私の心をぐちゃぐちゃにするには十分で。嬉しそうに頬を染めて桜ちゃんと話す黄瀬くんに、涙が出そうになるのを必死に堪えた。
社交的な黄瀬くんは、桜ちゃんに気まずい思いをさせないよう巧みに話題を提供していた。彼女の楽しそうな笑い声と、黄瀬くんの柔らかい笑顔。端から見たら、二人の姿はもはや恋人同士のそれで。
「…桜ちゃん」
「ん?」
黄瀬くんの声色が変わった。どき、と私の心臓が鳴る。それはもちろんトキメキからくるものではなくて、焦燥と表現するのが正しいだろう。どうしよう、何を伝える気なんだろう。告白、の文字が頭を過って、一気に胸が苦しくなって。やだ、そんなの、聞きたくない。
「……ごめ、なんでもないっス」
「?そう?」
黄瀬くんは、何事もなかったかのように笑った。彼はいったい、何を言おうとしたのだろう。…少なくとも、私にとって良いことではなかったんだろうな。
黄瀬くんの気持ちは知っている。彼があの子をどれほど想っているかなんて、あの目を見れば一目でわかる。黄瀬くんがあんなにいとおしそうに見つめるのなんて、一人しかいないから。あの子しか見ていないから、彼は私の視線や、私の気持ちになんて全く気付かない。
声にならない声で、好きだって叫んだ。
くすむ声帯
君への想いも伝えられない。