これが現実だ!


 拝啓、お仕事中である母上様へ。
 此度貴方様の娘であった柏木ユハは、めでたくハイスペック男子へと成り果てました。


 …どうしてこうなった。


「やっべーわマジ、ほんと、どーしてこうなったんだろ…」

「俺が聞きてー…てか、思ったよりも口悪いのな」

「猫かぶってる余裕もねーんだよ…つか今そこどうでもいいだろ…」


 あーくそ、と悪態をつけば、どうどうと返ってくる。へらへらと見覚えのある顔で笑っている女。けれども、視線があっちこっちに飛んでいる姿を見るに、目の前にいる女にも余裕がないことが見て取れる。

 授業中ということもあり、シンと静かな、階段途中の踊り場。
 そこで頭を抱え合う男女二人という、なんともシュールで、見た人もどうしたのかと首を傾げそうになる光景になるには、理由があった。


−−−
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「っばい、くそ、先生もなにもノート回収なんて後にしてくれればいいのに…!」


 廊下は走るな!と書いてある張り紙なんて見ないふり。ぱたぱたと上靴を鳴らして走っていた。
 普段はさほど通らないけれど、近道をするために上級生の廊下を駆ける。自分たちも似たような記憶がるのか、先輩たちはさほど気にした様子もなく次の授業に備え教室へ戻っている。走りながらちらりと先輩たちの教室の時計を見れば、このまま走り抜けばどうにかチャイム前には教室につくだろうという時間。少しだけほっと息をつく。

 安心して力を抜けば間に合わないだろうけれど、思わず、ほっとしてしまったのだ。
 今思えば、きっとそれこそが『フラグ』だったのだろう。

 通り過ぎる前に、廊下の壁を掴んで強引にターンを決める。そのまま勢いを殺さずに二段抜かしで階段を飛び越え、はさすがにできないので一段抜かしで飛んでいく。
 ダダダダ!と階段を飛び抜き、踊り場に出て、さらにまた階段の取手を使ってターンを決めた。

 そしてそのまま、飛んだ。


「うぇ!?あ、ちょ、まッ…!」

「はぁ!?」


 ろくすっぽ前方も確認せずに階段に飛び乗れば、今まさにそこらへんに飛び降りてこようとしたらしい男子と目が合う。突然の女子との遭遇に、その男子は動きを止めようとして、何をしくじったのか思いっきり私の方へと飛び落ちてきたではないか!


「ちょま、うそ…!」


 そしてさらになにをトチ狂ったのか、勢いを殺しきれないまま駆けていた私は、そのまま男子を受け止めようと両手を開く。
 先に言っておくけれど、私は生憎こんなに階段を全力疾走しはしたが、普段は運動部でもなんでもない。ボールに嫌われているとは私を表すような言葉だし、筋力だって最高に残念なことにこれっぽっちもついていない。引きこもりを極めていた私には、たかが2リットルのペットボトルでさえ重く感じる。
 そんな私が、だ。そんな私が、どう考えたところで、なまじ現役高校一年生である成長期真っ只中である男子を受け止められるか?――答えは考えるまでもない。無理である。しかも相手は、重力に従い落ちてきている。そして私は、重力に逆らい、飛びながら駆けていた。例え受け止められたとして、下は足場のしっかりしていない階段だ。結果は、火を見るより明らかだった。

 ―――ゴイィンッ!


「いっ………!?!」

「づぁ………!?!」


 額からもろにいった。当然衝撃に逆らえるはずもなく、そのままぐらりと視界は揺れて後ろへと落ちていく。ぐらぐらする視界と意識の中、受身もとれず落ちていく私の体を守るように、抱えられたような気がした。

 そこで一度、私の記憶はぶっつりと途切れている。

 次に目を覚ませば、目の前には女が倒れていた。ガンガンする頭は女を無視していますぐにでも保健室へ行きたかったけれど、正直すぐに立てるほど回復もしていない。軽い脳震盪のような状態にひとつ舌打ちをこぼしながら、私は、女を揺すり起こした。
 ガンガンする頭のせいで、そのときは注意力が散漫していたに違いないと、自身の違和感にも気づかずに揺すり起こしていた過去の私の馬鹿さ加減に別な意味で頭が痛くなった。どうでもよくないが、頭をぶつけて意識飛ばしてる人間に対して、揺すり起こすとは何事か。すぐに目覚めてくれて本当によかったけれど、あれで悪化してたら、本当、かける言葉もなかったぞ過去の私よ。


「う…ん…」

「あー、起きた?」

「あ…っつぅ…ってぇ、なんだこれ…」

「頭、大丈夫?」

「めっちゃガンガンする…ってぇー、なんだこれ、てかあれ、女の子は…」


 顔をしかめながらも、きょとりとした表情をする女に対する印象は「器用なやつだな」である。そんなこと思ってる暇ねーだろてめー、と今なら言える。むしろ今しか言えない。
 そういえば、自分のぶつかった男の子は一体どこにいったんだろう。思わず自分も周りを見渡すが、そんな存在は生憎いそうにない。踊り場の、さらに下に続く階段を見たところで、目の前にいる女以外に存在らしい存在はいなかった。

 おかしいな、と思って、もっとよく見ようとして立ち上がる。
 ふと立ち上がったときの感じる視界が、やけに高くて。

 ここでようやく「…おや?」と思い出した自分は、最高に頭が働いていなかったのだろう。嫌な予想に気づき、思わずひくりと頬を引きつらせながら振り向く。未だたちあがれていない女も、私と同じような、顔つきをしていた。


「…あー、やばい。今俺、あんたと同じ考えにいきあたってる気がする」

「わかる、私も、たぶんまったく同じこと考えてる…」


 ようやくちゃんと見た女の顔は、見覚えがあった。
 見覚えどころか、毎朝一番最初に会う顔だ。顔を洗って、一番最初に、鏡越しに見つめ合う。

 その、顔だ。


「う、そだろー…!?」


 小さく叫ばれた声は、生憎、静かな廊下に響くだけで、誰にも届きやしなかった。
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