最初の壁というにはあまりにも


「もうむり」

「はやいはやい、はやいって、まだはじまりの村レベルだよ柏木ちゃん」


 けらけらと笑いながら、私の肩をポンポンと叩いてくるのは高尾くんだ。ちなみに場所は移動教室のときにしかほぼ通らない階段の踊り場だ。昼飯時の今、誰かが通ることはほぼないといっていい。
 なんでそんなに詳しいかって、私の穴場だからだ。階段の踊り場でぼっち飯とかいわないでほしい。人が極力こなくて、邪魔にならない場所を私なりに全力で探した結果なのだ。努力の証なのだ。


「あと2限やって、そのあと部活なんて信じたくない…」

「俺的には、ほんと頑張ってとしかいえねーわ…。でも、結構柏木ちゃん俺の真似できてんじゃん?なにがそんなに憂鬱なんだよ」

「高尾くんの目は節穴か」

「視野は広い方だぜ」

「わかって言ってるでしょ」

「あ、バレた?」


 しばき倒したろかこいつ。てへぺろしたところで自分の顔だからまったく可愛くもない。というか、男でわざとらしくなくこんなにもスムーズなてへぺろができる人間がいるとは驚きだ。いやでも高尾くんなら普段からやりそうっちゃやりそうだ。それともてへぺろさえもスムーズにできずにハイスペックなど名乗れぬということなのだろうか。ハイスペックっょぃ。
 大きく思考がそれたけれど、そうじゃない。
 私がこんなにも憂鬱でしかないのは、普段と違ってニコニコ笑い続けながら毎時間必ずクラスメイトとおしゃべりをしなきゃいけないのもそうだし、バスケなんて体育の時間でくらいしかやったことのない競技を超絶ガチでやらなきゃいけないこともそうだけれど、なによりも谷よりも山よりも、そう、あの緑間くんと強制的にでも関わらなきゃいけないことだけが、ひどく憂鬱なのだ。
 あのあとだって休み時間の度に、授業中の度にコミュニケーションをはかってみたのだけれど、結果は言うまでもなく惨敗。5分男子トイレの個室で瞑想したところで精神統一はできなかった。もう本気で泣きそうになった。昼休みのチャイムがこなかったら泣いてたと思う。


「柏木ちゃんはイイ線いってると思うけどなー」

「全然わからない…どこら辺がイイ線なのかまったくわからないよ…」

「少なくとも、真ちゃんが反応返してきてるうちは大体大丈夫だからもっと自信持てって!」

「びっくりするほど大雑把なんだけどそれでいいの…!?」

「考えすぎて詰まるより、雑に考えてた方が気が楽だぜ?っていうか真ちゃんあれでも普通にDKだから!確かに一見複雑に見えるけど、あいつそんな難しくできてねーって!」


 考えすぎ考えすぎー、と軽く笑い飛ばす高尾くんのコミュ力は半端ないって再認識した。緑間くんの思考回路とか複雑すぎて解ける気がしないんだけど、まあ、彼が言うとおりなのならば、私はそこそこイイ線いっているらしい。全くその気はしないけど。むしろ仲いいって思ってるの高尾くんだけで実際は嫌われてるんじゃないだろうかって思う程度には緑間くん辛辣すぎて心本気で折れそうだけど。まぁなんだかんだ一緒に行動してるんだから、仲、悪くはないんだろうけどさ。

 ふう、と一度だけため息をつき思考を切り替えることにした。別に、愚痴りたくてここに来たわけじゃないのだ。逃げるためって気持ちがなかったわけじゃないけれど、一応、ちゃんと理由があってここに来ている。緑間くんと食べることをしないでまでここに来ないといけない理由が私たちにはあったのだ。


「一応聞いておくけど、体に異変とかある?」

「特にはねーけど、強いて言うならいつもより尿意が遠い」

「私は尿意がいつもより近くて困惑してる」

「…わり、便所行った?」

「…まだ」


 実は今もだいぶトイレ我慢してたりする。
 そう、今回2人してここに来たのは他でもない、本当に文字通り「性別の違う体でこれからどうするか」というのを語り合いに来たのだ。そんなことかよとかいうな。思春期の男女(しかもただのクラスメイト同士)では壮絶な死活問題だ。


「あの、別に便所、行っていいからな?ほんと、粗末なもん見せるのは正直申し訳ねーんだけど、我慢は体にわりぃから、な?」

「いや、うん、正直高尾くんが大丈夫っていうなら、全然行くつもりだったんだけどね…」

「つもりだったんだけど…?」

「ほら…なんていうか…女子は座ってするから、さ…」

「アッ…」

「察しが早くてとても助かる!立ってする仕方教えて!」

「むりむりむりむり!!!何言ってるの柏木ちゃんちょっと落ち着いて!?」


 顔の前で大きくバッテンを作りながら全力で拒否られました。どうでもいいけど落ち着くのは高尾くんの方だと思う。「教えるって、いや、ちょっとまって、」だとか「自分に教えるとかまじない」とか「いやてか、それ以前にどこで教えんの!?学校じゃダメだし、家とかもっとダメだろ!?え!?」とか。いいからちょっと落ち着いて欲しい。半分くらい冗談だったのにこんなに困惑されるとは。私の方が困惑だよ。


「どうどう、落ち着きたまえ。とりあえず今日はうんこマンって呼ばれようとも個室でするから安心して」

「お、おう。…えと、なんかごめん」

「いや、私の方こそなんかごめん…。………ちなみに悪いとは思ってるんだけど、一応高尾くんはトイレ大丈夫そうですか…?」

「……………ダイジョウブ」

「あの、私は別に、気にしないから、いや、贅肉見られるのはすごい嫌だけど、もうそんなこと言ってられないし、全然気にしてないから、鏡の前で全裸になって踊ったって構わないから、安心して高尾くん」

「そんなことしねーから!気遣いの方向なんかちげーよ!」


 安心できる要素がひとつもねーよ!と頭を抱え込んでしまった高尾くんに、また私はどうどうといいながら適当に本当に気にしていない事を頑張って伝えようとして余計に高尾くんがふさぎ込んでしまうのだが、それはもうちょっとだけ、先の話。

 昼休みを終えるチャイムが鳴る頃には、私と高尾くんは、ひどく達観した顔をしながらトイレから出てくるのだった。
|