「はい、座って」

黄瀬に促され、私がいつも座っていた場所に腰を下ろす。来てなかった期間はたった1週間程度なのに、なんだかすごく久々に感じた。私が素直に座ったことを確認してから黄瀬も隣に腰を下ろすが、その距離の近さとか、異様に見つめてくるのとか、なんかもういろいろやめろ。どんなに強がって虚勢を張ったところで先程盛大に告白してしまったことには変わりないし、今はもう何言ってもきっと勝てない。

「菜緒」
「…にやにやすんなクソ」
「そりゃにやにやもするっしょ。やーっと菜緒落とせたんスから」

あーもうだからなんでそういうこと言うんだよ。悔しいけれどそれは誤魔化しようのない事実で、でも認めたくなくて顔を背けようとしたらそれよりも早く手を添えられ黄瀬の視線から逃げられなくなった。この男は、本当に。紅潮する頬を自覚しながら、もう諦めて黄瀬の端整な顔を見つめる。私と違って余裕そうに微笑む黄瀬に、やっぱり悔しくなった。

「俺も好きだよ、菜緒」
「…あっそ」
「菜緒は?」
「っ、さっき言ったじゃん」
「もう一回聞きたい」

俺も、とか言ってきたくせに。私の気持ちなんかわかってるくせに。あざとくて狡いこの男を性格が悪いと思うけれど、そんなこいつに惹かれて、現在進行形でドキドキしているのもまた事実で。ばくばく動きすぎて破裂するんじゃないかってくらい煩い心臓を押さえて、小さく息を吸った。もう、どうにでもなれっての。

「す、き」
「…菜緒」
「好き、好き、…黄瀬が好き、だよ」

我ながら、珍しく素直に気持ちを伝えたと思う。いつも悪態ばかりついて、素直になるなんてことはなかったから。どうにでもなれ、と思って言った言葉ではあるがじわじわと恥ずかしさが込み上げてきて、耐えきれずに目を伏せる。視界に入る自分の膝をぼんやり眺めていると、私の額に黄瀬のそれがコツンと触れる。反射的に目を上げると、同時に黄瀬との距離がゼロになったのがわかった。私の唇に触れる柔らかいものは、あの日と同じで熱くて優しい。

「…ん」
「…っ、おま、なに」
「今のは反則っスよ。我慢しようと思ってたのに」

いっつも余裕綽々な顔してるくせに、今目の前にいる黄瀬はほんのり頬を染めていて、いっぱいいっぱいな表情を浮かべていて。おまえこそ、このタイミングでそれは反則だっつの。どんどん顔が熱くなって、居たたまれなくなって逃げ出そうと立ち上がって足を踏み出すが、反射神経の良すぎる黄瀬は簡単に私の腕を掴んだ。そのまま後ろに引かれ壁に押さえつけられ、さっきよりも悪化した状況に目眩がする。

「だーから、なんであんたはそう逃げるんスか」

額にキスを落とされ、私が怯んだ隙に足の間に足を入れられる。これでもう本当に、逃げることは出来なくなった。最悪だ、もう。テンパると涙が浮かんでくる癖は相変わらず治ってはくれず、視界がじわじわと歪んでくる。そんな私を見て、黄瀬はにやりと笑みを浮かべると私の唇に指を這わせた。

「俺がどんだけここに触れたいと思ってたかわかるっスか」
「知、るかバカ」
「…もう我慢しねーから」
「っ、や、めろっ、てば!」

再び黄瀬が唇を重ねてきて、思考がどろどろに溶かされてゆく。だから、慣れてる黄瀬とは違うんだっつの!こいつにとってはたかがキスでも、私にとってはその比重も価値も全然違う。やっと離れた唇を再度合わせようとしてくる黄瀬に、今度は必死で抵抗した。

「や、やだ!待ってっつってんの!」
「もう充分待った」
「そ、そうじゃなくてっ」

ああもうふざけんなこいつまじで。これ言わなきゃいけない雰囲気じゃん。恥ずかしいから言いたくなかった、のに。

「だから、その、は、初めて、なの!」
「…は」

私に迫るのをやめて、目をぱちくりさせる黄瀬。あ、なんか珍しく可愛いげのある表情。なんて少しずれたことを考えていると、黄瀬が何が、と続きを促した。何がじゃねーよわかんだろクソ。

「だから、き、キスとか、そういうの!」
「…え、や、だってあんた、元彼」
「あいつとはそういうの、一切なかった、から」
「…じゃあ、あの夜がファーストだったんスか?」
「っ、だったら悪いの」

キスだけじゃない。手繋ぐのも抱き締められるのも、全部黄瀬が初めてだっつの。涙を堪えながら途切れ途切れにそう伝えれば、黄瀬は大きく溜め息を吐いて、私の肩に顔を埋めた。

「…黄瀬?」
「…ちょっと今こっち見んな」

え。少しだけ首を捻って、横目で黄瀬を見てみれば耳まで赤く染まっていて。な、なんで。重いかなとか、引かれるかなとか思ったのに、予想外の反応にこちらが赤くなる。

「…柄じゃねえってわかってるけど、嬉しい」
「は」
「好きだよ、菜緒」
「え、ちょ、待っ」
「…大事にする、から、絶対」

黄瀬が、今までにないくらい優しく微笑んだ。その表情に見とれて、思わず私も口を噤む。
性格悪くて本当に最低な奴だけど、それでも私はこの男が好きで。そんな大好きな人が、私を大事にすると言ってくれていて。こんなに幸せなこと、きっとない。
ゆっくりと近付いてくる黄瀬を、今度は目を閉じて受け入れた。絶対落ちないって、好きになんかなるもんかって、思ってた。けれど結局はこいつに惹かれて、じわじわと落とされて。大好きな広いその背中に、そっと腕を回した。

「…好き」

唇が離れた一瞬で溢すように言葉を紡ぐ。言葉では表しきれないこの気持ちが、寂しがりなこの人に少しでも伝わればいいと、心から思った。

×