「…は」
「はよっス、待ってたっスよ」

家のドアを開ければ、黄瀬がへらりと笑いながら家の前で立っていた。

「おま、なんでいんの」
「一緒に行きたいからに決まってんじゃないスかー」
「…くたばれ」
「え、ひどっ!」

くっそ、そういえば今日から部活停止じゃん。けど、いくら朝練ないからってまさか朝っぱらから来るとは思わなかった。通学路の途中ならともかく、私の家はこいつにとっては学校から逆走なのに。私のいったい何がこいつをそうさせるんだ…。

「…昨日、なんもなかった?」
「は?」
「いや、一人だったし」
「別に何も」
「そっスか」

…どうしたんだろう。なんだか黄瀬が、おかしい。いやおかしいのはいつものことだけど、なんだろう、余裕がない、というか…。不思議に思って黄瀬を見上げると、ん?と余裕そうないつもの笑みを浮かべていた。…こいつ、本当に取り繕うのが上手い。さっきまでの感じとは打って変わって、今の黄瀬からは本当に余裕しか感じられない。だから読めないんだよ、こいつは。

「あ、そういや今日、放課後図書室な」
「え」
「勉強、するんしょ」
「あー…うん、わかった」

じゃ、あとで、と残して自分の教室に入っていった黄瀬。途端に女の子たちが色めき立って、教室の空気が一変する。黄瀬は外向けの人懐っこい笑顔を見せて女の子を喜ばせているが、きっと腹の中では寄んなブスとでも思ってるに違いない。さすが性悪。…黄瀬は私といる時、どんなことを考えてるんだろう。


「…んで、秀吉が刀狩令出したじゃないスか。理由としては農民の武力を削ぐとか一揆の防止とかもあるっスけど、身分の固定が一番重要っスね」
「ふーん…」
「ちなみに集めた武器は方広寺大仏殿建立に使われるとかってんで、農民も喜んで武器差し出したらしいっス」

なるほど…。なんだか教えるというより、授業を受けてるかんじだ。放課後の図書室はテスト前だというのに誰一人いなかった。まあ下手に見られて騒がれても困るからいいけど。
私の隣に腰掛けやたら近い距離で話す黄瀬。伏せられた目とかシャーペンを持つ大きな手とか、やっぱりそれなりに絵にはなる、と思う。言わないけど。

「…聞いてるっスか」
「聞いてるよ、要するに兵農分離でしょ」
「ん、そっスよ」
「はあ…覚えること多すぎ」

疲れてきたので伸びをすると、黄瀬が熱い視線を送ってきていることに気がついた。視線に気付いたことに気付いた黄瀬が、意味ありげに持っていたシャーペンを机に置く。…ちょっと待て、何する気だよ。

「…ここで変なことしたら殺すから」
「まだなんもしてないじゃないっスか」
「まだってなんだよ、何考えてんだっつの」

軽蔑を孕んだ目で睨むもこいつ相手では意味がなく、私の視線なんて気にも止めずに伸ばされた手が頬に触れる。そのままするりと輪郭を滑り、黄瀬の親指が私の唇に触れた。

「ここに触れたい、とかっスかね」
「…は」
「結構我慢してんスよ、これでも」

黄瀬の目は完全に熱を帯びていたが、でも身の危険は感じない。私をどうこうしようというよりは、焦りのようなものを黄瀬から感じたから。その焦りが何からくるものなのかがわからなくて見つめ返すと、黄瀬は唇から手を離し私の後頭部を持って、強い力で抱き寄せた。状況が理解出来なくて、身体が硬直する。

「…好きな奴、いるんスか」

黄瀬の弱々しい声が、図書室に小さく響いた。

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