私は、幼くして父と母に捨てられた。このご時世なのだ。お金がなければ当然だと理解はできた。ただ、理解ができても、恨まないかと言われればそうではない。私だって感情が無いわけではなかったから。

雪の降る夜。
小さな小屋の前で縮こまって座っていた。薄い着物は、雪が解けて少し濡れており、着ていることがむしろ冷たかったが、裸になるわけにもいかない。
はぁ、とひび割れした手に白い息を掛ける。息の水分で、後々今よりも冷たくなってしまうことは経験から学んではいたが、あまりの寒さに我慢が出来なかった。自分の身体で、温かいのは体の内部だけだったのだから。
震えながら行き交う人を見上げると、気温に負けないぐらい冷たい色を向けていることに気が付いた。その色は、私に早く死んでほしい、そこで死なれたら邪魔だ、と訴えかけていた。その時人間は私を、私は人間を、共に見放したのだ。

冬も深まり、自分の身体も既に限界を超え、段々と座る事さえ辛くなってきた。横たわった地面から、雪が積もった腕から、冷たい視線を浴びる真正面から、身体は着々と底冷えしていった。吐く息の白さも細いものとなり、遂に短かった生涯を終えるのかと思った時、目の前に黒い影が立った。
身体を上げることもできずに、視線だけを向けると、赤に覆われた縦長の瞳孔が私を見ていることが分かった。

「……稀血か。勿体ないことだな。」

マレチ。何の事だか知らないが、放っておいてほしかった。どうせ私はすぐに息絶えるのだ。お前も私をどうこうするつもりもないのだろう。もう死なせてくれ、と目を閉じた。次目を開けることはもうないと思いながら、静かに。

誰かは知らないが、最期に自分の目を見てくれる人がいて良かったと、思いながら。


◆ ◆ ◆


「それが私と無惨様の出会い。」
「ふぅん。ありきたりな話だねぇ。」

童磨が笑顔のまま、わざとらしく大きな声で囃し立てた。

「それでも君にとっては救世主だったというわけだ。ありきたりだが、なんとも泣ける話じゃないか!」
「別に感動する話でもない。」

嫌味ではあるが、鬼の中でも童磨は私に親しく話しかけてくれる方だった。猗窩座など、私などいないように振る舞うのだから。──いや、猗窩座はまだいい方だ。無惨様の目が見えなくなれば、私に拳を振り上げようとする輩は多かった。特に、下弦の鬼は。上弦にもなれば無惨様への忠誠心からか、無惨様の”餌”である私に手を出そうとする鬼はいなかったものの、自ら声を掛けてこようとする鬼も少ない。
その分、本心では全く親しくする気はなさそうだが、話しかけてくれるだけ童磨は私も親しみを持ちやすかった。

「堕姫は?」
「えぇ? 今は俺と話しているだろう?」
「堕姫がいい。堕姫と話したい。」
「はぁ? 何あんた。何で私があんたなんかに指名されないといけないのよ。」

聞こえていたらしい私の声で、堕姫が振り向いた。こちらに近付き、私の顔の前に手を翳したと思うとそのまま前髪を鷲掴みにされ、引き上げられた。

「こんなことされてんのに、よく私に請えるわね!?」
「堕姫は……無惨様が、すごく好きだから……」
「当たり前でしょ!?」

女であるからか、堕姫の無惨への入れこみ様は、他の鬼の心酔を群抜いていた。それであり、女としても姿形の良い堕姫を、私はとても好いていた。彼女の反応はあまりいいものではなかったのだが、私は一向に気にしなかった。
ぎりり、と掴み上げる力が強まり一層眉根を寄せると、童磨が堕姫を止めた。

「堕姫、あまり苛めると無惨様からお叱りを受けるんじゃない?」
「……まぁ、いいわ。」

掴んでいた髪を離され、床に落とされた。何事もなかったように、乱れた前髪を整え、堕姫を見上げた。

「堕姫、無惨様の話をして?」
「私に指図するなって「指図じゃない。嫌だったらしなくていい。お願い。堕姫は無惨様が凄く好きだから、その話を聞くのが楽しい。それだけ。」

藤の花の匂いを嗅いだ時のような顔をしたが、溜め息を吐くとその場に座り込んだ。許しを得たと理解をした私は、堕姫に向かい合い、自身も座り直した。

「いい? 別にあんたに頼まれたからじゃなくて、あんたに無惨様の素晴らしさを教え込むためよ。勘違いしないで頂戴。」
「分かった。」

素直に応じると堕姫はまたしても綺麗な顔を歪めたが、これ以上苦言を呈することはなかった。

「いいね、俺も参加させ「邪魔よ、アンタ。」

堕姫に一睨みされると、童磨は普段通りの態度で怖い怖いと手を上げた。私の目から見ても本気で思っていなさそうな態度であり、そういうところが嫌われるんだと失礼ながら思った。

「俺はお邪魔みたいだから、失礼するよ。」

会議後直ぐに去っていった他の鬼たちと同じ様に、童磨も踵を返した。その背中を見送ってから、堕姫の顔に似合う芯のあるかわいらしい声が話を紡ぎ始めた。



「堕姫。京子。」
「あっ、無惨様!」

座り込んでいた堕姫が勢いよく片膝を付き、頭を垂れた。私も堕姫に向いていた正座を声のした方向に変え、無惨様と向かい合った。

「京子と遊んでいたのか。」
「はっ、はい……!」
「大人しくしていたか、京子?」
「はい。堕姫とお話ししておりました。無惨様は街に行かれていたのでしょうか?」
「そうだ。」

いつもの様に薄く弧を描いていた唇が、さて、と言葉を続ける。無惨様の目を見らずとも分かる。これから”食事”の時間だ。

「京子。」
「……はい。」

このやりとりで、お互いが言わんとすることを承知したということが分かるほどに、私たちは”食事”を行ってきた。

「堕姫、帰れ。」
「はい。」

堕姫も空気の読めない鬼ではない。──空気が読めずとも、無惨様にそう言われてしまえば、帰らない鬼などいないのだが。
無惨様が私に手を差し出した。私の手をひんやりと体温が低い手に重ねると、座った身体を引き上げる手伝いをしてくれた。そうしたまま手を引かれ、私たちの姿が見えなくなるまで、堕姫は顔を上げなかった。

いつもの薄暗い座敷に入ると、無惨様から取られたままの手をぐっと引かれ、着物の袖を大きく捲り上げられた。露わとなった二の腕には、白い包帯が巻かれていた。

「具合はどうだ。」
「左腕はあと少し、右は後数日はかかりそうです。脚は右だったら朝包帯が取れました。」
「ならば右足だ。」

畳の上に座らされ、包帯が取れたばかりの右足が着物から無造作に取り出された。
嗚呼、と心中で小さく嘆く。折角治ったと言うのに、また今日は歩けない日を過ごすのかと思うと、喜ばしいことではなかった。それでも私に拒否権などあるわけでもなく、晒される真っ白い太腿をぼんやりと見ていた。
その柔らかい内太腿に、鋭い牙がひたりと当てられた。ぴくりと反応したのも束の間、すぐに耐えがたい痛みが襲った。

「っ……!!」

ぶちぶちという肉の割ける音とぐちゃりという血が溢れる音が、目を瞑っていても状況をありありと伝えてくる。
どれだけの刻が経ったのか、無惨様がすっと顔を離す気配がすると、私も無意識に止めていた息を荒々しく吐きだした。

「はぁっ、はぁっ……」

無惨様は”食事”の後を見られることを嫌う。目は瞑ったまま着物を力の限り握りしめ、痛みに耐えていると、名を呼ばれた。

「京子、もういい。」

涙で膜の張った目を開けると、歪む視界に差し出された手が映った。その手には、小さな肉の塊が置いてあった。それを手に取ると、まだほんのり温かかった。

「食べろ。」

無惨様の一言で、私はその肉塊を口に含んだ。生臭く、舌の上でぴくりと跳ねるような感触がした気がして吐き気を催すが、吐き出すことなど許されない視線が降り注いでいる。幸い、ぎりぎり一飲みで飲みこめる大きさであったため、何とか飲み下した。

「いい子だ。」

肉塊が食道を通る感触と口に残った生臭さと戦っていると、無惨様が投げ出していたままの脚に包帯を巻き始めた。もう脚は血が止まり始めているようで、巻かれる包帯に大きく血が滲むことはなかった。

「私はまた街に出る。お前も好きに動いていい。ただ、夕飯は必ず此処で食べろ。二日後の夕刻、また戻る。」
「畏まりました。」

無惨様はそれだけ言うと、包帯も巻き終わったようですっと立ち上がり、部屋を後にした。
残された私は、脚を引きずりながら布を持ってきた。そうして、畳に新しくできていた血の染みを拭き始めた。
よく見れば、この薄暗い部屋には黒い染みが至る所にあった。全て私の血であり、一応事後こうして拭くものの、全てを拭き取ることはできず、こうして染みばかりが増えていった。最初の方こそ綺麗に拭き取ろうと躍起になっていたが、布で拭き取ることに限界があることと、無惨様が全く気にしていないことを察してからは、一応形だけ拭くだけとなってしまった。

「好きにしていいと言われても……」

今日は全く動けそうにない。明日になれば少しは痛みも引き、早ければ歩くことも困難ではなくなるだろう。
湯浴みも明日にして今日は寝ようと、血に汚れた布を持ち、私も座敷を後にした。

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