「黄瀬くん好きな人いるんだってね」
「らしいねー」
「だから誘い断ってたんだね」

しばらくすると、その噂はかなりの規模で広まっていた。噂に疎い私の耳にもこうして入ってきてるわけだから、ほとんどみんな知ってるんだろうな。まったく口が軽いんだから。

黄瀬は、好きな人がいる。もちろん誰だかは知らないが。驚きはしたものの特に関心を持つでもなく、ましてやヘコむこともなかった。だから私に寄って来なくなったんだなー程度の感想しか持てず、相手が誰なのか知る気すら起きなかった。
これでやっと、黄瀬ファンの視線からも完全に解放される。最近は少なくなってたとはいえ、やっぱり結構見られてたし。その事実に安堵し、むしろ黄瀬に感謝すらした。ろくでもないことばっかされたけど、今回だけはありがたい。そんなことを考えていると、ポケットに入れた携帯が震えた。またサイレントにするの忘れてた…ゆっくりと取りだし携帯を開くと、そこに表示されていたのは予想外の人物。

『放課後踊り場こい』

黄瀬からの、なんとも腹の立つ命令文だった。何、来てとかじゃないわけ。それが人に物を頼む態度かよ。やっと黄瀬から解放されたと思ったのに、今度はいったいなんだと言うんだ。返信することなく、画面を閉じる。

…これ、行かなかったら面倒なパターンなんだろな。行きたくないけど、行かなかったらたぶん本気でやばい気がする…。


「…何の用」
「お、来てくれたんスね」

結局、来てしまった。来てくれたんスねとか、有無を言わさない圧力のメール送ってきたのはどこの誰だよ。黄瀬と会話をするのは本当に久しぶりだった。コイツを懐かしいと感じるも、それを遥かに上回る不安。いったい私はこれから、何をされるんだろうか。心当たりがないだけに余計怖い。…つーか、

「…こんなとこで私といていいわけ」
「は?」
「好きな人いるんでしょ?こんな密会みたいなことしたら勘違いされんじゃない」
「…知ってんスか」
「そりゃあね」

当たり前だけど、黄瀬に好きな人がいるというのは本当だった。まあ直接ではないにしろ本人の口から聞いたしね。黄瀬は薄く笑いながらじりじりと私に近寄って壁際まで追い込むと、私の顔の横に手をついて、私を覗き込んだ。

「…だから、こういうことすると」
「俺の携帯」
「…は?」

黄瀬は自分の携帯を開いて、アドレス帳を見せてきた。青峰大輝、赤司征十郎、…知らない名前も知ってる名前も並んでる、ただのアドレス帳だ。それがなんだというんだ。

「…なに」
「わかんねーの?女の名前、ないっしょ」

…確かに、ここにあるのは男の名前ばかり。女の子の名前は見当たらない。…好きな子のために消したのだろうか。それは別にどうでもいいが、何故それを私に見せる。

「仕事とか部活のマネとか、必要なやつ以外は消した」
「ふーん…で、なんで私に見せんの」
「まあまあ」

黄瀬はそのまま携帯をスクロールし、画面を私に見せる。…そこには、私の名前がしっかり表示されていた。確かに、さっき私にメールしてきたもんなあ。でも、なんで私のアドレスが残されてんだよ。私は暇潰しに今後も活用するってこと?意味がわからなくて黄瀬を見上げると、いつものように意地悪な笑みを浮かべ私を見下ろしていた。

「…わかんねっスか?意味」
「…暇潰しは継続ってこと?」
「ちげーよ、鈍感っスね」
「は?なんだよ、早く言えよ」

若干のイラつきを含んだ声でそう言うと、黄瀬は浅く溜め息を吐いた。なにその反応、なんで私が溜め息吐かれなきゃなんないの。だいたいお前部活あんだろさっさと済ませろよ。早くしろと目で訴えると、こんな鈍いの初めてっスわ、なんて溢してから再び口を開いた。

「好きな人いるんでしょって、言ったっスね」
「言ったけど」
「…あんただよ」
「…は」
「俺は、あんたが好きだ」

黄瀬が、あまりにも真剣な目をするから。見たことがないほど真剣な表情で、そんなことを言うから。どうしていいかわからなくて、身体が硬直した。

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