「…遅ぇよ」
私が戻ってきた事に気付いた新ちゃんが、仏頂面で言いながら自分の上履きを脱ぎ、私の足元に置いた。
「とりあえずこれ履いとけ」
「えっ…何で?」
「いいから早く履けって。帰るぞ」
「でも私、自分の靴あるし…」
「ねぇから言ってんだろーが」
「……そう」
きっと、邪魔が入った腹いせに…ってやつだ。
明日はスニーカーで通学だな…。
新しいローファー、買わないと。
「新ちゃん、部活は?」
「もうとっくに終わった」
「そ、そう…」
「……」
「……」
「あ…そういえばお姉ちゃんと園子は?」
「園子は見たいドラマがあるからって先に帰った。蘭は……」
「…お姉ちゃんは?」
「…蘭は、部活が長引きそうだから、俺が代わりに待っててやれってさ」
「そう…」
「…………」
「…………」
いつの間にかどっぷり暗くなった通学路を、私と新ちゃんは並んで歩く。
青白い街灯が不気味に光る道を上履きのまま歩く女と怖い顔でひた歩く男、か。
傍から見たら更に不気味だ。
「…上履き、ブカブカで歩きにくい」
「ワガママ言ってんじゃねぇよ。ちったぁ我慢しろ」
そ、そんな睨まなくてもいいのに…。
言われなくても歩くよ。
ただ、この空気が嫌〜な感じがするから話しかけただけだし…。
「つっ…!」
鞄を持ち直した瞬間、突然肩に酷い痛みが走った。
今朝、投げ飛ばされた時に打った部分だ。
「どうした?」
「…な、何でもない」
ああ…これ、結構痛いかも…。
明日学校行く前に病院に行こうかな…。
「まさかオメー、アイツらに…」
「だから何でもないってば…」
「な、何でもねぇって…今明らかに痛がってたじゃねーか!」
「痛がってない。いいから行こうよ」
「っ、そうやって誤魔化すなよ!」
「…」
「おい杏っ!」
心配してくれるのは有り難いけど、触れられたくない事に対してしつこく聞かれるのは好きじゃない。
「…明日、朝イチで病院に行け」
「…」
「俺から蘭に話しとくから、アイツに付き添ってもらって」
「やめて!!」
「…杏…」
「……お姉ちゃんには、言わないで」
「なっ…ど、どうしてだよ!?」
「これは私の問題だからだよ。お姉ちゃんには関係無い」
「……」
「病院、行くから…。だから言わないで…。園子にも、お姉ちゃんにも…」
「……」
殴られたなんて言ったら、お姉ちゃんは悲しがるに決まってる。
余計な心配かけさせて、みんなのお荷物にはなりたくない。
心配される方も、色々と辛いものがあるって事に、最近気付いたから…。
「…ほら」
「え?」
「歩くのしんどいんだろ?無理すんな」
「……」
目の前でしゃがむ新ちゃん。
これは恐らく、背負ってやるって意味なんだろうけど。
…こんな事されると、勘違いしちゃうじゃん。
「…おい」
「うん?」
「何でテメェは俺の頭に足を乗っけてんだよ…」
「いやぁ〜、新ちゃんの頭がどれだけ私の足にしっくりくるか実験してみようかと思いまして…」
「……」
「そ、そんなに怒らないでよ!ほんのジョークじゃん…」
どうやらホントに私の勘違いだったみたいだ。
この几帳面、本気で怒ると豹変するタイプだなきっと…。
そんな事を思いながら、靴を履き直し、新ちゃんの背中に掴まった。
あーあ…。
みんなのお荷物にはなりたくないって思ってるのに早速なってしまった…。
「よいせ、っと…。うわ、オメー重くなったなぁー」
「新ちゃんそれ、女の子に言う言葉じゃないから!」
「違ぇって!いい意味で言ったんだよ!」
「いい意味…?」
「オメー覚えてるか?小1の頃、1回だけ蘭とおっちゃんの目を盗んで俺が勝手に近所の公園に連れ出した時の事」
「…」
ああ、まただ…。
「…ごめん、分かんない」
「ま、覚えて無くても無理ねーか…。あん時オメー、帰り際に疲れて眠っちまってさ…。こうやって俺が背中に乗っけて運んだんだよ」
「…そう」
「よく考えたら、オメーをおぶったのってあれ以来だなーと思ってさ…。あの騒動以来、蘭が無理させねぇ様に目ぇ光らせてたし。だからちょっと懐かしくなったっつーか…」
「……」
こういう風に思い出話をされると、自然と身体が強ばってくる。
私の知らない"私"が、みんなの思い出の中に当たり前の様に存在しているという事。
この世界に居るはずの無い者が、みんなと生活していたという事。
その事にいつまで経っても慣れない自分。
どんなに楽しかった過去でも、そこに"私自身"は存在しない。
…とても、気持ちの悪い事だ。
"私"は、本当はこの世界にいるはずなんて無いのに…。
「けど事務所着いた途端、オメーのお袋さんに鉄拳食らってすっげームカついた覚えあるぜ」
「…自分が連れ出した癖に?」
「オメーが連れ出せっつったんだろ!?」
「え、そーなの?」
「…あれ?どっちだ?」
「あのねぇ…」
「まぁいーじゃねぇか!昔の事だし…」
結局真相はどっちなのか不明だけど、きっと毛利杏は嬉しかったに違いない。
お姉ちゃんの話では、当時の私は小学校にもまともに通えないぐらい弱かったらしいし…。
…さながら新ちゃんは、城に捕まっていた姫を助けに来た王子様、ってやつ?
「…先に言うけど、私、新ちゃんとヨリ戻す気サラサラ無いから」
「なっ…こっちも願い下げだっつーの!」
「あらそれは良かった!これで戻す気あるなんて言われたら思いっきり貶すところだったよ」
「…ったく、ほんと可愛くねぇよな、最近のオメー」
「それはどーも」
「へっ…。そんな態度してると、いつかあの男に嫌われちまうぞぉ?」
「…はぁっ!?ば、バカじゃないの!?かっ、快斗くんとはそんなんじゃ」
「ほーう?こっちは名指ししてねぇのに自分から指定してくるとは驚いたな〜!」
「……うっざ」
「あ!?何か言ったか!?」
「べーつーにー?」
やっぱり嫌いだ、この男。
例え白馬の王子様になったとしても嫌いだ!
「…っつーか、ずっと気になってた事があったんだけどよ」
「え?何?」
「オメー何であの日、江古田なんかにいたんだよ?」
「またその話ぃ?だから何度も言ったじゃん。覚えてないって…」
「ホントかぁ〜?何か隠してんじゃねーの?」
「……」
しつこい。
ああ、しつこい!!
「ま、人間誰しも他人には知られたくねぇ事はあるけどよ…あんまり家族に心配かけんなよ?」
「あーハイハイ…」
まーた始まったよ…新ちゃんの大得意な世話焼き!
自分は親から離れて一人暮らししてるからって一人前みたいなツラしちゃってさぁ!
ご飯だって掃除だって洗濯だってみんなみーんなお姉ちゃんが時間の合間を縫ってやってあげてるのに!!
「しっかし驚いたぜ。オメーがあのおっちゃんと親子喧嘩したなんてなー…」
「えっ…?」
「初めてなんじゃねぇ?オメーが親と言い合いになったなんてさ」
「……」
どういう、事…?
「ね、ねぇ!」
「ぁん?」
「何でお父さんと喧嘩したの!?」
「…はぁ?オメー自分の事なのに覚えてねぇのかよ?」
「お、お酒のせいよ!いいから教えて!」
「はぁーあ、ったく…。俺は何にも知らねーよ」
「えっ…?」
し、知らないの…?
「あの日、蘭は園子と遊びに行ってて家にいなかったしな…。何があったのか知ってんのは、オメーとおっちゃんだけ。以上」
「で、でも新ちゃんあの日、私を探してくれてたんでしょ!?お父さんに理由聞かなかったの!?」
「聞いたけど教えてくれねーんだよ、あの頑固ジジイ…」
「え…」
「蘭が帰った時、おっちゃんの奴、かなり酔っ払ってたらしくてさ…。何とか問い質したら一言、杏を追い出した…って言ったっきり寝ちまったらしいんだ」
「お、追い出したぁ!?しかも寝たぁ!?」
「ああ。その後少しして起きて来たらしいが、まだオメーが帰ってない事を知った途端、慌てて探しに行ったらしいけどな…」
「……」
私がお父さんと喧嘩をした理由、か…。
江古田に向かった理由は本人がいない以上、何も掴めないけれど、喧嘩をした理由だったら私にも掴めそうな気がする。
それにもし、お父さんと喧嘩をした理由がイジメの事と何か関係があるのだとしたら、私はお父さんに聞かなければならない。
私とあの日、何があったのか。
何を掴めるかなんて予想はつかないけれど、少なくとも今の私に出来る事といったら、この無意味なイジメ問題を解決してあげる事しか無いと思うから…。
「…っていうか新ちゃん、何で待ってたの?」
「ん?」
「先に帰ってて良かったのに…。上履きだって、靴が無いって分かったら自分のを履いて帰ってきたよ」
「あー…いや、俺も最初はそうしようとしたんだけどよ…。その…父さんから聞いたんだよ…」
「聞いた…?何を?」
「最近この辺りに婦女暴行魔が出るって情報」
「ぼっ、暴行魔ぁ!?」
「ああ…。暗くなった頃に出没して、若い女を見境なく襲ってるらしいぜ?標的は中学生から若いOLまでバラバラ。肝心の犯人の顔も、サングラスにマスクをつけてて正体不明。デリケートな問題だから警察も手掛かりをあまり掴めてねぇみてぇだし…」
「ま、マジっすか…」
「だから夜中にホイホイ外へ出るんじゃねーぞ?最近のオメー、危なっかしくて見てらんねぇし」
「ぜっ、絶対出ません!!」
そうやって新ちゃんが説明している間にも、何台ものパトロールカーが通り過ぎて行った。
こ、こんな恐ろしい話されたら意地でも出ないよっ!!
っていうか、江古田といい米花町といい…治安、悪くない?
ああ、でも治安が悪いのはこの世界では当たり前の事なのか…。