「黄瀬くん最近女遊び減ってるらしいよ」

クラスの子たちの交わす言葉が、嫌でも耳に入ってくる。高校生のするような話じゃないでしょうに。
体調も回復し完全復活した黄瀬は、相変わらずやたらと私に付き纏っている。まあ奴の考えることなんてわからないし、別にそこまで気にしてはないんだけど。あ、女の子からの視線は相変わらず怖いけどね。

「らしいねー。全然乗ってくれないみたいだよね」
「前までは誘われたら誰でもって感じだったのにねえ」
「…小宮さんといるようになってからだよね」

おいおいおい。なんでそこで私の名前が出るんだよ。視線に耐ようと頑張ってみるも、居心地の悪さには敵わず席を立ってトイレに向かった。
黄瀬のせいで話題になった朝帰り事件はだんだん収まってきたものの、やはり私と黄瀬の仲を疑う声は根強くあった。黄瀬があんなこと言わなければこんな大事にならなかったのに、本当に性格の悪い男だ。…そもそも、私が行かなければよかった話でもあるんだけどね。でもなんとなく、ほっといちゃいけないような気がしたのだ。

「ふう…」

トイレの水道で手を洗いながら、思わず溜め息を溢す。トイレに来るまでにも、女の子たちから視線を頂いてしまった。純粋に興味本意のものもあれば敵意丸出しのものまで、なんで私がこんな目に…。黄瀬に内心舌打ちをしつつ、ハンカチで拭いトイレを出る。と、言った側からとんでもない奴に遭遇してしまった。

「あれ、小宮っち」
「…何、なんでいるの」
「ちょ、これはホントに偶然だから」

不信感丸出しの視線を向けると、焦ったように弁解し出す黄瀬。…どうやら本当に偶然みたいだけど、なにもこんなタイミングで会うことないのに。つーか小宮っちとか呼ぶな。

「ふーん。じゃ」
「え、せっかく会えたんだから話そ」
「やだよただでさえ女の子に見られてるんだから」
「…じゃ、見られてなければいーんスね」

そう言うや否や私の手を掴み、階段を上り始めた黄瀬。ちょ、この過程から見られてたら意味ないんだっつの!ぎろりと黄瀬を睨むと、それはもう楽しげににやりと笑みを浮かべていた。この野郎、わかっててやってやがる。
着いた先はいつぞやの踊り場。あの時は黄瀬のこと本気で大っ嫌いだったな。まだ全然時間は経ってないのに、なんだか懐かしく感じてしまう。

「…ここで、あんたにフラれたんスよね、俺」
「あー…あれはフったというかなんというか…」
「どう?付き合う気になったっスか?」
「まさか」
「即答かよ」
「当たり前でしょ」

じりじりと寄ってくる黄瀬を軽く睨みつつ答えるも、やはりそんなのは何一つ効果がないようだ。気付けば背中は壁にぴったりとくっつき、すぐ目の前には黄瀬がいる状態だった。普通にしてれば身長的に私の前は胸板になるはずなんだけど、黄瀬が背中を丸めているから少し顔を上げてしまえばきっと黄瀬の顔は本当に目と鼻の先だろう。必死で俯き、早く離れることを祈る。

「…何」
「いや?久々にからかってみよっかなって」
「最低。さっさと離れろ」
「嫌っスよー」

あまりに余裕な黄瀬に腹が立って、胸に手をつき力の限り押してみるもやはりビクともしなかった。本気でやってるのに、まるで壁でも相手にしているかのように微動だにしない。それどころか、その手を掴まれ片手で纏められてしまった。こ、れは、マズい。

「これで身動き取れないっスね」
「…まだ足がある」
「押し倒してやろーか?」
「っ、」

蹴り上げてやろうかと踏ん張ると、黄瀬の言葉に身体が動かなくなった。そうだ、私は何を油断してたんだろう。相手はあの黄瀬なのだ。女の子を押し倒したり、その先まで事を運んだりすることは十八番のはず。どうしよう、黄瀬が、怖い。

「…震えてるっスね」
「…うっさい…!」
「まーた強がっちゃって。いーんスよ?怖いなら怖いって言っても」
「うる、さい…!」
「…生意気っスね」

黄瀬に顎を掴まれ、強制的に上を向かされる。思った通り黄瀬の顔はすぐ目の前にあり、反射的に視線を背けた。
ふっ、と、黄瀬が笑う。視線を戻すと黄瀬の顔が、徐々に近寄ってきた。や、やだ…!再び手に力を込めるも全く動かなくて、もうだめだと反射的に目をぎゅっと瞑る。同時に目尻から、一筋の涙が伝った。

「……何泣いてんスか」
「え…」

目を開けると無表情の黄瀬が私を見ていて、思わず息を飲んだ。な、んで、そんな顔してんの。

「…やーめた。今日はもういいっスわ」
「え、ちょ、黄瀬…」

するりと私を解放すると、すたすたと階段を降りていく黄瀬。切り替えの早さに呆然としつつ声をかけると、振り返った黄瀬は普段通りの意地悪な笑みを浮かべていた。

「言ったっしょ?からかってみよっかなって」
「え…」
「ただからかってみただけっスよ」

そう残し、黄瀬は階段を降りていってしまった。あまりに突然の出来事に、思わず腰が抜けてしまう。へなへなと座り込んで黄瀬の消えていった方向を見つめた。…なんでアイツ、あんな顔してたの。なんで前に迫られた時に見せた、あの顔してたの。
黄瀬が、わからない。

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