「お待たせ菜緒、帰ろ」
「ん」

放課後、英語の予習なんかをしながら黄瀬の部活が終わるのを待った。さすがに眠くなってきたところでちょうど黄瀬が現れて、荷物をまとめて席を立つ。髪の湿る黄瀬から香るのは少しの汗と、爽やかな香水の匂い。髪まで濡れるほど汗かいたくせに、全然臭くないってどういうこと。むかつく。

「何やってたんスか」
「予習」
「真面目か」
「あんたよりはね」
「そんなことしてるくらいなら見に来てくれればよかったのに」

唇を尖らせながら言う黄瀬に、アホか、と溜め息を吐いた。以前黄瀬がスランプだった時に見学に行ったことがあるが、体育館は黄瀬ファンの巣窟。そんなところにわざわざ行くなんて注目してくださいと言ってるようなものだ。黄瀬のことを好きな子たちとトラブルになるのは避けたいし、そのせいで黄瀬に迷惑がかかるのも避けたい。部活の時くらいは部活に集中してほしい。

教室を出て階段を下り外に出ると、辺りは暗くなっていて星が瞬きはじめていた。夏特有の生温い風が頬を撫でる。

「…あんた、部活どうなの」
「どうって…順調っスよ。あ、インターハイ出場決まったっス」
「え、すごいじゃん」
「まあ海常は毎年出てるんスけどね。ありがと」
「ふーん…ま、頑張んなよ」
「ん」

短く返事をした黄瀬は、突然手を伸ばしするりと私の手を握った。指を絡められ、所謂恋人繋ぎの形になる。その動作があまりに自然すぎて、反抗出来なかった。…もし不自然だったら、その動きに隙があったら、私は反抗したのだろうか。最近これまで以上に黄瀬のペースに呑まれることが多くて嫌になる。

「…慣れてるよね」
「は?」
「こういうこと」

黄瀬が私にアクションを起こす時、いつもその動きは落ち着いている。ぎこちなさなんて微塵も感じなくて、やっぱり女の子に慣れてるんだなあと再確認するのだ。

「…まあ、慣れてないとは言わねっスけど」
「……」
「けど、誰にでもやると思われてんなら心外っスわ」

絡められた指が強く私の手を握る。反射的に黄瀬を見上げると、あまりに真剣な表情に思わず足が止まった。…この目は、この顔は、ちょっと怒ってる、かも。切れ長の目が少しつり上がっているように見えて、自分の発言に少し後悔した。

「こんなこと、好きな奴にしかしねーよ」
「っ、…あっそ」
「何スかその反応…」

真剣な表情が緩んで、呆れたような顔を見せる黄瀬。その反応に安堵して、止まっていた足を再び動かす。…よかった、あのままだったらちょっと危なかった、私が。
黄瀬のペースに呑まれることが多いと言ったが、実際には少し違う。呑まれるというよりも、私が黄瀬をかわせなくなっているのだ。以前だったら適当にあしらえていたことも、今ではいちいち反応してしまう。黄瀬を意識していることを、嫌でも実感する。

「つーか何、妬いたんスか?」
「なわけねーだろバカじゃねーの」
「ふーん…」
「何にやけてんだよ違うっつってんだろ」
「って!蹴ることねーだろ!」

ああもう、にやにやしやがってこいつ!違うっつーのふざけんな。緩んだ表情で私を見下ろすこいつが腹立たしくてキツく睨んだ。バカじゃないの、嫉妬とか、そんなん何で私がするんだっつーの。調子のんなアホ。
繋がれた手が熱いのは、気温のせいだけではないのだろう。それでも私は、気付かないフリをした。

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