大切なものを失った日 (25/31)





嫌な予感がした。凄く嫌な予感。今日にはもう帰ってくる、何も心配することはない。何度も言い聞かせた。だけど、予感は消えることなく、時間が過ぎる度大きくなっていた。若様も、俺のただならぬ空気にかんかされたのか、それとも俺と同じく嫌な予感が止まらないのか、今にも泣きそうな表情だ。なんだ?何があるんだ?何度自問自答しても、わからなくて。

俺は家を、飛び出した。


才君に止められたけど振り切って、若様を預けて、どこに行けばいいのかもわからず走る走る走る。わからないはずなのに、体はわかっているような。まるでそんな感覚に身震いした。怖い。だけどこの嫌な予感の方が怖い。俺はまた、速度を上げた。



▽△



もうすぐだ。森の中で走っていると、そんな感じがした。もうすぐだもうすぐだもうすぐだ!早く早く早く!
ここにきて不安がピークに達しているのに気づきながら、飛んだ。

―ビシャッ

“あか”が まった。


「――え…?」


思わず足を止める。目の前には相対する2人の男。内1人は、見覚えがある奴。対するもう1人は――


「…と、う…ちゃん…!」


血を流し、倒れている父ちゃん。さっき舞った“あか”は彼のものだった。なんでなんでなんで、なんで父ちゃんが倒れてるの?今回の戦は楽勝なんじゃなかったの?ねぇなんでなんでなんでなんでなんで、

なんでそんなボロボロなんだよ!!

木の上にいる、今だ一言も話さない男がこちらを見ているのがわかった。父ちゃんも、ゆっくりこちらに視線をよこす。そして小さく紡いだ言葉。


に げ ろ


父ちゃんが言い終わるのが早いか遅いかの割合で、男は、父ちゃんに刃物を投げつけた。父ちゃんからまた“あか”が舞った。





そこから先は、覚えていない。

父ちゃんに名前を呼ばれて気づいたら、目の前に人だったものがあった。手に持っている、もはや刃物としての役目を果たせない程血と油でベトベトになった苦無と、自分の周りに漂っている“黒”を見る。自分がやったのか。冷静に受け止めている自分がいた。どこか、他人事のようだった。


「有無、」


もう一度、名前を呼ばれる。次はちゃんと反応して、父ちゃんの近くに行った。


「とうちゃ、」

「よく、…やった。せいちょう、した…な。」

「…しゃべる、なよ。今、止血するから、解毒薬、あるから…」

「いや…いい。もう、むりだ。止血なん…か、とっくに、やってる。毒はもう、まわりすぎだ。お、れは…もう、しぬよ…」

「……。」

「あ、いつ…ふうま、こたろ…つって…、し、てんだろ?でんせつ、の…しのびだ」

「………で、なんでそんなやつと戦ってんのさ。ばかじゃないの」

「ははっ…まさ、ゆき…ねらい、だった。今回、の、いくさ…おとり、だ…」

「目的は疲れきった昌幸様ってー…こ、と…か…」

「…ああ…けど、やっぱ…このありさ、まだよ…。おれ、にくらべ…おま、は……まだ、半人前、だと…思って、たん…な…」

「はは、俺様々よ?半人前なわけ、ないじゃん…」

「ははは…す、まんすまん…。そうか、なら、もう、一人前、か…。やくそ、く…おぼえてっか?」

「…本名…前世での名前、教えてくれるってやつでしょ?」

「そ、う…そう…それ。おし、えて…やるよ」

「………」

「お…ぃ、おい。こ…こは…『そんなの知りたくない』っつー場面、だろー…がよ」

「なんでそこだけ止まらずにいえんだよ」

「っ…ハハッ、するど、ツッコミ…さんきゅー。」

「いいからさっさと言って休めよ。後は全部俺に任せて、さ。」

「…そうだなぁ、お前、なら…あんしんだなぁ…」

「………」

「…『  』」

「…、」

「『  』、それが、俺の、なまえ…だ」

「…『  』ね、変な名前」

「ひっ…で…!」

「…じゃあ、俺からも一つご褒美。」

「…、?」

「アンタが、『  』父ちゃんがくれた俺の名前。あれ、実は俺の前世での名前だったんだよね」

「……ま、じかよ…おれ…すげ、え…」

「…うん。つけられたとき、凄く驚いた。なんで知ってんだって思った。」

「……、…」

「ねえ、『  』父ちゃん?」


あんたは、間違いなく。俺様の、俺の、父親だったよ。

小さく、小さく呟けば、父ちゃんは薄く笑って、息を止めた。目から生気が消えた。心臓が動かなくなった。体温が、なくなった。


猿飛佐助が、死んだ。

『  』は、いなくなった。

さすけは、いた。

猿飛佐助も、生きた。


俺はこの世界に来て初めて、大声で泣いた。



大切なものを失った日
(名前なんていいから)
(生きてくれと言えば)
(あなたは生きてくれましたか?)