きみにかけられた魔法は僕が解いてあげる



人間誰しも生きていれば今日は運が良いだとか、反対に悪い事が起きたとしてそれを運が無かった、悪かったと自分の行動の非を悪びれもしないで言うのだろう。例えばその運には様々な種類があって俺はどうやら悪運が強いと人から言われるし、女に振られたフィンクスに向かってシャルが女運が無いと笑っていたことがある。

だからと言って俺が運という存在自体を信じているかと問われると、答えは否だ。結局結果論でしかない。人の意思や行動に関係無く起こる現象を運、で片付けるには不確定要素が多すぎる。

「そんなこと今はどうでもいいんだよクロロの馬鹿!」

人の家に押しかけてソファを占領した挙句、目にいっぱいの涙を溜めてひぐぅと可愛くない声で今にも泣き始めようとするこの女。彼女の叫びで脳内で始まった運に対する持論の展開から現実へと引き戻された。


***


ピンポンピンポンピンポンとインターフォンを激しく連打し、玄関を開けた途端に振られたから慰めて…と真っ赤になった目と鼻を恥ずかしげも無く晒して胸に飛び込んできたナマエ。慣れたその行動にすら、毎度高鳴る心臓を彼女には気付かれないまま早十年。

今更好きだとも言えずに落ち着いた関係はただの"友達"だ。

抱き付いてきたナマエをいっそ抱きしめてしまおう、と今まで一度も触れたことの無い背中に手を回そうとするとするりと猫のごとく抜け出して勝手知ったるようにソファへと身体を投げた。行き場のなくなった手が意気地が無いな、と俺を笑う。うるさい、そんなの言われなくともわかってる。

丸まった背中に一連の行動を他の男の家で絶対やるなよ、と小一時間ほど説きたいが次から次へとどこで見つけてくるのかわからないクソゴミ野郎と付き合っては別れてを繰り返すナマエに届かないのは明白だ。

「私、男運ないのかも。どう思う?」

ぼそぼそ囁く声にまあ、無いだろうな。そう返して冷蔵庫から取ってきたペットボトルの水をナマエに渡す。お礼を言いながら受け取って、横へ詰めてくれた場所に腰を下ろして俺の思う、その"運"とやらを語り出してみた。彼女の口から他の男の話を聞きたく無くて饒舌になっても、それを許すくらいの余裕をナマエは持ち合わせては無かった様だ。馬鹿はどっちだ、馬鹿。

「今そういうのいらないから!」

あぁ、本格的に彼女の声色に悲しみが滲んできた。まだ泣きたくはないのか歯を食いしばって嗚咽を我慢する姿にそっと手を伸ばす。親指で一筋流れた涙を拭けば、堰を切ったように涙が溢れでた。

「わたしっ…、苦手な料理も頑張ったし…!服の趣味とかもっ、合わせたしっ!」

二つの瞳から流れる涙と同じように、ナマエの口から出る言葉も止まらない。要約すると彼氏好みにしたのに他に女を作って捨てられた、ということ。

なんて馬鹿らしい。

馬鹿らしくて抱き締めて俺と付き合えば、相手の好みを気にする事も気に病むこともないのにと言ってやりたくなる。それでもこの立ち位置を選んだのは誰だ?

「仲は上手くいってたのか」
「喧嘩とかは、してなかった、よ」
「ナマエに不満があったというよりはヤレれば誰でも良かったんだろうな、そいつは」
「それでも大切にしてもらったの!!」
「わかってるよ。いつもより長く続いてた」
「…うん……。それなのに、それなのにさあ…」

ああ、来る。彼女の口から呪いの台詞が。

ー大好きだったのに。


***


ナマエの口から初めて「大好きだったのに」と語られたのは、流星街にいる子どもらの中では珍しく親という存在が居たというナマエの父の話をしていた最中だった。十二歳の時に母親によって"捨てられた"彼女は、捨てた母親も捨てるべき理由を作った父親すら嫌ってはいないんだと笑っていたのをよく覚えている。

俺は赤ん坊の頃にはあの街に居たし、他の流星街出身メンバーも大概が家族や親すら知らない。今更欲しいわけではない家族の話も、知らない事は知りたくなってしまうのが人間の性。ナマエとある程度仲良くなった頃、彼女を捕まえて親とは何か、どのような存在なのか、今でも会いたいのか、などと知性もデリカシーも欠片もない言葉を掛けたのだ。

元々丸い眼をもっとまん丸くさせてクロロじゃなきゃ話さないからね、と記憶の中のナマエが話し出す。

「お母さんは身体売ってお金稼いで、そのお金でお父さんがお酒飲んでたかなあ」
「……それは普通の家族じゃないと思うが」
「私、一度も自分の家族を普通って言った事はないよ?」
「…確かにそうだな。それでも育てて貰ってたんだろう?」
「お父さんに遊んで貰ったこともあるし、お母さんにご飯作ったら喜んでもらえたりもしたの。泣いて感激するから恥ずかしくなっちゃったよ」
「お母さん、はまともだったんだな」
「うーん。それでもお父さんと別れられなかったんだから、まともでは無いんだろうなって何処かで見切りはつけてたよ」
「母親は父親からどうしてナマエを離したんだ?」
「襲われそうになったから。暴力とかは一切無かったし、それもお母さんが身体張って止めてくれたから未遂で終わったよ」
「……謝った方が良いか?」
「今更だね。クロロに悪意がないこと、わかるから大丈夫だよ」
「今でも親に会いたいって思うもの?」
「……さあ、どうだろう。もう元には戻れないからなぁ。」

元には戻れない原因を作ったのがナマエであるかのように。複雑な表情でそう遠くはない過去に想いを馳せる横顔。その隣でナマエが泣き出してしまうのではないかと、心の底から沸いた不安。まるで自身の感情とは思えない、彼女に泣かないで欲しいなんて。

「大好きだったのに。お母さんもお父さんも」

ああ、これだ。ナマエに纏わりつく呪いの言葉。

十年経っても彼女の呪いが解けていないと知ったら過去の自分にすら、笑われてしまうんだろうな。


***


泣くだけ泣いて、愚痴を言うだけ言って。そして最後には微かな寝息に変わる。ナマエが使う為だけの存在意義しかないブランケットをそっと掛けて、冷えた缶ビールを片手にソファとテーブルの間に座り込む。

ふとテーブルの近くに置いてあったナマエの鞄が目に入って、何の躊躇いもなく手繰り寄せる。勝手に手を突っ込んで絶対この中にあるであろう、見慣れたものを探す。

ー俺のものと同じ形をした携帯。

買い方がよくわからないから付いてきて、と携帯ショップに引っ張って連れていかれた日が懐かしい。ならいっそのこと、と勧めたのは俺と同じ機種。拘りがないのか同じ機種なら安心だと思ったのか、じゃあこれを!と彼女が買ったのは機種も色も被せた携帯で。

まさか同じというのがこんな所で役に立つなんてな、と決してナマエには言えない魂胆で薦めた事を彼女は知る由も無い。何の躊躇いもなく電源を入れると電源オフの状態で掛かってきていた着信がひたすらに並ぶ。この数時間で嫌というほど聞いた名前に思わず出た舌打ち。心当たりがあるいくつかの四桁を押すとホーム画面へと切り替わった。

着信拒否ってどこでやるんだったか、とそれらしき設定を弄っている時に送られてきたメールが、意図せずに開かれてしまう。

「は、なんだこれ」

何故電話に出てくれないのかと問い詰める文の下に『本当に叩いてごめん、反省してる。腕は大丈夫か』と続けられている。叩いた?誰を?まさか…ナマエを?

寝付いたばかりのナマエだがそんな事は構っていられない。彼女の着ているカーディガンを捲り上げて両腕を確認する。右腕の肘より上の部分が赤色から紫色に変わる途中の様な色をした痣をみつけて、カッと頭に血がのぼるのが自分でもわかった。握りしめていた携帯から鈍い音がして、数滴床に血が滴った。砕けた破片などこれっぽっちも痛くはない。

「ん……クロロどうかした……」
「何でもっと早く言わなかったんだ!」
「えっ、まって、何を……腕見たの!?」
「……とりあえず冷やせ」
「うん……。ってクロロの手、血でてる!?え、なにこの残骸……まってこの色…私の携帯?」
「騒がしいな。ほら、保冷剤」
「こういうのあるんだね、クロロの家…。じゃなくて!携帯壊したのは無視なの!?」
「壊してない。勝手に壊れただけだ」
「なにやだこっわ…」
「そんな事より説明しろ。いや、寧ろ大体の流れは把握した。殴ったやつが今何処にいるか言え」
「こ、殺す気!?」
「ナマエが言わなかったとしてシャルに頼んで探させるだけだが」

携帯を壊す前に何処にいるかナマエを装って聞くべきだった。まあ、シャルナークなら何とかしてくれるだろう。中々場所を吐こうとしないナマエに、そんなゴミクズ暴力男を庇うのかと最早嫉妬を越えて悲しみすら襲ってきそうだ。

「……もう、別れたもん」

目線を合わせないようにか下を向いているナマエ。

「向こうはそう思っていない」
「捨てられたのは私だよ!?……さすがに酷いんじゃないの、って腕掴もうとしたら振り払われて…」
「大方浮気相手の方にもバレたかなんかで振られたんじゃないのか。ナマエなら何とか丸め込めると」
「……馬鹿にしすぎじゃん、そんなの…」

そりゃあその男が馬鹿なのはわかりきってるが、ナマエの方も何も言えないだろう。彼氏に遠慮して付き合って何が楽しいんだ?それが本当の愛か?馬鹿馬鹿しい。

「私、そんなのばっかりだよね…」

ソファの上で膝を抱えるナマエ。そんなのばっかり、の度に伝えてしまいたいと思ってきた。なあ、俺にしとけば少なくとも殴らないし、窮屈にさせる事もないんじゃないか。

「前は……、あぁ変な宗教に入らされそうになった事あるよね。クロロに止められなかったら危うく入っちゃいそうだったよ」
「別れを説得するのにパクを呼ぶとは思わなかったよ」
「よくよく考えたら蜘蛛の頭がずば抜けて良い二人だよ?今ならおかしいって分かるのになぁ」
「恋愛してる時、ナマエはいつも真っ直ぐだからな」
「……それって良い事かな」
「少なくとも一生懸命でいる事は良いことだ」
「不思議だよね、いつもクロロに話すと怒ってたり、寂しかったりする気持ちが綺麗に浄化されてくの」
「それは初耳だ」

え?そう?言ってなかったっけ、と照れるナマエ。膝の上に顎を乗せて、クロロって冷たそうに見えるけど本当はすっごく懐が深いよね。…私のつまらない話、聞いてくれるのクロロだけだよ?と自嘲気味に眉を下げて笑う。

「……いつもはね、付き合う人に好きを押し付けないように、重荷にならないように、ってそればっかり考えちゃう。そうしたらね、いつのまにか彼が何をしてても強く言えない、彼にとったら都合の良い存在になってるの。」

「大好きなのに、おかしいよね。……でも今回の人にね、好きだったら浮気くらい許せよって言われて、私ガツンときたんだ…」

目の前でビッグバンインパクト打たれたのかなって思っちゃうくらいの衝撃だったんだよ。涙の溢れる目尻を擦って、泣いているのを隠す嘘を含んだ明るい声。

「私の事好きならっていうけど、何で私の大切な気持ちの上でアンタが胡座をかくんだって。私の好きっていう気持ちを利用しないでよって、怒りが込み上がってきてさ」

「そうしたら今までの…、クロロには話したことあると思うけどお母さんの私の事大好きだから手離すんだからねって言ったことも、大好きだから触りたくなるんだって言ってきたお父さんもさあ、結局私が二人のこと嫌いになんてなれないのわかってる上での行動なんだって気付いちゃって」

今更なのはわかってるんだけどっ、なんて言ったら良いかなあ。抑えきれなくなった嗚咽を隠そうともせずにしゃくりあげて泣き始める姿に、泣いてはいなかったはずのあの日のナマエが重なる。泣かないで。あの日の俺はたしかにそう思ったんだ。初めて知った感情に戸惑ったけれど、あの日そう願ったことは嘘じゃない。幻なんかじゃない。

それなのに何故、彼女はいま泣いているんだ?

半ばこれは衝動だ。ソファに座るナマエを掻き抱くように自分の腕の中に大切にしまい込む。

「好きだ。俺はお前が好きだよ、ナマエ」
「……クロロ?」
「俺相手になら取り繕う必要もないだろ?料理なんか作れなくたって、服の趣味だって、ナマエがしたいようにやりたいようにやって、笑ってくれるのが俺にとっては一番大切だ」
「…クロロ、いきなりどうしたの?」
「いきなりじゃない。ずっと好きだったんだ」

…冗談でしょ?と戸惑うナマエに疑う余地なんかないと思わせたくて初めてしっかりと抱きしめた肩により力を込める。

「なあ、俺と付き合ってみないか」

お前が彼氏にされたら喜ぶことも、嫌なことも全部知ってるよ。お前が聞いてもいないのに喋ってくれたから。下世話な話だって知ってるよ。初体験語られた時は三日三晩、怒りが収まらなかったことだってあったんだ。

「……誰よりもナマエのこと、大好きな自信しかないんだ」

ナマエが俺を好きな自信なんかこれっぽっちも無いけどな。さっきの彼女の真似、自嘲気味に呟くのは今度は俺だ。

「私……何にも出来ないよ…」
「俺が何でも出来たら良いだけの話だ」
「ば、ばかなの…」
「そうだな。流星街の頃からお前しか見ていないくらいには馬鹿だよ」
「そ、そんな前から!?」
「……駄目なのか」
「いやっ!なんか…心が!心が追いつかない!」
「ははっ、落ち着けよ」

わたわたと慌てる姿に込み上げてくるのは紛れもない愛情で。

「私、クロロの事、彼氏とか、男の人とかそういう感情で見ないようにしてたっていうか…」
「見たことがない、じゃなくて?」
「クロロは優しいから、変に意識したら好きになっちゃうかもって、思ってた」
「好きになってくれて大歓迎だ。」
「ほ、ほんとうに私でいいの…?」

もちろんだよ、と固まっているナマエの額に唇を寄せる。

「そのままの泣き虫で、言いたいことを素直に言えるナマエが好きだよ」
「クロロ…」
「幻影旅団の団長に捕まったんだ。……ナマエの男運は最高に悪いだろうな」
「ばか…。」

否定出来ないからやめてほしいとも言えないな。

乾き始めた涙の跡をそっと親指でなぞる。擽ったそうに目を細める仕草に約十年来の想いに片をつけたのかという実感が湧き上がってくる。

抱き締めた腕の中。不意に、遠慮がちなナマエの手がそっと背中へと回る。

「私、本当はとってもとっても愛されたいの。私しか見て欲しくないの。…重たい女、なの。後からやっぱり無理だったとか言うなら今突き放してほしい、かも」
「はぁ、お前俺のさっきの台詞忘れたのか?今更過去がどうこう言わないが、こんな風に他の男の家に行ったりしたら、二度と外へなんて出さないからな」
「それは冗談でしょ?」
「冗談……?ははっ、それこそ面白い冗談だな。落ち着いたら携帯買いに行くか。」
「一緒に行ってくれるの?」
「もちろん、頼まれなくてもそのつもりだよ」

態とではないとはいえ、壊したのは俺だから。また俺と同じ物をすすめたらきっとナマエはしょうがないなあって笑ってくれるのだろう。もし他の男の番号が増えたらまた壊れる事になるけど、というのは心にしまって置かなくてはいけない。

ナマエの真っ直ぐな愛情も、全て俺が上回ればいいだけの話だ。ナマエと俺ではきっと、息が止まるのは早いは俺の方。それならばその時まで、最期の時まで彼女の気持ちより俺が彼女を大切に想っていよう。

大好きだったからこそ幸せだった、とナマエの呪いを解けばいい。俺に愛されて幸せだったとより強力な呪いをかけてやればいい。

ああ、可哀想に。どうやらナマエの男運は最上級に悪いらしい。


(原案・タイトル 染伊さん)


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