すこし錆びて、へこんでる扉を見る。
屋上に来るのは二回目だけれど、案外屋上の扉って綺麗じゃないよね。
普通の学校ならばきっとあまりの使わなさにそうなってるんだろうけれど、ここの学校は屋上の出入りは禁止されていない。といってもあまり使う人もいないんだけれど。
だから、たぶん、使う人がいるからこんなに汚いんだろう。きっとそうに違いない。
ふう、と溜息をつく。
さて現実逃避はそろそろおしまいにして、この面倒事を終了させるために行こうではないか。
きっと相手も、そう思ってるに違いないんだから。
勇気を振り絞り、ドアノブに手をかける。
ひんやりと冷たいドアノブにちょっと怖気ずいたりするけれど、唾を飲み込んでそんな自分に気づかないふりをしながら扉を開けた。
扉は、案外軽かった気がした。
「………」
「………」
びゅう、と風が吹く。
けれどそんなの気にならないほどに、私たちの空気も冷たかった。
それはもう、冷蔵庫の中にいるみたいに。
「…やっす」
「…うぃーっす。サボり?」
「まぁねー」
「真面目なのに珍しいことー」
「始めてのサボりはきみに捧げよう…」
「始めてじゃないでしょうに」
「…のってもいいのよ」
「で、要件は?」
…神門さんのガチスルー加減に泣きそうだ。
ふぅ、と息を吐きとりあえずその場に座り込む。
せっかくサボったんだし、ゆっくりしなきゃ損ってもんでしょ。
神門さんが笑顔のまま、でも心の内では笑ってないんだろう、所詮作り笑いを浮かべて私を見ているのに対し、私も表面上だけの笑顔を出す。
彼女だって、わかってはいるはずだ。私がここに来た意味も、私が話したいことだって。理解できるはずだ。
していてこの構えなのか、それとも本当にしていなくてこの構えなのかは、私にはわからない。
まぁ、どっちだろうとこれから理由は言うからいいんだけれどね。
「うーん、そうだなぁ…なんだと思う?」
「私暇じゃないんだけれど」
「サボってる人間が何を言うか」
「あ、それもそうだった」
「あー、で、まぁ、答えはですねー…面倒事を終わらせるため、って言えばわかる?」
「…あーやっぱりそれかー」
はぁ、とため息をつきながら嫌そうに、面倒くさそうに頭をかく彼女。
予想内ではあったようで、しょうがないと言いながらちゃんとこちらに向き合ってくれた。
「んー…そうだなぁ、音無さんはどうしたい?」
「面倒事がなくなればそれでいいかなー」
「だよねー…そうなると、やっぱ仲直り?」
「表面上だけ?」
「あら、バレた」
「そっちこそ面倒じゃない?」
「だよねー…、じゃあ仲違い?教室で殴り合いの喧嘩でもする?」
「めんどくね?」
「ぶっちゃけめんどい」
「だよねー」
双方、本当にこの問題を解決する気があるのか微妙なくらいに適当な会話しか繰り広げない。
彼女たちの中ではあくまでも、面倒か・そうではないか。その二択しかないようで、いくら策を出しても「めんどい」たったその一言だけで終わってしまうのだ。
こりゃあ、終わらないな。
瞬時に悟った憐はもう一度座りなおす。これでは面倒事がまとまるどころか、たぶん何も変わらないまま授業時間が終わる。それはいけない。私が単位を顧みず授業をサボった意味がなくなってしまうではないか。
笑う彼女を目にしながら、さっさとこの面倒事を終わらせるために考える。
本当は奥の手としてとっておこうとしたんだけれど、奥の手どころか一番最初になってしまった。まぁ、さっさと終わらせたいから丁度いいだろう。
「神門雅」
落とした名前に、ピタリと固まる彼女。
それでも笑うことだけはやめずに、でも今までで一番意地悪そうな、苦笑そうな笑みを浮かべていた。
「…知ってたの?」
「いんや?ぜーんぜん」
「じゃあ、」
「現代って、高度情報社会なんだって」
「…ネット」
「ピンポーン、大正解」
パチパチパチとわざとらしく拍手を送れば、凄く鬱陶しそうに顔を歪める。
神門雅。興味のない私は一切知らなかったのだけれど、知らない人がいる方が少ないくらいに有名な、所詮ピアニストという者だ。
彼女は幼い頃から天才で、ピアノに限らず少し触れば大体の楽器が弾ける実力の持ち主だった。
けれど、彼女に絶対音感だけはないという。
音楽に愛された女性という見出しであったけれど、絶対音感がないということは、それは少し違うんじゃないだろうかと少しばかり思う。
音楽に愛されたんじゃなくて、彼女が音楽を愛したんじゃないか。
…まぁこんなどうでもいい見解は置いておきまして、その天才的ピアニスト・神門雅はそこらへんにいそうな冴えないサラリーマンと結婚した。
ここら辺は興味がなかったから飛ばしてたけれど、それはもういろいろと世間には衝撃があったようだ。
さて、結局この神門雅がどうしたのかと言われると答えは簡単だ。
彼女・神門希は神門雅とその夫との間の娘、ただそれだけの話しである。
どうして苗字が母親の方なのかとかは、まぁ、私の知るところではないのだけれど。
「……………それで、なに?なんでピアニストの子供が音楽の授業に出ないのか、って聞きに来たわけ?」
「…んーそれは違う気がするなぁ。別にピアニストの子供が絶対ピアノ好きかっつーとそうでもなくない?よくある設定じゃない」
「…設定って…、…まぁ間違ってない、けどさ」
「別に私は神門さんがピアノ好きとかピアノ嫌いとかどうでもいいんだよね、いやどうでもいいは言い過ぎだけどさ。別に神門さんがピアノ弾けなくてもよっしゃ仲間だって思うだけだし。」
「んじゃ、なにしに来たの」
「言ったじゃん」
面倒事を、なくすために私はここにいるんだよ。
一番最初に告げた言葉をもう一度繰り返せば、笑うことをやめた神門さんが目を細めた。
私は、この面倒事をなくしたい。
別に周りのやつらが構ってさえこなければ私だって無闇矢鱈にこの面倒事に関わろうなんて思わなかったさ。
解決なんてする必要ないと思ってたしね。
でも残念なことに、構ってくるやつばっかりなんだよね。私の友達気取りだからなのか、それともただのお人好しなのかは知らないんだけれどさ。
伝えなくても同じ経験をしたであろう彼女は、観念したかのように大きな溜息をつく。
私もできればつきたいところなんだけれど、まぁ、もう何回ついたのかもわからないのを今更つく必要もあるまい。
「…あんたって、ひどいやつだよね」
また随分と唐突な。
内心だけでツッコミをいれ、口には出さないままどうぞというように言葉の続きを待つ。
そんな私の心が通じたのか、笑うことをやめていた神門さんがへらりと、今までに見せたことのないような力ない笑い方をした。
「私のことより携帯の心配だし、私が大事にしてる境界線もどうでもいいとか言うし。…なにより、私と仲直りしたい。とかじゃなくて周りがうざいから解決しに来ただけだしさ」
「…確かに客観的に聞くと私サイテー野郎だ」
「今更気付いたの?」
「案外自分のことって気づかないもんでね」
「あー確かに」
へらーっと、今までとは違う笑い方をする神門さん。
神門さんの本当の笑い方はこれかな、なんて予測をたてながら私も笑う。
さぁて、これで面倒事は解決しただろう。
神門さんも笑って私も笑って、万事解決。真田君も猿飛君も長曾我部君もみんなみんな笑顔。めでたしめでたし。よかったね。
「――本当に?」
こぼされた言葉に、思わず胸が跳ね上がる。
自然と声を発した神門さんの方を見て、目が合うのを実感しながら、彼女は先程と変わらない笑みを浮かべながら言葉を続けた
「みんな笑顔、めでたしめでたし。…違うでしょ?」
「…なーにが?」
「私が音楽室に行かないと、めでたしめでたし。にはならないんじゃない?」
「…………あ」
「なんだかんだ、あんたって馬鹿よね」
ぷっと吹き出す神門さんなんてもう視界に入っていなく、しまった。音楽室に連れて行かないとあの美人なお姉さんと音楽の先生にまたいろいろ言われてしまう。
一応仲直りが大前提だったからすっかり忘れてた。
バッと神門さんを振り返れば、彼女は私が何かを言う前に「だが断る」と笑いながら言いのけやがりまして。
「ちょっと!来てよ!もう嫌なんだよお姉さんに睨まれるのも音楽の先生に悲しい顔されるの!!しかも悲しい顔させた後あのお姉さんに怒られるし!!!」
「全w部w私w関w係wなwいwしwww」
「えぇええ!私の大問題!ブロークンハートしそうだよ私!!」
「ぶふっ…日本語でおkしていいですか。ぷくく…!」
「なんてこったい!」
本格的に私が項垂れ始めるまで彼女の「冗談」は続くのであった。
仲違いの反対ごっこ
(…♪……。どうよ)
(…クソピアノうめぇじゃねぇかよ…!!)
(誰が下手つったし)
(あの流れだったら普通そう思うじゃん!大体王道じゃんそういう流れが!)
(私お母さんの才能全部受け継いだしぃー?っていうか私絶対音感持ってるしぃー?)
(なんって野郎だ!!私にひとつくらい才能をよこせ!)
(むしろあんたの音感の無さに全私がびっくり通り越して死にかけたんだけど)
(くそおおお人が気にしてることを!くたばれ!!)
(うむ…無事仲直りできたようでよかったよかった!)
(…あれ仲いいって言うの?ねぇ、殴り合い始めそうなんだけど。ヒートアップしてないあれ!?)
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